嘘こそまことにかなしけれ

秋犬

嘘こそまことにかなしけれ

「なあ父ちゃん、俺の母ちゃんはどこにいるんだ?」


 正吉しょうきちは数えで七つになったばかりだった。物心ついた頃から旅芝居の一座「明鳥座あけどりざ」で育った正吉は、常に父と呼べと言われている銀助ぎんすけに尋ねる。


「母ちゃんなら、おふじちゃんだろう?」


 稽古の合間に酒を飲んでいた銀助は、即座に一座の女優のおふじを指さす。幼い正吉にとっておふじは母のような存在であったが、一般的に「お母ちゃん」と呼ばれる間柄でないことを正吉は知っていた。


「違うよう、おふじちゃんは父ちゃんと夫婦めおとじゃねえだろう? じゃあ、父ちゃんは誰と夫婦だったんだい?」


 あちこち旅歩きの日々であったが、正吉は普通の家族の形として父と母、そして子がいるということを学んでいた。そしてうっすらと自分の境遇に疑問を持ち、ついに父に母の在処について尋ねてみようと思った。


 しばらく銀助は考え込んだ。その時点で、正吉は自分の出生に何か秘密があるのだろうと薄暗い気分になった。そしてとうとう、銀助の口から思いもしない言葉が飛び出した。


「おめえはな、橋の下から拾ってきたんだよ」


 銀助は正吉を見ていなかった。自分が捨て子であることを聞かされた正吉は更に薄暗い気分になった。


「じゃあ、なんで俺なんか拾ったんだ?」


 少し間があって、銀助は語り出した。


「あの日、俺はひとりで酒でも飲もうと河原に来たんだよ。そしたらおめえがあんまりにもぎゃーぎゃー泣いててうるさかったからよ、川に放り込んでやろうと思ったら運悪く役人が来てよお、お父さん子供なんか捨てちゃダメだよなんて言うもんだから、へえすいませんってそのまま持って帰ってくるしかなかったんだ、そんだけだ」


 薄情な物言いに、正吉は目の前の男が憎らしくなった。


「じゃあ、父ちゃんは本当の父ちゃんじゃないんだな?」

「当たりめえよ。てめえで拾ったんだからてめえで面倒みやがれって言うから、しょうがなく育ててやってるんだ。父ちゃんなんてガラじゃねえだろ?」


 正吉は普段の銀助を思い起こす。役者としては優れていたが、どちらかと言えば酒と女にだらしなく、何故こんな男が父親なのだろうと疑問を抱いていた正吉は全てを理解した。


「そんなら、俺は本当の親を探すまでだ。こんなところ出て行ってやる」


 旅役者としての人生を正吉は望んでいなかった。ひとところに止まれないせいで友達もできず、七つになったので役者として稽古をしなければならないことも正吉は面白くなかった。


「おお、勝手に出て行きたきゃ出て行け。おれはおめえに未練はないぞお」


 銀助は無責任に正吉を煽る。正吉は恨めしそうに銀助を睨み付けた。


「ま、てめえで食っていけるようになるまで辛抱するこった」


 銀助はへらへらと正吉の肩を叩く。正吉は幼くて無力な自分を呪い、いつか本当にこんなところから出て行ってやると決意を固くした。


***


 月日は流れて、正吉は役者として立派に成長していた。間もなく元服を迎える正吉は、いつ明鳥座から出て行こうかと考えていた。


 出生の秘密を告げられたあの日から、便宜上父と読んできた銀助には一定の距離を正吉は保っていた。血のつながりがないことを告げられて、それでも父と慕う気は正吉にはなかった。ただ役者の師匠としては、銀助を尊敬していた。


「正チャン、あんたも立派になったねえ」


 稽古の後、女優として貫禄の出たおふじが正吉に話しかけてきた。


「おふじさんのおかげですよ」

「あらあ、褒めてもお茶くらいしか出ないわよお」


 おふじはニコニコと正吉に沸かした茶を渡す。


「捨て子の俺を拾って育ててくれただけで御の字ですよ」


 言い捨てる正吉の言葉を聞いて、おふじは呆気にとられた顔をしてから大声で笑い出した。


「やあねえ正チャン、誰が捨て子だって?」


 きゃははと笑うおふじに、今度は正吉が呆気にとられる。


「え、だって、俺は橋の下から拾ってきたって」

「そんなの誰が言ったんだい?」

「銀助……父さん、だよ」


 するとおふじは更に笑った後、急いで口を閉じた。そして今は銀助がまだ稽古をしていることを確認して、正吉に耳打ちする。


「もうあんたも悪くない歳だ、この際だから言っちまうよ。あんたのお父ちゃんは、正真正銘の明鳥座の銀助で間違いないんだ」


 その言葉に正吉は目を見開く。


「じゃあ、なんであんな嘘をついたんだ?」

「それはね……」


 それから、おふじは声を潜めて正吉の出生について語り始めた。


 その昔、銀助が明鳥座に来る前の一座での出来事だった。若い日の銀助は巡業先でとある女から熱烈に想いを伝えられ、すぐに恋仲になった。女と所帯を持つために銀助は役者を辞め、定住先を見つけて幸せに暮らし始めた。


 すぐに子供が生まれた矢先に、とある商家の使いと名乗る男たちがやってきた。女は親に決められた結婚が嫌で逃げ出した商家の娘で、銀助と一緒になったのも旅役者なら親元から逃げやすかったからというだけの理由であった。


 そして女は家へ連れ戻された。それから程なく、女が死んだという話が銀助の耳に届いた。残された赤子を抱えて銀助は途方に暮れた。そして再度赤子を育てていくために役者に戻る決意をして、当時近くで巡業していた明鳥座へやってきたというのだ。


「あたしはその時の役者仲間からの噂話で聞いたんだけどね。赤ん坊のあんたを抱えた銀チャンが座長に土下座してたのは忘れられないねえ」


 おふじは少し冷めた茶を口にする。


「座長は『赤ん坊なんか芸の邪魔だから寺にでも放り込んでこい』って言ったんだけど『生まれちまったモンは俺が育てねえで誰がこの子を一人前にするんだ!』って啖呵切ってねえ。あたしもみんなも可哀想になっちまって『みんなで育ててやろう』ってことになって、そんとき座長はかなり渋ってたんだよ」


 正吉は座長の顔を思い浮かべる。厳しく稽古をつけてもらっていたが、辛く当たられたことはなかった。


「あんたが思いの外利口で、みぃんなあんたが好きになっちまったのさ。銀チャンは真面目に父親やってたんだけどねえ、たまに死んだ女房のことをよく思い出して辛くなってたみたいだね」


 おふじの語る昔話に、正吉は疑問を持った。


「でも、だったら何故変な嘘を?」

「照れくさかったんだよ。銀チャン、あんたのいないところで『俺ぁ父親失格だ』ってよく言ってたからねえ。その橋の下でとかいう話、銀チャンは素面だったかい?」


 俯いてしまった正吉から、敢えておふじは目をそらした。


「でも、まさか銀チャンも酔った勢いでついたデタラメを馬鹿正直に息子が根に持ってるなんて思ってないだろうよ。死んだ女房だけでなく息子までろくな目に合わせないで、本当にどうしようもない奴だねえ」


 おふじは笑った後「誰が何と言おうと、あんたはあたしたちみんなの子だよ」と正吉の頬に触れた。それから、おふじはそっとその場を離れた。正吉はおふじの話を思い出しながら、稽古場から聞こえてくる銀助の声を聞いていた。


***


 結局、正吉は明鳥座から出て行くことはなかった。自分たち親子を拾ってくれた明鳥座に恩返しをするまで、正吉はここで芝居を続けようと思った。


「よ! 流石の明鳥座の正吉だ!」


 最近は舞台に立つと掛け声をもらうことがある。そんなとき正吉はそっと袖にいる銀助の顔を見る。銀助は何食わぬ顔をしているが、ずっと正吉を見ている。全く素直じゃないんだからと正吉は思いながら、未だに父に感謝の言葉が告げられない自分とそっくりだと心の底が温かくなるようであった。


〈了〉

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