CODEⅫ:パナケア
薬品を操る能力。毒も薬もお手の物。
パナケアの体内には賢者の石と呼ばれる結晶が存在し、それが薬品の精製を担っているとされる。
その石は他人が扱うことは出来ず、体内から取り出せばすぐさま黒ずんで崩壊してしまう。
* * *
わたしはずっと、彼女の香りが好きだった。
季節ごとに違う外の匂いを纏ってわたしに会いに来る、優しい香りが。
春のやわらかな花の匂い。夏の制汗剤が混じった爽やかな匂い。秋の風をはらんだ涼しげな匂い。冬の凍てついた空気の匂い。
目が見えないわたしにとって、匂いは大きな情報源だった。
もうすぐ耳も聞こえなくなって、最後にはなにもわからなくなる。そう言われて、わたしは彼女の香りが永遠に感じ取れなくなることに絶望した。
逆に言うと、それだけがわたしの絶望だった。
ただ治療費を振り込むだけで一度も会いに来ない両親、外に出ないから友達なんて出来るはずもなく。わたしの世界は彼女だけだった。
産まれる前から心臓が弱くて、お腹の中で何度か止まったらしく、そのせいで体のあちこちが機能停止していく病気なのだとお医者さんに言われて。彼女にもわたしの病気の話をした。もう、いつか退院出来るなんて嘘は自分にも吐けなかったから。
彼女はわたしを抱きしめて「話してくれてありがとう」と言った。
声も腕も震えていて。優しくて哀しい香りがわたしを包んだ。
それから、彼女はわたしの病室に来なくなった。
きっと、いつか必ず治ると信じてお見舞いに来ていたのにそうじゃなかったから、ショックを受けたのだろうと思った。彼女は優しいから自分の希望を持たせる言葉がわたしを傷つけた可能性を考えたかも知れない。
寂しかったけれど、自分から会いに行くことは出来ないわたしはただ独りになった病室で待ち続けることしか出来なかった。
暫くして、わたしに手術の話が舞い込んだ。機能不全を起こしている心臓を除いて新しい心臓を移植するのだと言った。
手術は無事に済んだ。あっけないほどにわたしは健康体を手に入れた。
奇跡的に視力もある程度回復して、眼鏡やコンタクトがあれば生活出来るくらいになった。
動けるようになったなら、彼女に会うことが出来る。
彼女が会いに来ないなら、自分から会いに行ける。
そう思った瞬間、ふわりと彼女の香りがした。
「其処にいるの……?」
見回すけれど、病室には誰もいない。
部屋の外を忙しなく看護師さんが行き交う足音や、お見舞いに来た家族と談笑する別室の患者さんの声がぼんやりと聞こえるだけ。
それなのに、彼女の香りだけはわたしの傍に漂っている。
まるで、残香だけの幽霊にでもなってしまったみたいに。
「真砂伊緖さんですね。此度の移植に関するお話があります」
呆然とするわたしに、知らない匂いの大人たちが難しい話をした。
変異種という存在。SIRENという組織。そして、わたしのお見舞いに来ていた彼女はパナケアという種類の変異種だったこと。パナケアは、体内で様々な薬を生成することが出来るらしい。ついでに体臭をフローラルにしたり、完全になくしたりも出来て、フェロモンを出して動物を操るなんてことも出来るのだとか。
其処でわたしは、思い至ってしまった。
気付かないままでいたかったのに。気付いてしまった。
「彼女は調律者のパートナーを失い、断片化が進んでいました。完全に堕ちてしまうその前に、あなたを救いたかったのでしょう」
わたしの零した涙からは、優しい彼女の香りがした。
変異種たちの日常。 宵宮祀花 @ambrosiaxxx
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