姿見

月夜野ナゴリ

第1話 姿見

 金縛り。睡眠麻痺といわれるそうですね。レム睡眠中から覚醒にかけて起こる現象であり、身体は眠っているにも関わらず脳だけが覚醒した状態らしいです。つまり、意識的に身体を動かすことはできないわけなので、瞼を開くこともできないのです。


「胸の上に誰かが乗っていた」「足元から誰かが近づいてきた」などという話を聞くことがありますが、実際には目を閉じている状態であるため、夢の中の出来事なのです。そのはずなのですが…。






 これは私が高校卒業後に一人暮らしをしていた頃の体験です。


 高校を卒業した私は、実家から離れた大学へ通うべく大学近くのアパートを探していました。両親とともに不動産屋を訪ね、最終的には築10年の2階建てのアパートに決めました。


 私が入居することになったアパートは1階、2階ともに3部屋ずつ横並びになっており、全室南向きの1LDKでした。一人暮らしの学生には広すぎるような気もしましたが、大学から近いことや、徒歩圏内にスーパーやドラッグストア、病院、駅もあり、これだけの好立地であるにも関わらず田舎ということもあり家賃が3万円ということで、両親も「ここがいいね」と納得する形で入居が決まりました。


 私の部屋は2階の角部屋で、東側にある外階段を上って一番手前の部屋でした。


 玄関は北側にあり、玄関扉を開くと南に向かって廊下が伸びています。廊下の右手には脱衣所の扉とトイレの扉が並んでおり、左手には寝室があります。寝室には北面に磨りガラスの窓がありますが、窓の向こうは外階段から続く通路になっているため、格子が備え付けられていました。格子の付けられた窓と向かい合う形でクローゼットがあり、クローゼットの扉の一つには大きな鏡が付けられていました。いわゆる姿見というものでしょうか。


 廊下の突き当りはリビングダイニングキッチンとなっており、南向きということでとても明るい部屋です。南面は大きな掃き出し窓が二つあり、窓の向こうは田んぼが広がっています。







 一人暮らしを始めた当初は、寝室に厚めのマットレスと布団を敷いて寝ていましたが、季節が春から夏に移り変わっていくにつれてマットレスの下の湿気が気になるようになってきました。


「カビそうだな…」


 インターネットでベッドを探してみると、安いものでは1万円しない金額で購入できることがわかり、配送料無料ということもありパイプベッドを購入することにしました。


 注文してから3日ほどでベッドが届き、さっそく寝室で組み立てました。シンプルなパイプベッドの組み立てとはいえベッドを組み立てることは初めてで、悪戦苦闘しながらなんとかベッドが出来上がりました。


 ベッドをどの位置に置くかを悩みましたが、コンセントの位置の都合で格子の付いた窓の下、つまり姿見の付いたクローゼットの向かい側にベッドを置くことにしました。


 





 夜になり明かりを消してベッドに潜り込むと、なんとなく嬉しい気分になりました。きっと安くても自分で組み上げた新しいベッドだったからでしょう。


 格子の付いた窓から差し込む淡い光が、天井を青白く照らしています。


 瞼が重たくなってきて寝返りをして右側を向くと、クローゼットに付けられた姿見が目に入りました。


 私は視力が低いためはっきりは見えませんが、ベッドに横になっている自分がぼんやりと映っているのが見えました。


 特に気になったわけでもなく、そのままめ眠気に任せて目を閉じました。


 それからどれくらい時間が経ったのかわかりません。大雨でも降っているかのような「ザー」という大きな音で目を覚ましました。


 うっすらと目を開けると相変わらず青白い光が部屋の中を照らしていましたが、急に不安と恐怖心が襲ってきました。


 ―――これって金縛り…。


 身体が動かないのです。手も足も指先までまったく動かないのです。「ザー」という音だけは激しく響いていて、雨音なのか何の音なのかはわかりません。


 視線の先には姿見があり、ベッドに横になっている私と格子の付いた窓がぼんやりと映っています。


 恐怖心から逃れるために目を閉じようとしたとき、姿見に映る擦りガラスの窓の向こうに影が通り過ぎるのが見えました。夜中に帰ってきた隣人が外の廊下を通ったのだと思い、ホッとしました。金縛りに囚われている状況でも、すぐ外では生きている人が普通に過ごしているのだと思うと安心するものです。


 しかし、ホッとしたのも束の間、再び窓の向こうを影が通り過ぎました。先ほどの影と同じ方向に次々と何人もの影が通り過ぎて行くのです。


 まるで氷の上をすーと滑るように通り過ぎていく影に恐怖心が一気に膨らみますが、身体は一向に動きません。


 そのままいくらか時間が過ぎると「ザー」という音がだんだん小さくなっていき、そして完全なる静寂の中に自分の激しい鼓動たけが響いているようでした。


 気がつくと身体の自由が戻っており、部屋の明かりをつけてケータイを確認すると、まだ寝ついた頃から30分ほどしか経っていませんでした。


 目を閉じてもう一度眠ろうとするのですが、クローゼットの姿見がどうしても気になってしまうため、結局ベッドで寝ることは諦めてリビングに布団を敷いて寝ることにしました。







 翌日、大学の講義が終わった後に姿見を隠すためのカーテンを買いに行くことにしました。


 せっかくベッドを買ったというのに、姿見が気になって寝室で寝られないとなるともったいないので、それならば姿見を隠してしまえばいいと思ったのです。


 最寄りの家具店でカーテンを色々を見てみましたが、サイズが合わなかったりカーテンレールがないことなどを考えて、最終的にはカーテンではなく大きな布を買うことにしました。金縛りの恐怖を少しでも忘れられるように、青地にわたあめのような白い雲がいくつも描かれている可愛いデザインの布にしました。


 姿見が隠れるサイズに布を切りクローゼットに画鋲で留めると、見事に姿見を覆い隠すことに成功しました。


 それからは金縛りになることもなく、毎晩ベッドで眠れるようになりました。


 可愛い布地はアパートを訪ねてきた友人にも好評でした。友人たちからは「なんでクローゼットに布なんか掛けてるの?」と尋ねられることもありましたが、金縛りにあった夜のことを思い出したくない気持ちもあり「なんとなくだよ」と答えていました。


 無事に4年間の大学生活を終えて、アパートを引き払う日が来ました。引っ越しのために荷物を詰め込んだ段ボールを外に運び出しているときに、姿見を隠すための布を外し忘れていたことに気づきました。


 布地の上部を留めている画鋲を外して布を取り去ると、姿見が現れました。こうして姿見を見るのは約4年ぶりでした。


 外した布地を畳もうと思い床に広げたときに、私は思わず「わっ」と小さな悲鳴を上げてしまいました。


 私が買った布地は表面は青地に白い雲が描かれたデザインで、裏面は真っ白だったはずです。


 しかし、目の前に広げられている布地の裏面には、人影のような大きな黒いシミが浮かんでいました。


 金縛りにあった日の翌日に購入し、それからはずっと姿見を隠すためにクローゼットに留めてあったはずです。一度だって外したことはありませんでした。それなのに、なぜこのようなシミが浮かんでいるのでしょうか。


 あまりの恐怖心でとても布地を再利用する気にはなれず、布地は丸めて捨ててきてしまいました。







 私がアパートを引き払ってすぐに、大学の後輩からメールがきました。


[先輩が住んでた部屋に引っ越しました]


 後輩からのメールにどう返事を返そうか悩みました。クローゼットの姿見のことを話すべきかとも思いましたが、不安や恐怖を煽ってしまう気がしたので何も伝えないことにしました。


 翌日、再び後輩からメールが来ました。[私も先輩みたいに可愛い布を付けてみました]という文面とともに一枚の写真が添付されていました。


 その写真にはアパートの寝室が写っていて、私がやっていたのと同じようにクローゼットに布が付けられていました。ただ、私のときと違う点は、姿見が付いていないほうのクローゼットの扉に布が付けられているのです。


 しかし、布が付けられていないクローゼットの扉にも姿見は見当たりません。


[クローゼットの扉に付いていた姿見はどうしたの?]とメールを送ると、すぐに後輩から返信が届きました。


[姿見? 最初から無かったですけど…。先輩が住んでいたときにも姿見なんてなかったですよね?]


 身体からサッと血の気が引くのを感じました。


 私が引っ越した後に管理会社が姿見を外したのでしょうか。でも、一体何のために? それに、後輩は私がアパートに住んでいたときから姿見などなかったと言っています。


 たしかに、アパートに訪ねてくる友人たちからは必ずと言っていいほど「なんでクローゼットに布なんか掛けてるの?」と尋ねられたことを思い出しました。


 もしかしたら、友人たちには姿見が見えていなかったのでしょうか。


 そうだとしたら、私が姿見だと思っていたものは一体なんだったのでしょうか。


 

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姿見 月夜野ナゴリ @kunimiaone

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