第12話 エピローグ

 雨の中、二人の剣士は向かい合う。


 大洪水から、二週間が経っていた。

 洪水というよりも、それは土と岩の塊の襲来だった。

 魔力を帯びた砦はその衝撃に耐え、結果として山の民たちを守ることになる。

 代わりに、渓谷に屯していた者たちは、その大半が姿を消した。

 二週間の時間は、土砂の中から生存者を救出する作業に費やした時間だ。

 大量の土と岩と、砕かれた木々によって、渓谷は見るも無惨な姿となった。


 山の王は輿に乗って山を降り、辺境騎士団と和睦を交わす。

 その際、ウジェヌ王はアマーリエにこう語りかけた。

「ウジェヌだ。お初にお目にかかる。貴様のその面は、まるで白金で出来た人形のようだな…カフカを想い出す。もう少し早く、山を降りるべきであった」

 その経緯を知った3つの諸族たちは、数日後にアマーリエのもとへ服従の意図を告げる使者を送った。


 土砂の中に埋もれた無数の水生昆虫たち、目に見えないほど小さな生き物たちによる無数の死骸が、腐臭を発し、谷を満たす。土が雨を吸い、むせかえるような、むっとした濃い臭いへと変化する。


 山の麓、円形の砦があった空間で、大剣を持った姫騎士と、両手に剣を構えた桃色の髪の剣士は対峙する。

 シャルルが見守る中、ボードワンが二人の決闘の開始を告げた。


 アンリエットは地を蹴り、一気に間を詰める。

 いつもの通り、それはシャルルの予想通りの彼女の常套手段だった。

 だが、姫騎士の動きは、異常だった。

 大剣をくるりと回すと、刃を両手で掴んだのだ。

 意味が分からなかった。

 アンリエットは、構わず地を蹴る。

 疾走で得た慣性を両の切先に込めて、甲冑を貫かんとする。

 アンリエットの刃なら、それが可能だった。

 二振りの魔剣ならば、それを持つ彼女の膂力ならば、魔法の鎧すら貫通せしめる。

 一瞬の出来事だった。

 それは、アンリエットが地を蹴る直前のこと。

 姫騎士の姿が、瞬間移動したかに見えた。

 緩慢な動きから一転、瞬時に足を踏み出し、迅雷の如く振り下ろされた十字鍔は、アンリエットの頭部へと吸い込まれる。

 アンリエットが左に持つ細身の長剣が、姫騎士の脇腹をなぞって火花をあげた。

 姫騎士は、斜め前方へ飛んでいたのだ。

 細身の剣は、決定打を与えられなかった。

 アンリエットは右手のパタで、頭部を守った所為で敵を追従しきれなかった。

「なぜ、守る…」

 シャルルは、苦しげな表情で呟いた。

 ハンマーと化した強烈な一打を受け、アンリエットは膝をついて土を削った。

 剣先だったなら、彼女の尋常でない膂力ならば、耐えたかも知れない。

 地を蹴る寸前ならば、彼女の異様な反応速度ならば、避けられたかも知れない。

 だが、かも知れない、は通用しない。

 姫騎士は、アンリエットが躱せないタイミングで、受け流せない重さの打撃を与えたのだ。

 十字鍔を、アンリエットの十字型の刃に引っ掛け、それを引き戻す。

 身体を延ばされたアンリエットは、次の行動に移れない。

 顔が地面に付く直前に、左手の剣を捨てて、手をついた。

 そのまま、身体を回転させて横へ逃げる。

 立ち上がると同時に、剣を持ち直した姫騎士の袈裟斬りが襲いかかる。

 受け止めたパタから、激しい光が走る。

 パタの十字刃は、大剣を受け止めきれず、自身の右肩に、その刀身を食い込ませていた。

「あっ」

 姫騎士の動きには、継ぎ目がなかった。

 体当たりで突き飛ばし、体勢を崩して伸びた胴体に、突きを放つ。

 アンリエットの下腹は、薄紅色のフラクシン発光を放った。

 攻め続けたのは姫騎士で、アンリエットは防ぎ切れなかった。

 以前、橋の上で対決した時には、あれほど時間をかけて打ち合ったのに…あまりの呆気なさに、シャルルは戸惑う。

 なぜ…。

 アンリエットの動きは、いつも通りだった。

 普段は、相手を圧倒するはずの、いつもの動きの速さだった。

 だが、彼女は反応しきれなかった。

 見て、反応する彼女の動きに対し、予測して動いた姫騎士が優ったのか…。


 ほんの一瞬の出来事だった。

 姫騎士は、大剣を左手に持ち換え、右手でトリスケルの印を切った。

 神官が決闘の終結を告げた後も、シャルルはしばらく、動けないでいた。

 いや、違う。とシャルルは思った。

 何度も同じ動きを修練し、筋肉も腱も、それを研ぎ澄ますほどに鍛え抜かれていたのだ。

 アンリエットが、剣の修行をしている姿をこれまで見たことも無い。

 役者が、違った。


 姫騎士が彼の側まで寄り、語りかけるまで、シャルルは時を止めたように黙っていた。

 籠手が、シャルルの白い羽毛の肩にかけられる。

「埋葬は、こちらでやるかしら?それとも…」

「あ…あぁ、俺が…俺が…」

 シャルルは、自分が泣いていることに気がついた。

 とぼとぼと、長年連れ添った相棒の元へ歩み寄る。


 アンリエットの姿は、元の姿に戻っていた。

「これを…わがままに付き合ってくれた報酬と思って、受け取ってくれ」

 シャルルは、長剣と、短刀を拾い上げ、姫騎士に渡した。

 彼女は短刀を受け取ると、無言のまま地面にそれを横たえ、大きく大剣を振りかぶると、叩き下ろした。

 渓谷に眩い光の筋を走らせ、守り刀はふたつに割れた。

「これは、その娘に贈るわ」

 シャルルは、長剣を手に戻された。

 これは、魔術師に金を払い、魔力を付与してもらったものだ。

 本物の魔剣は、アンリエットの身体をも構成していたパタの方だ。

 姫騎士には、それが分かっていたのだ。


 見晴らしの良い崖の上に、干からびた少女の身体を埋葬し、長剣を添えた。

 埋葬品は、もうひとつある。

 黒く変色した円形の髪飾り。

 パン作りの道具から、装飾品へと姿を変えた、彼女のお気に入り。

 シャルルはしばらく、土の中で丸くなる少女を見つめ…そっと土を被せ始めた。

 墓標と決めた丸太に、自分の短刀でこの娘の名を刻む。

 “無邪気なアンリエット“

「素敵な名前ですね」

 シャルルは声の主に振り返る。

 背の高いエルフの女性は身を屈め、アカツメグサの薄紫色の花を、墓標に添えた。

 腰には細身の剣を下げ、左手には、麻布で包んだ棒のような物を持っている。

「この少女も、魔剣の呪いの犠牲者なのですね。私と同様に…ご冥福を祈ります」

「あんた…何者なんだ?」

 シャルルが尋ねると、「ただの、森のエルフですよ」と言って、彼女は微笑んだ。

 それきり、エルフは森の中へと消えて行く。


 ふと、別の気配を感じて、シャルルの耳が動いた。

 遠目にしか見えないが、森の中で、姫騎士は黒づくめの騎士と向かい合っている。

 ギレスなんとか…と言う騎士とは、少し違って見えた。もっと、スリムに見える。

 二人は、何かを話すようでもなく、黒騎士は踵を返し、風のような速度で森の中に消えた。

「なんだ…?」

 姫騎士に目線を戻すと、彼女の姿も見失う。

 疑念は沸いたが、もうすぐ騎士団を去る自分には、関係のない事だ。


 シャルルは、墓標に向き直った。

「素敵な名か…そうだな。この世で、一番…素敵な名だ」

 アンリエット。

 それは、港町を治める彼女の両親が、ひとり娘の健康を願って贈った、愛に満ちた名前だった。


 辺境騎士団シリーズ 第一部 第一話 辺境騎士団とうさぎの従者(了)

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1.辺境騎士団とうさぎの従者【Rewrite】 小路つかさ @kojitsukasa

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