ママは見返り美人

kuzi-chan

ママは見返り美人 (完)

(…ママはアゲハ蝶。)

(…闇で羽化するアゲハ蝶。)

(ママの心の闇は…私も知らない。)

(でも…いいの。)

(ママは。私のママだから………)


……ママ?

……ママ。

……どうしたの?

……なにを見てるの?

……教えて?


ママが変わってしまったのは…いつの頃?

ハッキリとは…わかりません。

ただ。姿を消したパパが言うには。

私が生まれて少しづつ…変わっていったそうです。

そのパパは……。

私が四年生の時に。私達に手を振って消えました。暑い夏の午後でした。

(竜二)という日本映画の傑作…知っていますか?

あのエンディングにイメージが良く似ています。

いつもの商店街。見なれた雑踏。

いつもの…やわらかな陽射しの下を。

主人公の男…竜二(りゅうじ)が。

愛する妻を見つめた後にスッと去って行く…あの…エンディングに。


パパが姿を消した時のラストシーンと…とても良く似ていて重なります。

社会人になった今でも。

現実とフィクションが同化して。私の心の残像として…あざやかに焼きついています。


そのパパは。

それ以来…まったく連絡がありません。

消息不明が数年間続けば…正式には別れられるはずですが。

ママは。

別れる気はないようです。

娘の私が理解することではありません。

ママとパパの問題ですから……。


こうして。私が…皆さんにお話しするのは。

綺麗なママのお話しです。

透き通った白いユリのようなママ。

青い波間に浮かぶ…小舟?

風が吹くと飛ばされそうな…風船?

たとえようがありません。

押しても形のない…蜃気楼のような。

そんなママは…本当に綺麗なママです。


ただね……。


何かを見てる。

何かを見てる…ような気がするんです。

(ねえ…ママ?)

(見てるでしょ?…教えて?…何を見てるの?)…って。

小さな頃。何度か…聞いたことがありました。

でも……。

ちゃんと答えてはくれません。

しだいに私も。その事には…触れなくなりました。そのほうが…いいかなあ…って。


きっと。心の奥で見てるんです…ママは。

心の奥に(のぞき窓)があって。

そこから。そっと。のぞいてる?

わたし。本当は…開けてみたい。

ママの。きつく閉まった(その窓)を…開けてみたい。

でも。怖いから。今はいい…このままで暮らします。


でも。変な人では…ありません。

ほんとうに。

白いユリのような。綺麗な…綺麗な…ママです。

ただ。ときどき。ふっと…何かを感じてしまう?…ママ。


そんな…私のママの。

大好きな大好きな…ママのお話しです。


信じる信じない…関係ありません。

信じる人だけ信じてください。

ただ。嘘は言ってません。

娘の私が見たままを。娘の私が感じた…そのままを。

皆さんに。あなたに。こんなこともあるんですよ?

でも…私のママですよ?

不思議でしょう?

…って。ただ……それだけなんです。

驚かそうなんて気は。さらさら…ありません。

大好きなっ。大好きな…ママですから。



……もうすぐ。夏ですね?


春…夏…秋…冬。

色々ありましたが。夏が来るので…夏のお話しをします。


そうですねえ。

(虫取り)に行った時のお話しをします。


子供の頃です。一年生ぐらい。パパが。まだ…いる頃でした。

夏休みだったかなあ?

私は小さい時から昆虫に興味があって…わりと平気でした。

だから。カブトやクワガタの。あの。ギシギシする…硬い体に指で触っても平気でした。

パパはお仕事で忙しい…って。

ママが連れてってくれました。林のしげった緑地公園。

地元では一番大きな…緑いっぱいの広い公園に。おそろいの麦わら帽子と。

ママお手製の…サンドイッチとカットフルーツのお弁当をもって行きました。


私は楽しくて楽しくて…どんどん取りました。

クワガタやカブトムシ。

キラキラのカナブンに茶色いバッタ。

ママが持ってくれてる(虫かご)は…あっというまに窮屈になりました。

お昼になったので…お弁当にしようと。

園内の。屋根付きの…数列あるベンチに行きました。

数人の中学生くらいの男子が(たむろ)していて…何となくイヤな予感はしたんです。

でも。屋根付きは(そこ)しかなくて……。

ママと二人。離れたハジに。虫かごとかお弁当とか…荷物を置いてから。

近くの自販機で…冷たい飲み物を買ったんです。


で…やっぱり。

イヤな予感は当たってしまって。

戻ると…私の虫かご。

(ふた)が開いていたんですっ。

中にいた…いっぱいの昆虫たちが…全部いなくなっていました。

ええーっ⁉︎…って。私っ。なんでっ⁉︎…って。悲しくて。泣きそうになりました。

ママが。

スタスタと。男の子たちのほうに力強くかけよって行き…無言で面と仁王立ちすると。

シ〜〜ン……と…なりました。


「出しなさいっ…」と…ママが言うと。

数人の中の一人が。オスのカブトムシを一匹だけ…木のテーブルに乗せたんです。

「あとはっ⁉︎…」て…ママがきびしく催促すると。

男の子たちは。ニヤニヤしながら…下を向いて黙っていました。

「どこの中学っ?…」と…ママが問うと。

男の子たちは。

(知らねえーよっ。行こーぜっ?)…っと吐きすてて。ニヤニヤ行ってしまいました。


ママが持ってきてくれたオスのカブトムシ。

かわいそうに……。

黒い甲羅の背中に。白の修正ペンで。(日の丸)を二つ…イタズラされていたんです。

私は。本当に可哀想に思えてきて。

泣いて…しまいました

取った虫たちは。家で…大事に育てるつもりでした。

だから。ますます。たった一匹残されて…こんな事されて。悔しいし…情けないし。

だから……。

ママの胸で泣いてしまいました。

ママは…ヒザを曲げてしゃがみ。私を。包むように抱いてくれました。


林の木々の葉からもれ来る…陽の光のチラつきが揺れていました。

セミのギリギリ鳴く大合唱が回っていました。

狂い鳴きでした……‼︎

私はその時。

……見たんです。……ママを。


ママじゃありません。

もう一人の…ママです。


……私は立っていました。

しゃがんで抱いてくれてる…ママの肩の向こうの…薄日の林の木々のあいだ。

そこに……。

ママと同じ髪型…ママと同じ洋服の女の人が。後ろ向きで立っていました。

そして……。

泣いてた(ヒクヒク)が止まって…息を正した私が。その女の人に焦点を合わせると。

スーーッ…っと…振り返ったんです。


……ママでした。


白い透き通ったユリのような。いつもの…綺麗なママでした。

だからっ。

(ママぁ……?)って…言ったんです。

そしたらっ。

「なぁに……?」って…答えたんです。

抱いてくれてるママと。

向こうに見えるママと。

二人のママが一緒に答えてくれたんです。

(ママぁ?……ママぁ?)って…向こうのママに言ったら。

向こうのママは。また…背中を見せると。木々のあいだに消えていきました。


怖い…という感情はありませんでした。

ただ。なんとなく。不思議な体験の記憶として…社会人になった今でも鮮明にあります。


私は…それからも。何度も…ママの不思議さに出会っています。

その不思議さに。決まって見られるのが…ママの振り返りです。

そっと振り返った時のママの美しさは。

娘の私でさえ。見とれてしまうほどの…狂おしい美の女神です。

神秘の極みです。

少し大きくなった頃から…私は。

この。振り返る…美しいママのことを。


……見返り美人。


そう。呼ぶことにしました。

誰にも理解されない…でしょう…この呼び名を。

私は…自分なりには。素敵な呼び方だと思っています。


……ママは見返り美人。


ねっ…素敵でしょう?

そう…思いませんか?


夏の想い出と言えば…お墓参りでもありました。

どうして暑い暑い真っ盛りに…(お盆)はあるんでしょうか?

暑くて全てが狂うから…何かが起こるような気がします。

あなたは。そう…思いませんか?


パパがいなくなって……。

ママは一生懸命…毎日まいにち働いていました。

やっとのお盆休み。

実家のお寺に…二人でお墓参りに行った時のお話しです。私が…中三の時でした。


その日の午前中も…うだるような猛暑でした。

異様な陽射しに……。

ママの日傘も溶けそうでした。いえ。もしかしたら…溶けてたかもしれません。

オフホワイトのブラウスに…落ちついたスカートのママでしたが。

不謹慎かもしれませんが……。

どんなに地味な服装でお墓参りしても。ママは綺麗でした…美人でした。

どんな時も。いつでも…美人のママっ。

私はそれが…静かな自慢でした。


田舎の山あいのお寺は。

ジィージィーと。セミの狂い鳴きが響いていました。

細いローソクを立てて。

ママが…その小さな火に。お線香を静かに刺すと。

ボッ‼︎…っと燃えて。丸い炎が着火したんです。

そうして。花火のような…強い煙が舞うと。つられて…お線香の(あの)香りが。

お墓の群れの中を…モヤモヤと漂いだしては。

ママと私を包んでくれました。

お墓の群れは。お線香の香りで…いっぱいでした。

私は。この。真夏の香りが好きでした。


墓前に(そなえた)…白と黄色の菊の花。

いつまで生きればいいのかな?

かんかん照りに…さらされて。頑張って…生きてください。

誰もいなくなった月夜の晩に。

残された(つぼみ)は花を開く。月と星と猫しか見てないのに。けなげに咲く菊の花。


お水をあげ。古いお墓の前でヒザをおり。

ママと二人で手を合わせ…心かよわすお盆かな。

……ご先祖様ぁ?

……ママのこと見守ってね?お願いします。

……私は大丈夫です。

……ママだけを見守ってください。


ああ。

それにしても暑いっ……。

暑すぎるっ……。

私は汗が出っぱなしなのに。ママは綺麗なままでした。汗…ひとつぶ…ありません。

……セミの狂宴……。

ローソクも。だら〜っ…と流れて。

ああ……。

暑い……。


(ママっ?…帰りましょ?)


私は頭がクラクラして。

なんか…ボ〜〜ッとして。

お墓の群れの。通路の(はじ)に立っていました。

……あ。いない。

……ママがいない。

……ママっ。ママっ?

後ろを見ると。お墓の前にママが立っていました。まだ…いたんです。

いたんです……。


えっ?


ママが赤いっ……‼︎

ブラウスもスカートも赤いっ……‼︎

うそでしょ……⁉︎


私は。目の前が…ゆらゆら揺れて見えました。

キツい陽射しと照り返し。ぶち当たる熱射が。身体全体に…ベタベタはりつきました。

来た時も。さっきまで。ママっ……。

ブラウスは白。スカートも赤くはなかったのに。

私はママが心配でした。

だって。全身まっ赤じゃ…非常識ですっ。

ここは墓地です。血の色は御法度です。ですよね……?

私はママを(せかし)ました。

まわりの目が。ママに向けられる前に。この場から…脱出したかった……。


(ママっ。ママっ。早くぅ。ねえっ‼)

…って。向こうにイガイガ発したらっ。


「なあに?…帰るわよぉ…」

…って。耳元からママの声がしました。


私のママは。私の背後にいました。

白いブラウスでした。

赤いブラウスのママは…お墓の前に立って。こちらを向いて…そっと笑うと。

お墓の群れのジグザグの中へ歩いていって…消えました。

背後のママは…くすくす笑っていました。

……ああ。

……暑い………………………‼︎



(蝶)は…虫に葉っぱと書きます。

(蛾)は…虫に我(われ)と書きます。


(蛾)のほうが。(蝶)より自分に近いのっ?

不思議に思いませんか?

どうですか?

(蛾)は夜に羽ばたくもの。私も夜のほうが安らぎます。

私は(蛾)です……。

ママは(蝶)です。それも。立派で(あでやか)な…アゲハ蝶です。

美人で綺麗な私のママは。夜に羽化するアゲハ蝶。

どんな蜜を吸うのかなあ?

ママの蜜は……なあに?


……ママ?

……ママ。

……どうしたの?


今日は定時に終わりました。

納期が迫って…二日ばかり残業でした。

ママ……。

今日は調子が今ひとつ。具合が悪いわけではなくて。今ひとつ…乗りきれない?

そんな。無口なママでした……。


(ママっ?…買い物いくねっ?)

(なんか欲しいの…ある?)

(……そお。じゃ。なんか…見て買ってくるねっ?…待っててね?)

(今夜は…あたし…作るからっ。ゆっくりしててっ……)

(行ってくるねっ?)

(カギっ。かけるから……………)


ママは。

どこか出かける予定があったのでしょうか?

あきらかに…外出の(よそおい)でした。メイクも…そうでした。

でも……。

外には一歩も出ていない。痕跡がありませんでした。

ずっと部屋で。綺麗なままで。何かを見ていたのですね?

そうでしょ?……ママ?


……ママ?

……なにを見てるの?

……教えて?


私のママ。

大好きな…ママ。

私は。ママのそばから…はなれない。

消えたパパは…あてにならない。

いいの。私がいるから。いい………。


西陽の尾が長く入ってきて…蒸し暑い。

私は。テラスの窓を閉めてエアコン入れて。

ママは無口で…窓の外を見ていたの。

立ち姿が美しい。

本当に本当にママは綺麗です。美人とは…ママのことを言います。

私は…パパ似です。まったく…ママとは似ていません。

そういうものです……。


ママは。

もう一人のママと…お話しをしています。たぶん…そうです。

不思議なのは……。

その。もう一人のママが。形となって現れることです。

ママはもちろん。娘の私にも見える。私の目の前にも…現れることです。

毎日ではありません。時々です。でも…不思議でしょうがありません。


(行ってきまあ〜〜っす……)


私は。玄関でママに声をかけました。

ドアを開ける前なのに。

ぬるい風が私の足首を通りました。

ママの影響です。

外へ出て…外からカギをかけました。

でも。

冷蔵庫の中を…(いちおう)確認したくなって…カギを開けて中に入りました。

ママには声を(かけた)のですが。

ママは。そのまま。私に背を向け…窓の外を見ていました。


赤紫色の西陽の尾が。

レースのカーテンを通って…ママの全身を照らしていました。

あやしく照らされたママは…震えるほど綺麗でした。

私はゾクゾクしました。

怖いくらいにゾクゾクしました。

もうすぐ。ママの羽化が…始まるかもしれない。

ママは。

私の存在には気づいていません。

ママは。

もう一人のママに…話しかけようとしています。

テラスの長いレースのカーテンが…ブルン…と揺れました。

風もないのに……。


娘の私が。

もう一人のママになりました……。


誰もいない。

誰も見てはいない。

止まった時間。

ひとり。

ママは…そっと振り返る。


ママは…見返り美人。


<おわり>

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