愛はいつもそこにある。

トム

愛はいつもそこにある。



 ――ずっと好きだよ。



 その小さなフレームの中、君は何時までも変わること無く、若いままで。ずっと色褪せない綺麗な花たちに囲まれて、眩しいほどの日差しの中、その明るさに負けないほどの笑顔をこちらに向けている。機械音痴の僕が撮ったからか、少しピンボケで、白飛びまでしてしまっているけれど「……最期はこの写真を飾ってね」と君が言ったから、沢山並べた写真の中央に、この写真は飾られている。



 初めての出逢いは性別を気にもしないほどの頃……。互いにまだハイハイの出来る様になった時、親の目が届かない場所で、おでこをぶつけてしまい、僕が先に声を上げて泣き出したんだ。その事が切っ掛けになったのかは分からないが、母達が仲良くなり、よく互いの家で遊ぶようになった。幼稚園、小学校と一緒に通い、君を異性と意識し始めた頃、僕の家庭環境が変わってしまう。


 それは誰に告げることも出来ず、母と僕だけで。旅行カバン一つで、僕はランドセルを背負ったまま、母の実家へと電車に乗った。……手紙を出すことすら出来ず、ずいぶん悩みもしたが、やつれて、泣きはらした顔の母を見ていると、その事を言うのは出来なくて……。隠れて悔し涙を流した。


 慣れない田舎の暮らしについて行けるようになった頃、母の再婚が決まる「……出戻りは恥ずかしいから」と言う、実家の言葉に疑問を覚えたが、母が再婚した新しい「父さん」はとても優しく『コブ付き』の母と僕を、只々暖かく迎え入れてくれたのが救いだったと、今も感謝している。


 紆余曲折な人生は、ふとした転機をまるで「神の気まぐれ」のように起こしてくれる。新しく家族になった僕たちは、父さんの事業拡大の名目で都市部に引っ越すことになり、本来なら高校卒業とともに父さんの会社で働く予定だった僕は、「大学」へと進学させてもらえた。家も離れ、学生寮へと移った僕は、ここまでしてもらったのだからと、バイトをしてせめて自分の遊興費くらいはと働くことにしたのだ。


 ――昔暮らしたこの街で。



「……優花ゆうかちゃん?」

「……将太しょうたくん?」



 本当にただの偶然だったのだろう。僕が働くバイト先の喫茶店に、彼女は客として入ってきた。


 ――僕と背格好が似た、男性と手を繋いで。



 ……分かっていた、分かっていたはずだ。僕は彼女に何も告げていないし、あれからもう……十年も経っている。それに、消えたのは僕の方で。だから。だから……。



 ――大人になった彼女はとても綺麗で。……なのに、あの頃の面影をそのままに。


 ……隣に僕は居なくて、見知らぬ男が立っている。


「ひ、久しぶり!」


 声は上ずり、鼓動は激しく。次第にひりついていく喉に痛みを感じながら、それでも極力平然を装って、話を繋いでいく。彼女も相当驚いたのだろう、目を白黒させながら、それでも僕が僕だと確信すると、やはり急に居なくなったことを責め立ててきた。誤魔化しながらもある程度の事情をかいつまんで話をすると、彼女は「……そう、辛いことを聞いてごめんなさい」とすぐに謝罪してくれる。そこからは席へと案内し、注文を受けて珈琲と、紅茶を出し、彼女はこの店のになっている、チーズケーキを嬉しそうに頬張っていた。




◆  ◇  ◆  ◇



 ――彼女が結婚したのを聞いたのは、再会して二年後の春の終わり頃だったと思う。又聞きになったのは、卒業が決まり、久しぶりにあの喫茶店に寄った時、マスターから聞いたからだ。彼女と彼はあの店の常連で、休日にはいつも奥のボックスに座り、彼は珈琲、彼女は紅茶とチーズケーキ。街を散策し、買い物を楽しんだあとに必ずこの店に来ては最後の締めとしてそれをゆっくりと談笑して余韻に浸って帰って居た。それを聞いてから僕は店のシフトを調整し、なるべく二人と会わないようにしたのだ。


 ――流石に二人の睦まじい姿を見ていられる胆力はなかったから。


 それでも、その後半年続けられた僕は我慢強い方だったと思う。……いや、違うな。唯の未練がましい、陰気な男だったのだ。結局、それでも辛さのほうが勝ってしまって、バイトは辞めてしまったが。ただ、大学を卒業し、父の会社へ入社を決めたのでこの街を離れる前に、この店には世話になったので挨拶に来ただけだったのだが、まさかそんな話を聞くことになろうとは……。結局彼女にはまた会わないまま、僕は生まれ育ったこの街に、未練と後悔だけを残して、去る事にした。



 ――さよなら、……幸せになって下さい。もう会うことは無いだろうけど……。



◆  ◇  ◆  ◇



「……まさかまた、この街に来ることになろうとは」

「……なにかおっしゃいましたか?」

「あ、いや、大学がこの街でね。懐かしくて」

「あぁ、あそこですか。今年はこうして駅前も都市計画で――」


 隣であーだこーだと、わが町自慢を始めた都市計画の人間の話を聞き流し、様変わりした駅前のローターリーを眺める。この街を去って数十年、ただがむしゃらに働き、気づけば五十肩に悩まされるほどに身体が悲鳴を上げている。それでもこの新規事業は我が社の肝いり。「二代目」と呼ばれ、専務になった僕が視察に訪れるのは、当然かと思うことにした。まだまだ終わりそうにない話を続ける役人に声を掛け、目的のテナントビルのエントランスで清掃員の制服姿の方たちとすれ違う。


「……っ!?」


 集団の中に見知った顔を見つけたが、こちらから声を掛けることはしなかった、……理由は一つ。



 ――彼女が顔を背けたから。





「……そう言えば、あの時の君の辛そうな顔、初めて見たような気がするよ」


 並んだ写真を見比べながら、僕はゆっくりと身体を倒す。ベッドに体重を預け、少し開いた窓を見ると、抜けるような青空が広がっており、遥かに一筋の飛行機雲が見えた。ふと視線を巡らせてみれば、無機質な白い部屋にはこのベッドと、写真が並んだキャビネットが一つ。車椅子の隣には椅子のない造付けの小机だけが有り、床はリノリウムが貼られている。入口傍には洗面トイレがユニットで備え付けられており、天井には『見守り』と言う体の監視カメラが取り付けられている。


 溜息を一つ溢してから、現実を見て見ぬふりをする為にまた、思い出のぬるま湯に浸かり始める。




 ――夫とは、五年前に別れたのよ。


 駅前通りを抜け、未だ古いまま残った市街地区にその喫茶店を見つけた。流石にマスターは変わっていたが、聞けば親戚だと知り、懐かしい気持ちになって「チーズケーキ」がまだあると聞いて通い始めるようになった頃、彼女との再会を果たし、彼女の暗い表情の真意を知った。


「……実家には戻らなかったの?」

「……両親はもう他界しているのよ」

「……済まない」

「別に謝らなくていいわよ、私達のなら親がそうなっても不思議じゃないでしょ」


 言われてみればそうかもと思い出した。何しろ同期たちには子供はおろか孫すら居て、本社の会議では何時もそんな自慢話に辟易していたのだ。……ただ、僕自身がそんな経験を踏んでこなかったから……親も母はいまだ元気にしていたから。


 ――彼女の顔を見ていると、未だに僕は『ボク』のままだから。


 それからすぐ、僕たちは寄り添うようになった。「友人」としての仲直りから始め、遠出をしてはその先々で写真を撮りあっては、たくさんの話をし、深くなった溝を少しずつ埋め戻していった。



 ――ねぇ将太さん、将太さんは何時から私のこと、好きで居てくれたの?


 不意にその言葉ははっきりと、ボクの耳の傍で聞こえる。既に眠っているのか、目を開けているのかすらわからないけれど、それでも彼女の声をボクは聞き間違えるわけはなく。ふと笑顔を溢しながら、照れ隠しを込めて茶化すように、ボクは言った。



 ――おでこをぶつけた時かな。






~fin~

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愛はいつもそこにある。 トム @tompsun50

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