最終話
あれから。すぐにランブロスの戴冠式が行われた。新王誕生に、国内は湧いていた。ランブロスはさっそく、エスタトス帝国との友好条約を結ぶ。帝国へと国を開いたのだ。
内政に力を入れてきた今までの政策を一気に転換するものだった。帝国との自由貿易は国を豊にするものであった。新しい文化が入り人も流入した。そのおかげで治安が一時、悪化したことは言うまでもないが、それもランブロス率いる元北部警備師団のメンバーたちを中心として、再構成された新しい騎士団の活躍によりすぐに沈静化する。
シャウラは王宮での裁きにより、処刑された。エリス、オリエンス、カロスと共に。ランブロスは容赦なかった。ユリウスは減刑を求めたが、それは聞き入れられなかった。彼はシャウラ派によって虐げられてきた貴族、そして騎士たちに配慮したのだろう。
案の定、ランブロスの決断は、彼を支持する者たちの信頼を確固たるものにしたようだ。
カストルは捕虜になった際、自分が王位継承者であると言えば、優遇してもらえると思ったのだろう。自己顕示欲が強いのはよいが、彼はそのおかげで破滅への道を突き進んだ。
保護されたときの彼は傷だらけで、口もきけない状況だったそうだ。捕虜としての経験が原因なのか。それともユリウスとの関係性ですでに気が狂っていたのか。彼は生涯、牢獄の中での療養生活を与儀なくされることになった。
ユリウスも一度だけ面会に行ったが、彼が自分を認識することはなかった。まるで生きる屍のようだった。ただ虚空を見つめ、じっとして毎日を過ごしているということだった。
フェンリルは北部警備師団長へと復帰した。ランブロス領はそのまま置かれ、国王直轄の領地として発表された——。
「ポコタ。こちらの書面をご確認ください」
目の前に立つコルヴィスを見上げて、ユリウスは苦笑した。
「どうせお前の名でサインするのだ。私の確認などいらないだろう?」
「いいえ。私はお飾りの代理領主でございます。王からは、あなた様とよくご相談するようにと」
「王も適当なこという。私はここの事務手伝いだ。悩んだ時は相談に乗る。だが、通常は領主代理のお前が決めていいのだぞ。コルヴィス様」
「さ、様とはなんですか。滅相もない!」
コルヴィスは細い眉毛を釣り上げた。そこにウルが顔を出す。
「そろそろ腹減りましたよね~。昼食できましたよ。お二人とも」
「今は執務中だ……」と怒っているコルヴィスを押しのけて、ユリウスは腰を上げる。
「食事だそうだ。コルヴィス様。空腹ではいい考えも浮かばぬものだ。さ、食べに行こうではないか」
「しかし——」
「ほらほら。早くしないと食いそびれますよ。今日はトルさんが鹿肉を調達してきたんだから」
ウルはいつまでも怒っているコルヴィスの背中を押した。ユリウスは二人にくっついて廊下に出た。
ウルは王都には戻らなかった。フェンリルと一緒にいたいそうだ。トルエノもここに残った。余生はのんびりここで狩りをして過ごしたいと言っていた。最近では、獣人の集落に出向いては、槍の使い方や武器の手入れを教えているようだった。
コルヴィスの兄も王宮へと復帰した。シャウラの策略で方々に散っていた貴族たちは王都に舞い戻り、ノウェンベルクの時代のような賑わいを取り戻しているという。
「アニシアさんのところに遊びにいっていたミーミルが帰ってくるんですよ」とウルが言った。
ミーミルも王都には戻らなかった。アニシアの元で研究を続けるそうだ。ウルはミーミルの手伝いをして忙しそうにしている。
「そうか。今晩は久しぶりに全員が揃っての晩餐になりそうだな。——フェンリルはどうした」
ウルは「師団長は……」と視線を巡らせる。
「オルトロスのところの若いヤツが町でもめ事を起こしたみたいで。それを鎮めに行くって言ってました。すぐ戻ると思いますよ」
「そうか」とユリウスはつぶやく。ウルにからかわれながら歩いていくコルヴィスを見送り、そっと窓の外に視線をやる。
長い北部の土地に春が来る。白銀の世界を作り出していた雪は溶け、合間からは新緑の草が顔を出す。葉を落としていた木々にも、少しずつ新芽が顔をだしているようだった。
「美しいですよ。この土地の春は」
背後から長い両腕が伸びてきて、はっとして顔を上げる。そこには漆黒の長い髪を編みこんだフェンリルがいた。フェンリルはユリウスを抱きかかえるかのように、窓枠に両手をついた。
背後に感じる熱。布越しとは言え、今朝まで寝床で感じていた熱を思い出し、ユリウスは耳のてっぺんまで熱くなった。
「耳がひくついていますよ。なにか変なことでも思い出しているのでは?」
「変なこととはなんだ。べ、別に。なんでもない。お前が近いだけだ」
「近くにいたいじゃないですか。いつもこうして触れていたい」
ユリウスの心臓が、口から飛び出しそうになった。
「恥ずかしいことばかり言うな」
「なにを今更。毎晩、こうしてからだを寄せ合い、つながっているというのに」
ユリウスのしっぽがブルブルと震えながらひゅんと立ち上がった。フェンリルはユリウスの耳元で囁く。
「早く夜になればいい。そうすれば、二人きりでいられるのに」
ユリウスはそっと視線を伏せ、それから、ゆっくりとフェンリルを振り返った。
いつもは静かな湖畔のように澄んだ蒼い双眸は、熱を帯び、ユリウスを求めるように見つめてくる。その視線にぶつかると。ユリウスの心はざわざわとして、落ち着かなくなる。
「フェンリル」
「ポコタ」
二人は互いの名を呼び、そして唇を重ねた。
「ずっと一緒です」
「死ぬまでそばにいるか」
「もちろんです」
「私より先に死ぬな」
「約束します」
フェンリルの頬をそっと指先でなぞる。フェンリルは嬉しそうに目を細めた。確かに自分はタヌキの姿をしているが、フェンリルはまるで大型犬と一緒だ。ユリウスが触れると、本当に嬉しそうに反応する。
フェンリルのたくましい腕がユリウスの腰を引き寄せる。ユリウスも彼の背に両腕を回すと、力強く抱きしめた。からだがピタリとくっついて、心が満たされた。
(ずっとこの時を夢みてきたのかもしれない。過去の記憶はないけれど。私の心は、満たされている——)
ふとフェンリルの腕に力が入ったかと思うと、ひょいっと抱きかかえられた。
「フェンリル?」
「昼食だそうです。行きましょう。もう残っていないかもしれない」
「そんなに腹は減ってはいないが」
「そうですか。いけません。からだづくりをしないと。楽しい時間も楽しめません」
ユリウスはフェンリルの首に腕を回す。そして、彼の言葉の意味を理解し、ますます顔が熱くなった。
「お前という奴は!」
「からかうと赤くなる。面白いですね。ポコタは」
「面白くなどないー!」
そこにミーミルが姿を現す。
「戻りました……って。イチャイチャするのは夜にしたら? 兄さん」
「うるさい。さっさと食堂に行け」
「はいはい。王様……じゃなかった。ポコタも一緒に行きましょうよ」
ミーミルはそういうと、フェンリルから降りたユリウスに手を差し伸べる。ユリウスはミーミルに手を引かれて走り出した。
背後からはフェンリルがゆっくりとついてくる様子が見えた。安心感。ユリウスは前を向く。
(私はここで生きていく。新しい人生をポコタとして。皆と共に、生きていくのだ)
孤独の王は、追放された騎士と再会し、そして仲間を得た。
(私は一人ではない。みんながいる。そして、フェンリルが)
—了—
タヌキのポコタ(仮称)は、追放騎士に溺愛される~本当は王様です~ 雪うさこ @yuki_usako
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