ララの国

下東 良雄

ララ・ライフ

 二十一世紀に入り、すでに数十年。

 ひとは未だ争っていた。


 大きな石造りの橋の両岸に、武装した軍と大勢の民衆とが向かい合ってる。


 二十年前、クーデターにより国は軍によって支配され、民衆はその圧政にひたすら耐えてきた。武力を背景に民衆を虐げ、奪い、犯し、殺してきた軍の暴挙。

 三年前、ついに民衆の怒りが爆発した。

 しかし、投石や火炎瓶での抵抗は、銃火器を用いる軍に大きなダメージを与えることはできなかった。

 国際社会も当てにならない。国連も口だけの状況で、天然資源にも乏しいこの小国に介入しようとする大国はなく、民衆は絶望的な戦いを強いられていた。


 昨年、とある宗教の指導者が軍に対抗するためのひとつの案を提示した。それはあまりに突拍子も無く、馬鹿らしく、そして危険な案だった。しかし、誰もがその案に反対する中、ある集団だけが賛成する。


 それは、子どもたちだった。


 子どもたちを犠牲にはできないと大人たちは強硬に反対したが、子どもたちが意見を変えることはなかった。


 そして、その案がついにこの石造りの橋の上で実行されようとしていた。


 民衆は大きなプラカードを軍に向かっていくつも掲げた。


『We Have No Weapons.(私たちは武器を持っていません)』

『Please Look at Us.(お願いですから、私たちを見てください)』


 プラカードの内容に軍の兵士たちがざわめく。

 そして、民衆の中から子どもたちが現れた。

 何事かと混乱する軍の兵士たちに子どもたちは――


 ――歌い始めた。


 この世界の美しさと素晴らしさを心に訴えかけるアメリカの黒人アーティストによる楽曲だ。子どもたちの歌声は、やがて民衆の歌声となって響き渡っていく。大道芸人たちが子どもたちのそばで次々と芸を披露し、それにつられて笑い声も起きた。


 そんな中、ひとりの少女が黄色いタンポポの花数本を片手に、兵士たちに向かって歩いていく。八歳の少女・ララだ。


 ひとりの若い兵士の前まで来たララは、笑顔で少しはにかみながら手にしたタンポポの花を差し出した。

 驚いた兵士だったが、彼は優しく微笑みその花を受け取――


 パンッ


 ――一発の銃声が響き、歌声が止まる。

 地面に倒れたララは、身体を起こそうとしながら、タンポポの花をもう一度若い兵士に渡そうと腕を上げるが、まるで糸の切れた操り人形のように事切れた。


 パンッ パパンッ


 どこへ向けた銃声なのかは分からないが、民衆が逃げ出すには十分な理由だ。

 橋の上には、軍の兵士たちと、血溜まりの中で横たわるララだけが残されていた。


 後日、あの若い兵士がララの遺体を白い布に包んで教会にやって来た。命令違反ではあるが、ララをそのままにしておけなかったと言う。連絡を受けてやって来た両親も、兵士を一切責めなかった。ララがそれを望んでいるとは思えないからだ。

 ララは手厚く葬られ、兵士も民衆側につくことを約束した。


 それから目立った民衆の抵抗はなくなったが、あるものが街の中に増えていった。


 ステンシルアートだ。

 絵柄の型紙にスプレー塗料を吹き付け、壁にその絵を描く。

 黒一色で描かれたその絵柄は、花を渡そうとするララに銃口を向ける兵士の姿だった。


 ビルの壁に、役所の壁に、公園の遊具に、増えていくララと兵士。


 しばらくして、それに耐えかねたララを銃撃した兵士が自ら命を絶った。ララの両親へ謝罪の手紙と全財産を残して。

 彼の全財産は、ドル換算で約十八ドル。

 現場の兵士もまた軍上層部の搾取の対象だったのだ。


 ステンシルアートの絵柄が変わっていった。

 兵士の姿は、ララに対して地面にひざまずいてうなだれ、深く後悔している姿となった。

『Loser(敗者)』の一言と共に。


 しかし、ララの両親はそれを良しとしなかった。ララは喜ばないと。

 両親の意向で『Loser』の文字は塗り潰され、今度はララの姿が変えられた。


 壁に浮かび上がったのは、地面にひざまずいて後悔する兵士の頭を、ララが優しく抱きしめている姿だった。

『Forgiveness(赦し)』の一言と共に。


 街中に増えていく『Forgiveness』の言葉と慈愛に満ちたララの姿。

 やがて、壁に描かれたララの姿にひざまずいたり、キスする若い兵士が増えてくる。


 そして、ついに決起。


 若い兵士たちが中心となったクーデターが勃発。民衆もそれに加勢した。

 クーデターは成功。指導者クラスは全員即日処刑。士官クラスと狼藉を働いた現場の兵士についても裁きを受けることになった。



 数年後、国民は貧しくも平和で幸せな日々を送っていた。

 そして、ここでもララが国民たちを助けてくれていた。


 街の至るところに描かれたステンシルアートは、一部を除いて書き換えられた。

 かけっこするララ、花に水やりをするララ、転んで泣いてるララ、本を読んでいるララ……ララを目当てに訪れる観光客が増えたのだ。


 この国を訪れた旅人たちは、ひとりの少女の優しさと慈愛の心に敬意を込めてこの国をこう呼んだ。


『ララの国』と。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ララの国 下東 良雄 @Helianthus

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画