終章 天界の門番

「おい、おまえ、なかなかがんばっているようじゃないか」

「はあ」

 男はボサボサの髪をかき上げながら、ロングコートの前を閉じ、サンダルを脱いだ。雲の上に正座する。

「どうだ? そろそろテストを受けてみるか?」

 門番が言う。

 門番は、ずんぐり太った男で、全身を西洋の鎧で覆っている。滑稽だった。この男の門番のイメージが西洋鎧なのだろう。

 門番といっても、天界の入口に門があるわけではない。囲いもない。ただ、真横に強い風が流れているだけだ。風は無色透明だが、その先は見えない。透明な水の流れも、それが速すぎると、水の底が見えないものだ。それと似ている。

 門番は、その強い風の上に乗っている。だが、流されることも、煽られることもない。ドッシリ鎮座している。成仏できているからだ。

 そして、男のような成仏できない者は、その風に遮られ、天界へ行くことができない。

「テストですか……」

「そうだ。テストだ。テストに合格すると、成仏できて、おまえの場合、妻や子供に会えるぞ」

「……」

 魅力的だった。

 いや、というか、早く成仏したくて、妻子に会いたくて、この仕事を続けてきたのだ。

 永遠に成仏できない自殺者を目の当たりにするたび、ああはなりたくない、早く成仏して妻子に会いたいと願ったものだ。

「テストのことは知っているのか?」

「いえ、テストがあるというのは知っていましたが、その内容までは……」

「そうか、知らないか。では、教えてやろう」

「……」

「簡単な話だ。おまえの代わりを連れてくればいい」

「……」

「自殺しようかどうか迷っている人間を唆して、自殺に追いやればいいんだ」

「……いや、でもそれは……」

「この天界の掟に反すると言いたいんだろう? わかっておる。そんなことはワシが一番よくわかっておる」

「……」

「天界の掟に矛盾するかもしれないが、自殺者も必要なんだよ」

「でも、別に俺が自殺者を作らなくても、俺たちの仕事が追っつかないくらい、年々自殺者は増えているわけですから、彼らに俺の代わりを……」

「ダメだ、ダメだ。そんなのおもしろくないだろう!」

「……」

「おまえがおまえ自身の欲望のために、自殺者を作り、おまえの後釜にしてはじめて、おまえは自由の身となるんだ」

「……」

「どうだ? 妻や子に会えるぞ」

「……」

「簡単な話だ。何も人を殺して来いと言っているわけじゃない。死のうかどうしようか迷っているグレーゾーンの人間を、死の方にそっと押してやればいいだけの話だ」

「……」

「どうした?」

「……悪魔にはなれない……」

「はあ?」

 門番は一瞬唖然とした顔をした後、腹を抱えて笑い出した。涙を拭いながら言う。

「おまえは馬鹿か! もしかしておまえ、自分のことを天使だなんて思っていたんじゃないだろうな?」

「……」

「自殺志願者を、自殺から救った天使だと」

「……」

「元々悪魔なんだよ、おまえは」

「……」

「自殺から救っても、結局、死へ向かわせるケースが何度もあっただろう?」

「……」

「善人ぶるんじゃないぞ!」

「……」

「さあ、行ってこい。妻子に会いたいんだろう?」

「……できません」

「……ほう、できない?」

「はい。俺にはできません。自殺しようかどうか迷っている人がいたら……俺は自殺しないように説得します」

「……だから善人ぶるな!」

「そうじゃない!」

 男の強い口調に門番が怯む。

「俺は……自分の経験から……自殺はダメだということを説いていきたい、それだけなんだ」

「……ふん、悪魔のくせに……」

「悪魔でも何でもいい。とにかく俺はできない。テストは受けない」

「わかった。じゃあ、ずっと成仏できないぞ。永遠に妻子に会えないぞ」

「……」

 男の脳裏に、二人の笑顔が浮かんだ。二人は許してくれるだろうか。

「それに、俺に刃向かったから、おまえを『取り締まり』の仕事から外す」

「!」

「わかるな?」

「……」

「自殺者にもランクがあって、おまえは色々な部分で情状酌量の余地があったから、ランクAに入ることができ、『取り締まり』の仕事に就くことができた。でも、今からは違う。おまえはランクCだ」

「……」

「おまえが自殺した状況で、永遠に苦しむがいい。確かおまえは、首を吊った上、焼け死んだんだったな」

「……」

「その時の苦しみを永遠に味わえ! もちろん、ランクが上がることも、成仏できることもない。永遠にな」

「……」

 再び、妻と子の顔が脳裏を駆けた。

「ごめんな……」

 呟く。

 二人は許してくれるはずだ。

 それどころか、悪魔のような所業に手を染めることを拒否した男を、褒め称えてくれるだろう。

 門番が歯を剥き出して笑う。

 次の瞬間、男の体は雲を割り、物凄い勢いで堕ち始めた。

 奈落の底に向かって……。


                                   (了)

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天界の門番 登美丘 丈 @tommyjoe

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