第17話(最終話)
帝国歴568年、1月。
自由都市グリニツィン、
ゾルレ地区地下神殿、聖救主聖殿。
帝国がカリン教に帰依した時以来、
100年をかけて作り上げた地下聖殿に、
たった二人の男性が対峙している。
全中原の聖権、俗権の頂点にいる二人。
この二人を殺すことができれば、
いとも容易く中原を再び混沌の坩堝に叩き落とせるだろう。
「……
4年前のこと、覚えておられますか。」
……あぁ。
忘れるわけはない。
(こちらが、
モーグ皇帝の帝冠にございます。)
(万物の主、罪人らの救い主、
我らの全一なる神とカリンの名に誓って、
こちらを、貴方様にお譲りしたく存じます。)
「貴方様は、私の想像を遥かに超えておられた。
私の命が尽きる前に、このようなことになるとは、
想像の彼方にございましたよ。」
「猊下のお力添えあってのことです。
リュッツェン開城の頃から。
こたびのことも、すべて。」
「……。
帝国時代のカリン教は、俗権に関わり過ぎました。
民と共にあり、民を教え、神の路へ導く者共が、
俗権と争ってはならないのです。」
学者らしい言葉だな。
「閣下。
帝冠の守護者たる閣下に、
ひとつ、ご提案が。」
「承りましょう。」
「私は、もう、長くはありますまい。
全一なる神の身許に参るには、
私は、悪事に手を染め過ぎましたが。」
「……。」
「次期教皇は、
ルナになりましょう。」
「!」
「閣下は、それに、
賛を表して頂きたいのです。」
「……
!?」
そ、それは、
究極の叙任権では。
「……わが不徳の致すところにございますれば。」
……そう、か。
狭い宗派の世界だけれども、
この人も、政をやりきってきたんだ。
「確かに、承りました。」
「……ふふ。
貴方様のおかげで、わが今生の最後に、
この上なく、面白い生を頂きました。
……
クライス・フォン・ヴァッサー=ハビヴィト殿。
いざ、全一の神の前にひざまづかれよ。」
黙って、片膝をつき、
頭を垂れる。
教皇クレメントは、帝冠を両手に持ち、
そして。
?
「どうぞ。
自ら、被られよ。」
っ。
「……
こう、すべきなのです。
ずっと、思っておりました。
さぁ。
被られよ。」
……。
俺は、四方に至宝を頂いたずっしりと重い帝冠を首に乗せ、
ゆっくりと立ち上がった。
「万物の主、罪人らの救い主、
我らの全一なる神とカリンよ。
数多の罪人共の咎を背負いし勇敢なる羊飼いに、
その意を表さん。」
教皇クレメントが、
短い、聞いたこともない成句を告げ、
杖で俺の肩を打った瞬間、
え。
ここ、地下だよね。
「……これ、は。」
明るく、眩く、温かな、
虹色に淡く輝く光が、
俺と、教皇クレメントの四肢を包み込んだ。
それは、
本当に一瞬のことだった。
「……
まさに、神の御業にございますな。」
どうだろう。
古代帝国の魔道具が発動しただけかもしれない。
皇帝になった奴がいたらつくよ、みたいな。
「はは。
さぁ、ともに参りましょう。
愛すべき咎人達を牧し、導くために。」
*
帝国歴568年、3月。
帝都グリニツィン、
クリンゲンバウム皇区、レ・リュクス。
あーあー。
終わった終わった。
「なにも終わってなどおりませんが。」
俺の中ではぜんぶ終わったんだよ。
「……このためだけに、
モーグ皇帝の地位に就かれるとは。」
それしかやりようがなかったんだもん。
「……はは。
相変わらず、規格外の発想をなさる。」
1月。
神聖モーグ皇帝兼グリュンワルド王、
クライスⅠ世の即位が、全中原に告げられた。
凄まじい数の手紙と進物、
夥しい数の士官希望者、
叛乱を準備するグリュンワルド領や自由都市に対し、
『神聖モーグ皇帝クライスⅠ世の名に基づき、
グリュンワルド王国の国王位に、
ルサチア公クルヒャー・フォン・グリュンワルドを任ずる。』
その次の布告は、
『旧自由都市同盟の領主および代表者は、
望むならば、帝国自由都市同盟に加入することを認む。』
「……
正直、もうちょっと揉めると思ったんだけど。」
特に都市共和国系とか。
一応帝権に服するわけだし。
「なにも変わらないなら、
名前など、どうでもいいのでしょうな。」
クレーゲ、お前、帝国宰相の癖に、
そんな醒めたこと言って。
「帝国宰相といっても、お飾りの極みですから。
帝国直轄領なんてクリンゲンバウムとノイブルクのみですからな。
ただ、旧大使館街とは別に、公使館街は拡張しないとでしょうが。
城壁の外に新たに街を作るしかないと思いますよ。
それか、大城壁を作るとか。」
そのためだけに資金調達するのはそそらないなぁ。
「まぁ、商店系は、
だいぶんノイブルクに移りましたけどね。」
なんだよな。
クリンケンバウムの丘下とノイブルクは
ほぼ一体の連坦した街になりつつある。
ブタペストみたいな感じ。
「都市計画を早急に整備しなければ、
ノイブルクの郊外がスラム化致します。
なにとぞ早急に調査費をつけて頂きたく。」
出たよドブリューの開発癖が。
まぁ、今回は止める理由がないんだけど。
「帝国の安寧を考えますと、
最大の問題は、お妃ですな。」
うわ。
めんどくさいのが二人セットで。
「それ、私も思いはしますがね。
正直、妃、いりますか? 揉めるだけじゃないですかね。
側妃を何人持つんだ、とか、側妃同士の格がどうとか、
女官の維持費、どっち持ちになるんだとか。」
お。
これ絡みでは珍しい援軍が。
いいぞトゥルナ、もっと言ってやれ。
「それよか、
いい養子先を考えたほうがよくないですか?」
……ん?
*
帝国歴568年、3月。
帝都グリニツィン、
クリンゲンバウム皇区、レ・リュクス。
「……。」
「……。」
いや、
なんで、こんな、黙ってないといけないんだよ。
なんだろ、なんか、緊張しちゃって。
「……まったく、ありえません。
わたしは、スラム街で、罪びとの手に育ち、
人を殺めることを生業とした卑しい売女です。」
それなんだけどね。
「メルル。
きみは、幼い頃、
誘拐、されたんだよね。」
「……。」
「ふつう、盗賊団が、
殺さずに誘拐する、ということは、
なんらかの身代金を取れる家のはずなんだよね。
まったく身分がないとは、とても思えない。」
「……。」
「か、どうか、なにも分からない。
ただ、爺共は、この線で沸き立ってる。」
「……。」
「実はね。
レフテンワルド伯爵に
養女の件を、内密に打診した。」
「!」
「自分の娘が、急にカリン教に凝っちゃって、
修道女になっちゃったらしく、
いま、お勤めで聖地巡礼してるらしいんだよね。
それで、二つ返事で受けるらしいよ。」
「……です、が。」
「嫁は下から取れ。
伯爵令嬢くらいがちょうどいいんだよね。」
「……。
よろしいの、ですか。
ほんとうに。
ほんとうに、わたし、なんかで。」
「きみがいい。
きみじゃなきゃ、だめなんだ。」
「……。」
メルルは、
唇を噛みながら、血に濡らした拳を握りしめ、
ぼろぼろと涙を溢しながら、
「……うそ、です。
しあわせ、すぎます。
わたし、きっと、しぬんです。」
泣きながら声を震わせるメルルの身体を抱きしめ、
塩の味がする唇を優しく奪うと、
天蓋つきのベットが、ぎしりと揺れた。
*
神聖モーグ帝国皇帝、クラウスⅠ世の正妃、
メルル・フォン・ヴァッサー=モーグの懐妊が発表されたのは、
帝国歴569年10月の吉日であった。
転生した侯爵令息は、都市型スローライフを満喫する
完
転生した侯爵令息は、都市型スローライフを満喫する @Arabeske
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