【完結】シルバー恋愛センター(作品240429)

菊池昭仁

シルバー恋愛センター

第1話

 ベタ付くような梅雨も明け、アブラ蝉の鳴き声と、湧き上がる入道雲の夏がやって来た。


 ここは「シルバー人材センター・恋愛相談所」である。

 人はここを『シルバー恋愛センター』と呼んでいた。


 恋愛に苦悩は付きものである。そんな恋愛に苦悩している人たちのために、年老いた年金暮らしの恋愛マイスターたちが待機していた。

 

 彼らは若い頃、恋愛にブイブイ言わせていたボランティア老人たちである。

 ボランティアだから当然報酬はない。

 家にいると邪魔にされ、暇を持て余したお節介な恋愛プロフェッショナルを自認している老人たちそれが唯一の楽しみ、娯楽であった。

 そんな彼らは今か今かと恋愛アドバイザーとしての自分の出番を待ちわびていたのである。


 

 「おいげんちゃん、その手はねえだろうよ。そこに飛車を置かれちゃ俺の負けじゃねえか」

 「棟梁さんは将棋の基本がまったく出来ていません。我流にもほどがあります。俗に言う「ヘボ将棋」ですな?   

 弱すぎて私の暇つぶしにもなりません」


 源ちゃんとは金縁メガネを掛けた、磯山源次郎のことで71歳。

 背が高く、若い頃は映画俳優のようにハンサムで、今でもロマンスグレーの紳士だった。

 若い頃は相当モテていたらしい。

 でも性格に問題があった。


 「なんだとコラ! いくらアンタが東大出の元大蔵省のお偉いさんだか何だか知らねえが、今はアンタもただのジジイなの! 俺たちと同じお爺ちゃんなの! いい加減目を覚ませ! このウンコ・ジジイ!」


 山田三郎は大工の棟梁で76才、家業の『山田工務店』は長男の政夫が継いでいた。


 山田棟梁は昔から女癖が悪かった。

 大工としての腕はいいが飲む、打つ、買うの三拍子。家にもあまり寄り付かなかったそうである。

 奥さんは5年前に他界し、今は長男夫婦と高校生の孫娘、さやかとの4人暮らしだった。

 毎日やることもなく、すっかりヒマを持て余していた。

 趣味は将棋とパチンコ、そしてカラオケ。北島三郎の曲ばっかり歌っていた。

 それ以外はここに入り浸っていた。



 「そうなんですよねー。私、どうも役人時代の偉そうな態度が抜けなくって、いつもウチの家内からも言われるんですよ。「どうしてあなたはいつも上から目線なの? もうあなたはただのお爺ちゃんなのよ」ってね?

 やはりそうゆうところありますか? 私」

 「あるよあるある、アルキメデスだよ。将棋でも負けてくれねえしよお。偉そうに講釈たれるし。

 でもまあ他の天下りの官僚連中とは違って、その金融なんとか財団の理事長も辞めて、こうして俺たちと遊んでんだからそんなアンタ、俺は好きだぜ」

 「ありがとうございます。みなさんおっしゃるんですよ、「いいよなー、官僚は天下りが出来て。仕事もしないで金だけ貰って、あっちこっちと天下り先を渡り歩いて退職金をガバガバ貰い続けていればいいんだから」とね?

 でもね? それはそれで結構辛いものなんですよ。仕事しちゃダメなんですから。

 誰からも必要とされず、ただ毎日9時から17時までずっと椅子に座って判子を押しているだけの毎日。これは拷問です。いや~、一日の長いこと長いこと。

 役所にいた時は上司から無理難題を押し付けられ、危うく東京地検特捜部に逮捕、送検されそうになった事もあります。公務員は辞めてからも守秘義務がありますから、これ以上は言えませんが大変でした。

 毎日機密文書に黒マジックで黒塗りをするのが私の仕事でした。

 公務員も色々ですよ、定時で上がれて有給休暇も取れる人たちばかりではありません。

 私は1週間の内の半分は、役所に泊り込みで仕事をしていました。風呂も3日に1度でした。

 妻とはその間、二年以上もセックスレスでした。

 娘の授業参観はおろか、入学式や卒業式にも出たことがありません。

 でも今はしあわせです。こうして山田さんと「ヘボ将棋」をしながらの楽しい毎日ですから。あはははは」

 「悪かったな? ヘボ将棋で。まあ一杯やんなよ」


 そう言って山田棟梁は源次郎のコップにビールを注いだ。


 「どうもありがとうございます。昼間から山田さんと飲むビールは格別ですな?」

 「道子さんが茹でてくれたトウモロコシもあるぜ、ほら」


 山田棟梁はトウモロコシのいっぱい入ったザルを、源次郎に差し出した。


 「ああ、とてもいい香りですねー? 夏の香りがします。

 ありがとうございます、寺門さん」

 「うちは実家が農家でしょう? だから実家からお野菜とか貰っても、私ひとりだから食べ切れないのよー。どんどん食べてね? たくさん茹でたから」


 道子さんは元中学校の英語教師だった。定年退職をしてもう5年になる。現在65歳。

 昨年ご主人を亡くされたばかりの未亡人で、とても65歳には見えない、色気たっぷりの美熟女未亡人であった。

 美熟女物のAVではダントツ一番の人気になりそうな未亡人である。彼女には未亡人という愛称がぴったりだった。エロ過ぎて鼻血ブーである。ご主人の仏壇の前であんなことやそんなことをしているような元英語教師だった。

 昔はかなり美人教師だったようで、こっそり教え子の「筆おろし」などもしていたようである。

 不倫も相当経験したらしく、道子は不倫専門の恋愛アドバイザーだった。

 いつも上品に口元を手で隠して笑っている、まるで鳳仙花ほうせんかがはじけるようにコロコロと笑う女性だった。道子のアドバイザーとしての人気は高い。

 ゆえに親身になってアドバイスをしているうちに、相談者とそういう関係になってしまうことも屡々しばしばであった。

 ダメである。アドバイザーがそんなことしては。



 突然、事務所の電話が鳴った。

 事務所に緊張が走り、みんな固唾を飲んで聞き耳を立てている。



 「はい、シルバー恋愛センターです」

 「あのねー、カレシ(シは語尾を上げる。カレシ⤴である)の事で相談があるんだけどお? 相談に乗ってくんないかなぴょん? クチャクチャ(グミを食べている音)」

 「ハイ、ではまずお客様のご相談内容をお伺いしてもよろしいでしょうか? 

 まずはお名前とご年齢をお願いします。なお18才未満の方のご相談はお受け出来ません。エッチなご相談も含まれますので」

 「川村明美。明日で19才。ホントだよ。

 ねえ、誕生日だから何かくれない?」

 「何もあげられません。それから高校生ではありませんよね? ダブりとか?」

 「高校は1年でクビになっちゃったぴょーん。ひどくね? 酒飲んでタバコ吸ってパパ活しようとしただけなんだよ? マジ最悪」

 「それでは川村様に一番適した優秀なベテラン恋愛マイスターをご紹介させていただきます」

 「そうなんだ~? 実は川村、付き合っているカレシがさー、どうしょうもないポンコツでロクデナシなんだわあ。それでね? 何じゃらがかんじゃらで、関ジャニ∞なわけ~、それでさあ~、・・・というワケなんだわ」

 「なるほど、それはかなりのロクデナシ、ゲス、クズ、バカ、アホ、ヘンタイのゴミ野郎ですね?」

 「そこまでは言ってねえけどよ、川村」


 どうもこの女の子は元FKBの女の子のように、自分のことを苗字で呼ぶ癖があるようだった。

 サブリミナル効果は熟知しているようだった。「村重はねえ」とか言うようにである。

 職員の美紀はヒアリングをしながら、詳細にメモを取っていた。



 「わかりました。それはかなり深刻な問題ですね? それでは明日10時、ご都合はいかがですか?」

 「大丈夫で~す! デスマスク!」

 「では明日の10時にお待ちしています。当センターの場所はご存知ですか?」

 「スマホのナビで調べっから、大丈ブイ!」

 「そうですか? ではお気をつけておいでください」

 「よろチクビ!」


 受付担当の美紀が、深い溜息を吐いて受話器を置くと、橋田所長に言った。

 所長の橋田は42才の厄年。所ジョージに似ていた。


 「所長、お酒、ギャンブル、浮気、DVという4大疾病しっぺいの彼氏さんの事でのご相談です。

 依頼主はかなりのおバカ女子です。これは誰に担当してもらいましょうか?」


 橋田所長はデスクに『ピザ帽子』の折り込み広告を広げ、机に足をあげ、足爪を切っていた。


 「山田さーん、アンタ昔はその四拍子だったよね? どう? この案件やってみる?」

 「やるやる! 俺がやる!」

 「所長、ホントに山田さんで大丈夫ですか? なんだかクライアントさんに手を出しそうで心配なんですけど」

 「それなら大丈夫、山田さんのアレはいつも「ごめんなさい」してるから」


 橋田所長は人差し指を曲げて美紀に見せた。


 「なら安心かあ」

 「バカ野郎! 俺はまだ現役だぞ! 朝だってバイアグラ飲んでビンビンなんだ!」

 「それでは私ではいかがでしょう? 私ならそんな下品なことはいたしません。ところでそのお嬢さんはダラスで暗殺されたジョン・F・ケネディではありませんよね?」

 「女子高校生かと言うことですか? JKではありません、その子は事情があって1年で退学になったそうです。 ちなみに女子大生はJDです」

 「では熟女は「JJ」ですな?」

 「確かに磯山さんならいいかもな? 上から目線で話をするから、アバズレには丁度いいかもしれん」

 「でもその彼氏さん、チンピラ・ホストらしいんですよ」

 「それでは私はご遠慮いたします」

 「となるとやはり、山田さんですか?」

 「いや、反社なら北大路さんがいいんじゃないか? 元コレだし」


 橋田所長は右手の人差し指を右の頬に宛て、それを口元へと滑らせた。


 「大丈夫ですか? 北大路さんで?」

 「いいんじゃないの? 彼で。

 ロクデナシの気持ちはロクデナシの方が良く分かるだろうから。

 あの人、元コレだし」


 橋田所長はまた同じ動作をしてみせた。


 「知りませんよ、トラブルになっても」

 「その時はその時だよ」


 美紀は仕方なく、北大路を探しに行った。




 「北大路さーん! お仕事ですよー!」



 北大路は庭の桜の木の下でタバコを吸っていた。


 「はあはあ 北大路さん、お仕事です。

 明日の10時、お願い出来ますか?

 詳細はこちらに書いてありますからよろしくお願いします」


 北大路は咥えタバコで美紀から書類を受け取ると、サッとそれに目を通した。

 そして鋭い眼光を美紀に向けると、北大路は黙って頷いた。

 

 「ポンコツのロクデナシか? 俺と同じだな?」

 「じゃあお願いしますね?」

 「ああ、わかった」

 

 桜の木にとどまっていた1匹の蝉が、羽根を震わせて青空に吸い込まれて行った。




第2話

 明美は1時間も遅れて、別に悪びれる様子もなく、11時過ぎに恋愛センターにやって来た。

 明美は元FKBの村重とフワちゃんを足して2で割ったような感じの女の子だった。


 「ねえ、喉乾いた~。ビールとかないの? 今日、川村、誕生日だし」

 「水道水でよろしければお持ちします。まずは約束の時間に遅刻したことを謝るべきではありませんか?

 私、昨日「10時に」って言いましたよね? どうして遅れたんですか?」

 「きのう、日付が変わって誕生日だったじゃん? だから川村、カレシのマサルと酒飲んでエッチして、それで寝過ごしちゃったんだあ。ゆるしてメンゴぴょん」

 「スマホ持っているでしょう? どうして一言「1時間ほど遅れますがよろしいでしょうか?」って言えないわけ? あなた来年二十歳はたちでしょ!」


 すると北大路が美紀をいさめた。


 「まあそれくらいにしてやれ」

 「北大路さんがそういうなら。それではよろしくお願いします」


 美紀は相談室から出て行った。


 

 「今日、誕生日なんだって?」

 「うんそうだぴょん、川村、今日がハッピー・バースデーなんだ。何かくれんの? オジサン」

 「取り敢えずメシでも食いに行くか? 腹減っただろう?」

 「うんうん、行く行く! 川村、お肉が食べたい!」

 「それじゃあ焼肉でも食いながらそのロクデナシの話を聞くとするか?」

 「ありがとうオジサン!」

 「それから俺はオジサンじゃねえ、「爺さん」だ。これからは北大路と呼べ」

 「わかった。北大路」

 「いきなり呼び捨てかよ。ちょっと待ってろ、今、美紀に送ってもらうから」



 北大路は美紀に焼肉屋まで送ってもらうことにした。


 「北大路さん、クライアントさんとのお食事代は経費では落ちませんからね?」

 「わかってるよ。もう昼だからメシくらい食わせてやらねえとな? それが年上の流儀ってもんだ」

 「あー、川村、腹減った~。牛一頭食べちゃうかもよ」

 「ああ、好きなだけ食え」



 三人は焼肉屋へと向かった。

 でっかく『シルバー恋愛センター』と書かれた、セーラームーンのキャラクターデザインの公用車で。

  

     月に代わってお仕置きよ!



 「おい、美紀。お前も一緒にどうだ?」

 「ありがとうございます。でもまだ仕事が残っていますので」

 「そうか? それじゃまたそのうちな?」

 「明美ちゃん、ちゃんと相談に乗ってもらいなさいよ」

 「わかってるって。川村早くお肉が食べたい!」

 「送ってくれてありがとな? 気をつけて帰れよ」

 「はい。北大路さん、よろしくお願いしますね?」


 美紀は派手な公用車で事務所へと帰って行った。


 


 昼時ではあったが、比較的店は空いていた。


 「好きなのを注文しろ」

 「それじゃあ川村はねえ、タン塩に骨付きカルビでしょう、それからセンマイ刺にハラミ、あとビールを大ジョッキで! あはははは」

 「俺もビールとオイキムチ、それからミノと特上カルビをくれ」

 「北大路って大好き! 「未成年のくせにビールなんか飲むな」なんて言わないから」

 「男が出来ればもう大人だ」

 「そうだよね? エッチすれば大人だぴょん! あはははは あはははは」



 明美は旨そうに肉を食べ、ビールを何杯もお替りした。


 「どうだ? 旨いか?」

 「こんな美味しいお肉、食べたの久しぶりだよ。特上カルビ、追加してもいい?」

 「ああ、好きなだけ食え。腹を壊さない程度にな?」

 「北大路大好き! 川村に面倒くさいこと言わないから」

 「みんなは言うのか? 面倒くせえこと」

 「うん、「あれするな、これはダメだ」ばっかり。

 みんなダメダメばっかりだよ。川村、息がつまりそう。ビールお替り!

 やっぱり焼肉にはビールだよね? 北大路?」

 「そうだな? ところでそのロクデナシとはいつから付き合っているんだ?」

 「今の彼はねえ、1ヶ月前に原宿で川村がタピオカ飲んでたらナンパされた。タピオカってカエルの卵みたいでキモいよね?」

 「タピオカって飲み物なのか?」

 「うん、タピオカが入っているミルクティだよ」

 「それ、旨いのか?」

 「美味しいかどうかわかんない。でもみんな飲んでるから川村も飲んでる」

 「お前はみんながやっているとお前もやるのか?」 

 「そうだよ、だってよく言うでしょ? 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」って? あはははは」

 「それは俺たち昭和のジジイが言う言葉だ。くだらねえ」

 「今度、今日のお礼にタピオカ奢ってあげるよ。川村が北大路に」

 「ありがとうよ。それでその男のことが好きなんだな?」

 「たぶん。でも何だか川村、北大路と話しているとどうでも良くなって来た気がする」

 「まずはソイツに会わせろ。話はそれからだ」

 「わかった。すみせーん、ハラミを2人前と後ビールお替りー。あはははは」


 明美はよく笑う女の子だった。

 

  


第3話

 翌日、明美と彼氏のマサルが待ち合わせに指定した公園にやって来た。


 「何だ? このオッサン」

 「北大路だよ。すっごくいい人なんだよ。川村に焼肉もご馳走してくれたんだ」

 「焼肉? いいなあ焼肉、俺も食いてえ。オッサン、俺にも焼肉、奢ってくれよ」

 「オッサンじゃないよ。北大路だってば」

 「お前が明美が好きなマサルか?」

 「マサルじゃねえだろう? マサルだろう?」


 マサルはブランコに乗ると、おもむろにブランコを漕ぎ始めた。

 

 「久しぶりにブランコに乗ったぜ。見てろよ明美、ここから飛んでみせっからよ」

 「うんうん、川村見てる、飛んで飛んで空まで飛んで」


 マサルはブランコから飛んだが、失敗して転んだ。


 「痛てててて。なんだこのブランコ、壊れてるぜ。このブランコじゃなけりゃ成功していたのによお。ちくしょう」

 

 北大路はブランコを立ち漕ぎすると、大きく飛んで空中で一回転をして、内村航平のように見事に着地をして見せた。


 「凄い! 凄いじゃん! 北大路! すごいすごい!」


 明美の前で恥をかかされたマサルはふてくされていた。


 「俺だってこのブランコさえちゃんとしていれば・・・」

 「お前はやはりクズだな?」

 「何だとコラ! やるんかコラ! オッサンだからって許さねえぞ!」


 北大路はゆっくりとマサルへ近づくと、いきなりマサルの金髪を鷲掴みした。


 「痛てて、何すんだよ!」

 「お前はそうやって失敗すると、責任転嫁てんかをするのか?」

 「うるせえ!」

 「明美、コイツはダメだ。別れた方がいい」

 「何でそんなこと言うの? 北大路。川村、マー君と別れたくないよ!」

 「酒にギャンブル、そして女。そんなのはどうでもいいことだ。だが男が一番しちゃいけねえのが「失敗を他人のせいにすること」だ。男としてそれだけはしちゃいけねえ」


 その時、マサルは北大路のシャツから入れ墨が見えていることに気付いた。


 「て、てめえヤー公じゃねえか! 明美、コイツ、ヤクザだぜ! だまされんな!

 お前を風俗に売り飛ばすつもりかも知れねえ!」

 「そんなことしないよ。北大路はいい人だよ」

 

 北大路は掴んでいたマサルの髪の毛から手を離した。

 マサルは走って逃げて行った。


 「ちょっと待ってよお、マサル~!」


 明美はマサルを追い駆けて行った。

 北大路はシルバー恋愛センターへと帰って行った。




 「北大路さん、どうでした? 川村さんの彼氏さんは?」

 「ブランコ飛びが下手くそなヤツだったよ」 

 「ブランコ飛び?」


 北大路は事務所の外へ出ると、いつものようにベンチに座り、タバコに火を点けた。


 


第4話

 シルバー恋愛センターに明美がやって来た。


 「ねえ、北大路は?」

 「外でタバコを吸っていると思うから、呼んでくるからちょっと待っててね? それでご要件は?」

 「川村、北大路に会ってから話す」

 


 北大路は庭で草毟くさむしりをしていた。


 「北大路さーん、先日の川村さんが事務所に来ています。お話があるそうです。

 要件を訊いても北大路さんに会ってから話すと言って、教えてくれません」

 

 北大路は立ち上がって腰を伸ばした。


 「そうか」

 



 明美は美紀の出してくれたアイスコーヒーを飲んでいた。

 

 「どうした?」

 「マサルが出て行っちゃったの」 

 「そうか。あの男はダメだ。別れて正解だ」

 「北大路が悪いんだよ! 川村、マサルのことが好きだったのに! 北大路がマサルのことシメたからだよ!」



 シルバー恋愛センターの連中は相談室の前で聞き耳を立てていた。



 「北大路さんがクライアントの相手の男をシメた?」


 みんなが顔を見合わせた。


 「アイツがそう言ってんのか? 俺のせいだって」

 「北大路はヤーさんだから「ヤバい」んだって言ってた」

 「確かに俺は元極道だ。だが今は年金暮らしのタダのジジイだ。

 あの男はお前を愛してはいない」

 「どうしてそんなこと言うの! マサルは川村を愛してくれていたんだよ!」

 「アイツは俺が極道だからお前と別れると言ったんだよな?」

 「そうだよ」

 「もしマサルが本当にお前を愛していたら、俺がヤクザだろうが何だろうがお前を簡単に諦めたりしねえ。

 たとえば俺がお前の父親だったらどうする? 親父がヤクザだったら明美と付き合うのを辞めるのか?

 もしそれが理由でお前と別れるというのなら、所詮マサルはその程度の男だったということだ。

 アイツは俺をお前と別れるための口実にしただけだ」

 「違うもん! マサルは、マサルは・・・ちがうもん! ううううう」


 明美は泣き出してしまった。


 「そんなにアイツのことが好きなのか?」

 「うん。川村、マサルのことが大好き」

 「それじゃあ俺がマサルに頼んでやるよ。明美と仲直りしてくれってな?」

 「ホント! マサルに謝ってくれるの? 北大路!」

 「ああ、お前がそれで気が済むのならな? 今夜7時、あそこの焼肉屋に来るようにマサルに言え。

 お前も一緒にだ」

 「うん、わかった!」



 シルバー恋愛センターの恋愛アドバイザーたちは小声で囁いていた。


 ありゃかなり重症だぜ?」


 山田棟梁が言った。


 「元ヤクザの北大路さんが本当にその若造に謝罪なんかするんでしょうか? 私には疑問です。

 ヤクザは面子めんつを重んじる人たちでしょう? 自分が悪くないのに謝ったりするんでしょうか?」


 源次郎さんが言った。


 「うーん、どうかしら? 北大路さんがあんな村重とフワちゃんを足して2で割ったような女の子のために頭をさげるとは思えないけど。Unbelievable!」


 今度は寺門道子さんが言った。


 「でも自分が悪くなくてもクライアントのためなら頭をさげるのが侠気おとこぎというものでしょうなあ?」

 

 橋田所長が言った。


 「私は頭を下げると思います。北大路さんなら」


 最後に美紀がそう断言をした。(きくりんの断言)

 源次郎さんと道子さんと所長は頷き、山田棟梁だけは首を横に振った。


 「だってヤクザだぜ? 元だけどよお。

 おそらくその兄ちゃん、かわいそうに焼肉の七輪で焼かれちまうな? 間違いねえ」

 「そんな、それじゃあ『仁義なき戦い』じゃないですか!」

 「いや『極道の妻たち』だな?」

 「違いますよ、『カイジ』です。「ゴリラはチンパンジーより重い」って言うじゃありませんか?」

 「それを言うなら「カネは命より重い」ですよ」

 「なあ、俺たちもその焼肉屋に行って北大路さんが本当に謝るかどうか、あるいは七輪でその彼氏が焼かれちゃうかどうか確かめに行かねえか? 15日に年金も入ったことだしよお」

 「いいわねえ、それ賛成!」

 「僕も参加します!」

 「私も行きますよ、経費で落ちるようにしますから」

 「そうかい? たまには肉も食わねえとな? チ◯コが立たなくなっちまう」

 「棟梁のはいつもごめんなさいしていますけどね?」

 「ばかやろう! 俺のチ◯コの凄さを知らねえなあ? 大谷のバットより凄えんだぞ」

 「はいはい、下ネタはそれくらいにして、それじゃあみなさん、待ち合わせ時間の10分前、18時50分に集合ですからね?」

 「了解!」

 

 一同はうれしそうにそれに賛同した。

 何しろ時間だけはたっぷりある老人たちである。

 いい暇つぶしが出来たと、老人たちは大喜びであった。

 

  


第5話

 シルバー恋愛センターの連中は、焼肉屋の襖で仕切られた個室から、北大路たちの様子をうかがっていた。

 何しろ現代はハイテク、デジタル時代である。彼らは店内にある、焼肉のタレを直接口を付けてがぶ飲みしていないかを監視するための防犯カメラにアクセスし、それをタブレットで見ていたのである。


 

 「来た来た。北大路さんは時間に正確だからなあ、ヤクザなのに律儀だ」

 「ヤクザだから律儀なんじゃないですか? だって会合に遅れたらどつかれますからなあ。

 それに塀の中は規律が厳しいというじゃありませんか?」

 「やっぱり明美ちゃんたちは遅れているようですねえ。大丈夫かなあ北大路さん、キレないといいけど」

 「こりゃあ七輪で焼かれるだけじゃすまねえかもな? いきなりズドンか、ブスリかもしれねえ。

 そして焼肉にされたりしてよお」

 「棟梁、怖いこと言わないで下さいよ」

 「でも何だかワクワクしてきちゃった。どうなっちゃうのかしら? そのマサルって子。

 なんだか興奮して濡れてきちゃった」

 「俺はそんなみっちゃんに興奮してチ◯コがビンビンだぜ。教師びんびん物語なんちゃって」

 「棟梁、ちょっと静かにしていて下さいよ。音が聞こえないじゃないですか!」

 「ワリイ、ワリイ」

 

 やはり明美たちは1時間も遅刻してやって来た。


 「ごめんね北大路、遅くなっちゃって」

 「何で遅れた?」


 

 棟梁が言った。


 「ほら、北大路さんヤバいぜ。こりゃあ謝罪モードじゃなく、あの金髪兄ちゃん、シメられるぜ」


 みんなは固唾を飲んで、明美の次の言葉を待った。


 「ごめんなさい、川村が悪いの」

 「何が悪いんだ?」

 「どうしてもツケマが決まらなくて、それからそれから髪型もイマイチで・・・」

 「ホント、おめえはどんくせえからなあ。早く食おうぜ、焼肉」

 「マサル、お前本当に明美のことを愛しているのか?」

 「俺は知らねえけど、コイツは俺のことが好きだぜ」

 

 北大路は店員を呼んだ。


 「悪いけど包丁貸してくれねえか? コイツの体、切り刻んで七輪で焼いてやっからよお」

 「えっ!」

 

 マサルと明美の顔が強張った。

 もちろん別室のシルバー恋愛センターの連中もである。

 山田棟梁は食べようとしていたハラミを落っことしてしまった。


 「なーんてな? 注文いいか? ビール3つとカルビ、それからタン塩と骨付きカルビにセンマイ刺し。それからキムチをくれ」

 「お客さん、からかわないで下さいよ~、もうー。かしこまりました!

 ただいま炭を持ってまいりますので、熱いのでお気をつけ下さい」

 「熱い炭が来るんだってよ。マサル、火傷しねえように気をつけろよ。違うか?「火傷させられないように気をつけろ」だな?」

 「・・・」


 

 棟梁が言った。


 「やっぱりあの金髪兄ちゃん、炭焼きにされちまうぜ」

 

 みんなのビールがすっかり冷めて温くなり、網に乗せたロースが黒焦げになっていた。



 ビールが運ばれて来た。


 「それじゃあ乾杯しようぜ。お前たちのお別れに乾杯」

 「どうして俺たちがお別れなんだよ!」

 「それはおめえたちのためにならねえからだ」

 「何でなの? 北大路」

 「それはマサル、おめえがまだガキだからだ。

 好きでもない、コイツのカラダとカネが目当てなら先はねえからだ」

 「うるせえよ! コイツが「ヤッて」って言うからやってやっているだけだ!「カネをくれ」って言うとカネをくれるから貰う。それの何が悪いんだよ!」

 「お前親は?」

 「生まれた時からいねえよ」

 「それじゃ俺と同じだな?」

 「えっ、オッサンもかよ?」

 「ああ、随分惨めでさみしい思いをした。学校の運動会や遠足、修学旅行なんかなければいいと思ったよ」

 「俺もいつも一人だった。施設のみんなはいつも雨に濡れた野良犬みたいな目をしていた。何の希望もなくな?」

 「俺は高校を卒業して施設を出て、わらびの鉄工所で働いた。休み無く油まみれになって働いて、月10万円だった。そこから寮費や食事代を引かれ、手元に残るのは3万円だった。

 その中から俺は2万円を貯金した。やっと20万円が貯まった頃、先輩にそのカネを貸してくれと言われ、仕方なく貸した。そして踏み倒された。

 俺はその鉄工所を辞めた。

 それから職を転々として、気づいたら極道になっていたというわけだ」

 「北大路、かわいそう・・・」

 「世の中は弱い者を叩く、なんでだかわかるか?」

 「目障りだからだろう?」

 「弱いからだ。人は自分の優位性を確認したい。だから自分より劣っている者や弱い人間、カネのないヤツをバカにするんだ。

 福沢諭吉って知ってるか?」

 「知ってるに決まってんだろ? 万札のオッサンだろ?」

 「福沢諭吉は言った。


    

      天は人の上に人を造らず、

      人の下に人を造らず



 つまり、人間はみんな平等だと言ったんだ」

 「平等? ふざけるな! 何が平等だよ! 世の中差別ばかりじゃねえか!」

 「いや、平等なんだよ、人間は。

 太陽も時間も水も空気も、みんな平等じゃないか?

 そして人間は裸で生まれて裸で死んでいく。

 勝手に不平等、不公平だと思っているだけなんだ」

 「・・・」

 「そして恋愛はお互いを高め、助け合うもんだ。そのお前の言う、不平等で不公平な世の中で生きるために。

 明美はおめえに与え続け、お前は奪い続けている。

 つまりプラスとマイナスだ。足したらゼロになる。

 掛けたら大きなマイナスになっちまうんだ」 


 マサルは乾杯せずにビールを煽った。


 「明美、俺たちも飲もうぜ」

 「うん」


 北大路はどんどん肉を焼いてマサルたちに食べさせてやった。

 

 「いっぱい食え」

 「言われなくても食うよ」

 「俺はいつも腹を空かせていた。

 牛肉なんて食ったのは25才になってからだ」

 「北大路も貧乏だったんだね? 川村もそうだよ、ママがパパと離婚して、別な男と出て行っちゃった。

 だから川村ばあちゃんに育ててもらったの。生活保護をもらって」

 「俺もコイツも親がいねえんだよ。だから何にも知らねえし出来ねえんだ。

 俺は中学にもロクに行ってねえ。中学になるとすぐ、ドカチン(土木作業員)をしていたからよ。

 誰も助けちゃくれなかった。俺とコイツは似たもの同士なんだよ」

 

 そう言って、マサルはビールを飲んだ。


 「なるほど、親が悪い、親の犠牲になったというわけか?」

 「あー、金持ちの家に生まれたかったなあ」

 「川村はね、普通でいい。毎日ご飯が食べられて、やさしいパパとママがいてお兄ちゃんかお姉ちゃんがいて、トイプードルがいればそれでいい」

 「俺はいらねえのかよ?」

 「もちろんマサルも一緒だよ」

 「おめえたちは他力本願だな? しあわせを掴もうとしねえでしあわせになりたいと寝言ばかり言っているだけだ。

 水前寺清子って、知ってるか?」

 「誰だよ? 東京都知事かよ?」

 「水前寺清子が都知事だったら、東京都も良くなるかもしれねえな? 歌手だよ、昭和の。

 『三百六十五歩のマーチ』っていうのを歌っていた。


        作詞:星野哲郎


        しあわせは 歩いて来ない

        だから歩いて ゆくんだね

        一日一歩 三日で三歩

        三歩進んで 二歩さがる・・・


 

 ってな? しあわせは向こうからは歩いて来ねえんだ。

 こっちからしあわせに歩いて行くんだよ」

 「こっちからどうやって歩いて行くのさ? どうしたらしあわせになれるの? 北大路」

 「それはな? 悪いことを人のせいにしたり、過ぎ去った過去を引き摺って、どうせ自分はダメな奴だという考えを捨てることだ。出来ないんじゃない、やらねえだけなんだ。

 弱い奴はかならずこう言う。「俺には出来ない、俺には無理だ。学校も出てねえし親もいねえ」とな?

 お前たちを見てると昔の俺を見ているようだ。

 野良犬だったあの頃の俺をな?」

 「説教かよ? くだらねえ」

 「ダメなヤツは大した努力もしねえで夢ばかり追い駆けている。

 例えば「ポルシェに乗りてえ」と毎日思っていたとする。

 毎日思っているだけじゃダメだ。そのためにはいくら必要でどうやってそれを稼ぐかを考えて行動、努力しなければポルシェには乗れねえ。

 もう一人の自分は心の中でこう思うからだ。

 「でも自分には無理だよなあ」ってな?

 神様にお願いすることは悪いことじゃねえ。だが願ったことは忘れろ。

 なぜなら神様にお願いを書いた紙を渡したまま、手を離さねえのと同じことだからだ。

 神様にお願い事を書いた紙からすぐに手を離せ。そうしないといつまでも願いは叶えられない。

 願ったらすぐに忘れろ、そして努力しろ。

 神様はがんばっている人間が好きだ。だが怠けている人間も見捨てたりはしねえ。

 俺たちは神の子だからだ」

 「川村、やってみる!」

 「人は思った通りの人間になる。ダメだと思えばダメな人間に、やれると思えばやれる人間になれるもんだ。

 マサル、お前、今ホストだったよな? やってて楽しいか?」

 「仕事に楽しい仕事なんてあんのかよ」

 「ある。それは人の役に立つ仕事だ。人から喜ばれる仕事だ」

 「どんな仕事だよ?」

 「たくさんあるぞ、米農家は米を作って喜ばれ、ラーメン屋は美味いラーメンを作って喜ばれ、『シロクマ・ヤマト』の配達員は荷物を届けて喜ばれる。たくさんあるぞ、喜ばれる仕事は。

 そうして社会が成り立っているんだ。各々が自分の役割を果たしてな?

 俺はもう極道は辞めた。オヤジ(組長)のために懲役になって組を辞めたんだ。

 あの頃は殺るか殺られるかの毎日だった。だが今はしあわせだ。

 若いおめえたちに説教垂れて、こうして焼肉を食ってビールを飲んでいるからな。

 俺は今、凄くしあわせだ。ほらもっと食え、もっと飲め、遠慮するな」


 マサルは箸を置いた。マサルは泣いていた。


 「北大路さん、俺をアンタの子分にしてくれ。頼む、どうかこの通りだ。

 俺もしあわせになりてえんだよお」

 「北大路、川村も子分になる!」

 「大変だぞ? 俺の舎弟になるのは」

 「俺、おとこになりてえんだ」

 「よし、それじゃあ固めの杯だ。 おい姉ちゃん、日本酒とお猪口を3つくれ」



 その日、三人は固めの杯を交わし、兄弟のちぎりを結んだ。



 

 「北大路さん、遂に謝りませんでしたね?」

 「よかったなあ、あの兄ちゃん、焼肉にされねえでよお」

 「棟梁、泣いてるの?」

 「てやんでえべらぼうめ! 煙が目に滲みただけでえ!

 おめえらだってみんな泣いてるじゃねえか!」


 棟梁もみんなも泣いていた。

 



第6話

 北大路がシルバー恋愛センターに出勤すると、みんなが寄って来て質問攻めにされた。


 「北大路さん、あの女の子、どうなりましたか?」

 「カレシさんと仲直り出来たんですか?」

 「また焼肉食いに行くのか? 焼肉屋に?

 なんなら俺も一緒について行くぜ?」

 「私、ご飯作ってあげましょうか?」

 「マサル君の仕事なら、東大の同級生に紹介してもらいますよ」

 「俺はジジイだからカルビよりハラミがいいぞ」

 「私で役に立つことがあればいつでも言って下さいね?」


 北大路はやさしく微笑んだ。

 

 「みなさん、ありがとうございます。

 みなさんのチカラを貸していただくことになるかもしれません、その時はどうかよろしくお願いします」


 北大路は深々と頭を下げた。


 「いつでも言って下さいね? 私たちはあの子たちにしあわせになって欲しいんです」

 「ありがとうございます。俺もあの子たちが大好きなんです。

 よく人は「今の若いヤツは」とか言いますが、私はそうは思わない。

 アイツらはわからないんです、知らないんです、やっていいことと悪いことの区別が出来ないんです。

 それはちゃんと親から、教師から、大人たちから教わって来なかったからなんです。

 言葉遣いも社会の仕組みもわかっちゃいない。アイツらはスポンジと同じなんです。どんどん吸収出来るんです。だからいいこと、しあわせになることを教えてやりたいんです」

 「そうね、私たちは人生の先輩として、若い人たちに伝える義務があるわよね?」

 「その通りです、他人から笑われようと否定されようと、自分が今まで生きて来て、学んだことやそれをして失敗したことを伝えなければなりません。

 それがこれからの俺の任侠道にんきょうどうだと思っています」

 「私たちは人生の先輩ですからね?」

 「センマイ刺しでやる、『真露じんろ』も美味いぜ」

 「私たちは口で教えるだけではなく、背中で語ることも大切ですからね?

 行動で教えないと、若者の手本になるように」

 「その通りだと思います。それじゃあ庭の草毟りをして来ますので」

 「俺も手伝うよ」

 「みんなでやりましょうか? 私たちみんなで」




 恋愛センターのみんなは汗だくになって草毟りをしていた。

 するとそこに明美とマサルがやって来た。

 マサルと明美も一緒に草毟りを手伝い始めた。


 「兄貴、俺も手伝うよ」

 「川村も手伝う!」

 「兄貴じゃねえ、親父おやじと呼べ。お前は俺の息子だ」

 「川村も、川村も」

 「明美、お前は俺をパパと呼べ。今日からお前は俺のかわいい娘だ」

 「親父」

 「・・・パパ」


 ふたりとも照れながらもうれしそうだった。

 源次郎さんが言った。


 「そうなると私たちは叔父さんと叔母さんになりますかな? 私たちは北大路さんと兄弟なのでね?」

 「明美とマサル、おめえたちはかわいい姪っ子と甥っ子だ、腹が減ったらいつでも来いよ、 『すき家』と『かつや』、それから『幸楽苑』ならいつでも奢ってやっからよ」

 「はい! あ、ありがとうございます! すごくうれしいっす!」

 「川村も、川村もうれしいです・・・。ううううう」

 「さあ手を動かそうぜ、日が暮れちまう」


 みんな汗を流して草毟りを続けた。



 草毟りを終えて、みんなでくつろいでいると、マサルが言った。


 「ああ、気持ちいいー。好きなひとたちとみんなで汗を流して作業をするって疲れるより爽快な気分になるもんなんだなあ」

 「そうだ、みんなでみんなのために働く。これが仕事というものだ」

 「俺、今、仕事を探しているんだ」

 「それなら私の大蔵省時代の仲間に紹介してもらいましょうか?」

 「ありがとう源次郎叔父さん。でも俺、自分で探してみたいんです。自分のチカラで」

 「困ったらいつでも来いよ、俺たちは家族なんだからよお」

 「はい、うれしいです、俺たち、家族なんですね?」

 「そうよ、困ったらいつでも私たちを頼りなさい、家族なんだから」

 

 マサルも明美も泣いていた。

 美紀が麦茶とふ菓子を持ってやって来た。


 「さあみなさん、水分補給して下さいねー。熱中症にならないようにね?」

 「何だふ菓子かよー」

 「棟梁、入れ歯だからお煎餅はダメでしょう?」

 「舐めてるとそのうちやわらかくなるもんだぜ」

 「あはははは」


 みんなが楽しそうに笑った。




第7話

 秋は別れの季節。シルバー恋愛センターにも様々な恋愛相談が来るようになり、アドバイザーたちも退屈しない毎日を送っていた。


 山田棟梁は中年の奥さんからの相談を受けていた。


 「主人とはもう半年もアレがないんです」

 「アレがねえのかあ。それは悶々もんもんするわな? 奥さんも今が「女ざかり」だもんなあ。 

 旦那、浮気してるとか?」

 「いえ、それはないと思います。ブリーフ・パンツにアレが付着していることもありませんし」

 「アンタの旦那、いい歳ぶっこいてまだブリーフ履いてんのか? 小学生じゃあるめえし。

 いや、小学生でも履かねえぞ。まさか白じゃねえだろうな?」

 「いえ、白ブリーフです」

 「白!」

 「ただ・・・」

 「ただどうした?」

 「たまにですけど、アレの付いたティシュが寝室のゴミ箱に捨てられていて。

 どうやら自分でアレをしているようなんです」

 「なるほど、自分でアレをねえ? となると浮気はしてねえか? 何しろ白ブリーフの男じゃあ相手にもされねえだろうしな? 奥さん、もしかして旦那に何か傷つくことを言ったんじゃねえのか? アレしてる時に」

 「アレしている時にですか?」

 「例えば「あなた、そんな雑な愛撫で私が気持ちいいとでも思っているの?」とかよ?

 男はなあ、意外とほんの些細な言葉で傷つく、デリケートな生き物なんだ」

 「あっ、そう言えば主人がアレを出しちゃった時、「早いのね?」と言ったことがありました」

 「それはいつのことだい?」

 「丁度、半年前のことです」

 「やっぱり。たぶん原因はそれだな?」

 「どうしたらいいでしょうか?」

 「そりゃアレだよ奥さん、アレがアレしてアレするしかねえじゃねえか?

 それから赤とか黒とかのスケスケのパンティはダメだぜ、男は意外とそういう「淫らなアバズレ人妻」みたいな物より、清楚な白とか薄いピンク、水色の方が好きだからな?」

 「わかりました。今夜、早速私の方からアレを誘ってみます」

 「その時、忘れんじゃねえぞ。たとえアレが下手っぴでも褒めてやることだ。「もうダメ~、イッちゃう~」ってな? 旦那に自信を持たせてやるんだ」

 「やってみます!」

 「アレは夫婦の「潤滑油」みてえなもんだからな? がんばれよ、奥さん」

 「貴重なアドバイス、ありがとうございました」

 「アレがしたい時はいつでも俺が相手になってやってもいいぜ」

 「遠慮しておきます。私、年上はちょっと」



 道子はダブル不倫をしている40代の男性からの相談だった。


 「女房と別れたいんです、どうしたら女房を傷つけずに離婚出来るでしょうか?」

 「それは無理ね? だってそもそも不倫は泥沼だから。奥さんに逆上されてブスリとやられても文句は言えないわよ。だから不倫をするには覚悟がいるの。特に男性は」

 「今、ドロドロ、ビチョビチョ、ぐちゃぐちゃの泥沼状態なんです」

 「その彼女とは結婚したいの?」

 「はい!」

 「それで彼女は何て言ってるの?」

 「直接彼女に訊いたわけではありませんが多分、同じ気持ちだと思います。

 僕たち、愛し合っているので」

 「あなた、年収は?」

 「税込み380万円です」

 「それで彼女のご主人の年収は?」

 「よくわかりませんが、勤務医なので2,000万円は越えているかと思います」

 「何科のお医者さん?」

 「確か内科だったと思います」

 「それじゃ離婚する気はないわね? あなた、ただ遊ばれているだけよ。いわゆるセフレね」

 「セフレ? どうしてですか?」

 「だっていずれは開業するからよ。そうしたら億はくだらないでしょう?

 女は計算で動くものなの。離婚するのはおやめなさい」

 「酷いじゃないですか! 僕は本気なんですよ!」

 「不倫なんてお止めなさい! ただ甘美な背徳感に一時的に酔ってるだけだから。

 仮にその彼女と結婚しても同じ、あなたが変わらない限り、また離婚したくなるわよ。

 それより奥さんを褒めて感謝して、愛してあげなさい。

 あなただって奥さんに惚れたから結婚したんでしょう? あなたが奥さんを大事にしないから、奥さんもあなたを大事にしないの。わかる?

 相手に求めるんじゃなく、与えるの。

 不倫なんてね? 所詮は「虚しい恋愛ごっこ」なんだから」


 

 源次郎は苦戦していた。どうアドバイスしていいのかわからなかったのである。


 「結婚したいんです」

 「お相手は?」

 「私と同じ36才です。取引先の人なんです。私たちはとても愛し合っています。でも日本では結婚出来ません、許されない愛なんです」

 「それはどうしてですか? 日本の在留資格がないとかですか?」

 「いえ、僕と同じ男性だからです」

 「・・・。なるほど、日本では同性同士での結婚は認められてはいませんからねえ」

 「そうなんです。どうしたらいいでしょうか? 僕たちどうしても結婚して子供が欲しいんです!」

 「最高裁まで戦うには費用も時間もかかりますしねえ。いかがです? いっそ民自党から国会議員になってみては? 裏金ももらえるのでそれで彼と豪華な暮らしを楽しめますから」

 「国会議員かあ、それは思いつきませんでした。

 彼と相談してみます、ありがとうございました」




 三時の休憩時間にみんなでお茶を啜っていると、北大路の話題になった。

 

 「でもよお、所長。どうして元ヤクザの北大路さんをアドバイザーに採用したんだい?

 反社はダメって誓約書には書いてあるじゃねえか?」

 「北大路さんは今現在は足を洗っています。それに北大路さんには切ない過去があるから採用しました。

 最初は本部のシルバー人材センターも難色を示していましたがね」

 「あれ以上壮絶なの? 北大路さんって」

 「後は個人情報なのでこれ以上は私の口からは言えません」

 「そう言われると余計に聞きたくなるじゃねえか。なあ源ちゃん?」

 「山田棟梁、あまり他人のプライバシーを探るのはよくありませんよ」

 「ホントは知りてえくせに。それに北大路さんは他人じゃねえ、家族だ」

 「色々あるのよ。北大路さんにも」


 美紀が棟梁をいさめた。 

 



 その日、北大路は墓参りに来ていた。


 「幸子さちこ、面白え奴らと知り合いになったよ。昔の俺みたいに社会からはみ出た半端はんぱ者だ。

 かわいい奴らなんだよ、これが。

 俺の子分になりてえなんていうから、俺はそいつらの父親になることにしたんだ。

 アイツらは俺と同じで、親がいないらしいからな」


 それは北大路の妻の墓だった。

 北大路が刑務所に入ってすぐ、元々病弱だった妻の幸子は、北大路が逮捕されたショックで心労が重なり、亡くなってしまったのであった。

 北大路は最愛の妻の臨終を看取ることも出来なかった。

 幸子は極道の妻として北大路を支え続けた。

 北大路は刑務所で、そんな自分の人生を悔やんだという。


 

 「お前が死んでもう30年だ。俺もじきにそっちへ行くからよろしくな?」


 墓に供えた線香の煙が、秋風に揺れた。

 

 


第8話

 就職の面接のために必要なリクルート・スーツを買ってやろうと、北大路はマサルと明美を連れて『洋服の青川』にやって来た。


 「面接に行くにはスーツじゃねえとな? それから靴とネクタイ、ベルトとYシャツ、ハンカチに靴下も必要だろう?」

 「大丈夫っすよ親父。スーツじゃねえといけねえような面接には行かねえですから」

 「どんな仕事でもキチンとした格好で面接を受けるのが、その会社、担当者への礼儀というもんだ。

 それから金髪は辞めろ。好感度のある髪型にするんだ」

 「七三とかっすか?」

 「見苦しくない髪型にしろということだ。短髪にした方がいい。

 どうしてだかわかるか? 人は中身が大切だという奴がいるが、あれは嘘だ。

 キチンとしている奴は身だしなみもキチンとしている。

 言葉遣いもそうだ。だからもうヤンキー言葉は使うな。人は見た目なんだよ」

 「はい」

 「そうだ、その調子だ」

 「川村もやる!」

 「明美、お前はその「川村」と自分の名前を呼ぶ癖はもう辞めろ。

 お前は話し方とその髪、そして目がチカチカするような格好でかなり損をしている。

 お前は本当はバカじゃねえ、勉強が出来なかったんじゃねえんだ、やれなかっただけだからな」

 「うん、じゃなかったハイ!」

 「お前たちはある意味自分に素直なんだ。正直なんだよ。純粋なんだ。

 でもな? その外見でかなり損をしているのも事実だ。

 人はな? その人間が何をどれだけ持っているかでその人間を値踏みする。判断するんだ。

 エラい奴か、そうでない奴か? 自分にとって得か、得じゃないかで人を見る。

 だからと言ってそんな人間を拒絶しては駄目だ。相手を認めてやることだ。

 「コイツ、嫌な奴だな」と思うと、必ずそれが相手にも伝わる。

 仕事では当然嫌な奴とも付き合わなければならない。だから我慢も必要だ。

 お前たちはまず我慢を覚えなくてはいけねえ」

 「我慢かあ。やってみます、親父」

 

 北大路はふたりに其々それぞれスーツや靴などを丁寧に選んでやった。


 「マサル、これなんかどうだ? シンプルで丈夫、しかも洗えるらしいぞ」

 「こっちでいいです」


 マサルは北大路に気兼ねして、わざと安い方を選んだ。


 「安物は買うな? いいものを大切に長く使うんだ。

 明美、靴のサイズはそれで合うのか?」

 「うん、23.5だから大丈夫」

 「一応履かせてもらえよ、靴は大事だからな?」

 「はーい」



 ふたりは北大路に買ってもらった靴やスーツなどが入った紙袋を、大切に抱えていた。


 「親父。ありがとうございます」

 「ありがとう北大路、じゃなかった・・・、パパ」


 ふたりはとてもしあわせそうな顔をしていた。



 

 その日、北大路はふたりに1万円ずつを渡して美容院に行かせ、髪を切り、黒く染めさせた。

 そしてアパートに戻って来たふたりは北大路に買ってもらったスーツを着てみた。

 

 「どうだ明美。似合うか? 俺のスーツ姿」

 「なんだかマサル、高卒みたいにみえるよ」

 「明美、お前もどっから見ても女子大生って感じで、惚れ直したぜ」

 「ありがとう、マサル」

 「明日から職探しだな。がんばろうな? 明美」

 「うん、マサル。そしてパパを早く安心させてあげたいね?」

 「ああ、そうだな? 親父は俺たちの大切な親だからな? 初給料貰ったら、親父を焼肉屋に招待してやろうぜ」


 ふたりは希望に溢れていた。



 

 翌日からふたりは、一生懸命仕事を探した。

 いくつも面接を受けたが中卒のふたりには思ったような仕事は見つからなかった。


 マサルはとある食品工場の正社員を受けてみることにした。


 「学歴不問かあ。よし、これなら行けるかもしれねえ」


 マサルは履歴書を持って面接におもむいた。



 「それでは履歴書を拝見してもよろしいですか?」

 「あっ、はい。よろしくおねがいします!」


 マサルが緊張して履歴書を出すと、その採用担当者は履歴書を見ながらこう言った。


 「わかりました。それでは結果は後日お伝えさせていただきます。今日はどうもお疲れ様でした」


 やさしい笑顔で応対してくれたその人を見て、マサルは思った。


 (これは採用になったかもしれねえ)


 マサルはそう思ってその会社を後にした。




 アパートに帰ると明美が待っていた。


 「マサル、面接はどうだった?」

 「ああ、今度はいけるかもしれねえ」

 「よかったね?」

 「明美の方はどうだったんだ? スーパーの契約社員だったよな?」

 「採用になったの! 明日から来て欲しいって」

 「よかったじゃねえか明美! それじゃあ今日はお祝いだな? コンビニで缶酎ハイを買って来るよ」

 「私も一緒に行く! あのアイスも買っていい?」

 「ああ、おめえの好きなチョコミントな? いいよ、今日は特別だ」

 「マサル大好きーっつ!」


 ふたりは手を繋いで仲良くコンビニへと出掛けた。




 マサルは毎日郵便受けを覗いたが、採用通知は来なかった。


 そして3日後、不採用の通知が届いた。

 マサルはすぐに人事担当に連絡をした。


 「どうして不採用なんですか?」

 「君、高校は出ていないんだよね? ウチでは無理だよ」

 「だって採用条件には学歴不問って」

 「悪いがそういうことだから」


 電話は一方的に切られてしまった。

 マサルは不採用通知をビリビリに破いてゴミ箱に捨てた。


 「ちくしょー! ふざけやがって!」


 マサルは荒れた。

 



第9話

 明美は出勤初日ということもあり、慣れない雰囲気に緊張していた。


 「川村君、初日だから疲れただろう?」

 

 明美は品出しを習っていた。


 「いえ、大丈夫です」

 

 その時部門責任者の水原から軽くお尻を触られた。


 「きゃっ」

 「いいねえ、若い子のお尻は張りがあって。ウチの女房なんてもうケツなんか垂れちゃってさあ。

 どう? 今度メシでも行かない?」

 

 明美は水原を睨みつけた。


 「何? 怒った? そんなんじゃここじゃあやっていけないぜ。

 何しろ俺はここの部門長なんだから。うふふふふ」


 そう言って水原は去って行った。


 (我慢、我慢)


 明美は必死に耐えた。



 やっと仕事を終えて女子更衣室の自分のロッカーに鍵を入れようとした時、鍵の差し込み口にチューインガムが埋め込まれていた。御局おつぼねたちの嫌がらせだった。

 明美がロッカーの前で悔しそうに立っていると、みんながそれを見て笑っていた。


 みんなが帰った後、明美が泣きながらガムを剥がしていると、同じ歳頃の弥生が氷を持って来てくれた。


 「これで冷やすと取りやすいよ。私も入社してすぐ、やられたから。

 ここは女の多い職場だからね? 負けちゃ駄目だよ」

 「ありがとう」

 「私は島田弥生、お惣菜部門にいるんだ。あなたは?」

 「川村明美。よろしくね」

 「おばちゃんばっかりだけどさあ、みんなが悪いわけじゃないから安心して。新人イビリはどこでもあることだから。がんばってね?」

 「うん、ありがとう」


 明美は弥生と仲良しになり、毎日一生懸命働いた。



 マサルも懸命に仕事を探したが、中々採用にはならなかった。

 マサルは北大路の話を思い出した。


 「仕事は人の役に立つ仕事を選べ」


 マサルは正社員を諦め、ガソリンスタンドとコンビニのバイトを掛け持ちすることにした。

 特にガソリンスタンドでは洗車やタイヤ交換で手がボロボロになっていた。



 マサルも明美もいつもクタクタだった。

 アパートに帰って来ると、風呂にも入らず、食事もせずに眠ってしまうほど疲れ切っていた。

 だがふたりとも負けなかった。




 夜、北大路が食料や酒を持ってアパートに様子を見にやって来た。


 ピンポーン


 寝ていたマサルが起きてドアスコープを覗くと、そこに北大路が立っていた。


 「俺だ、北大路だ」

 「今すぐ開けます!」


 北大路はマサルに、両手に持ったレジ袋に入った食料と酒を渡した。


 「どうだ? 仕事の方は」

 「ちらかってますけどあがって下さい」

 

 明美も起きて来た。


 「パパ、あがってあがって」

 「そろそろ喰い物もねえんじゃねえかと思ってな?

 これを持って来ただけだから。ほら、差し入れだ。

 お前ら、だいぶいい顔になって来たじゃねえか? 何か困ったことはねえか?」

 「大丈夫です。いつもすみません」

 「とにかく何も考えずに眼の前の仕事に全力で立ち向かえ。人間の能力なんてたいして変わりはねえもんだ。

 若いうちは人の倍働け。時間戦略だよ。長く働いたモンが勝ちだ。

 そうすれば早く仕事が覚えられる。

 虐める奴も嫌な奴もいるだろうが、でもそんな奴は気にするな。

 本気で働いていれば必ずお前たちのことはきっと誰かが見ているはずだ」

 

 すると北大路は背広の内ポケットから茶封筒を出してそれぞれ二人にそれを渡した。


 「カネ、ねえんだろう? 給料日までこれでがんばれ」

 「親父」

 「パパ」

 「親が子供の面倒を見るのは当然だ。大丈夫だ、お前たちは必ずしあわせになれる。

 昨日まではリハーサル、今日からが本番だ」


 北大路はそう言ってアパートにはあがらずに帰って行った。

 少しでも明美とマサルを休ませてやろうと思ったからだ。

 明美とマサルはいつまでも北大路の背中を見送っていた。


 「ありがとうございます」

 「ありがとう、パパ」

 

 


最終話

 ようやくふたりに初給料が出た。


 「この初給料で親父に焼肉をご馳走しようぜ」

 「うん、行こう行こう、パパに焼肉ごちそうしよう!」


 

 二人は焼肉に北大路を誘った。


 「親父、初給料が入ったんです。焼肉を食べに行きませんか? ご馳走させて下さい」

 「ありがとう。別に焼肉じゃなくてもいいぜ、安いもんでいい。

 食事はな? 何を食べるかじゃねえ、誰と食べるかだ。

 お前らと食うなら何でもうめえよ」

 「お世話になったせめてものお礼だよ、パパア?」

 「そうか? じゃあその前にちょっと付き合ってくれねえか?」

 「はい」

 「よろこんで!」



 

 北大路は女房の幸子の墓にマサルと明美を連れて来た。

 花を手向け、北大路は線香の束に火を点けた。


 「女房の墓なんだ。俺が中に入っている時に病気で死んだ。俺は幸子を看取ってやることも出来なかった。

 幸子、コイツらがいつも俺が話していたマサルと明美だ。ふたりともいい奴だろう? 俺たちのガキだ」


 明美とマサルも、北大路と一緒に手を合わせた。


 「いいかお前ら、この墓はお前らのかーちゃんが眠っている墓だ。やさしくて美人でいいかーちゃんだったよなあ。お前らに頼みがあるんだ、俺が死んだらここに俺の遺骨を入れてくれ」

 「かーちゃん・・・」

 「ママ」

 「いいか、過去は変えられるんだ。辛かった過去は忘れちまえばいい。もう終わったことだからだ。

 そして今を、この瞬間を精一杯生きるんだ。それが幸福な未来の扉を開ける鍵だ。

 人の悪口や陰口、愚痴や泣き言は言うな。思い遣りのある言葉で明るく話せ。

 いつも仲良く、明るく朗らかに生きるんだ。

 人はな? しあわせに生きる義務がある。自分を大切にしろ、そしてお互いを信じろ。

 楽しいから笑うんじゃねえ、笑うから楽しくなるんだ。

 辛い時は鏡に向かって言え、「俺ってしあわせだなあ、私ってしあわせね?」ってな?

 そうすれば不思議と笑顔でいられるもんだ。「しあわせ」という言葉は魔法の言葉だ。なぜか「しあわせだなあ」と言うと笑っちまう。おっかねえ顔や悲しい顔では言えねえ言葉だ、覚えておけ。

 お前たちの母親は死んでこの墓の中にいる。いい母親だった。けっしてお前たちを捨てた母親じゃねえ。

 人生を楽しめ、マサル、明美」

 「はい」

 「はい!」




 焼肉屋にやって来た。


 「今日は何でも好きな物を食べて、飲んで下さい」

 「そうだよお父さん、今日は私たちの奢りだからね?」

 「ワリイなあ。でもうれしいぜ。ありがとよ」


 

 三人はビールで乾杯をした。


 「よくがんばったな? 乾杯」

 「乾杯!」

 「乾杯! ありがとう、お父さん」


 明美はいつの間にか北大路のことをパパではなく、「お父さん」と呼ぶようになっていた。



 その時だった、北大路が胸を押さえて苦しそうに椅子から転げ落ちてしまった。


 「親父!」

 「お父さん! しっかりして!」

 「救急車! 救急車を早く!」



 救急車の中で、明美とマサルは北大路の手を握り、名前を呼び続けた。


 「親父! 親父! 俺、まだ親孝行してねえじゃねえかよお!」

 「お父さん! 死んじゃやだよお!」

 「親父!」



 病院に着くと、北大路は何とか一命を取り留めた。

 翌日、シルバー恋愛センターの仲間が見舞いに来てくれた。



 「どうだい具合は? 思ったより元気そうじゃねえか?」

 「とりあえず、着替えとか持って来たわよ」

 「今度一緒に将棋でもどうですか? 私が教えて差し上げますから」

 「北大路さん、早く直してセンターへ出て来て下さいね? 相談者が北大路さんを待っていますから」

 「何か必要な物があれば遠慮なく言ってね?」

 「今度見舞いに来る時はよお、エッチな本、差し入れてやっからな。あはははは」


 みんな各々北大路を励ました。


 「みなさん、お忙しいところ、本当にありがとうございました」

 「水くせえこと言うなよ。俺たち、家族じゃねえか?」

 「そうよ、困ったことがあればいつでも言ってね?」

 「ありがとうございます」

 「みなさん、お見舞いに来てくれてありがとうございます。

 俺がもしもの時にはコイツらのこと、よろしくお願いします」

 「何言ってんの。そんな弱気でどうすんのよ。元ヤクザのくせに。うふっ」

 「そうだぜ、アンタはいつも強い人間じゃなきゃいけねえんだ。このふたりのためにもよお」



 そう言ってみんなが帰って行った後、北大路が言った。


 「ちょっとそこのカバンを取ってくれねえか?」

 「これのこと?」

 「ああ、それだ」


 北大路はカバンの中から実印と通帳印、キャッシュカード、通帳を取り出し、自分の家の登記簿と登記済権利証、そして遺書をマサルに渡した。


 「お前らを俺の養子にすることにした。必要書類はここに入れてある。

 遺言書も書いた。財産はねえ。ちいせえボロ屋が一軒と、現金が34万と通帳に70万円くれえが入っている。

 生命保険は県民共済しか入っていねえから200万円ほどしか出ねえ。

 葬式はしなくてもいい。ただ遺骨は女房の墓に入れてくれ」

 「そんなこと言うなよ、親父」

 「お父さんがいないと寂しいよお。ううううう」

 「親はなくても子は育つってな? ふたりとも、しあわせになれよ」


 

 その日の夜、北大路は安らかな顔で天国へと旅立って行った。




 1年が過ぎた。


 「こんにちは」

 「おう、マサル、明美ちゃん、そして明日香ちゃんだったよな?」


 明美は女の子を出産していた。

 

 「もう3ヶ月だっけ? 抱かせて抱かせて」


 道子が明日香を抱っこした。


 「ああ、私も遂にオバアチャンかあ」

 「俺にも抱かせてくれよ」

 「棟梁、手を洗ってないでしょう! 手を洗ってアルコール消毒してからよ!」

 「おっとそうだった。洗って来るから待ってろ」


 みんなの笑顔の花が咲いた。

 庭のサクラの木の下で、北大路が微笑んでタバコを吸っている気がした。



                         『シルバー恋愛センター』完






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【完結】シルバー恋愛センター(作品240429) 菊池昭仁 @landfall0810

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