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面白いの対義語は白けるかもしれないという不思議

グダグダ愚痴ってる例の創作論に載せたガッカリする瞬間と似たような話なのだけれど、主観的過ぎるのでこっちに。

物語に作者の熱意が込められているものは面白いんだけど、作者の願望が透けて見えた瞬間にクッッッッッソシラケる。

セイヘキを作品に入れるのは良いことだ。
じゃあ、作者の願望が見えてシラケるっていうのはどう違うのか?
それは書き手が読み手を意識しているか否かだ。
エンタメテキストであろうと、純文学であろうと、読み手がどう見るかを意識しないで書いたテクストはシラケる。
読み手を意識するというのは些細なことから始まる。誤字脱字を無くそうと努力するとか、読みやすいように適宜改行したり、あるいは逆にみっちりと文字で画面を埋めて圧をかけるとか。
イラストだってそうだろう。音楽だって。

作者のセイヘキを全力でぶつけつつ、そう感じさせない遙か高みの作品もある。

私はこれが俺のセイヘキだぁ!と全力で叫んでいるタイプ。



1つ気を付けなければいけないのは、いくら書き手が読み手を意識して作品を書き上げても報われる(期待通りに読まれる)とは限らないと言うこと。
読み手も書き手の狙い通りに解釈することが正しいわけではない。(私の好きな「作者の死」だ)
それでも書き手は読み手を意識して書かなければ、「面白い」に辿り着く前に「白け」られてしまうんじゃないか。

どう思います?

2件のコメント

  • 読み上げ機能などの例外もありますが、小説は基本的に視覚情報としてインプットすることを前提とした媒体ですから、改行や漢字の開き方といった視覚的なデザインの部分を疎かにするのは書き手としての怠慢に他ならないと思います。
    なので雑に書き飛ばされた作品ではなく細部まで偏執的なまでにこだわった作品を期待するのは読み手として自然なことなのではないかなと。私見ですが。
  • 古野愁人 様
    コメントありがとうございます。
    先日はレビューもありがとうございました。

    さて、コメントを読んで「なるほどこの感覚は読み手として期待していると言うことなんだな」と腑に落ちました。言語化ありがとうございます。
    私も文章にそういうものを期待してしまうタチなのですが、書き手として気にならないということは恐らく読み手としても気にならない(或いはそもそも読んでいない)かのどちらかかな、と思いました。

    どういう読み手を対象とするかというのも設計の段階の話になるので、結局は書き手としてしっかり読み手を意識できているか否かに着地してしまうわけですが。

    無料で読めるものだからこそ、そういった作品に出会えると心躍りますね。
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