第十四話
白漆喰を突き破り、崩れた土壁が飛び散る。その勢いで砂利の地面を転がり、向かいの壁にぶつかってやっと停止した。おかげで、全身擦り傷だらけになってしまった。
「無茶しやがって……見ろよ、砲弾でも直撃したのかってくらいの大穴だぞ。これでも重要文化財なんだからな。どうするんだよ」
「お説教は後にして。周囲の状況を確認するわよ」
「ああ……ここは二ノ丸か。本丸を守護する曲輪だからな。天守まで行きたかったらここを突っ切るしかない。せめてもうちょっと上のほうに突っ込んでくれたら少しは楽になったのに」
「文句が多い。生身の人間を守りながら戦うのだって大変なのよ?」
「戦う……自然の力を借りて、だよな。天気を変えるいがいにもいろいろと便利なんだな」
「舐められたら困るわ。雨も、雷も、水も、土も、空気も、あらゆる自然にわたしの力が及ぶ。雨を止ませるだけじゃなくて、日照りが続くときは雨を降らせることだってあるわよ」
「それなら、今は暖を取りたいぜ。すっかり身体が冷えちまった」
ピンピンしている雫に見下ろされながら、覚束ない足に力を込めて立ち会がる。頭もぶつけたようで、目には星が飛んでおり、ひどく痛む。
そんな俺を見かねてか、雫が肩を貸してくれた。
「こんなところで倒れないでよね。ほら、祟り神さまのおでましよ」
突然のことだった。
顔を上げると、視線の先には死装束。
暗い夜の雨の中、開けた曲輪中央に佇むソレは、夜空に浮かぶ月にも思えた。
穢れなき純白の衣を纏っているが、雨でずっしりと重くなっているようで、さらに裸足も相まって、処刑を待つ哀れな悲運の少女にしか見えない。
触れれば融けてしまいそうな、か弱い花の如き死装束はゆっくりと口を開く。
「はじめまして、
「余計なお世話よ。
敵を真っ向から睨みつけて身構える雫。
守り神である雫にとっては、彼女は討ち滅ぼすべき存在だ。人と自然を傷つけるの
ならば、元守り神だろうと容赦はしない。
「天雫の巫女さん、あなたの能力は自然を操ること……ま、土地の守り神全てに共通するものですけどね」
だけど、と言葉を続ける江茉。
「自然に直接干渉できなくとも、自然現象を模倣することはいくらでもできるのですよ。この雨だってそうです。温度変化を応用して、大気の状態を不安定にさせれば、疑似的に線状降水帯を発生させる事もできます」
「……貴女、祟り神なのは間違いないけど、元守り神じゃないわね」
元守り神じゃない? 雫は、自然の力を操り干渉するのが守り神の力であり、祟り
神に堕ちた神が自然の力を暴走させて暴れまわっていると言ったはずだ。
「一介の怪異がなぜこれほどの異能を行使することができるの? 影響の規模から、少なくともこの地由来の怪異とは思うけど、それでもせいぜい小雨を降らせる程度で、こんな嵐を呼ぶなんてことは、それこそわたしたち守り神の領域よ」
「その通り……あたしは、神の力を手に入れたの」
「手に入れた? ……たしかに、地脈を我が物顔で使って能力を強化しているのね。でも、ここの守り神はわたしよ。所々で楔と社が壊されて、わたしの監視が及ばなくなっているとはいえ、どうやってこれほどの力を引き出しているの?」
江茉は答えない。いや、視ての通りだろう、と言葉もなしに表しているのか。
すでにこの地域の自然を意のままにできるほどの土地が奴の手に落ちたと見るべきか。
「……監視が及んでいない、と言っても、そこをやすやすと渡すほどわたしは間抜けじゃない。今日の時点で全ての楔と社と交信したけど、完全掌握されたものはなかった」
眼前の怪異は自然を操るのと同等の力を有している。
それを可能にするだけの地脈の力を使うことができる。
しかし、土地が掌握されたという事実はない。
「でも雫、こいつをやっつければ、この大雨もどうにかできるんだろ。目下最優先の対象を攻略するべきだ」
「そうね。ただ単に彼女が特異に強力な怪異である可能性もある。それならそれでかなりの強敵になり得るけど」
俺と雫の会話をよそに、江茉は身体を反らして伸びをする。戦いの準備運動といったところか。その雰囲気が、闘気を帯び始める。
「ああ──この身を怪異に
一歩、踏み出される。細く白い足が雨水に浸された地面を踏むと、ぱきぱきと音を立てて凍った。
風雨にたなびく髪のせいで表情は窺えないが、次第に声が上ずっていく。
「神の座に驕り、己が自然により生まれ自然により生かされていることを忘れた守り神……あなたはどれだけの自然と人間を守れたのかしら?」
雫は答えない。
「欲しい、欲しい。何を? 全ての命を。この地に息吹など必要ないの。在るのは人の自分勝手な虚栄心」
両手を広げて天を仰ぐ。両手を広げて天を仰ぐ。それは、祈りにも慟哭にも見えた。
先ほどまでの豪雨は豪雪と化し、吹雪はこの世を白で覆いつくさんと吹き荒れ、揺
れる松の木たちが喚く。
「あたしは、ただ生きていただけだった。あたしは、ただ生きていたかった。なのに、なのに、全てを奪われた。あいつらは、あたしから全てを奪っていった。だから、あたしもあいつらの、命も、財産も、家も、家族も、尊厳も、──全てを奪ってやる」
江茉が右手を胸の前に掲げ、視界を奪う白の濁流が俺たちを襲う。
咄嗟に顔を庇った腕を下ろすと、この季節にはまだ早すぎる一面の銀世界が広がっていた。
命の存在を否定する雪の下、祟り神は高らかに宣戦布告する。
「奪え、奪え、奪え、──全てを奪え。天雫の巫女、この土地の地脈も神の地位も、あたしが奪う」
雫もこの地の守り神として、侵略者と相対する。
「よかろう──この地の守り神たる天雫の巫女が宣する。我が民と天地を脅かす不届き者を討ち、蒼天と白日を取り戻さん」
その声は、一人の少女のものではなく、幾星霜を経た神のものに違いなかった。
雨駆ケル the Firmament of teardrops 水島透 @MizusimaToru
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