杉ちゃんと、待てど暮らせど来ぬ人を。

増田朋美

杉ちゃんと、待てど暮らせど来ぬ人を。

その日も暑い日であった。この季節なので、そうなって当たり前だと言われても仕方ないが、それでも暑い暑いと言ってしまいたくなるのはなぜなんだろうか。なぜか人間、暑さにだけは対応することができないで、いつも嫌だ嫌だとぶつぶつ呟きながら生活するのが人間なのである。そんな夏が、いつまでも続いていく。

「ごめんください。」

その日の午後に、暑い中田沼ジャックさんと、田沼武史くんが製鉄所にやってきた。製鉄所と言っても鉄を作るような場所ではなくて、病んでいる人や、居場所がない人たちに、勉強や仕事をする場所を貸出している福祉施設である。場所を借りる人は利用者と呼ばれ、現在の利用者は3名ほど。全員が女性で、一人は会社に勤めているが、あとの二人は通信制の高校に行っている。その彼女たちだけではなくて、製鉄所では間借りとして、居住することも受け付けている。その間借り人として、四畳半の部屋を借りて生活しているのが、水穂さんであった。水穂さんは、武史くんがいつもの通りおじさーんと言って、飛び込んでくるかなと考えて、布団の上に起きて座り直した。しかし、今回は違うようで、

「ほら、夢路君、こっちだよ。一緒に宿題をしよう。」

と青い声で武史くんが言っている声がしてきた。それと同時に、やはり小さな男の子の声で、

「お邪魔します。」

という声が聞こえてきた。どうやら武史くん、お友達を連れてきたらしい。

「夢路君ねえ。」

杉ちゃんは水穂さんの顔を見た。

「なんだか、はやりの芸術家みたいな名前ですね。」

水穂さんがそう言うと、

「はいはい。あんなのは、芸術家というより、女癖が悪くて、変なやつだとジョチさんが言ってた。」

と、杉ちゃんは言った。それと同時に、ふすまが開いて、

「おじさんこんにちは。ここで一緒に宿題をやってもいい?」

と、田沼武史くんが入ってきた。隣には、武史くんと同じ背丈の小さな少年が一緒にいた。

「いいよ。それなら、武史くん、お友達を、紹介してくれるか?」

杉ちゃんがいうと、

「初めまして。竹中夢路です。よろしくお願いします。」

と、小さな男の子は、そう挨拶した。

「偉いねえ。ちゃんと挨拶ができるんだ。武史くんとは、どういう関係なの?」

水穂さんが、優しく聞くと、

「同じクラスなんです。と言っても、勉強はできませんけど。」

と、竹中夢路くんは言った。

「そうなんだ。本当に竹久夢二みたいな名前だな。もしかして、親御さんが憧れていたのかな?でも、本物の竹久夢二は、いろんな女と関係を持ちすぎたせいで、いい迷惑をかけた男だぞ。それはちゃんと知っておいたほうがいいね。」

杉ちゃんが冗談をいうと、

「じゃあ、一緒に宿題をやってもいい?」

と武史くんが言った。水穂さんがどうぞというと、武史くんは、水穂さんの床机の前にちょこんと座って、夢路君と向い合せになって、宿題を始めた。武史くんは、夢路君にわからない問題を丁寧に教えてあげている。なんだか武史くん、優しい少年になったねと思わず水穂さんが呟いてしまうほど、武史くんは勉強を親切丁寧に教えてあげていた。

それと、同時に、ジャックさんは、製鉄所を管理しているジョチさんこと曾我正輝さんに、ちょっと相談したいことがあるんですがといった。ジョチさんが、こちらへどうぞと言って、応接室に連れていき、設置されているソファーに座らせた。

「ずいぶん暑い日が続いていますが、子供さんはいつまで経っても元気なんですね。それで、どこから来たのですか?武史くんと一緒に来た少年は。」

とジョチさんがいうと、

「はい。武史のクラスメイトで、竹中夢路君と言うそうです。名前は有名な画家にそっくりな名前ですが、漢字が違うそうです。実は、今回の相談といいますのは、彼のことなんですが、、、。」

ジャックさんは、そうジョチさんに言った。

「そうですか。彼の何について、相談をされるのですか?」

ジョチさんが聞くと、

「ええ。なんでも、虐待の疑いがあるんです。僕ははっきり見ていませんが、何でもプールの授業が開始されたそうで、そのときに、水着姿になったときに、武史が隣にたった、夢路君の肩に、あざが出ていたのを見たと言うのですよ。武史の話では、夢路くんは、家で夕食の支度をしていたときに、シチューの鍋を落としてしまったので、そのときについたんだって言ったそうですが、武史はどうしてもあれはそういうことでついたやけどではないのではないかというのですね。」

ジャックさんは、申し訳無さそうに言った。

「武史が、やたらに他人のことについて心配してしまうのは、ある意味武史の気質というか、そういうことだと思うんですが、でも、それがあまりにも心配しているので、本当かなと思うようになりまして。武史にはいわゆる発達障害というか、そういうものもありますからね。それで過度に心配しすぎているのかなと思われるところもありますし、どうしたらいいのかわからなくなってしまって。」

「そうですか。確かに、武史くんは、発達障害というものがあるのは事実ですよね。それは、まず初めに隠せない事実であることは、はっきりさせて置きましょう。そういう少年だからこそ、他人のことを心配しすぎてしまうんでしょうね。それはきっと、彼が心配してしまうような事実があったからだと思うんですよ。そういう子は、まず初めに嘘がつけないことは、よく知ってます。嘘がつけないからというより、それを隠し通すことはできないので、体や心に症状が出てしまうのですよね。そういうことなら、まず初めに、大人が行動をしなければならないと思うんですよ。それなら、武史くんの想像があたっているかどうか、すぐ確かめましょう。」

ジョチさんは、理事長らしく、しっかりと言った。

「しかし、いま楽しそうに宿題をやっているので、いきなりそれに虐待の話をしてしまうのはどうかと、」

と、ジャックさんがいうと、

「ええ。そうかも知れませんが、でも、事実は受け止めなければなりません。こちらとしても虐待を放置してしまうことは、罪になると言うこともありますので、すぐに夢路君に確かめさせたほうがいいでしょう。」

ジョチさんは、そう言って、急いで立ち上がった。そして、ジャックさんと一緒に武史くんと夢路くんが勉強している四畳半に行った。

「失礼いたします。」

とジョチさんがそう言って、ふすまを開けると、

「いま楽しそうに宿題をやっていますよ。なんでも、夢路くんは、友達と一緒に宿題をした経験がなかったと話してくれました。とても嬉しいそうです。」

水穂さんがにこやかに言った。

「そうなんですか。あの、竹中夢路さんにお伺いしますが、申し訳ないのですが、上着を脱いでいただけないでしょうか?」

ジョチさんが単刀直入に言うと、武史くんが嫌そうな顔をして、

「でも、夢路くんはママが好きなんだよ。」

というのであるが、

「好きなのと、安全は違います。勘違いされてはいけませんよ。それに、好きだからと言って、安全が守られるとは限らない時代になっているんです。それを忘れてはいけません。」

とジョチさんは言って、もう一度、夢路君に上着を脱いでくれるように言った。夢路くんは、渋々上着を脱ぐと、彼の左腕に、真っ赤なやけどのあとがしっかりついていた。水穂さんが思わずこれはひどいと言ってしまったくらいだ。

「それでは、夢路さん、この右腕のやけどのあとは、いつどこでどのように作ったのか説明していただけないでしょうか?」

ジョチさんがいうと、夢路くんは小さくなって、

「ごめんなさい。ただ、コンロの近くを歩いていたとき、服の袖が引っかかって、スープが溢れただけです。」

と、言うのであるが、

「それは、本当のことでしょうか?本当にそうなら、お母様に話を伺ってもよろしいでしょうか。えーと、お母様のお名前と、職場の電話番号や、携帯電話の番号などはございますか?」

ジョチさんは、すぐに言った。

「ご、ごめんなさい、、、。」

と、彼は小さくなって、泣き出してしまう。

「泣かないでください。悪いのはあなたではありません。悪いのは、あなたのお母様です。まず初めに、その火傷を、しっかり治療してないじゃありませんか。すぐに皮膚科へいかなければならないほどの、大変なやけどですよ。」

ジョチさんがそう言うが、

「理事長さんは、子供さんとの相手が苦手なようですね。もう少し、噛み砕いて言わないと、彼はこころを開いてくれませんよ。あのね、夢路君、この大やけどは、いつやけどをしたのかな?」

水穂さんが、夢路君にいうと、

「はい、だから、一昨日の夕ご飯の支度のときに、、、。」

と夢路くんはいう。

「そうなんだね。夢路君。それなら、本当にひどい火傷だから、お医者さんに行って、見てもらおうね。それは、ちゃんと直してもらわないとだめだよ。そうでもしないと、悪い病原体が入ってくる可能性もあるからね。」

と水穂さんがいうと、杉ちゃんが、柳沢先生に電話をしようと言った。水穂さんは、スマートフォンを杉ちゃんから受け取って、柳沢先生に電話をかけ始めた。それによると、すぐ来てくれるということだった。10分くらいして、玄関先から柳沢先生の声がした。ジャックさんが、急いで玄関にいって柳沢先生に縁側に来てもらい、夢路くんを見てもらった。柳沢裕美先生は、怖がっている夢路君に、泣かなくていいんだよと言ってくれたが、夢路くんは泣くばかりであった。水穂さんが優しく、

「怖がらなくてもいいんだよ。ちゃんと薬つけてくれるから。」

と、言って、夢路くんは、やっと腕を出してくれた。柳沢先生は、夢路くんの腕についたやけどを観察して、急いで消毒してくれて、そこにやけどに聞く漢方薬を塗ってくれた。

「それにしてもひどい火傷ですね。第三度熱傷までは行ってませんが、それでも、これはひどい火傷です。親御さんは適切な治療をしなかったんですかね?」

柳沢先生は首をかしげている。

「ええ、それが適切な治療をしていなかったようで、他にも殴られたあとなどがあれば、それで立件してもいいかなと思います。」

とジョチさんが言った。

「それなら、夢路君。ちょっとズボンも脱いでみてくれないかな?」

杉ちゃんがいうと、

「だって僕ママ大好きだよ!」

と夢路くんは言った。

「ですから、もう一度いいますが好きだからと言って安全が保証される時代ではないのですよ。あなたがいくらお母様に好きだからもう暴力は振るわないでと言ったとしても、それが叶うことはない時代なんです!だから、ちゃんと見させてもらわないと。」

ジョチさんがもう一度いうと、夢路くんは、渋々ズボンを脱いだ。ズボンを脱ぐと、おしりや下半身に殴られたあとが多数見られた。水穂さんが服を着てもいいよというと、夢路くんは急いで上着とズボンを着た。

「お母さんは、どこにいるんですか?それではちゃんと、お母さんに話をしましょう。これは、明らかに虐待です。それをちゃんと僕たちも警察に通報するとか、児童相談所に通報するとかしないと行けないんです。」

柳沢先生もジョチさんに同調した。夢路くんは小さくなって、

「でも、僕どんなに怖くても、ママが好きだよ。」

というのであるが、

「でもね。夢路君。ママは、いつもどんなときに夢路君のおしりを叩いたりするのかな?」

水穂さんが優しく聞くと、

「勉強ができなかったとき。」

と、夢路くんは言った。

「試験の成績が悪かったときのこととか、すごく怒るの。」

「それで僕が、一緒に宿題をやれば、教えてあげればいいんだと思って、学校の帰りにうちへよってって言ったんだよ!それなのに何でわかってくれないの!本当に大人はだらしないんだから!」

とキンキンした声で武史くんが言った。

「そうなんだね武史くん、それはごめんね。だけど、おじさんたちが話しているのは、夢路君のことは、武史くんには、解決しきれない問題だから、それは、偉い人を交えて話すしかないんだよ。それはわかってくれるよね?」

と水穂さんがいうと、武史くんは、ハイと小さな声で言った。

「だけど、夢路くんはママが好きだって、、、。僕はどうしたらいいのかわからなくておじさんに相談したかったのに、おじさんたちは、警察とか、そういうことを言って、、、。」

「そうか。武史くんは優しいんだね。だけど、それは、本当は大変なことでもあるんだよ。お母さんが、夢路君に虐待をしているというのは、事実だから。それは、法律という日本で暮らしていくための決まりに反することなの。それをしているんだから、夢路くんのお母さんは、裁かれなければならないの。だけどそれは僕らにはできないんだよ。警察という人たちにやってもらわないと。」

と、水穂さんは優しく武史くんに話を続けた。

「だけど、夢路くんは、これから一人でパパを待ち続けるの!?」

と武史くんがいう。

「それはどういうことですか?待ち続けるというのは、誰を待ち続けるんでしょうか?夢路君のお母さんのご主人、つまり、夢路くんに取っては、お父様ですか?」

ジョチさんがそう言うと、夢路くんが、

「月に一度、来てくれるんだ。」

と小さい声で答えた。

「それは男性ですか?」

ジョチさんが聞くと、

「ウン。だけどママがそれ以上会いに行っちゃだめって言ってるんだ。」

と夢路くんは答えた。

「そうなんですね。それはなぜ、会いに行くのを止められているのでしょう?」

「だって、他に女を作って出ていったって、言ってたよ。」

武史くんがジョチさんの質問に即答した。こうして即答してしまうのは、発達障害ゆえのことかとジャックさんは思ったが、

「いえ、そうして有力な証言が得られるのなら、武史くんも頼りになりますよ。そういうことなら、より虐待事件として立件しやすくなりますからね。」

ジョチさんはそうジャックさんに言った。

「でも、でも、夢路君はママしかいない。だから、夢路くんを一人ぼっちにしないであげてよ!法律のことを夢路君のママに言うのは、その後でもいいじゃない。夢路くんはママしかいないんだ。だから、誰かをなくしたら一人ぼっちになってしまうんだ!」

武史くんはそう言って目に涙を浮かべた。確かに、もし、夢路君のお母さんが逮捕されてしまったら夢路くんは施設に送られてしまうことだろう。それは確かにあまりにも可愛そうだ。ジャックさんはそう思ってしまった。それと同時に、武史くんがそういうことまで考えられるというのは、やはり発達障害というもののお陰であっても、それに気がつけるということはすごいと思った。

「でも、武史くん、よく考えてください。夢路君は、これからも危険なお母さんといっしょに過ごすことになったら、夢路君の命が危なくなるかもしれないんです。こないだだって、重大な餓死事件があったことをご存知ありませんか?そのとき、やはり同じように母親が逮捕されましたが、彼女は育児が面倒くさくなったので殺したと言っていましたね。だから子供がいくらママのことを好きだと言っても今の世の中は通じないことのほうが多いのです。だから、安全な、そういうことをしない人のところに、避難させてあげなくては。」

ジョチさんがそう言うと、水穂さんが武史くんに、

「きっとおとなになればわかると思うよ。」

と優しく言った。

「今はまだわからないかもしれないけど、わかるようになったら、それは武史くんが成長したということになるんだよ。だから、そのためには痛いんだよね。それは辛いかもしれないけれど、それなら、おじさんがそばにいてあげるから、つらい気持ちを乗り越えていこうね。」

水穂さんが優しくそう言うと、

「嫌だ!僕、夢路くんがママと一緒にいてあげられる方が良い!」

と武史くんは言った。

「武史。」

ジャックさんは声をかけたが、柳沢先生がそれを止めた。多分、言葉で説明するより、自分で考えさせたほうがいいと言いたいのだろう。ジャックさんは、日本人はそういう無駄な行為をすると言いたかったけど、水穂さんや柳沢先生の顔を見てそれは言わないことにした。

「じゃあ、すぐに警察と児童相談所に問い合わせてみましょうか。場合によっては、家庭裁判所が必要になるかもしれません。電話番号を調べなくちゃね。」

ジョチさんはそう言って、タブレットを取り出して、児童相談所に電話をかけ始めた。その間に柳沢先生は、医療関係者らしく、夢路君の体にある傷を調べ始めた。それによると、夢路くんの体にある傷は、ころんだとか、ぶつけたなどの単純な理由でできるものではなくて、やはり大きな力のある人物が故意に殴らなければ、発生しないということがわかった。

「夢路君、本当に一人になっちゃうの?」

と、武史くんは、水穂さんに言っている。水穂さんはすこし考えて、

「大丈夫だよ。世の中には、悪い人もいるけど、悪い人ばかりではない。ちゃんと夢路くんのことを考えて、夢路君に優しくしてくれる大人というのは、いつか現れるから。それを信じて、僕たちは、夢路くんを応援してあげようね。」

と、武史くんに言った。

「そうなんだ。夢路君のパパはどこにいるのかな?」

と、武史くんはそういう。

「本当に、待てど暮らせど来ぬ人をだな。その表現がぴったりだよ。女大好き芸術家の歌詞は、こういうことも現してくれるんだな。待てど暮らせど来ぬ人を、か。」

杉ちゃんがでかい声で歌い出すので、

「大事な話をしているんですから、邪魔しないでくださいよ。」

とジョチさんが止めた。でも武史くんは、それを続けて歌ってほしいようだったので、杉ちゃんが再びでかい声で歌い出した。杉ちゃんと言う人は、歌もうまくて、この難しい歌も平気で歌うのである。なんとなく悲しいこの旋律は、武史くんや夢路君にぴったりだったんだろう。二人は、何度も歌ってとせがんだ。杉ちゃんはそれを拒否はせず歌っていた。やがて、ジョチさんが、柳沢先生と一緒に玄関先へ向かって歩いていった。多分警察や、児童相談所が到着したのだ。

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杉ちゃんと、待てど暮らせど来ぬ人を。 増田朋美 @masubuchi4996

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