本作はまさに、著者の独特にして巧みな筆致で描かれている傑作である。
岬の頂の神社。
海と神社とを繋ぐ千本鳥居。
新月の夜の篝火。
赫く光り、盛り上がりくる海面
文章を読んだはずなのに、それらを映像として脳裏にまざまざと記憶してしまう。
それはまるで、1本の映像作品を観たかのようである。
そして耳には、“赤子の泣きたるが如”き、声が聞こえるのだ。
描かれる世界は幻想と恐怖の間に在りながらも、そのどちらにも寄りすぎない。
ただ、1歩でも深く踏み込もうものなら、とんでもない恐ろしい世界がそこに待ち受けるように感じる。
この物語を美しいと感じた時にはもう、私はこの作品に呑まれてしまっていた。
本作は著者の作品「猫魔岬變」を読むことで、この世界観と“起こったこと”への理解が一層深くなる。
もしまだ読まれていないなら、ぜひ読んでいただきたい。
一体、“先生”に何が起こったのか。
この岬にある神社は、何なのか。
もう一度言う。
ぜひ、読んでいただきたい。
この岬には、本作では描かれていない“歴史”があるのだ。
本作を読んだ方にはぜひそれを知っていただきたい。
「猫魔岬變」を読み進めるごとに、この「Leviathan の廻航」の物語は、より明確になってくるだろう。
徹頭徹尾、美しい世界。
新月の夜の黒。海の青。砂浜の白。鳥居の赤。
明瞭な色彩のなか。
声が来る。
〝赤児の泣きたるが如しと謂ふ〟
存在するだけで畏れを呼ぶもの棲み処への階が開き。
声が来る。
〝赤児の泣きたるが如しと謂ふ〟
人間は自身より巨大な存在を畏怖する生き物である。畏怖する物を奉る生き物である。
そして、有為転変の人の身。
世の移ろいとともに古い神を祀ることを止めることとも、儘ある。
だが万古不易の存在は忘れない。祀られたことを覚えている。
時がくれば、現れる。
人間と隔絶した存在が、ただ在る。
それを知ることが、怖い。
抗えないことが、怖い。
呑まれるのが、怖い。
幻想の畏敬に取り込まれる厳かな恐怖が
ここにある。
諸兄に、閲覧を推奨する。
白い砂浜に、赧い鳥居が立ち並ぶ。
千本の門をくぐった先、神社の社は海へと続いていた。
北海道の小さな海辺の町。
かつては鰊漁で賑わい、いまは静けさだけが残るその土地に、古びた伝承が息づいていた。
――新月の夜、深い海淵から『赤子のような声』が響くという。
札幌の大学で教鞭をとる教授は、科学では語りきれぬその謎に取り憑かれ、若き助手を連れて現地調査を重ねてゆく。
訪れた新月の夜、赧い鳥居の参道にひとつずつ灯る篝火。
風に揺れる灯りの先、誰も知らぬ『もう一つの社殿』が、海の底で口を開ける。
赤ん坊のようで、猫のようで、それでいて『何か別のもの』の声が、確かに聞こえる。
科学では測れぬものが、理性の外側から手を伸ばしてくる――そんな夜。
これは、信仰の名を借りて封じられた『異形』と、それに魅せられた人間たちの、ひとつの記録。