逆張り陰キャがあやまる話

ものういうつろ

第1話

 金曜日の朝、八時二十分。朝礼まであと十分なのを、教室の時計で確認した。黒板の日直欄には僕の名前が書かれているので、もう一人の日直と朝礼の司会を務めなければいけない。けれども、教室にはひとっこひとりいないし、先生がやってくる気配もない。時計の長針が動く音が聞こえて、ようやくこの世界にも音というものがあるのだとわかったくらい、とても静かだ。

 僕以外の二年A組の生徒がいなくなってから、もう三日が経った。


 みんなが消えちゃったのに気付いたのは、火曜日のなんだか気が重くて遅刻した朝だった。

 教室後方の扉の窓を覗くと、誰もいないのがわかった。

 一時間目の授業は国語だから、教室を移動する必要はないはずだった。

 どういうことだろう。

 ひとまず、自分の席――一番後ろの真ん中の席で鞄をおろした。

 時計を確認すると、八時四十五分、一時間目が始まるまであと五分だった。黒板に書いてある日直の田中と津島なら、国語の先生を呼びに行く必要があるので、いなくてもおかしくはないのだけれど、日直どころか、誰もいない。

 もしかすると、なにかあって休校になったのを手違いで知らされなかったのかもしれない。

 前の席の久瀬くぜ智久ともひさの机のなかを覗いた。教科書とノートがきちんと揃えてあった。久瀬は勉強がまるでできないくせして、持ち物だけはきちんと持ってくるし、置き勉もしないから、こういうときだけは役に立つ。

 けれど、余計なものも見てしまった。

 教科書やノートが重ねてある上に、今さっきまで読んでいたものをしまったかのように、文庫本が背表紙をこちらに向けて入れてあった。『Mezzopiano』というタイトルが書いてあった。

 嫌なものを見ちゃったな。

 胸がむかつくような感じがするのを抑えて、周りの机のなかも見て回った。

 やっぱり休みなんかじゃない。じゃあ、いったい誰も教室にいないのはどういうことだろう。

 改めて疑問符を浮かべていると、授業のチャイムが鳴った。

 慌てて着席してから、誰もいないなら座る意味もないことに気付いた。けれども、なんだか不安になってきて、そのままじっとしていた。

 結局、生徒はおろか、先生までも誰もやってこないまま、授業のひとつもなく一日が終わった。

 昼休みに、校舎を見て回ったけれど、学校には僕以外の誰もいなかった。

 けれど、困ったことはひとつもなかった。


 そもそも学校のみんながいなくなったからといって、困ることなんかあるわけない。家に帰ると、夕方には母さんが帰ってきたし、夜の八時には父さんも帰ってきた。ごはんだって出てくるし、朝は弁当を作ってくれる。

 水曜日に登校したときには、まだ僕のなにかの勘違いで、昨日はなにかの行事だったのを忘れていたのかも、なんて考えていた。そもそもみんな教科書とノートを持ってきた上で、行事に行って帰ってこないなんてことはありえないのだけれど、なにかの間違いだと考えちゃうくらいにはおかしな状況だ。

 だから、みんな消えたのだ。自分の席から久瀬の机のなかがちらっと見える。やはり昨日と変わらず教科書とノートが入っている様子だった。

 僕は時間割通りに勉強することに決めた。

 別に誰もなにも言わないのだから、なにをやってもいいはずなのだけれど、逆にいえば勉強をしちゃいけない理由はない。

 騒がしいやつらがいないからとても静かだ。

 正直にいえば、うるさくするやつらには、腹が立つ。我が物顔で教室の真ん中に居座って、急に話しかけてきたかと思えば、すぐにこちらに興味をなくして、また別の話をする。あまりにも身勝手だ。

「オタクくんはさぁ、『スピ転』観てる?」

 月曜日の昼休み、久瀬の席を勝手に占領してしゃべっていた田中と手塚が、唐突に僕に尋ねてきた。最初は僕に尋ねてるのかわからなかったけれど、声がこちらに向いていたし、それに気付いて顔を上げると目が合った。

 『スピ転』というのは、『教室のスピーカーに転生したけど、二年E組の奴らがマジでいいやつらな件』というアニメだ。今年の四月から始まったのだが、一気に話題が広まって六月になった今は、物語も佳境に入ったあたりだろう。

 田中と手塚に、普段アニメを観るようなイメージはない。スポーツやりながら、女子と気安く話してるようなタイプだ。

 そういうやつまで観ているのだから、『スピ転』は本当に人気のようだけれど、僕は観ていない。観る前から、転生がなんだのいうアニメはくだらないとわかってる。

「そんなのよりも『Mezzopiano』の方がおもしろいよ」

 だから僕は、本当におもしろいものを教えてあげた。『Mezzopiano』は、まだアニメが手描きだった頃の作品で、とにかくアクションシーンがすごい。描き込みのすごさはもちろん、とにかく色んなものが吹っ飛んで、人間の命の軽さを表現していると、SNSのアニメ語りのアカウントが言っていた。

 だから、『スピ転』なんていう流行だけのアニメなんかよりも、ずっとおもしろい。

 それなのに、田中も手塚も、急に興味をなくしたみたいに「ふうん」と言った。あれ、と僕が思っていると、「手塚、便所いこうぜ」と二人して教室を出て行った。

 なんだか僕が場をしらけさせたみたいに扱われてしまった。尋ねてきたのは向こうだし、僕はいいものを教えてあげたのに。結局ああいうやつらは、話題になったことだけでが重要で、本当にいいものを知ろうとは思わないんだ。

 だから、クラスのやつらがみんな消えたところで、これといって困ることなんかない。

 水曜日は、そうして放課後のチャイムが鳴るまでずっと勉強をしていた。


 木曜日、教室の前まで来た僕は、後方の扉窓からなかを見て、入るかどうか少し悩んで、だ。しばらくして、このままでいるわけにもいかないなと思って、やっぱり無人の教室に入るった。黒板が目に入って慌ててうつむいて自分の席へ向かう。それでも、視界の隅の机に水泳バッグが下がっているのがわかった。

 教科書を取り出して勉強を始めて、少し経ってからようやく一時間目のチャイムが鳴った。チャイムさえ鳴ってしまえば、こうして教科書とノート、昨日わざわざ母さんに買ってきてもらった問題集をやっていることが、奇妙なことではなくなる気がした。

 教室に入ったときから感じている焦燥しようそうかんに、そういう説明をつけてみた。

 けれどもまったく身が入らない。

 今見えたものがふと頭に浮かびあがって、想像したくないことを想像してしまう。

 みんなが消えたところで、困ることなんかないはずだ。

 そう思っていたのに。

 どうしてこうなってしまったんだろうと、考えてしまっている。


 どうして。それはやっぱり月曜日のことだろう。火曜日にみんなが消えてしまったわけだし、異変が起きたのは学校だけだ。だから月曜日に学校であったことが原因だってことはなんとなくわかる。

「『Mezzopiano』好きなの?」

 月曜日の終礼のあと、帰り支度を終えて教室を出ようとしたときのことだった。日直だった久瀬が、黒板の日直欄を田中と津島に変えて戻ってくると、そう声を掛けてきたのだった。

 久瀬とは同じ班だし、僕の前の席だけれど、ほとんど話さない。そもそもクラスのなかでも浮いているし、いわゆる陰キャラくさい。成績もかなり低いみたいで、あまり近づきたくない。

「昼休み、山田くんと手塚くんにそう話してたよね。僕も好きなんだ」

 こっちが無視しているのに、構わず話しかけてくる。だから面倒になって「うっさい。キモいから話しかけてくんな」と言って、鞄を持って席を立った。

 だって、久瀬なんかと話していたら、僕もそういうやつだと思われる。僕はいいものを知っている人間のはずだ。それに、久瀬が『Mezzopiano』が好きだなんて、そんなのはいやだ。


 見ないふりをしていたけれど、もう自分にすら言い訳が立たなくなってしまった。

 木曜の朝、みんなの机のフックに、水泳バッグが下がっているのを見つけた。こんなもの火曜日にも水曜日にもなかった。

 それから黒板の日直が変わっているのに気付いた。火曜日に見た田中と津島という名前は、月曜日に書かれたものだからまだいい。けれども、木曜日には、手塚と中島の名前が書かれていた。

 この教室は変化している。

 本当は水曜日の時点からなんとなくそうじゃないかと思ってはいた。だって、本当にみんなが消えちゃったなら、事件になっているはずだ。全校生徒の父兄が、自分の子どもが帰ってこないことに気付かないはずがない。僕の家だけなぜだか両親が存在しているなんていうのもおかしな話だ。見ていなかったけれど、水曜日の日直も変わっていただろう。

 多分、毎日みんなの机のなかに入っている教科書やノートは、その日の時間割に沿ったもののはずだ。

 僕のあずかり知らぬところで社会が進んでいる。

 そう思ったら、もうダメだった。

 ずっとこのまま、誰もいなかったら、三年になったらどうなるのだろう。僕は自分がどこのクラスに入るのかわかるのだろうか。高校受験するときはどうすればいいんだろう。先生すらいないのだからわかるはずもない。

 誰もいないはずなのに、自分だけ取りのされて周りが進んでいくが教室から消えている。


 金曜日の朝、八時二十分。朝礼まであと十分なのを、教室の時計で確認した。黒板の日直欄には僕の名前が書かれているので、もう一人の日直と朝礼の司会を務めなければいけない。けれども、教室にはひとっこひとりいないし、先生がやってくる気配もない。時計の長針が動く音が聞こえて、ようやくこの世界にも音というものがあるのだとわかったくらい、とても静かだ

 僕以外の二年A組の生徒がいなくなってから、もう三日が経った。

 机のなかに教科書とノートをしまい、鞄をロッカーにしまった僕は、久瀬の席の横に立つ。

「こないだはごめん」

 目をつぶって頭を下げた。

 月曜日のことを思い出す。教室から出て行くときに、ふと振り返ると、久瀬が自分の席でうつむいているのを見掛けた。

 これも見ないふりをしていた。

 そもそも、僕はどうして『Mezzopiano』が好きだったんだろうと思った。僕はなにをどうすごいと考えてたんだろう。思いつくのはSNSで顔も名前も年齢すら知らないアカウントが語っていた言葉だけだった。

 だから、多分僕は『Mezzopiano』が好きなわけではない。みんなに一目置いて欲しかったんだ。

 だって、そうすれば友達ができるから。

 昼休みのことだってそうだ。田中と手塚が話を振ってくれたのに、僕はかっこつけようとして、全部ふいにした。それでも放課後に久瀬が声を掛けてくれたのに、それもまたふいにした。

 ざわざわと、数日のぶりの喧噪が聞こえた。朝から元気がありあまっているやつから、だるそうなやつまで、あらゆるクラスメイトの話し声が、いっしょくたになって聞こえてきた。

 そのざわめきを貫くように、しかし、静かに久瀬の声が僕に届いた。

「許すわけないでしょ」

 そりゃそうだ。

 頭を上げて、目を開く。そこにはすっかりいつも通りのクラスと、僕をにらみつける久瀬がいた。

 僕はクラスに帰ってきた。クラスから浮いたまま、前よりもっと浮いたまま。

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逆張り陰キャがあやまる話 ものういうつろ @Utsuro_Monoui

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