第11話 包囲戦
『本当に、儂を手放す覚悟ができたのだな』
「くどいわね。私ひとりしか守れない甲冑だけを、後生大事にしてたって、この戦には勝てない」
『お互い、忙しくなるのぉ…』
「良い主に出会えることを、願っているわ」
『儂の提示した条件は整っておる。いつでも、良い』
アマーリエが瞼を開くと、若草色の瞳が陽光を反射して煌めいた。
眼前には、ピエレト山の麓に集結した敵の軍勢。
鳴り響く太鼓の音に急き立てられ、慌てて下山して来た兵たちが、防御柵の前に敷かれた陣容に合流していく。
山の民の軍勢は、みるみる膨れ上がっていく。
アマーリエの左右には、美しく整列した辺境騎士団の軍。
「では、お別れね…あなたの所有権を破棄します」
草と苔と、岩と土くれ。
学会によって世に知らしめられた“戦記“には、創世の剣による天地創造のくだりが記されていた。
“はじめに剣ありき“
そのくだりは、誰もが創作によるものだと内心では理解していた。竜と魔術師たちとの戦乱あたりから、実際にあったかも知れない…と思える具体性を帯びてくる。それより前に記された文章は、理解に苦しむのだ。草と苔と、岩と土くれから、次々と大地が形成され、新たな生命たちが生まれる…。
しかし、この日、これから起きる現象を目の当たりにした者たちは、認識を改めることだろう。それほどまでに、“迷宮の誕生“とは衝撃的な光景なのだから。
大気に稲妻を走らせながら、土が盛り上がり、巨大な四角い石垣が形成された。それは次々と生まれ始め、ピエレト山を囲んでいく。正確には、アマーリエ本人が歩いたルートに沿って、それは具現化した。石垣は瞬く間に高さを増し、辺境騎士団の軍勢を持ち上げる。
兵士たちは互いに抱き合い、恐怖の声をあげ、馬は血走った目をひん剥いて暴れる。
魔力を宿した剣、甲冑、盾などの魔導具は、魔力を持たぬ者たちが、竜の脅威に立ち向かえるよう、太古の魔術師たちが創造したものだと言われている。いわば、創世の剣のコピー品だ。しかし、魔術師たちの狙いは、単に強い武器を手に持って戦え、というものではなかった。
真の目的は、「神格化にあった」と、戦記には記される。
現在、存在を認知されている剣の神々は、いずれかの魔導具…一概に“魔剣“と称されるものが宿す、神秘の力を解放することによって、神の列に加わったのだ。
現存する36の魔剣は、単なる武具、道具の類では無い。
大きな力と、可能性を秘めている。
故に、誰でも手に出来るようにあってはならない。
魔剣による、所有者の選抜試験…それが、“迷宮“なのであった。
力の強い魔剣ほど、巨大で難攻不落の迷宮を創り出すという。
アマーリエは、甲冑が秘めた力の大きさに、感動していた。
ピエレト山を囲む、総延長6kmに及ぶ、堅牢な長城が生み出された。
敵味方ともに、誰もが腰を抜かしている中、アマーリエはブーツの踵で地面を叩く。
壊れる訳も無い。この長城には、魔剣の魔力が込められている。魔法は、それを上回る魔法でしか、打ち破れないのだ。アマーリエは、この迷宮の様子を値踏みするかのように、確かめた。
長城…カーテンウォールの高さは6mほど…やや心許ない。
歩廊…アリュールの広さは、これも6mほど…あまり広すぎても、防衛に手こずる。
矢狭間…クレノーとメルロンの間隔と高さは、申し分なし。
「こんなことを見せびらかすとは…前代未聞だな」
ギレスブイグが、馬を寄せて語りかけた。
「あなたの魔術よりも、ずっと盛大なんで、嫉妬したでしょ」
「ふん。国家財政に匹敵するほど価値のある物を捨て置いて、よくぞ抜かしよる」
「アッシュ、私に甲冑を着せて頂戴」
彼女は、甲冑の下に着る、綿入れ姿になっていた。
「一瞬で着れる甲冑を失ったことだけは、後悔し続けるでしょうね」
「姫!」
ボードワンが珍しく、息を荒げてやって来た。
「兵士たちが、混乱から立ち直り、士気が上がっています。今こそ訓示を!」
どうやら士気が上がっているのは、兵士たちだけでは無いらしい。
「ちょっと、見て分からない?甲冑を着るまで待って頂戴。相手だって驚いてるから、すぐに攻めて来るわけないんだから…スタンリーはいる?」
古参の重鎮であるスタンリー=ハーレイは、すぐに姿を現す。
「乱れた小隊を整えて頂戴。分散配置の具合は、あなたに任せる」
「了解です。魔剣の姫君殿」
甲冑は、所有権を破棄された後、新たな所有者を選抜するため、迷宮を構築する。それは既定の展開であった。今回は、それを地下にではなく、地上に、しかも山を囲むように造ってもらう事が、アマーリエの願いであった。その抽象的なオーダーに、甲冑はNOを出す。実現には、実地見聞が不可欠、というのがその理由であった。山の麓を周回する散歩の目的は、それにあった。
だが、これでは一方的な要望だ。
試練をモットーとする魔剣にとって、前所有者の都合の良い要望だけを、別れの手向けとしてでも聞くわけにはいかない。
その代償が、姿を現し始める。
カーテンウォールの石垣が動き、無数の門が生まれた。
それも、山側の面に…。
山の民たちは、いずれこの門に殺到するだろう。
満員御礼作戦…という表現が相応しいかは不明だが、甲冑側のメリットは、これで準備が整った。数年、数十年にひと組しか訪れない秘境の果てにある迷宮ではなく、此度はたった数時間で数千の入場者が期待できるのだ。
「ジャン、素敵じゃない!」
アマーリエは、パヴァーヌ出身の騎士の甲冑に目をとめた。
彼は、山で独断専行した後、崖下で気を失っているところを発見された。
ギレスグイグの問い詰めに対し、彼は「黒い人影を見つけ、それを斥候だと思い、慌てて跡を追った」と答えた。必死に山を走ったが、影を追って崖から転落したのだそうだ。
ジャン=ロベール・マクシムは、困惑した様子で、自分の姿を確かめる。
「ガードブレースを両方に付けたのね。ランスレストも外しちゃって、意外に几帳面ね。あ!素敵!このサバトン、新品じゃない!?綺麗に噛み合って、美しいわぁ。サバトンまで追加できるなんて、最近のパヴァーヌ式はバリエーション豊かなのね!」
「は、はい。ルイーサ様…今回、私は徒士組と伺ったので、それ用にと、パーツを…」
彼の故郷は、いわば平原の国。パヴァーヌ式と言われる彼の全身甲冑は、馬上戦闘に重点を置いた仕様だった。それをパーツ交換、追加装備という形で地上戦向きに仕様を変更してきたのだ。
古参でありながら、アマーリエに意見することはなく、遠慮がちに距離を保っているが、彼は思慮深く、用心深い…用意周到な彼らしさが出ていると、アマーリエは思った。
「姫、号令を…」
甲冑の装着が終わるのを待っていたボードワンが、焦れたようにアマーリエにせがんだ。
空気を察し、兵士たちは静まる。
円形のアリュールに細長く整列する、騎士34名、総勢千二百の兵士たち。
アマーリエは従者アッシュの手を借りることもなく、馬の背に乗り兵士たちを視界に収めた。そして、一呼吸をおいてから、腹の底から大きな声を吐き出す。
「古参の強者どもよ!そして新たに加わった勇ましき同志たちよ!我は剣の神より授かりし、大いなる愛とその加護をここに証明した!問おう、この奇跡を諸君らはかつて目にしたことはあらんや?」
「否!」
スタンリーが片手を上げて相槌を入れると、兵たちも復唱した。
何もない地面から砦が生まれる、この奇跡を目の当たりにした兵たちは、熱狂的な眼差しをリーダーに向ける。
「さらに問おう!眼下の敵には、剣の祝福はあらんや?」
「否!」
右手を上げて、兵たちが答える。
「ならば其方らの主人ルイーサ・フォン・アマーリエは、ここに告げる!諸君らは、何を恐れんや!剣の神々は、我らにこそ微笑みたもうぞ!この奇跡は、我が守護神、アドルフィーナの祝福に他らなぬのだ!だが、同時に諸君らは忘れてはならない。アドルフィーナの恩恵は、勇猛果敢、不朽不滅の魂にだけ、限るのだと!しかし、その心配には及ぶまい。諸君らの中に、敵を恐れる者はおるであろうか?」
「否!」
「その答え、心に刻み、決して忘れるな!猛よ、我が子ら!剣の子らよ!我らが神々の威光を、辺境に平和を願う慈悲の祈りを、諸君らの強靭な魂でもって敵に知らしめるのだ!もって我は誓わん、勝利と栄光こそが、我ら剣の民に相応しい事を!辺境騎士団にアドルフィーナの祝福あれ!辺境騎士団に勝利あれ!」
「辺境騎士団に勝利を!」
兵士たちの張り裂けんばかりの声と、武器で盾を叩く音が、渓谷にこだまする。
「配置につけー!」
スタンリーの一声で、皆、動き出す。
砦に籠る千二百の兵と言えば、充分な兵数に聞こえるが、長城の延長は6kmにも及ぶ。騎士1名が24名ずつの兵を従え、小隊編成で配置する。敵が攻撃してくる場所に、適宜移動し、臨機応変な配置転換が迫られる。
「すっかり、立派になった…一年前の小鳥は、見事な鷹に育ったのだな」
アマーリエの馬の背を叩きながら、ボードワンが感慨深い表情で言った。
胸には、高揚感が満ちていた。しかし、アマーリエはそれが声に伝わらないように配慮する。
“心には火を、頭には泉を“が、ボードワンの口癖だったからだ。
「…さすがに、少し慣れてきたのかしら」
上から見下ろすと、彼の頭頂部が寂しくなっていることに気がついた。物心が付いた時から、側にいてくれた神官騎士は、自分の成長と同時に、少しずつ歳をとっているのだと、改めて思う。
「ボードワン、ジャン=ロベールも近衛に入れたから、彼から目を離さないで頂戴」
「承知した。奴と馬の合うオラースは、別働隊なのだな」
「オラース…」
アマーリエは騎士の顔を思い出す。背は低いが、骨太で重量級の逞しい騎士だ。粗野で乱暴な物言いが目立ち、あまり仲間受けは良くないが、ジャンとだけは馬が合うようだ。
「そうね。心得ておく」
ボードワンは、アマーリエのグリーヴを籠手で叩いた。
「そちらは任せて、戦に専念するのだ。それと、今は魔法の鎧を着ていないことを、忘れるでないぞ」
従者のアッシュにも一声かけてから、彼は自分を待つ神官たちの元へ戻る。ボードワンは、アマーリエの守護神と同じく、戦の神アドルフィーナの神殿に籍を置く司祭でもある。彼は近衛隊の専属となるが、彼の元に委ねられた他の神官たちは、怪我を負った者たちの救済に、この長い砦を駆け回ることになるだろう。
「この後に及んでも、紋章官殿は不在のままだな。手綱を緩めすぎなのではないか」
黒い甲冑に、黒い外套。馬具までも黒く焼き付けしたギレスブイグが言う。彼もまた、近衛隊に配属した。
事ある毎に、紋章官に対して難癖をつけるのは、彼が彼女の事をライヴァル視しているから、だとアマーリエは理解していた。
「犬を飼うときには、犬なりの…鷹を飼うときには、鷹なりの飼い方があるわ」
「ふん。言うようになった。まぁ、その調子なら頭は冷静なようだな。せいぜい死なんでくれよ。お前に死なれては、俺の人生設計が台無しになる」
彼が離れると、従者のアッシュがアーメットを持ってきた。
「たまには、強くおっしゃれてはいかがですか?」
アマーリエは彼の顔を、馬上から見下ろす。いつものように淡々として無表情だったが、瞳には怒りの火が見えた。
「彼は、熊のような人よ。群れるのを嫌うの。それが、今回は文句も言わず…いえ、文句は言いたい放題言いながらだけど、辺境征覇にはずっと同行している。それだけでも、きっと奇跡なのよ。きっと、彼は今、忍耐を学んでいるに違いないわ」
アーメットを受け取りながら、アマーリエは微笑んだ。
敵陣の慌てようを眺め、微笑みはすぐに消える。
学んでいるのは、自分の方だ。
一年前の自分は、軍隊を指揮した事など無かったのだ。それどころか、部下を持った事すら無かった。
いつも父の背の後ろで、守られて育てられて来たのだ。
今は、それをひしと感じる。
そして、同時に、大海の中に小舟を浮かべるような、不安と心細さも…。
攻め手であったはずの辺境騎士団は、長城の出現によって、これから防ぎ手へと立場を変える。外界から隙間なく遮断された山の民は、いずれ必ず、決死の猛攻に転じるはずだ。
このような展開は、この一年間、アマーリエの体験には無い。それどころか、他の海千山千の騎士たちにだって、初めての事だろう。
アマーリエは、防御柵の向こうで右往左往している敵の様子を伺う。
やがて、山から誰かが降りて来る。
輿に乗っているようだ。
「イネス、輿に乗っている人の様子を教えて」
アマーリエに名を呼ばれた弓兵が、額に手を当てながら、クレノーから身を乗り出す。
「青い衣を纏った、細身で、猫背の男です」
彼女の報告に、アマーリエは眉を顰めた。
「王ではなさそうね…ウジェヌ王は、誰もが大柄で逞しいと表現していたから。すると、番屋の戦闘から、生還した者かしら…」
そこまで言い、アマーリエは表情を固くした。
上半身を露わにする山の民の兵士たちに混ざって、異なる風情の男がひとり。輿がすぐ側を通り過ぎるのもお構いなしに、彼はずっとアマーリエの方を見ている。波打つ黒髪を頬まで垂らし、赤いスタッテッドレザーに、切り込みを入れた服を纏い、長剣を肩に担いで、リラックスした姿勢で、彼女を見つめている。
アマーリエは、なぜか彼の瞳と目が合っていることに気がついた。
「…マンフリード」
その男の名を呟いた。
「両腕に包帯を巻いて…長さが足りません。両腕を失っているの…はい?」
イネスは、アマーリエが何か言ったことに気が付いて、振り返った。
「どう…なされました?」
アッシュに膝を叩かれ、アマーリエは心を現実へと戻した。
「いえ、何でもないわ」
アマーリエは目を閉じると、バックルに下げたトリスケルを掴む。
声にならない声で、守護神の名を呼んだ。
瞳を開くと、湿気で揺らぎ、判然としない敵兵たちの姿があった。
「続けて…イネス」
イネスは気を取り直して、観察を続けた。
「柵を開いて、こちらに近づくつもりのようです。きっと使者でしょう」
「おい、これじゃ、俺たちまで戦いに巻き込まれちまう」
ツインテールを揺らして、イネスが振り返る。その顔は、憮然としていた。
声の主は、直立うさぎのシャルルだった。桃色の髪の少女も、背後に連れている。
「俺たちは、あっち側に降りて、成り行きを見守るぜ」
シャルルは、山と反対側を親指で示す。
アマーリエは、馬の向きを変えて言い返した。
「どうぞ、ご自由に。でも、梯子は無いから、勝手に降りて頂戴」
「それはどうも、ご親切に」
シャルルは、踵を返すと、アンリエットに「行くぞ」と促すと、彼女の方は、口を尖らせた。
構わず歩き出したシャルルの前に、黒い影が行く手を遮る。
「行くのは構わないが、老婆心で忠告してやろう。周辺の諸族たちが、稜線で包囲している。斥候からの報告だ」
「番屋を攻撃していた連中はどうした?」
「見れば判ろう。全員、ここに集結している。ま、うさぎ一匹逃さぬ包囲とは、限らんだろうよ」
「私は、ここに残りたいのです!」
アンリエットが、スカート下に履いた鉄履を鳴らして叫ぶ。
シャルルは頭を抱え、アマーリエに向き直った。
「なぜ、止めなかった。俺を殺す気か?」
「私を殺そうとしてる人たちを、なんで私が助けないといけないわけ?」
愉快そうに答える女騎士の顔を見て、シャルルの細長い髭が、ひくりと動く。
「お前…いや、なんでもない」
言葉を飲み込んで、シャルルは大きな息をひとつついた。
「いいだろう、残る。残るが、俺は戦わないからな…」
「どのようにも、お好きなように」
「あぁ、だが、短剣しかないのは心許ない。誰か、棍棒でもいいから貸してくれないか?」
ギレスブイグが、ムハハと笑う。
「誰も、お前なぞ狙いはしないだろうて」
「うるさい、お前のその、鉄の棒を寄越せ」
ギレスブイグの馬の鞍からメイスを引き抜くと、それを抱きしめる。盗まれた当人は、咎める様子もなく、むしろ愉快そうだ。シャルルは、そうだ、と話題を変えた。
「俺が山で出会った、ふたり組がいたはずだ。あのふたりはどこへ行った?まさか、砦の下敷きになってないだろうな」
それには、アマーリエが答える。
「ちょっと前に、山に戻したわ」
「山には、戻れない、居場所がないと言っていたぞ」
「役目があるのよ。ふたりにしかできない、彼らも望む、役目がね」
「なんだ、そりゃ。偵察か?」
「あなたって、好奇心というか、知識欲は人一倍あるのね…私たちの攻撃の目的が『剣の信仰を普及させるためにある』と広げてもらってるの」
シャルルは、元から短い首をさらにすぼめて言った。
「そりゃ、ひどい嘘だ」
これには、アマーリエも眉を下げて吹き出した。
「でも、嘘というわけでもないの。講和を結ぶには、それが絶対条件になるのだから」
辺境騎士団の長は、カーテンウォールの上から敵陣に目を向けた。
輿を持ち上げる六人の兵だけを伴って、青い衣の将が近づいて来ていた。
「異国からの侵略者どもよ、よくも民を苦しめてくれた!悪戯に戦火を広げ、この地上に不幸を撒き散らす悪虐非道の輩の名を述べよ!」
アマーリエの足元まで辿り着くと、青い衣の将は口火を切った。
前口上だ。
正義は我にあり、我が軍は優勢である、と兵と民たちに知らしめる舌戦であり、それは人族同士の戦における古からのしきたりでもある。
アマーリエは、馬上からそれに応えた。
「長きに渡り神を冒涜する不遜の輩よ。民から財産と食を奪い、餓鬼兵として利用せんとす、山に巣食う蛮族の王の僕よ。よく聞くが良い。我が名はクラーレンシュロス伯爵であり、シュナイダー侯爵、アマーリエ地方と、辺境西部の領主であるルイーサである!」
何かを宿したかのように、鉄のような表情、瞳には爛と炎を燃やし、アマーリエは啖呵を切った。
「民たちを圧政から解放するために、西方よりまかり越した!剣の神々の恩恵を享受し、これ以降、民たちの暮らしは安らぎ、繁栄を享受することになろう!貴殿の出迎えは誠にご苦労。だが、無用である。何故なら、我らの敵は、善良な貴殿ら兵や、ましては民たちではなく、山頂に腰を下ろし、神にあだなす暴君のみなのだから!」
辺境騎士団の兵たちが、わぁと歓声をあげる。
アマーリエは片手を挙げ、それを制して、さらに続ける。
「…して、その暴君は未だに山頂の鳥籠に隠れ、恐怖に怯えてでもおるのか?私は辺境騎士団の長である。私の前には部下を寄越すだけで、姿を現し、囀る事もできずにおいでか?」
青い衣の将は、怒りを見せることなく言い返す。
「庭先に現れた野犬を追い払うに、何ぞ王の高貴なお手を煩わせよう?我らは誇り高き山の民、自らの使命は一人ひとりの胸中にしかと宿っておる。王は我らを信頼し、その勝利を確信しておられるのだ。異教にして異郷からの侵略者どもよ、その身に破滅をもたらす者の名をしかと聞け!軍師にして青の称号を得し、デジレがお相手をいたす。次に見舞う時は、見下ろされる番と心得よ」
軍師デジレは、輿を反転させて軍に戻る。
「青の称号って、何?」
脇に控えるギレスブイグ、ジャン=ロベールらも首を捻った。
アマーリエは考えた。
気管が悪いのか、幾分声は小さかったが、その威風は壮年の貫禄に満ち、表情や語り口は、慎重さと配慮を備えた人物である事を物語っていた。
思えば、目の前で砦が生み出される瞬間を見せつけられては、迷信深い者たちはもっと慌てふためくはずだ。逃げ出す者たちが、相当数に及んでもおかしくは無いだろう。それが起きない理由は、王による信仰の基盤だけでは、どうやらなさそうだ。
これは、手強い相手かも知れない。
「奴は、話しながら、防壁の様子に目を凝らしていました」
目敏いイネスが、そう指摘する。
「特に、門の造りには目を配っていたな。当然だ。フェイクなのか、罠なのか、普通はどちらかしか思いつかないだろうよ」
いつの間にか、クレノーの陰から下を覗いていたシャルルが、見解を述べた。
「魔剣を知らぬ者、ならな」
ギレスブイグが、噛み締めるようにゆっくりと述べた。
山の民たちの陣営で、太鼓が派手に打ち鳴らされ、兵たちを鼓舞し始める。
これをもって、ピエレト山の包囲戦が、正式に開戦された。
ピエレト山から降りてくる兵士たちの流れは止まらず、ついには五千人規模にまで膨れていく。膨れた陣容は山側から裾野へと押し出される。スペースを確保するために、邪魔になった防御柵は撤去され、長城から人物像が見えるほどまでに、敵陣は近づいた。
「あの小さな山に、よくも詰め込んでおいたものよ」
スタンリーはアマーリエの元に、兵の配置完了を報告したついでに、呆れたように呟いた。
「籠城戦を捨てたようね。短期決戦を挑む気のようだわ」
「意外な展開ですな。難民のせいで兵糧を消費したのでしょうか。ともあれ、兵たちには注意を促します」
「頼むわ。私からは見えない、北東側の対応は、あなたに任せる」
アマーリエは、アリュールの上で馬を駆るスタンリーを見送った。
「皆、聞け!敵は短期決戦を挑む覚悟だ!持ち場を死守せよ!」
ふたりのやりとりを見たジャン=ロベールが、周囲の兵たちに指示する。
「弓兵はまだ気負うなよ。充分に引きつけてから射れば良い」
アマーリエは、敵の武装を見定める。
最も多い武装は、棒の先に片刃が着いた槍。刃は反り返った内側にあり、相手の手足をひっかけるようにして攻撃する。農機具からの派生で、グレイヴという名だ。
他には、長い棒と短い棒を輪金具で繋げたフレイルという打撃武器。これも、元々農機具だ。
稀に、曲刀で片刃がついたファルシオンやフリッサのような武器に、背中には短弓を背負う者たち。
盾は見かけない。文化の違いだろうか。それとも山岳での移動に、邪魔となるからだろうか。
防具は、革か金属片を貼り付けた胴鎧、人により手甲、脛当て。鎧を着ていない者も多く見受ける。
上半身は服を腰まではだけさせ、長ズボンは履かず、革のサンダル履き。
それら敵の陣容は、いよいよ整い、最終的には五列横隊に並んだ。
次に、数台の荷車が前列まで押し進められる。その荷台に目を凝らせば、幅三メートルはあろうかというバリスタが積まれていた。
太鼓が鳴らされると、バリスタを積んだ台車が、陣容から抜け出し、前進を始める。
いよいよ、だ。
デジレと名乗った青い衣の男が、バリスタの近くで指示を出している。その後に、大きな釜が運ばれて来て、バリスタの矢に布が巻かれ始めた。
「火矢だな…」
ギレスブイグが言う。
辺境騎士団の兵士たちが見守る中、山の民は作業を進める。
「弩でも届かないの?」
アマーリエの問いかけを受けたジャン=ロベールは、弓兵に尋ね返すが、首を振られた。
「撃ってみろ」と言われ、弓兵はジャン=ロベールに抗議する。
「届きません。無闇に撃てば、こちらの射程が知れてしまいます」
大釜の蓋が開けられ、その中身を手桶ですくうと、バリスタの矢先まで運んで、それをかける。ふたりがかりで、それは4回ほど繰り返される。デジレは、何かを盛んに指示していた。どうやら、こぼすな、と怒鳴っている風だった。
「矢の先が、妙な形状をしています。射抜く、というよりは、絡めとる、という作りに見えます」
イネスが報告した。
しかし、アマーリエの瞳は、西方の武具に身を包む、ひとりの男を映していた。先ほども現れた、シュナイダー侯マンフリードの亡霊だ。彼はバリスタに寄りかかって、あくびをしていた。
「あれを、破壊しないといけないわ」
アマーリエの呟きに、周囲の騎士たちが顔を見合わせる。ジャン=ロベールが反論した。
「しかし、下に降りる術がないですぞ。階段も、梯子も無いのでは、飛び降りたきり、戻って来るなと言うおつもりですか」
ジャン=ロベールの顔を一瞥し、アマーリエはギレスブイグに問いかけた。
「あなたの魔法では?」
「触媒が届かねば、効果も届かん」
にべもない答えに、今度はイネスに顔を向けた。
「あなたの立派な長弓なら、届くかも」
「いっ…」とイネスは引きつった表情で返した。
「む、無理ですよ…届いたとしても、当たるかどうか…」
「射出されるぞ」
「皆、伏せよ!」
敵兵の様子を注視していた兵たちは、声をかける必要もなく、矢狭間に身を隠していた。
天高く打ち出された巨大な火矢は、まるで炎球のように火の粉の尾を引きながら、アマーリエたちの元へ降り落ちる。
アマーリエの愛馬、アルヴィのおよそ六メートル横に、大矢が落着した。
けたたましい金属を響かせながら、火の粉が、アリュールで弾けた。
火矢は谷側のメルロンで跳ね返り、兵士たちの足首を襲いながら、飛び回った。
釣り針のような突起が八方に広がる矢は、兵士の足を切り裂き、衣服に炎をばら撒いた。
アリュールの上は火の粉が広がり、馬は暴れ、兵たちは逃げ惑う。
馬の首を覆うクリネットを叩き、アルヴィを落ち着かせながら、アマーリエは舌を巻いた。
偶然にしても、出来過ぎた距離感だ。
「あのデジレという男が、距離を測ったのね」
ただ、前口上を述べに来たわけではなかった。
兵が二人巻き込まれ、刃と火により負傷した。
「姫!いつまで馬に乗っておられる!?」
駆けつけたボードワンによって、アマーリエが馬から引きづり降ろされそうになったのを見て、慌ててアッシュが手を差し伸べる。彼の手を借りながら、渋々下馬したアマーリエは、「もぅ」と抗議する。
「次の矢は撃たせないわよ。ギレス、イネスの弓に魔法をかけて頂戴。油の入った釜を壊すのよ」
夫婦のような呼ばれ方をしたふたりは、互いに目を合わせ、同時に眉を顰めた。
「お言葉ですが、当たったところで、破壊できるとは限りませんッ」
「ふん。当たらなければ、意味はない」
「なんだとッ」
二人のやりとりを見たアマーリエは、左手を腰に当て、右手をこめかみに当てた。
ギレスブイグは追い打ちをかける。
「当てる自信がないのなら、やめておけ。貴重な触媒を無駄にしたくはない」
「やるさ!ご自慢の魔法とやらを、さぁ、かけて見ろ!」
ギレスブイグはアマーリエを一瞥すると、イネスの差し出した矢を受け取る。ベルトポーチから小瓶をひとつ取り出すと、蓋を開き、鏃を中に差し込む。引き出された鏃には、黒くドロっとした液体が付着していた。
イネスは、戻された矢を、怪訝そうに受け取る。
「呪文は、どうした?」
「この魔術は、精製時に魔力を込める。今は必要ない」
「そう…」
イネスは、拍子抜けしたようだ。クレノーの脇に片膝をつくと、首からトリスケルが描かれたペンダントを抜き取り、左手に巻きつける。そして矢をつがえ、ゆっくりと弦を絞った。
「やりたくねぇ…外したら、また大目玉だぜ」
集中している所為か、考えが口から漏れている。
アマーリエがギレスブイグの顔を見やると、彼は珍しく口角を釣り上げていた。まるで、「してやったり」という素振り。それを見て、アマーリエは思った。
性格悪っ…。
イネスの長弓は、それを知る者は一目で違いが分かるものだ。アマーリエも、それに気がついていた。だから声をかけたのだ。薄い板を何層にも重ね、接着することで強度を増した弓は、それを引くにも力を要するが、復元しようとする力は、さらに力強く、キレが良い。シュバルツェンベルグ公領で開発された、コンポジットボウだ。値段は高く、流通量は制限されており、入手は難しい。
小さな身体のどこにそんな膂力を秘めているのか、イネスはそれを目一杯に絞り、慎重に狙いを定める。
一発目で当てろとは、誰も言っていない…アマーリエは、それを口に出そうとしたが、飲み込んだ。周りの兵たちも、静かに小柄な射手の姿を見つめている。
…。
アマーリエは、ほんの微かに、頬を撫でる微風に気づく。イネスはこれを、気にしているのだろうか。彼女は岩の塊と化したように、微動だにしない。もしや、呼吸もしていないのかも知れないとさえ思えた。
風が止む。
不意にパシンッ!と弦が鳴った。
アマーリエはぴくりと震えた。
矢は美しい放物線を描く…。
山の民たちも、矢が放たれたのに気がつき、両軍ともに、空を見つめた。
矢が放たれて、4秒ほどだろうか…アマーリエは、再び頬に風を感じた。
大釜に向かっていた矢は、すっと軌道を左にずらすと、悠長にくつろぐ、マンフリードの足元に落着した。
落着と同時に、矢が青白い閃光を上げる。
外れた…。
アマーリエは目を閉じ、イネスを励ますための言葉を考えた。
わぁ、と兵たちが沸き上がる。
瞳を開くと、イネスがぐっと拳を握っていた。
炎が地面を伝って広がり、引火した大釜は激しい赤炎を吹き始めた。それどころか、炎はバリスタにも引火し、デジレの指示で大慌てで消火する射手たちの努力も虚しく、その弦を焼き切った。
こぼした油に引火したのだ。
バリスタの消火はすぐに済んだが、弦の修復には時間を要する。何より、こちらの精密射撃の射程内にあることを知らしめた効果は、大きかった。
だが、デジレの対応はまたも迅速だった。
バリスタを下げるように指示し、それが完了するのを待たずに、兵の一部を北側に移動させ始める。
その様子は、アリュールの上に分散する小隊からも丸見えだ。敵の動きを追って、辺境騎士団の兵たちも移動を開始する。南側に配置されていた小隊たちも、アマーリエのいる西壁の部隊に合流すべく、移動を始めた。
「2点に兵を集中させ、兵を登らせるつもりだろう。だが、兵のいなくなった壁も狙われるぞ」
ギレスブイグの言葉に、アマーリエは答える。
「多少は歪んでいても、円形の内側は、どこからでも見ることができる」
「動いたぞ」
正面の敵兵たちが、前進を開始した。
山の民たちは、長い距離を一気に走り寄る。装備が軽い所為もあるだろうが、大きな身体に宿したスタミナも、桁外れと見えた。
雪崩の如く迫る敵集団に、辺境騎士団の弓兵が絶え間なく矢を射かける。だが、1、2本が命中した程度では、彼らは怯まない。すぐに、壁に取り付かれた。
「弓兵、梯子を持った奴を狙え!」
ジャン=ロベールの指示で、弓兵たちが狙いを定める。イネスもまた、弓兵たちと共に敵を射る。
「ブーケをプレゼントだ!」
ギレスブイグの指示で、輪の形に編んだ麻縄に、火がつけられる。
梯子を登る者に向けて投じられたそれは、受け取った者の首元を炎で飾り立てた。
油に浸された麻縄の炎は、髪や衣服に引火し、顔の皮膚を焼く。
武器を投げ捨て、両手で火を払う者は、やがて足を滑らせ、下にいた者を巻き込んで梯子を落ちた。
伸ばされたポールアックスが、山の民たちをさらに苦しめる。
時には梯子が折られ、時には、アックスの先端が梯子を押し戻し、反対側へ倒された。
辺境騎士団側の兵も、無事ではいられない。
身を乗り出せば矢に打たれ、手斧や投げ槍を喰らわされる。
襲撃を受けたカーテンウォールでは、怒声、悲鳴、雄叫びが支配した。
守りの薄い場所に梯子をかけた者が、首尾よく登頂を果たしても、駆けつけた騎馬の体当たりを喰らって石畳に薙ぎ倒され、起き上がる暇もなく後続の歩兵に串刺しにされた。
アマーリエは馬上で、兵たちの戦いを見つめる。
南東方向の遠くでは、スタンリー=ハーレイが騎士たちを集め、起動力に特化した戦いを繰り広げている。クレノーでの防衛を歩兵に預け、自分たちはアリュールに乗り込んだ敵兵の掃討に専念するつもりのようだ。
そこよりも段違いに激しい攻撃を受ける、アマーリエの西壁防衛隊では、絶えず号令を飛ばすボードワンが、際立って活躍していた。研鑽を積み上げて会得した棍棒術と、何よりも年齢を感じさせない胆力が、群を抜いている。さらに彼は、人の心をまとめる威風も備えていた。
人は、結束することで、その力を何倍にも高める。
その点では、ギレスブイグやジャン=ロベール、その他の騎士たちは一歩引けを取る。
そして、もう一人、気になる人物がいた。
自分に決闘を挑んできた少女だ。
両手の魔剣を的確に振るいながら、速度と膂力で敵を押しまくる。怒りも恐怖も、そこには皆無だ。淡々と、効率的に敵を切り刻む。あれに出会した敵は不幸だ、とアマーリエは嘆いた。アンリエットはまるで、機械仕掛けの人形のようだった。
一刻ほど続いた攻撃が、太鼓の合図によって急に止んだ。
怪我人を運びながら、山の民たちが壁から潮のように引いていく。
「攻撃やめい!」
アマーリエは弓兵にも呼びかけ、休むように告げると、彼らは石畳の上にへたり込んだ。
西側から一人の騎士が、報告に駆けつける。
「姫、西壁の防衛隊五百の内、怪我人は百程度、動けない者は三十二名です」
アマーリエは彼の顔を見て、はっとする。
「ラステーニュの美男子が、西壁に来てくれたのね。おかげで第一派は凌いだわ。ありがとう」
彼は困り顔で、咳払いをする。
「パンノニール伯ランメルトです。以後、ランメルトとお呼びください。もうひとつ、ご報告が。敵軍は、北側の一点にも兵力を集中させ、壁の破壊を試みたようですが、防衛に成功したとのことです」
「驚いた。情報が早いのね」
「小隊から、独自に斥候を放っておりますので」
「北と言えば、心当たりがある」
ふたりは声の主に目を向ける。
山の民の死体の下から、うさぎが這い出して来た。
ランメルトは馬を降り、彼のふさふさの手を籠手で握って助け起こした。
「生きていたのね、良かった。連れの子は?」
シャルルが顔を向けた方向に、スカート姿の剣士は佇んでいた。両手に剣を持ち、直立したまま敵軍を見つめている。足元には、山の民の身体が折り重なっていた。
「特別手当が必要ね…」
「あぁ、それはぜひに頼みたいが、まずは話の続きだ。北側には、泉がある。きっと、山の奴らは、それを取り返したいんじゃないのか?」
「泉…あの時の…」
山の民たちが籠城戦を選択しなかった理由を、アマーリエはようやく理解した。できなかったのだ。さして大きくは無い独立峰に、多くの民たちが身を寄せ合っている。山を壁で囲まれては、食糧も乏しいだろうが、水場を失ったとなれば、雨を待つほかない。空は、晴れ渡っている。
ギレスグイグが、アマーリエのそばに馬を寄せる。
「水場の攻略が失敗したから、兵を引いたのかも知れぬな。ならば、俺が出向いてやろう」
ランメルトが、割って入った。
「いえ、グリゴア男爵は、ここに留まりおいてください。魔術を使えるのは、騎士団であなただけなのですから、きっと姫のお役に立ちます。ここは、私が向かいましょう。小隊を二つほど、お借りしますが?」
アマーリエは快諾すると、歩兵を従え、颯爽と立ち去る後ろ姿を見送った。
「貴族でいながら、色男で、しかも使える人物となると、いよいよ希少価値が高まるわね」
「ふん。色気で疲労も吹き飛んだか、辺境の解放者も、お年頃というわけか」
「何よ…彼は、自分の小隊を戦力としてでなく、組織として認識していたわ。立派なものよ…」
「頭のキレる奴が、常に味方でいるとは思わんことだ」
「あぁ、わかった。そうか、そうなのね…」
「なんだ?」
アマーリエは、ギレスブイグがヘソを曲げる原因が、嫉妬などではなく、「きっとお役に立ちます」と評されたことにあると直感した。それは実力主義の一匹狼が一番、癪に障る言われように思えた。
「なんでもないわ。それより、あなた、魔法を使ったの?」
「常に使っておるわ」
「…派手なのは、ないの?」
「ここの守りは、色男のケツを追った2小隊分、減ったのだ。考えねばならん。次の攻撃は、手を変えて来るぞ」
…派手なのは、無いのか…アマーリエは内心、落胆した。
ギレスブイグの言う通り、デジレは別の手段を講じてきた。
押し寄せる軍勢の中に、巨大な破城槌を抱えた12名の兵士と、それを守る6名の兵士からなる突撃部隊を混ぜて来たのだ。破城槌は即席で、太い柱を数本縛り合わせ、それを縄で吊るして持つ形状をしていた。盾も同じく、何処からか持ち出した扉を転用したものだった。長城には、およそ100mおきに扉がある。西壁には、それが3組投入され、3つ同時に襲撃された。おそらく、北側でも同じ方法が取られているだろう。
扉の盾は、たとえ即席でも十分な効果を発揮した。辺境騎士団が上から射る矢は、そのほとんどを無効化されてしまう。油を投じ、火矢を放つことで、2つを阻止することに成功する。
だが、1つが扉を打ち破った。
アマーリエは冷静だった。
破城槌が扉に叩きつけられる間も、山の民の兵は、絶え間なく矢と槍を投じてくる。アマーリエの甲冑にも矢が数本届き、その表面を削った。梯子から登り来る敵兵との激しい攻防の中、ジャン=ロベールに命じる。
「破壊された扉に、敵兵が集中するぞ!これは好機だ、ありったけの矢を撃てぃ!」
山の民たちは、開いた扉に殺到し、続々と侵入して来る。
「あそこに、敵の軍師がおります!」
アマーリエは兵のひとりから、デジレが盾に守られながら門への侵入を試みていることを知らされる。
「イネス!青い衣を射よ!」
即座に反応したヴァンサン家の末女は、盾に守られた人物を認めるやいなや、即座に矢を放つ。
まず、盾を掲げる者の太ももを射抜き、転倒させる。
第二射は、カバーに入った別の者の背中に突き刺さる。
第三射は、盾を拾い上げた者によって、防がれた。
その間にデジレは、軍勢に押されるようにして、壁の真下まで進んでしまった。
「もい、いい!イネス!」
「くっそ!」
アマーリエの制止を聞かず、イネスは二本にまとめた髪を振り乱して、クレノーから身を乗り出した。
射角を確保して、弓を引く。
その鎖帷子の襟首を、黒い籠手が掴んで彼女を引き戻した。
風を切って飛来した手槍が、クレノーを掠めて黒い騎士の胸元に命中した。
「ギレス!」
アマーリエの叫びを聞き、イネスは、はっと振り返る。
見上げるギレスブイグの胸元には、槍が突き刺さっていた。
イネスばかりか、それを見ていたアマーリエも、周りの兵たちも、蒼白となった。
ギレスブイグは槍を掴むと、それを引っこ抜く。
しかし、黒い甲冑に穴はなく、槍の穂先はタールのように溶けて潰れていた。
「ほれ見ろ。一度しか効かぬ魔法が、お前のために台無しだ。次に同じことをするなよ。その時には、俺の葬式代をお前に払わせてやる。辺境のヴァンサン家など、あっという間に破産だぞ」
口を開いたまま、イネスは反論もできずにへたり込んだ。
山の民たちは、猛攻の手を緩めない。
内部への侵入を果たした味方の姿を見て、士気が上がったのだ。
九死に一生を得た軍師デジレは、「油断するな」と兵たちを鼓舞しながら、内部の回廊を進む。
土から生まれた砦。
その扉の内部。
彼の頭の中には、どのようにしてこれが造られた、かについては、すでに結論済みだった。
答えは「わからない」だ。
考えても意味はない。それがすでに明確なのだから、問題にすべきは、だからその目的である。
造られた物には、必ず、造り手の意図、目的が反映される。
石壁の目的は、山を包囲することと、同時に防衛するため。矢狭間があるのだから、その意図は明確だ。これに疑う余地はない。
では、複数設けられた扉はどうか?
この場合、普通に考えれば、それは出撃用の門であるはずだ。騎馬を主力とする辺境騎士団ならば、やはり騎馬を放出するための門は必要だろう。
だが…デジレには、どうしても気掛かりだった。
扉が多すぎる。
しかも、容易に破壊が可能なところも、釈然としない。
北の水源確保のために派遣した攻撃隊からは、石壁はどんな工具も受け付けず、傷ひとつ与えられなかったと報告がある。その事から、魔力が込められた、堅牢な壁だと判明した。
壁自体の破壊は、不可能だ。
ではなぜ…扉は、こうも簡単に破れたのだ?
自身、乗り込んで見定めねば、気が済まなかった。
砦の内部には一切の明かり取りが無く、代わりに壁にかかったランタンが、奇妙な緑掛かった光を発し、暗闇を照らしている。これも、魔法によるものか。
「階段を発見しました!」
石造りの階段の先は、闇に包まれていた。
「壁の灯りを持ち、階段を登れ」
妙だ…相当数の兵士たちが雪崩れ込んだと言うのに、空間にゆとりがある。
階段に足をかけ、周囲を警戒しながら慎重に登る。
「敵は闇の中に潜んでおるやも知れぬ。警戒を怠るなよ!」
しばらく登ったところで、デジレは足を止めた。
先行する兵の背中は、すでに10mは先を進んでいる。下を振り返ると、見上げる兵士たちと目があった。地上は10m程度、下にある。
「止まれ!様子がおかしい!」
その時、兵の悲鳴が、闇にこだました。
闇の中に羽ばたく何かが潜み、階段の上の兵たちを、横合いから襲い始めた。
ひとり、またひとり、と翼のある者に攫われていく。
「降りろ!戻るのだ!」
下にいる兵が、悲鳴をあげて消え失せた。
「階段が、ありません!」
「どういうことだ!?」
「階段が、無くなっているのです!」
震える声で、兵が告げた。
闇の中で、次々と兵たちは襲われ、どこかへ消えてゆく。
困惑。
恐怖。
そして絶望。
デジレのちぢれたあご髭に、冷ややかな汗が伝わり…地に落ちる。
「うぬぬぅ…」
罠だった…デジレは血が出んばかりに歯を食いしばった。
雲がうっすらと赤みを帯び始めた頃、引き潮の太鼓が渓谷に鳴り響いた。
大量の死体と怪我人を残し、山の民の軍勢は足を引きずりながら後退していく。
辺境騎士団にも、それに矢を射る気力は失せていた。
騎士も兵も、誰もが無傷では済まず、疲労に喘ぎ、クレノーにもたれ、アリュールの上に寝転んだ。
神官や治療の技術を持つ者たちが、重症者を選んで治療にあたる。
クレノーの間に腰をおろし、敵陣を眺めるアマーリエの身体も、血で染まっていた。アインスクリンゲは血油を帯び、甲冑にはいくつもの傷が生まれ、白い外套は返り血を吸って黒く染まる。
額に包帯を巻いたアッシュから、水袋を受け取ると、ちびちびと喉を潤す。薄めた葡萄酒を胃に流すたびに、身体が求めていた水分を得て喜んでいる実感があった。
やがて、カーテンウォールの下に、ひとりの使者がやって来る。
アマーリエが立ち上がると、使者は大きな声で告げる。
「ウジェヌ王は、2日間の休戦を望んでおられます!」
アマーリエは手を挙げて、承諾の意思を告げた。
山の民たちは、負傷者たちを運び出し、次いで死体を回収した。
辺境騎士団はロープを垂らし、山側に降りると、まだ使える矢を拾い集める。
両者の作業は、日が暮れるまで続けられた。
その間、アマーリエは乾燥肉と砂糖漬け果実を頬張り、栄養を補給する。
「ランメルト卿からのご報告です。北側の攻防は熾烈を極め、四百六十名のうち、戦死者七十五、重症者百二名とのことです。なお、騎士ヴィシュタルト卿、騎士タリスマン卿が戦死なされました」
北側の布陣からやって来た騎士見習いが、アマーリエにそう告げた。
「ボードワン、神官を二名連れて、救護に向かって」
初老の神官騎士は力強く頷くと、松明に火を灯し、使いと共に北へと向かった。
「こちらも、騎士が四人死んだ。増えては、減っての繰り返しだな。これでは、他所の兵を得るために、家臣を削るかのようだ」
ギレスブイグの言葉に、アマーリエは語尾を強めて答える。
「覚えてないの?最初は、七十人だったのよ?」
「お前を入れて、七十三だ」
「そうね…あの頃、従ってくれた騎士と従者は、だいぶ減ってしまった…」
「古参で失ったのは、八名だ」
アマーリエは立ち上がると、アリュールを歩き出す。
「どこへいく?」
「少し、ひとりになりたい」
「灯りを持て、落ちても知らんぞ」
「落ちないわよ、月明かりもあるし」
北の方向には、辺境騎士団の者たちが灯す、篝火が見えた。ゆっくり見渡すと、円形のアリュールを偵察する者たちの松明も見えた。
一方、山の麓では、火葬が行われていた。山の民の戦死者は、辺境騎士団の比ではないはずだ。山を見上げると、家の明かりが連なり、それは頂上まで続き、大きな社にある篝火へと到達する。
「こんなに死者を出しては、講和なんてどころじゃ、ないわよね」
足が止まった。
アマーリエの瞳には、暗闇の中だというのに、ぼんやりと白い影に覆われた人影が映る。
ひとり、ふたり、さんにん…甲冑をまとった騎士たちは、ぼんやりとした表情で、彼女の方を見ている。
「ロロ…私は、これでいいの?」
アマーリエは、夜空を仰ぐ。
星が揺らめき、かすんでゆく…。
不意に、がこんっと足元が揺らぐ。
「何っ!?」
足元の石畳から、岩を擦る音が聞こえると、隙間から光が現れた。
背中のアインスクリンゲを抜き放つ。
赤い光は、ゆらめきながら、左右に激しく動く。
「出口だ!」
松明を掲げた人間は、眼前に人がいるのを知って、階段の途中で固まった。
山の民だ。
左手に松明、右手には曲刀を握っている。
「敵将だッ!」
彼はそう叫ぶと、刀を振り上げて襲いかかってきた。
アマーリエは大剣を頭上で一回転させ、慣性を乗せた一撃で相手の側頭部を狙う。
同時に、敵の振り下ろした刀が、アマーリエの頭部を襲う。
水平に回転した大剣は、十字鍔でその一撃を受け止め、代わりに相手の側頭部の頭蓋を粉砕した。
後続が階段を登り終える瞬間を狙って、突きを放つ。
倒れ込む二人目の身体を支えきれず、三人目は階段を転げ落ちた。
階段を覗き込んだアマーリエは、敵兵が三人だけだと知る。
そして、その三人目の青い衣には、見覚えがあった。
「待って頂戴…もしかして…私を、え?…まさか、ラスボスにしたの?」
両手を失ったまま、もとより重症を押して迷宮を踏破した軍師には、アマーリエの言葉を理解しようと努力するほどの余裕は失せていた。
「魔女め、降参する…もう、一歩も…動けぬ」
上に乗った仲間の身体をどけることも叶わず、デジレはアマーリエに降伏した。
翌朝、デジレは辺境騎士団に囲まれた中、目を覚ます。
毛布の上に寝かされ、身体は拘束されず、自由のままだ。
「身体中にあった傷は、少し前のものですね。随分と無理をしたものです。両腕の傷からも、出血していましたよ」
デジレは、身体中に手当が施されていることに気がついた。
「かたじけない。藍の軍師、デジレと申す。名を伺おう」
まだ初老にさしかかった程度だというのに、声はしわがれていた。
「アッシュ。アマーリエ様の従者です。二日間の休戦中です。しばらく、お休みください」
「なんと…知らなんだ」
アッシュは、アマーリエに捕虜が目覚めたことを告げに行く。
ほどなくして、休息する兵士たちを避けながら、白い出立を血で染めた女騎士がやってきた。
「改めて、クラーレンシュロス伯爵のルイーサよ。確か、軍師のデジレ殿よね」
立ちあがろうとするデジレを制し、アマーリエは隣に腰を下ろした。
「女がてらに、鎧を着慣れておられるのだな。西方では、女の騎士は珍しく無いのか」
「まぁ、珍しいわよ。でも、こっちの人たちよりも、剣を持つ女性は多いかも」
「逞しいものだ。ならば、男もより強くあらねば。よもやそれが、騎士団の強さの秘訣なのかな」
「ふふ…忍耐力は鍛えられるかもね」
「…おそろしい」
ふたりは、微笑みあった。
「あなたは、魔剣を知らないの?」
デジレの表情が曇った。
「王は、魔剣の言い伝えそのものを抹消なされた。もちろん、“戦記“すら、この国には一冊も無い。とうに、その存在を忘れておった」
「学会は、商売あがったりね」
「この不可思議な構造物は、魔剣の迷宮だったのだな。宝箱を見つけた時に、流石に思い当たったわい」
「几帳面な創造主なこと」
アマーリエは質問を続ける。
「ところで…あの、なぜ、裸なの?」
服を着ているデジレは、質問の意図を想像してから答えた。
「なるほど、戦士の戦化粧のことか」
「…化粧?」
「士族に生まれた者は、土地神の守護を受けておる。家によって、それは異なる神となる。身体に神の紋様を描くことを化粧といい、一見裸のように見えて、実のところは神の守護を纏っておるのだ」
「それで、矢を防げるの?」
「そう、信じられておる。お前様らの守護神の力も、似たようなものであろうに」
アマーリエは、反論を控えた。
「山神信仰は、もともとある、土地神のうちの一派なのかしら?」
「主神だよ。この半島が生まれた時から、それはある、とされておる」
「それは、古い神ね…知らなかったわ」
束の間、沈黙が訪れた。
「山の民は、どれほど死んだ」
デジレの質問に、今度はアマーリエが表情を曇らせる。
「それを数えるほどには、余裕がなかったわ」
「…だが、王が休戦を申し出るほどには、凄惨な状況であったのだろう」
「正直なところ、もう勝敗はついていると思う。あなたの王は、それでも戦闘を続行するかしら?」
「山の民は勇猛果敢、誇りのためなら自決も辞さぬ…」
アマーリエはデジレの言葉を待った。
「お前様の目的は何だ?西では戦乱が起きていると聞く。帰る場所を失い、新たな土地を求めておるのか?」
「帰るためよ…でも、それには軍勢を整える必要がある。軍勢を借りるには、まず先に、辺境の民たちに土地の平和を約束しないといけない。でないと、土地を離れられない」
口を挟もうとして、デジレは咳き込んだ。
「…失礼した。まず先に平和と言われては、どの口が抜かすと、叫ばざるを得なんだ。だが『まず力を』が、辺境の掟でもある。お前様が頭を下げに来ても、ウジェヌ王が兵を貸すことは、万に一つも無かっただろう。今では、貸すほどの人数もおらぬやも知れぬがの」
アマーリエは、デジレの肩に手を当てる。
「講和を結びたいの。王に取り継いでもらえないかしら?そんな気には、なれないかも知れないけれど…」
「何故だ。死んだ男どもは、皆、戦士として戦った結果だ。女たちは悲しむだろうが、誇りある死だ。そして、戦争の後には和解があらねばならん。辺境諸族同士の戦さには、それが欠けていた。恨みと憎しみと、嫌悪感しか無いばかりに、火種はいつまでも燻り続けておるのだ。戦争は、政治の延長でなければならぬというに…」
「では…」
デジレの様子が、変わる。
「しかし、それは叶わぬかも知れぬぞ…」
アマーリエは、言葉に詰まる。
「この臭い…感じぬか?」
「ぇ、何?」
辺りを見渡すと、谷側の稜線から、煙が登り始めていた。
「我ら以外の諸族が使う、香草を混ぜた狼煙の臭いぞ。野蛮な輩ほど、伝統に固執するでな。これは、宣戦布告の合図だ」
兵たちも気付き、騒ぎ始めた。
「あなたたちの援軍、なのね?」
「ふ…名目上の、だな。お前様たちをのした後は、山も襲うだろう。奴らにとって、古の盟約など、小銭の貸し借りほどの意味しか持たんて」
デジレは、鷹の瞳のような眼光をアマーリエに向けた。
「いずれにせよ…あれを退けねば、山の民たちも降伏は受け入れんだろう」
「敵襲ッ!総員、備え!」
スタンリーが号令を出しながら、アマーリエのもとに駆け参じた。
「斥候より報告があった。二万に達する大軍だぞ」
アッシュが、山を指差して叫んだ。
「山の方にも、動きがある!この狼煙が見えたんだ」
アマーリエはスタンリーの手を借りて立ち上がると、兵たちに告げた。
「ここが正念場だ!応戦の構え!」
「アマーエリ、軍を集結させるんだ!」
ミュラーが、馬を駆ってやってきた。
「あなた、東の防衛は?」
「もう、山を囲む戦術は終わりだ。方針転換しないと!北の軍勢に合流するんだよ」
「でも、それじゃ、援軍はここを登って追ってくる」
「あえて、そうさせるんだ。歩廊の上なら、兵力差を緩和できる」
アマーリエは、ミュラーの瞳を見つめ、頷いた。
「何をするにも、急いだ方がいいな。蛮族めいた連中が、森から湧き出しているぞ」
ギレスブイグの言葉通りに、すでに先行隊が森から出現し、渓谷を下って迫り来る。
アマーリエは、移動を命じた。
「効率を考えるんだ。同じ兵を長く戦わせないことだ。神官たちを控えさせて、すぐに治療できるよう準備させる。兵の交代に手間取ると、一気に雪崩れ込まれる恐れがあるから…」
「あなたに任せるわよ!配置を命じて!」
馬を走らせながら、アマーリエはミュラーに軍師役を託した。
ランメルトの部隊に合流すると、ミュラーは馬を降り、アリュールを走りながら、それぞれの小隊に対して、兵科ごとの役割と配置を指示して行った。
芋虫のように長く伸びた軍勢は、両端に歩兵部隊を層を成した形で配置、その後方に神官たちを控えさせる。芋虫の胴体にあたる中央部分は、両サイドに弓兵と槍兵を交互に並べ、中央は騎兵が通れるスペースを確保しておく。小隊長の騎士たちは、登頂に成功した敵兵を見つけ次第、馬で駆けつけることになった。
先刻までアマーリエたちがいた西壁の上に、槍と棍棒を持った戦士たちが登頂し、その数を急速に増やしていく。登った者たちの大半が、北側を目指して進み、他の者はロープを下ろして壁を降り、山の民の軍勢を襲う動きを見せた。
辺境の民たちには、もはや敵も味方も無い。
新たに現れた諸族らは、ここにいる人間全てを平らげるつもりのようだ。
休戦協定は、意味を失った。
辺境騎士団は、二方で山の民の攻撃を退け、二方で諸族の連合軍を相手に奮闘する。
対して山の民は、背後から襲い来る諸族たちを退けながら、壁を登り、カーテンウォールの上と下から、辺境騎士団を挟撃する。
「どちらにせよ、我らは潮目を失ったの…」
嘆くデジレに、アマーリエが言う。
「山の民は、なぜ防戦に徹しないの?水場のため?それでも今は、私たちを相手にしている場合じゃ無いでしょう!」
「儂のようなひねくれ者は、山では稀な存在だ。誰も全体の戦況を把握して、臨機応変に対応しようとする者がおらん。もし、おっても、命じる立場に無いのであろう」
「王がいるじゃない!」
「ふむ…王はのぉ…脚を患っておる…かつての戦乱の折、健を傷けたのだ。隠してはおるが…実のところ、立ち上がるのも辛かろうて」
「それだって、あなたのように輿を使えば」
「まぁ、そうなのだが…」
アマーリエは、じれたように首を振った。
「もぅ、いいわ。あなたは、くれぐれも死なない事!それだけをちゃんとして頂戴!」
デジレは、肩をすくめて了解した。
ミュラーの指揮する、北西側の戦線が、ついに接敵した。
西方諸国の民であるアマーリエは、彼ら部族の名を知らない。
馬上から前線を見た彼女に言えることは、背が高く、逞しい体躯の山の民たちと比べ、若干小柄ではあるが、勇猛さでは少しも引けを取らないということだ。
むしろ、鋲の付いた革鎧、金属片を重ねたスケイルメイル、円形の盾、斧や槍を駆使する彼らは、武装面において山の民たちを上回る屈強な戦士かも知れない。
三刻ほど続いた第一波の攻撃は、主にアリュールの上で行われた。
拉致が開かない、と踏んだのか、辺境諸族たちは一度距離を置き、二刻ほどの小休止の後に再度、攻勢を仕掛けてきた。第二波は、カーテンウォールの下からも殺到し、攻撃の手はさらに熾烈さを増した。
矢が飛び交い、槍が飛来する中、絶え間なく梯子を掛けて登ろうとする者たちへの対応に追われる。
汗と血と怒声、そして痛みと疲労に苦しむ時間だ。
クレノーに手を掛けて、半身を乗り出した敵兵の脇腹に一撃をかまし、その身体が落下する様を確かめると、アマーリエはギレスブイグを怒鳴りつけた。
「押されている!ギレス、何かないの!?」
ギレスブイグも槍を振り回し、登頂してきた敵兵を薙ぎ倒す。
「やれ…腹を空かせた子どものようだ…」
仕方なし、といった仕草でベルトポーチを漁り、拳ほどの壺を取り出す。
『原始の炎よ、我が真名においてここに召さん、大気を喰らいその虚な飢えを満たされよ』
ぶつぶつと呟きながら、壺をカーテンウォールの下へと放り投げた。
赤々とした炎と共に、けたたましい爆音が、渓谷に響いた。
アリュールが振動にうねり、近くにいた者たちは腰を抜かして、転倒する。
うねり狂う蛇のような火柱はカーテンウォールを越え、天高くまで登り、灼熱の風が一帯を襲った。
敵味方を問わず、皆動きを止めて、炎を凝視した。
天をついた炎の柱は、その勢いを失って崩れ落ちる…すると溶けたゼリーのように、灼熱の身体を地面へと広げる。
虫の大群のように殺到していた辺境の民たちが、炎の津波に絡めとられて慌てふためく。
地表は燃え上がり、衣服に付いた炎は、幾度払っても消えない。
たった一撃で、半円形30mほどの敵兵たちが、魔法の炎によって一掃された。
「ギレス、それ、もっと!もっと!」
アマーリエは手を振ってせがむが、ギレスブイグは被りを振った。
「手持ちは、今の1つしか無い」
「なんで、もっと用意しておかないのよ!?」
「どれほど高価な物か、お前は知らぬだろう」
百人を焼いた炎は、諸刃の刃となった。前線で敵と対峙していた兵たちに、炎が水を差す結果となってしまったのだ。自軍の中央で起きた爆発に、ミュラーの部隊はどうしても振り返らずにはいられなかった。しかし、前を向いたままの敵兵たちは、辺境騎士団の兵たちよりも、いち早く驚愕から立ち直る。
他の者たちよりも、頭二つ分は大きな身体を持った猛者が、防衛線を突破した。
盾と槍の防衛戦を越えれば、その後ろは弓兵と神官たちだ。十数人の猛者たちの突撃に抗いきれずに、簡単に蹴散らされた。その敵の左右にも兵はいる。しかし、彼らは背中を向けてカーテンウォールの下にいる敵と対峙している。それに気づく余裕はない。振り返る間も無く、次々と背中を切りつけられた。
ミュラーたち最前線の兵たちにも、転身して追撃する余裕がない。
総崩れする…。
そう直感したアマーリエは、大剣を掲げて合図を送った。
「我こそが、辺境騎士団の長、ルイーサ・フォン・アマーリエである!」
ボードワンが慌てて、彼女の前に馬を回そうとするが、アマーリエはそれを押し除けた。
怒声が飛び交う戦場で、声が届いたとは思えない。
しかし、大剣を振り、自分を見つめる人物がいる事を認め、敵の猛者は歯を剥き出して笑った。
大将首と認識した猛者たちは、兵たちを飛び越えながら、恐るべき速さで猛進する。
狂気を帯びた瞳は、アマーリエだけを捉え、歯を剥き出した口元には、残忍な笑みが浮かぶ。
苦労の末に、ようやく狩るべき狐を捕捉した、それはそんな狩人の顔だった。
だが、団長の動きを、辺境騎士団の者たちも目に止め、その意図を理解する。
猪突猛進する狩人たちは、次々と伸ばされるポールアックスを躱しきれず、ついには足を掬われ、転倒し、斧を振り下ろされた。
リーダー格であろう、ひときわ巨漢の男は、それでも兵たちの横槍を掻い潜り、アマーリエの馬に3mまで近づいたところで、イネスの矢を眉間に喰らい、絶命した。
南の前線を見ると、ミュラーと目が合った。
手を挙げて合図をすると、彼は指揮に戻る。
防衛線は、かろうじて維持されていた。
アマーリエは足元に転がる、名も知らぬ猛者の顔を見下ろす。
長い赤毛を後ろでまとめ、磨き込まれた銀色のスケイルメイルを纏った彼は、ひと角の勇者であったかも知れない。狼を思わせる水色の瞳が、瞳孔を広げて、アマーリエを見上げていた。
『俺を憐れむのはやめろ。どうせ、お前も数日のうちに俺と同じになるのだから』
まるで、そう語りかけているかのような、錯覚をおぼえた。
山の民との戦闘で、矢の大半を使い果たしている。死傷者も少なくはない。大勝していたとはいえ、元より人数が少ないのだから、損害は無視できない。そこへ来て、辺境諸族連合の二万を相手にせねばならない。しかし、頼みの綱であった、カーテンウォールの扉は、外側には存在していない。
最も避けねばならなかった、純粋な消耗戦だ。
それは、山の影が渓谷を覆うまで続けれらた。
日暮までは、しばしの時間がある。
渓谷に影が落ちたのを合図に、敵は攻勢の手を止めた。百名ほどの兵だけを見張りに残して、カーテンウォールから降りていく。いつの間にか、壁の内側には岩が積み上げられ、登攀が容易にされていた。外へ降りる様子がスムーズな様子から見て、おそらく外側にも同じような足場が築かれたのだろう。
壁の内側にも、数百人の兵たちが降り、山の民たちがそれを出迎えた。
「降伏したのだな」
デジレが力無く、呟いた。
「夜を待って、山へ逃げ込むことも考えておったが…それも、もう叶うまい」
ギレスブイグが馬から降り、甲冑を鳴らしながら、石畳に腰を下ろした。
アマーリエは、兵たちを見渡す。
立っていられる者は、ごくわずかしかいなかった。
山の民たちは、辺境諸族の連合軍に降伏したのだ。明日は、いよいよ闘志盛んな辺境諸族たちに、四方を囲まれての総力戦を挑まれることになる。
この一年というもの、馬上の指揮には慣れていたアマーリエも、さすがに足腰が痛み、馬から降りるのもやっとだ。そんな彼女をアッシュが駆けつけて、手を差し伸べる。
「無事だったのね」
「お身体をお休めください。水とパンも、少しで良いので…」
アマーリエは他の兵士たちに混ざって腰を下ろすと、それを手で制して目を瞑った。
そのまま、彼女は夢に落ちる。
まるで、石の床が綿に変わって、自分の身体を飲み込んでいくかのような、夢の導入はそんな感じだった。
炎に包まれた戦禍、私はいつ間にか石畳に尻餅をついている。
「立て!戦え!立ち上がるんだ!」
大きな腹を持つ、伯父のハロルドが、敵の兵士と剣戟を交えながら、私を叱咤していた。
何をしているのだろう…みんな、戦っているのに…私は、休んでなんていられないというのに!
ハロルドの街が燃えている…故郷の土地が、奪われる。
敵を迎え撃たねば!
両手を地面につけて、腰を上げようとするが、動かない。
私の腰が、地面に貼り付いたかのように、いくら力を込めても立ち上がれない。
「ダメよ、ハロルド。立ち上がれないの!」
ハロルドは、敵と鍔迫り合いをしながら、私の方へ目を向ける。
「何をしている!?立ち上がれっ!立つのだ!」
「…でもっ」
私は、自由にならない身体に苛立ち、涙を浮かべた。
「アマーリエ様!起きてください!」
アッシュに身体を振られて、アマーリエは覚醒した。
頬に、涙が伝う。
「何、この音、何事なの?」
あたりは、宵闇に包まれていた。
激しい振動、そして轟々という唸る音、さらにメキメキと木々が粉砕される音。
地震…いや、それに優る、天変地異が起きていた。
目を覚ました者たちは、四つん這いになり、恐怖に身を震わせる。
音は大音響となり、泥の混ざった水飛沫と、砕けた枝葉と、土の臭いがカーテンウォールを襲った。
人々の悲鳴は、聞こえない。
圧倒的な質量の前に、人間の影響力など皆無だった。
山腹の木々を力任せに引き千切りながら、土石流は無慈悲な暴力と化して、渓谷を襲った。
アマーリエは、その膨大な力のあまりの恐ろしさに、我が身を抱きしめた。
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