色違いの紫陽花の下には

蟹場たらば

紫陽花の庭の満開の下

「色違いの紫陽花あじさいの下には死体が埋まっている!」


 道すがらに、紫陽花が咲いているのを見つけた時のことである。


 クラスメイトの椎奈しいなはそんな言葉を叫んだのだった。


「これは信じていいことなんだよ」


 彼女はまたそうも続けた。どうやら雨音のせいで私が聞き間違いをしたというわけではないようだ。


 せっかく庭に花を植えたのに、死体が埋まっているだなんて言われたら、家の人が気を悪くするだろう。下校中の同じ高校の生徒たちからも、「他人ひとの家の庭に難癖をつけている」と変な目で見られてしまうかもしれない。


 そうでなくても、突拍子のない発言に私が驚かされていた。落とさないように傘の柄を強く握り締める。


「突然なに?」


瀧音たきねは刑事ドラマとか推理小説で見たことない? 〝以前と紫陽花の色が違う。この下に死体を埋めたに違いない〟みたいなシーン」


 刑事か探偵の真似らしい。椎奈は低い声を作って答えた。


 紫陽花といえば、名前通り紫色のものが真っ先に思い浮かぶ。この庭の紫陽花もそうだった。けれど、青や赤のものにも見覚えがあった。


「血を吸って赤くなったってこと?」


「確かに、白い花を色水で着色することはできるけど」


 私が連想していたのも、「割いた茎をそれぞれ別の色水につけて、白いバラやカーネーションを虹色にする」というネットの動画だった。食紅で花びらが赤く染まるなら、死体の血でも同じことが起こるのではないかと考えたのだ。


 しかし、椎奈が言っているのは、あくまでも紫陽花ならではの話のようだった。


「紫陽花にはアントシアニンが含まれていてね。土壌がアルカリ性の時は赤く、酸性の時は青くなる性質があるんだよ」


「へー、そうなんだ」


 まったく知らなかった。アントシアニンといえば、ブルーベリーのイメージしかない。


「ちょっと待って。YouTubeで紫キャベツを使った実験を見たことあるよ。確かアントシアニンは酸性なら赤くなるんじゃなかった?」


「土が酸性だとアルミニウムが水に溶けて、紫陽花に吸収されやすくなるんだって。それでアルミニウムイオンにアントシアニンが反応して、花が青くなるみたい」


 一方、アントシアニンだけの状態だと赤く見えるらしい。だから、吸収したアルミニウムの量が増えるにつれて、紫陽花の花は赤から紫、そして青へと変化していくのだそうである。


「でも、それと死体に何の関係があるの?」


「人間の体は本来は弱アルカリ性なんだけど、腐敗するにつれて徐々に酸性に傾いていくから。前は赤かった紫陽花が青くなったのは、犯人が死体を埋めたのが原因ってこと」


 説明を聞くかぎりでは、椎奈の話は筋が通っているように思える。私と違って成績がいいから余計に説得力を感じる。ただ椎奈は最初に、刑事ドラマや推理小説でありがちなネタだとも言っていた。


「そんなこと本当にありえるの?」


「さすがに実証されたわけじゃないけど、理論上は正しいみたいだよ」


「そうなんだ……」


 椎奈の話をいまいち信じる気になれなかったのは、単に情報源がフィクションだからというだけではなかった。


 青い紫陽花なら、よく見かけるような気がしたからである。


「ただ日本は雨が多くて土が酸性になりやすいから、青い紫陽花の方が普通なんだけどね」


 私の不安を見透かしたように、椎奈はそう説明を付け加えてきた。


 雨で土の中のカルシウムやマグネシウムが流出しやすいこと。また、雨に溶けた二酸化炭素が土に吸収される機会が多いこと。主にこの二つの要因によって、日本の土壌は酸性化しがちなのだという。加えて日本は火山も多いことから土中のアルミニウムが豊富で、ますます紫陽花が青くなりやすいのだそうだ。


 逆に、雨や火山の少ないヨーロッパ・北アメリカでは、紫陽花は赤くなりやすい傾向にあるらしい。「赤い紫陽花が青に変わったことから死体の存在を見抜く」というネタも、詳細は異なるが元祖はアメリカの推理小説とのことだった。


「それに死体があっても、花が青くなるとは限らないんだって。園芸用の紫陽花には、鑑賞のために色が変わりにくいように品種改良されてるものもあるから。白や緑の紫陽花にはそもそもアントシアニンが含まれてないから、色がまったく変わらないみたいだしね」


「なるほどねー」


 他にも、土壌ではなく季節の変化の影響を受けて色が変わるものもあるという。一口に紫陽花といっても、品種によって色の出方はさまざまなようだ。


 そうして家の前で話し込む間にも、あたりは暗さを増していた。


 季節が夏に近づいたことで、日の沈む時刻は確かに遅くなっていた。だが、厚く黒い雲のせいで、太陽光は遮られてしまっていたのだ。


 椎奈が再び、「雨夜! そのなかではわれわれは何を見ることもできない」とか訳の分からないことを言い出したので、今度はそのことについて話しながら最寄り駅へと向かう。「死体が埋まっている!」云々と同じで、梶井基次郎の作品のもじりらしい。


 けれど、駅に着く前に、私たちは足を止めていた。


 また庭で紫陽花を育てている家を見つけたからである。


「ここの紫陽花は赤いんだね。日本だと赤は珍しいんだよね?」


「そうだね。コンクリートは強アルカリ性だから、そばにブロックなんかが置かれていると赤くなることがあるらしいけど」


「ああ、それで」


 庭を囲うフェンスはアルミ製か何かだろう。ただ土台にはコンクリートブロックが使われていたのである。


「あとは水の量も関係あるみたいだね。水の量が少ないと、アルミニウムが溶けにくくなるから――」


 そこまで解説したところで、椎奈は急に黙り込んでしまう。


 今年は梅雨入りが遅れていたから、六月としては降水量が少なかった。だから、水が足りないせいで紫陽花が赤くなったという説も成り立ちそうな気がするけれど……


「もしかしたら、この紫陽花の下には本当に死体が埋まってるのかもしれないよ」


「なんで? 死体があると青くなるんでしょ?」


 紫陽花の花は土が酸性だと赤から青に変化する。人間の死体は腐敗する時に酸性になる。つい先程、椎奈自身がそう説明したばかりだろう。


 しかし、彼女は顔を蒼白にしながら反論してきた。


「瀧音の言う通り、血を吸って赤くなったってことだよ。この家の紫陽花は、昨日までは白かったはずだから」






(了)

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