第9話 鏖ノ青蛇
劇物。僅かな量で生命に影響を及ぼす物質。アンモニア、カドミウム、メタノール等。その腐食性で万物を溶かし、あらゆる物体を侵食する。だが、ここまで強力な腐食液は、生物には到底作り出せない。……はずだった。
ヨーロッパに生息する両生類有尾目、ファイアーサラマンダー。炎を冠するその名は、倒木の中で冬眠し、焚べた木の中から出てくることから、そして耳と背部に集中した毒腺から毒液を発射することからつけられている。
ある研究者は、ファイアーサラマンダーのこの生態に目をつけた。
またある魔導師は、「体液の成分を変幻自在に操れる魔術」を実現させようとしていた。
毒を操る生物兵器を探求していた研究者と、生物兵器の有り余る魔力を使い最強の操属性魔術の実現を願った魔導師。二人が協力して研究を進め、2年後にラグマルク軍の第四号生物兵器が完成した。全身に備わる毒腺から大量の毒液を分泌し、操属性魔術で毒液の成分を変化させ『劇毒』を生み出す操属性能力魔術『侵食する劇毒』。
虐殺と対生物兵器、二つの用途に適応し、生きとし生けるもの全てを影から抹消する能力を得た生物兵器は、戦場で凄まじい活躍を魅せる。
2005年、ラグマルク・マーシャル・アバローの三国が、マーシャル北部で発見されたリェリア油田の所有権を巡って起きた『リェリア三国戦争』、そこで初陣を飾った"四号"は、三国が衝突したマーシャル東北東部砂漠での戦いでマーシャルの生物兵器と激闘を繰り広げ、敵味方の両方に3中隊が全滅する程の被害を出した。ファイヤーサラマンダーの生物兵器であった彼は、外界の宗教に定められた『七つの大罪』なる罪から『
今、彼はリェリアでの宿敵と再び相見えた。
「クククククァハハハ……!いッッッてぇな畜生ォォ!」
砂原のド真ん中、視界の一切を遮断するかの如く渦巻く砂嵐の中心で、サラマンは倒れ伏していた。威勢良い雄叫びを上げたものの、彼の身体は撃墜された戦艦のように酷く傷つき、抑えている右腕は取れかかっていた。
「ハハハ!"完封"とかよォォ……!そんなに俺が好きかァァァ!?」
サラマンが吠えると、サラマンの背後、砂嵐に首の長い巨大な人影が映し出される。
「敵を殺す為に鍛錬を詰むことなど……『生物兵器』の"使命"であろうが……」
砂嵐を突き抜けて現れたのは、トカゲより平たい頭部、それを軍配のような形状に仕立て上げるフード、鱗には黒地にギザギザの縞模様……世界最強の毒蛇の一角に入る大蛇、インドコブラの生物兵器だった。
そのフードには、こちらを睨む目のような青いペイズリー模様の刺青が掘られている。
「知ってんぜ!それがお前の言う"梵行"ってヤツだろ!?くだらねぇ使命に縛られて一生自由を拝めねぇとか、さぞ楽しかろうよォ!」
「黙れ……!」
蛇が怒号を上げると、砂嵐の外側から一陣の風が、サラマンの頬を殴りつけ突き抜ける。再度倒れ込むサラマン。
「生物の生きる原動力は"使命"……!その対極に座す"自由"は、成し遂げるべき目標も活力も何も持ち得ないのと同義……!我らが神を侮辱する者は鏖殺、それが私の"使命"だ……!」
彼の名はルマーラ・ブラフマカル。異名は『
その能力魔術「風切る砂塵」は、土属性魔術で生み出された無数の砂を、風魔術に乗せて"風塵"を作り出し、それを自在に操る術。従来、風属性魔術で引き起こされる斬撃は、真空を使った物であり一瞬しか作動しない。だが、突風に乗る砂の流れによって斬撃を起こすこの魔術は、手間はかかるが絶え間なく斬撃を浴びせ続けられ、さらに真空よりも高威力、そして広範囲に攻撃できる。今サラマンを取り囲むこの砂嵐も無論、ルマーラの魔術である。
今戦場となっている砂漠は、言わずもがなルマーラの独壇場である。
「宗教勧誘か?悪ぃが俺は信仰できねぇぜ?俺に課された"罪"は神が忌み嫌ってっからよォ……!カハハハァ!」
サラマンが裂けるほどに口を開き、不気味に嗤う。これは、彼の反撃の兆しだった。
「そうか……なら話は早い。この世から……去ねッッ!」
怒りで目を全開にしたルマーラは、枝のように細い3本指の腕を勢いよく前へと掲げる。すると、ルマーラの腕から大量の砂が漏れ出し、手を離れた瞬間に軌道を変え、風塵となってサラマンに斬りかかる。
「ッッッアァァ………!」
サラマンの口から苦痛に耐える声が漏れ出る。
………暫くしてサラマンの唸り声が止んだ時、舞っていた風塵が空中で静止し、殺気が抜けたように風に流され彼方へ飛んでゆく。
「神に仕える者として、最期に問う。……"リェリア"で私を"下した"時、貴様らラグマルク軍は兵站調達の為に、近隣の無関係の集落を襲い、住民を皆殺しにしたと聞くが……真か?」
ルマーラの目が細まり、目の前の罪人を蔑む目に変わる。その下の青い目も、こちらを睨む。
「ァ……ハァ……カハハ……!お前も戦後の資材不足の辛さ……わかってんのに……今更聖人気取ってんじゃねぇよ……!鬼畜がァァァ!」
サラマンが力を振り絞ってルマーラに右腕を向ける。すると、肘から先が乖離し、深紅に染まった断面が露呈する。それを視認する束の間、断面から紅い、無数の弾丸が放たれる。
「頭の堅ェてめぇには思いつかねぇだろう応用技だァァ!死に晒せェェェェ!」
サラマンの『侵食する劇毒』は、己の体液を武器とする。それが、毒液であろうとも、涙であろうとも、唾液であうとも、はたまた小便であろうとも。
そして……体内を廻る己の血潮であろうとも。
「……そうか」
その声が聞こえたのは、眼の前に、領域のように広がる砂嵐の向こうからだった。風塵は、風魔術で滞留させることもできる。
砂に触れた流体は、秘められた乾きに吸収され、勢いを失っていく。
「言っただろ?鍛錬を詰むのは……『
青い目が、こちらを睨む。
「感服した。その狡猾な頭脳の右に出る者はいないであろう。ナール・エンヴィアス・サラマン、貴様の叡智を賛えて……私の全てを以て……殺す」
砂嵐が一瞬晴れ、垣間見えたルマーラの口元は、先のサラマンのように嗤っていた。それと同時に、螺旋状を成して滞留する砂塵……小さな砂嵐が、劈く槍の如くサラマンに刺しかかる。
それは一瞬のことだった。
「……誰だ…………!」
ルマーラが視界に捉えたのは、自らの左脇腹を貫通し、左腕を切り分けようと突き刺さった……片刃の蒼い大剣の切先。
貫かれた肉から、赤い液体が噴き出す。
「某、ラグマルク軍生物兵器第5号『
トカゲの上顎を象った無骨な鉄仮面、蒼色に染まる艷やかな鱗、そして両手の脇に着いた蒼い刃……だが、ルマーラの身を貫いたのは、手の刃ではない。
自身の胴体と同じ、いやそれ以上の長さはある尻尾。それが変化した、蒼く輝く剣。
カナヘビの生物兵器、そう理解するのにさほど時間はかからなかった。
まるで上段蹴りをするように、両腕を構えながら尻尾を突き上げた姿勢を取っていた。アマルガの全身を捉えた刹那、ルマーラは咄嗟に残る右腕を向け風塵を放とうとした。
……だが、それよりも速い剣捌き、右腕の刃で、力んで広げた手の人差し指と中指を容易く削がれ、首元に冷たく濡れた鉄の感触を与えられる。
「ッゥゥァァァァア……!」
右と左から走る激痛に悶絶するルマーラ。
「オ主ガ先ニ言ッテイタ"使命"……塗リ変エラレタヨウダナ……"惨メニ死ヌ"使命ニ」
「この……外道がァ……ッ!」
取り囲む砂嵐が、死に際の生物兵器を傍観しながら、ゴウゴウと慟哭する……
リザード・ウォーズ 〜平和主義高校生と嗜虐的生物兵器の従軍記 朱明丸 @010602070307
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