終章

約束

 アハトは、砂漠の広がる平野に突き出した高台の先に座り込んでいた。

「アハト、なにしてるの? もうすぐ冬が来るよ。冷えてくるから、中に戻ろう」

 背後から声をかけられたが、アハトは振り向くこともなく青い空を見つめ続ける。

 この星にやってきた当初は、ところどころに岩の突き出た砂漠の景色しか見ていなかった。だが長い時間をかけて探索をすると、この星には様々な地形が存在していることがわかった。どこまでも広がっているのではないかと錯覚するような海や、様々な星棲生物が蠢く深い森のような場所もある。

 道具も技術も文明もない人間が生き残るには厳しい自然ばかりだが、シュウの庇護下にあり、安全に眺める分には、息を呑むような美しい光景の数々だった。

 遠くまで見通せ、楽に登れる割に空に近づけたような錯覚を起こさせるこの高台は、アハトのお気に入りスポットの一つだ。

 ——すっかり、この星にも馴染んでしまった。

 アハトは、そう内心で呟く。

 囚人六人でこの星にやってきて、自分自身がそのたった一人の生き残りとなってから、イザナミの基準ではどれくらいの期間が経過したのか、アハトにはよくわかっていなかった。しかしこのところ、そろそろ約束の三年が経過するのではないか、という予感めいたものを感じている。

 自分の声に反応しないアハトの様子を眺め、シュウもまたアハトの横に座り込んだ。

 その肉体は、実際には星に墜落したときにすでに死んでいたのだが、いまなお腐ることもなく、人の姿のままで動き続けている。

 見た目だけとはいえ、自分と同じ人間の姿がそばにあり、会話や生活を共にできている状況は、アハトの精神を健全に保つ上で大きな役割を果たしていた。

「イザナミを待ってるの?」

 シュウに再度問いかけられ、沈黙を貫いていたアハトは短く吐息した。

「待ってるんだか、来ないように見張ってるんだか、いまとなってはよくわからん」

 返答を聞き、シュウは不思議そうに首を傾げてみせる。

「どうして? 来た方がいいに決まってると思うんだけど。アハトは、ドライっていう人に会いたいんだよね?」

 自分を複雑な心境にさせる張本人に問いかけられ、アハトは薄い笑みを口元に浮かべる。

「アンタがこの星にノコノコやってきた人間になにをするのか、それが不安なんだよ。俺は、人類にとんでもない災厄を齎す元凶になるのかもってな」

「えっ。シュウのこと、まだ信用してくれてなかったの?」

 随分と感情豊かになったシュウが悲しそうな声を出すので、アハトは小さく笑った。

 長期間に亘り四六時中一緒にいるので、お互いに随分と気安くはなっている。しかし、信用していなかったのかという問いかけには返事をしない。正しくは、返事ができない。

 際限ない優しさを感じるほどに、シュウが自分のことを大切にしていることは、アハトは身をもってわかっている。しかしそれは、アハトの生存がイザナミを呼び出す手段として必要だからだ。実際にシュウがなにを企んでいるかはわからない。なにせ、この星そのものだというシュウの存在を、小さな人間の感覚で推し量ることはあまりにも無謀にすぎる。

「イザナミはゼッタイにアハトを迎えに来るよ」

 確信に満ちたシュウの言葉に、アハトは視線を向ける。

「近づいてきてるのが、わかるのか?」

「ううん。ポータルを使ってくるだろうし、大気圏に入ってくるまでシュウにもわからない。だけど、アハトが生きてるってデータは、発信され続けてるから」

 シュウは冷たい掌をアハトの左胸へと当ててみせた。そこには、アハトのバイタルデータをイザナミに送り続けているブリンクが埋め込まれている。アハト自身は生活していてブリンクの存在を感じることはないのだが、シュウはアハトのブリンクが不具合なく稼働していることを常に察知していた。

 ——いま、言っておかなきゃならないことがある。

 不意に直感のようなものを覚えたアハトは、ゆっくりと口を開く。シュウに対して愛情にも似た感情を抱いてしまっている自分への戒めとして。

「……もし、アンタが人間の敵になったら、俺はどんな手を使ってでもアンタを殺す」

 それが、生き残ることを選択してしまった者の義務だった。自分の力で星そのものであるシュウを相手にすることは無理だと知りながらも、決意を口にする。

 そのとき、二人の頭上に眩い閃光が走った。人為的な力でポータルがこじ開けられたのだ。

 アハトは勢いよく立ち上がり、再度空を見上げる。いままでに見たこともない複雑な光が空のさらに上で渦巻き、とてつもなく巨大な存在が接近していることを知る。

 迎えが来た。

「アハト」

 高台に座り込んだままのシュウに呼ばれ、視線を向けると、イザナミが来ることを確信し、ただ純粋にその到着を待ち望んでいたはずのシュウは、なぜだかひどく切ない表情を浮かべていた。

「シュウ?」

 アハトが先を促すように呼びかけると、シュウは再度口を開く。

「もし、人間が……」

 星からのその言葉は、広い大地へどこまでも鳴り響く、空気を裂くような爆音によってかき消された。


——もし、人間がシュウの敵になったら、アハトはどうする?

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星存観測 三石 成 @MituisiSei

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