幻想のドラゴニズム

鍵崎佐吉

竜に還る

 薪拾いに行ったククがやたらと騒ぎ立てて戻って来たので何かと思ってついていくと、村のはずれの雑木林の中に見慣れぬ男がうずくまっていた。獣の皮を紡いで作られたような頭巾の下からは長い白髪と髭が覗いている。恐る恐る声をかけてみると男はしわがれたうめき声をあげた。

「兄さん、どうしよう?」

「……まだ生きているみたいだし、放っとくわけにはいかないよ。手の空いてそうな人を何人か呼んできてくれ。そうしたら一緒に村まで運ぼう」

 ククにはそれ以上言わなかったが、腐肉は竜を呼び寄せる。ここに放置しておくのはいささかまずいのだという事情もあった。そうして男を運ぶうちに異変に気付いた村人たちがわらわらと集まってくる。ちょっとした祭りのような騒ぎの中、ひとまず男はおさの家に運び込まれて手当を受けることになった。稀人まれびとは福を運ぶ者としてもてなすべし、という習わしがあるからである。長のかけたまじないと気付けの薬が効いたのか、翌日には男は口が利ける程度まで回復し、俺たち兄妹に礼を言わせてほしいと申し出てきた。思いがけないことではあったが、かといって断る理由も特にないので俺はククと一緒に男に会いに行くことにした。

「君たちのおかげで助かった。本当にありがとう」

 男は皺だらけの顔をほころばせながら深々と頭を下げて謝意を示した。ただ異郷人とはいえこれほど年の離れた相手に下手に出られるとこちらもなんだか落ち着かない心地がする。

「いえ、そんな、大したことはしていません。でも、とにかく御無事で良かったです」

「……とはいえ私ももう歳だ。この体ではこれ以上旅を続けられぬし、あちこちの古傷もうずいている。きっとそう長くは持たんだろう」

「それは……」

 俺もククもなんと言えばいいのかわからなかった。ただどこか遠い目をしたこの老人は自らの死を恐れているようには見えなかった。

「君たちを見ていると故郷を発ち旅に出た頃を思い出す。あの時は目に見える全てが新鮮で、世界そのものが輝いて見えたものだ」

 ククは早くも退屈そうな表情を浮かべているが幸い男には気づかれていない。とはいえ死を間際にした老人を急かすわけにもいかないだろう。俺たちはただ黙って彼の言葉を待った。

「もう私は故郷の土を踏むことは叶わない。面倒をかけて申し訳ないが、きっとこの地に葬られることになるだろう。……それで、ここではどのように人を送っているのか気になってね」

「多分、竜葬になると思います」

「……竜葬というと、人を海に還すことかな? だが、ここには海どころか湖もないように思うが」

「いえ、言葉の通り亡骸を竜に食わせます。ご存じないんですか?」

 そう言ってから少し失礼な物言いだったかと反省したが、男はその落ちくぼんだ目を見開いて何度か竜葬という言葉を繰り返した。ずっと黙って話を聞いていたククも不思議そうにその顔を覗き込んでいる。今まであまり考えたことはなかったが、どうやら俺たちのいう竜葬とは他の土地でも当たり前に行われていることではないらしい。

「私の故郷では亡骸は火に入れ灰にして送るものだったが……そうか、竜葬か。それも悪くないかもしれぬ」

 少し男の話に興味を感じ始めていたのだが、彼は疲れてしまったのか目を閉じてそれ以上は語ろうとしなかった。


 かつてこの谷には川も森もなく、鳥や獣もいなかった。そこに空の彼方から一匹の竜が舞い降りて、ここを棲み処としたのだった。竜は大きな卵を一つ産み落とし、やがてここで息絶えた。竜の亡骸から流れ出た血は川となり、その糞は肥沃な土となって木々を育んだ。卵からは無数の竜が生まれて空を飛び交い、その殻は鉄となって大地に散らばった。そして竜の亡骸を食おうと鳥や獣が集まり、その中の特別優れた数匹が人になった。

 これが俺の知っている世界の成り立ちであり、人はその亡骸を竜に食わせることで彼らから預かった命を元の場所に還しているのだ。竜が腐肉を食らい火の煙を忌むのも、亡骸が土に還ったり燃やされたりするのを快く思わないからである。だがあの旅人が言うには人を送る方法は竜葬以外にもいくつかあるらしい。彼が言うウミというのがどういうものなのか、なぜ彼の故郷では人を燃やして送るのか、そして竜のいない場所で人々はどんな暮らしをしているのか。そういったことに思いを馳せるたび、俺の心は現実を離れてしばし空想の世界に沈む。こんな感覚は今まで一度も味わった事がなかった。

 それから俺は時間を見つけてはあの男のところへ行き、彼が見てきた様々な事柄について語ってもらった。日を追うごとに彼は衰弱し誰の目にも終わりの時が近いのは明らかだったが、それでも少しずつ過ぎ去った時を懐かしむように彼は見知らぬ世界の話をしてくれた。その中でも俺が興味を引かれたのは人の死とその葬祭についてだった。

「ここよりずっと西のある国では、人を海に還すことを竜葬と呼んでいた。伝承によればかつてその国にも竜がいて、その竜に食われることで死後の安寧が約束されるという。そしてその竜が死んだ時、ある貴人の亡骸と共に竜を海に流し葬祭と為したのだ」

「だからあの時、妙な勘違いをしたのですね」

「そういうことだ。……しかし私は、海に流されるくらいなら竜に食われたいと思う。彼らの翼を借りれば、まだ旅を続けられるかもしれないからな」

 このあたりの竜は縄張りから離れることは滅多にない。だからこの老人の言うように竜の体を借りて旅をすることは難しいだろう。だけどそのようなことをわざわざ伝えなくてもいいことぐらいは俺にもわかっていた。老人はどこか遠い目をして静かに言葉を紡ぎ出す。

「故郷を救いたいという一心でここまで来たが、あるいは私はただ逃げていただけなのかもしれぬ。君のような若者を見ていると、どうしてもそう思ってしまうよ」

 その言葉の真意を探る前に彼は目を閉じ、重い微睡に体を預けてしまった。


 翌朝、陽の光が谷に差し込むその直前に彼は息を引き取った。予定通り彼は竜葬によって送られることが決まり、長はその仕切り役を俺に託してくれた。


 竜は人が他の生き物とは違うことを明確に理解していて、こちらから危害を加えない限りは無暗に襲ってきたりはしない。だが同時に竜の死肉から零れ落ちただけの俺たちを仲間と見なすこともなく、決して人に飼われたりはしない。だから竜に亡骸を食わせるには俺たちが彼らの縄張りまで運んでいくことになる。

 村の男たち数人とククを引き連れて俺は荷車に乗せられた棺を先導して歩く。あの老人にはもっとたくさん聞きたいことがあったが今となってはそれも叶わない。だが彼は死の間際に自分の抱えていた何かを俺に託すことができたのかもしれない。彼の安らかな表情を見ているとそう思うことができた。

「兄さん、寂しくない?」

 俺の傍らを歩くククが心配そうな表情でそう尋ねてくる。平気だと答えれば嘘になるが、妹の前では泣き言を言わないのが兄というものだ。俺は笑顔を作ってククに応える。

「寂しくはないよ。あの人はまだここにいる。だからちゃんと竜に還してやらないと」

「……うん、そうだね」

 そしていつか俺の両親も、ククも、俺自身も、竜に還る時が来る。それが自然の理であり、人の力で逆らうことはできない。ではなぜ人は必死に生きるのか、あの老人はその生涯を賭して旅を続けたのか。ここでない場所では、その答えを知る誰かがいるのだろうか。そういうことばかり考えていると、何か心に冷たい水を注ぎこまれているような心地になる。俺は軽く頭を振って思考を中断させる。こういう時は気分が暗くなっていけない。今は自分に任された仕事をしっかりやり遂げなければ。

「竜だ……!」

 不意に背後から押し殺した声が聞こえて俺は思わず足を止める。上を見上げれば確かに巨大な黒い影が一つ空を舞っている。こんな場所まで竜が飛んでくることは珍しい。俺たちは息を飲んでその様子を見守っていたが、やがて影はこちらに近づき俺たちの目の前に降り立った。

 乾いた血のような色をした鱗、そして人の腕ほどもあろうかという長い角。間違いなくそれは成熟した雄の飛竜だった。こちらとの距離を保ちつつゆっくりと首を伸ばすその仕草は、まるで俺たちに何かを語りかけているようだった。

「兄さん……」

 ククの不安気な声で俺はふと我に返る。皆予期せぬ事態でどう動いていいかわからないようだった。この竜を無視して先に進むか、それとも一度村に引き返すか。全ての判断は俺に委ねられている。そのうえで俺は、やはりこの竜からこちらに対する敵意は感じられなかった。

「……棺を置いてくれ。この竜に還そう」

 皆は一度互いの顔を見合わせたが、すぐに頷き合って作業に取りかかった。そして老人の亡骸を大地に降ろして、ゆっくりと後ろに下がる。竜もまたその様子を確かめてからのそのそと老人に近づいていく。その大きな口が開いて鋭い牙が露わになった時、ククが俺の手を握りしめた。

 竜にも色々と個体差があって、食い方が綺麗な奴もいればそうじゃない奴もいる。だがどうやら今回はあたりだったようだ。そいつは二口で老人の体を平らげると、用はすんだと言わんばかりに上空へと飛び去っていった。こうして思っていたよりもずっとあっけなく稀人の竜葬は終わったのだった。


 今になって思えば、もしかしたらあれは竜の方から老人を迎えに来たのではないか、というような気もしてくる。そうであるならあの竜は今頃この谷を離れてまだ見ぬ世界へと飛び立っているかもしれない。それはどこか羨ましいようでもあり、だけど何故かやってはならないことのようにも思えるのだった。だがどちらにせよククが独り立ちするまでは俺はここで暮らしていくと決めている。先のことを考えるのはそれからでもいいだろう。

「兄さん、ご飯できたよ」

「ああ、すぐ行く」

 そう返事してから俺は紅に染まる空を見上げる。俺たちは竜と生き、やがて竜に還る。あの老人はそれを普通のことだとは言わなかったが、それでも満足して送られていった。俺は彼のように生きることができるだろうか。この同じ空の下に生きるまだ見ぬ人々は、それを良しとするだろうか。風に乗って遠くから竜の声が聞こえてくる。それをどこか愛おしく思えることが、俺は少しだけ嬉しかった。

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