第5話 梅雨もそろそろ終わる

 昼休みの時間くらいになって、清水さんとのおしゃべりの会ももう1週間経ったのかと思った。

 1週間という数字が何かを意味するところはないけれど、人は節目に何かと意識する生き物じゃないですか。午後はそうやってこの1週間をぼーっと振り返っていた。


 ところで夏の授業中の教室ってなんでこんなに居心地悪いんやろ。

 冷房は効きすぎな気がするし湿気は多いし酸素は薄い。でも窓を開けたら暑いし。

 曇り空にカーテンの後押しもあって、教室は電灯の明るさでもっている。眠さ怠さとも相まって板書でたまに手を動かすくらいの気力がやっとだ。


 清水さんは、関わった時間こそ多くないものの少しずつ腹の中を出し合った仲だと思う。

 でも友達という気はあんまりしない。値踏みというか探られているというか、観察? どれも近いけどちょっと違う、僕自身に興味があるようには感じないんだよな。

 こういう人でしょ? みたいな答え合わせをしにくる時がたまにあるんだ。直接的じゃないけど。

 思い返すと清水さんってちょっと失礼だよなって思う部分もあったかも。

 あまり僕が使わない言葉を使う人。言葉を追っかけても清水さんの根っこに辿り着ける気がしなくて、だから距離感がよくわからないような。


 その中で、「特別」。清水さんはこれをよく使っている気がする。

 そういや佐々木と話したりもしたなー! 佐々木は僕の前の席でこっくりこっくり船を漕いでいる。今の時間の先生は注意しないタイプの人だからな。良かったな佐々木。


 「特別になりたい」発言は何の脈絡もなく発せられたわけじゃない。

 透明人間の性質を僕から聞いた清水さんがポロッと口から出したものだ。透明人間を面白半分に羨ましがる人間はよくいるから、清水さんもそういうクチかと思った。

 僕が気になったのは多分、透明人間であることを“特別”と称された部分なんじゃないだろうか。

 佐々木と話したぐらいの時はわからなかったけど、時間が経つとなんとなくわかるものがある。

 実際のところ清水さんがどういうつもりでああ言ったのかはわからない。でも僕は他人に透明人間を良いものと思われるのはあんまり好きじゃないのかもしれない。


 ーーいや、生き辛そうやな。


 心の中の生き辛そうセンサーが警鐘を鳴らしている。

 せっかくなら、せっかくなったんやったらええもんやったでー! って言いたいよな。

 現在(いま)感じてる不便さとかも全部乗り越えて自分らしく、より自分らしく生きたいよな。

 どうせなってしまったものならなあ!


「あ、」


 気付けば板書を写す手が止まっていて、僕のノートは随分と遅れていた。あぶない。

 内っ側に集中していた意識が急に浮上した分、コツ、コツと設置された時計の音がやけに大きく聞こえる。


 まあ人というのは勝手だと知っているし、別にそれで良いと思っている。

 みんなが僕に対して勝手に色々抱くように、僕もまた勝手な人間であろうと決めたから。

 他人に合わせる義理なんてないんだから。




 ◾️




「こうやって話すのはこれでいったん最後にしようと思ってる」

 そう切り出したのは清水さん。

「期末も近いし」

「せやね」

「うん」

 3回目のおしゃべりの会。僕らはもうアイコンタクトを取らずとも放課後、定位置に着く。

 さすがに3回目ともなればこいつらいつも何してるんだろうみたいな顔があったりなかったり。

 人が少なくなった教室はすっきりして居心地が良い。授業が終わった開放感もある。家に帰ったらアイス食べたい。

「今日はさ、ちょっと相談があって」

「相談?」

 清水さんが怪訝そうな顔をする。

 僕のターンだ。

「透明人間の良いところ探し」

「……へえ」

「めんどくさそうな相槌打たんでよ!」

「いやそうじゃないけど……」

 なんでわたし? みたいな。

 そりゃそう思うよな。だからここをなんて返すかは大事だと思うんだ。


「小説の、参考にもなるんじゃないかなって」

「……わたしの?」

「うん。このまえ話聞いた時、なんか、強い故に孤独で大変、みたいな感じやったやん。デメリットの話はようさん聞いたけど」

「そうね。話した」

「メリットはあんまやったやん。せやから、どうかな、的な?」


 的な? って何やねん。

 ほれ見い清水さんが何言うてるかわからんみたいな顔してるやん。全然伝わってる気しないんですけど。


「いや、うん。普通に困ってんねん。進路的にも」

「……わかった」


 空回ったかなあと思わずにはいられないけれど、清水さんの首肯は得られた。

 透明人間の僕の進路。誰かと考えたことがないわけじゃない。雑談の話のタネになるし、真剣に家族と方針を並べてみたこともある。

 この際僕の進路云々は別にどうだって良い。


「今までに思いついたものやと、いちばん最初がスパイ」

「物騒」

「いや真剣に。全然笑って欲しいけどアホになったわけやないからね」

「普通の人より見つかりにくそうだもんね。他には?」

「あとなんやっけ、アイデンティティとしては激レア」

「そうだね」

「サーカスとかマジシャンとか向いてるんじゃねって言われたことある」

「……でも逆に面白くないんじゃないかな。最初から透明人間ってもし知られてたら」

「たしかに」


 そうして、話し始めてみると最初の不安が和らぐくらいには盛り上がった。


 ーー“透明人間のひと”って覚えてもらえやすそう。

 ーー特殊部隊とかなれそう。

 ーーボディペイントとか映えそう。

 ーーその路線で行くなら服とか。モデルは?


 中には既に思いついたことあるなってものもあったけれど、僕はそれを言わなかった。清水さんは存外真剣に考えてくれていて、なんだか水を差すような行為に思えた。

 透明人間を題材にした映画やら漫画やらからアイデアを引っ張ってきたり。

 自分が透明人間ということを忘れて他人事みたいなコメントをしたり。


「……志村くんが最初に言おうとしてたこと、なんかちょっとわかった」

「え?」

「メリットとかデメリットとかの話」

「ああ」

 清水さんは俯きがちに言った。

「わたしが書こうとしてる話の主人公も、こうやって考えたりするのかなって」

 あんまり考えたことなかったな、とも。その様子に僕は心の隅で安心とも言える何かを覚えたことに気付いた。

 見抜いていたわけじゃないけれどもしかしたらという思いはあった。


 僕が清水さんのことをまだまだ全然知らないように。

 清水さんも僕のことを、普通とはちょっと変わった体質の人間を全然知らないんだ。多分。

「……どうやろね」

 でもそれをすっと言葉にしてくれた清水さんはきっと悪くない人なんだろうと思った。


「もっと人を助けられるような能力とかやったら良かったかもなあ」

 僕の言葉に清水さんは何も返さず、こちらを見ない。

 沈黙が続いて何分経ったかもわからなくなってきた頃にいきなり清水さんは立ち上がって帰り支度を始めた。

「帰る」

「え、ちょっ」

 いきなりなもんだからつられて僕も慌ててカバンを掴んで教室を出ようとしたが、スタスタと扉まで歩く姿があまりにも近寄り難くて呆気にとられているうちに置いて行かれてしまった。

「えー……」

 ……踏み込んでしもたやろか。


 結局少し遅れて僕も教室を出た。もう教室を閉めても良さそうだったから施錠して職員室に向かう。

 廊下に出ると重たい雲の隙間から光が溢れているのが窓から見えた。電灯に目を慣らした後だとやや眩く感じる。


 清水さんとのおしゃべりの会は今日が最後という話。今のところ次はないし気分的にも話しかけ難い。

 できれば直接「特別って何やと思う」と聞きたいところだったけれど、それもなんだかなあ。

 答えを求めるだけなら、答え合わせをするだけなら清水さんが僕にした関わり方と同じなんだ。

 悪いわけじゃない。ただなんとなく違う方法を選びたいだけ。


 特別という言葉の裏にある不定形なイメージの落とし所がもう少しで掴めそうだから。

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透明人間 融 そうたろう @Sou_chan_desu

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