第十三話

 強風に煽られ、横殴りの雨に打たれながら地上約百メートルでの滑空。フードがバタバタとたなびいて煩わしく、顔に当たる雨粒が痛い。ゴーグルでも用意しておけばよかったと後悔する。

 雨水が口と鼻に入るので呼吸もままならない。このまま力尽きたら、落ちるより先に溺れるだろう。これでは、飛んでいるというより、空を泳いでいるといった感覚だ。


「雫っ! この天候で飛ぶなんて無茶苦茶だぞ。飛行機でも飛べないのに生身の人間が無事でいられるわけないだろ!」


「つべこべ言わないの! わたしが一緒にいるから大丈夫! って集中してるんだからあんまり話しかけないでよね。風が強すぎて調整が難しいんだから」


 県内ではしばらく前からたびたび強風注意報が発令されていた。平均風速十二メートル毎秒を超える風がかなりの頻度で発生し、空港も機能停止に陥っている。

 今日の風はおそらく、いつものそれよりもずっと強力だ。音が違う。街も、大気も、雲も、全てが軋んで悲鳴を上げているようで、暗闇と寒さも相まって思わず身震いする。


「うおお、今、光ったぞ」


 もちろん、雷警報も漏れなくついてくる。

 音が聞こえるまで二秒も無かった。かなり近い。空は鉛のように鈍く分厚い雲に覆われているが、おそらく全てが雷雲。市内に安全地帯などすでに無かった。


「雷に打たれたらわたしはともかく、維澄は即死よ。急降下して高度を落とすから、歯を食いしばって!」


 ふわり、と一瞬、重力が消えたかと思った。

 が、すぐに地へ向けて方向転換し、遠かった街並みが急速に接近してくる。重力加速度を肌で感じるなんて、普通に生きていたらなかなか出来ない体験だ。


「どっ、こまで下げる気だ!?」


「地上五十メートルくらいかしら! 城の天守まで直行できる高さまで!」


 飛行もとい落下しつつ加速する。下がろうとする瞼をこじ開けて周囲を見渡すと、逆さになった世界が目に映った。

 こう見ると、雨が地面に昇っているようで、自分が上がっているのか下がっているのか分からなくなる。

 雨粒を視ると、昇天と降誕の像が重なり合い、宇宙空間で光速まで加速したような、景色が引き伸ばされた星の光に見える。

 落ちてきた空が気になって見下ろす、いや、空を見上げると、


「何だ……何か降ってくるぞ。雨じゃなくて──」


 白く透き通った物体が俺たちめがけて降り注いでいる。ざっと数えて十本ほど。


「どうみても馬鹿でかい氷柱つららでしょ! このままじゃ直撃する! 回避よ!」


 雫が風の向きを変える。纏う風が垂直降下していた俺たちの軌道を、無理やり直角に曲げた。左右から襲い掛かる衝撃に、俺の背骨はパーツの一つ一つを違う方向に引っ張ったように痛んだ。


「物理法則までは変えられないみたいだな! あぁ!? 今の、首が千切れるかと思ったぞ!」


「緊急事態だからご容赦を……。ああもう! もうすぐ到着だと思ったのに。城の周辺まで全部奴の領域ね。下手に近づいたら、さっきの氷柱に串刺しにされるわ」


 後ろで通り過ぎて行った氷柱を視る。空中の何もない所から氷の塊が生成されていた。


「空気中の水分と雨を集めて凍らせているのか……ってことは残弾数は無限じゃないか!」


「どっちにしろ、ヤバい相手なのは変わらない。それに、あんなの街中に好き放題に落とされたら、場所によっては都市インフラに甚大な被害が出る。次からは、回避よりも迎撃を優先するわ!」


 さっき俺たちを狙っていた氷柱が落下した先を見る。観光地用の大きな駐車場だった。人もいない今なら、怪我人も出さずに済んだことだろう。


「すぐ近くは県民体育館だ。避難所を危険に晒すのはまずい。雫、どうにか重要施設の上を避けて飛べないか」


「向こうはこっちの事情なんか聞いちゃいないのよ。難しいけど、なんとかしてみる」


 もう何度目か分からない急制動がかかる。自在に空を飛び回ると、気分は戦闘機のパイロットだ。


「北の方、新しい氷柱が真っ正面から狙ってる!」


 今度は大きめの物が一本だけ。回避は先ほどより容易だろうが、今は住宅地を背にしている。これは、撃ち落とすしかない。


「迎撃ってもどうする気だ? 雫も奴みたいに氷を出せるのか?」


「当たり前でしょ。さぁ、一発ぶっ放してやるわ」


 雫は空いている右手を頭上に掲げ、周囲の温度を下げ始める。

 ほとんど飽和水蒸気慮に達した水分が凝固し、雫の手に氷の霧が漂い始めた。煌めく粒子が尾を引き、遠目に見れば雫は流れ星にそっくりになっているだろう。

 氷の粒が一か所に集中し、空気を入れて膨らませたかのように素早く、大きな氷に成長していく。ものの数秒で俺の身長ほどはある氷柱が出来上がった。

「こいつを……あれに当ててぶっ壊すの!」

 雫の右手が振り下ろされる。同時に、宙に漂う氷柱もこちら目掛けて射出された。

 氷同士の衝突。衝撃に耐えきれなかった双方はともに砕け散り、豪雨の夜空に破片がばら撒かれた。月夜であれば、少しは映えただろうに。

 氷柱が木端微塵になったおかげで、大きくても破片は指先ほど。これならもし当たったとしても大事には至らないはずだ。ひとまず迎撃作戦は成功したようで安心した。

 続く次弾も、雫は難なく氷柱で迎撃する。イージスシステム顔負けの精度だ。


「気を抜くにはまだ早いわよ。ほら──」


 城の天守を囲うように氷柱たちが展開されている。このまま突っ込めば、集中砲火を食らってしまうのが目に見えている。


「全部をいちいち撃ち落とすのは無理。そうだ、流れ弾が当たってもいいところに射線を誘導できれば……」


 雫は城方向へ転針。どうぞ狙って下さい、と言わんばかりの特攻だ。

 氷柱攻撃の間隙を縫って城との距離を詰める。城全体を覆うように展開された氷柱たちの、射程の内側に入りこめた。

 敵の侵入を座して待つほど敵も間抜けではない。大型の氷柱は砕かれ、小さな破片となる。

 上空に無数に散らばった手のひらサイズの氷の弾丸。その全てが俺たちを目指して降り注ぐ。


「氷の雨なんて冗談きついぜ……」


 勢いを殺さぬままに急降下し、堀の上を滑るように飛行する。

 ドバババ、と水面に着弾する小氷柱たちの音が聞こえた。少しでも被弾して足止めをされたら、そのままハチの巣にされるところだった。打ち出される氷には触れていないが、指先がかじかんでいる。これが恐怖によるものなのか、ただの寒さによるものなのかは今の俺には判断しかねる。


「雫、さっきから乱暴すぎるぞ。振り落とされそうで怖いんだが」


「高度を急に変えまくってるから、制御が安定しないの! とにかく、防空網の懐には入りこめたから、城の中に入るタイミングを探すわよ」


 急加速して旋回する雫。その先には堅牢な城の象徴とも入れる石垣がある。


「引き付けて、ぎりぎりで避ける」


 堀の水スレスレを水平に飛んでいたところを、真上に進路を変える。それに合わせて氷柱も軌道を変えて雫の後を追うが、曲がり切れなかった氷柱たちは石垣を穿った。


「あちゃー……壊しちゃったね」


「一番大事なのは天守閣だから。それに、街に被害を出さなかったってのが重要。城はちゃんと街を守ったよ」


 進行方向上、またしても氷柱が広がる。


「もうじれったい。このまま城内部に突っ込む! 衝撃に備えて、降ってくる氷にも注意して!」


「ちょい! 前、前に城壁だぞ!? 激突して──」

 減速することなくトップスピードで、城壁に突っ込んでしまった。

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