表題は、私が創作活動をする中でつくづく思っている事。
逆に、一人でも、一話でも作品に、触れてくれる人が居るならその人に感謝する。
労力、時間、脳を働かせるという行為は読み手が払うコストだと私はとらえている。読み手が払う読書という労力を、書き手は軽んじてはいけない。
別に卑屈になっているとかでも何でもなく、ン十年ネットと社会をふらふらしながら絵を描いたりハンドメイドしてみたり、小説を書いてみたりして骨身に染みているだけである。
読み手は作品その物に興味は無いと思うぐらいで丁度いい。作品から得られる様々な報酬があってこそ、読み手は小説を読んでくれる。
「感想」は更に言語化というコストを読み手が支払う。それをもらえて当然と思うのは書き手の傲慢ではなかろうか。
「書籍化」や「映像化」となるとコストはもっと可視化しやすいものになる。関わる人が増え、コストは金銭という形で消費されていく。たとえそこで消費される金銭を、書き手が直接的に受け取る事が無いといえど。
編集、デザイナー、流通、販売員。そういった人たちを動かすために誰かがコストを支払う。
そういう事まで想像して、関ってくださる人に敬意を払いながら創作活動をしたい。
さて、今日は土曜日なのでにくぼくの更新日です。
第6話。姉さん、事件です。