最終話(仮)

 どこまでも広がる青空と藍碧らんぺきの海が、バルドルの目の前にあった。

 

 四月の陽光が、海の浅瀬で水浴びをするドラゴシュの鱗を照らしている。そのドラゴシュの様子をバルドルは一人でぼんやりと砂浜から眺めていた。

 

 ノースモアランドの海である。


 リオンとの戦闘から十日あまりが過ぎていた。

 

 あの戦いが終わったあと、バルドルとディアナ、ランカスター兵たちは北へ進み、翌日にはランカスター領にたどり着いた。それとほぼ時を同じくして、ノースモアランドの部隊がランカスター領に到着した。援軍としてロッククリークに来るはずだった部隊が、進軍経路の途中にあるランカスターに着いたということだった。

 

 ランカスターを本拠地にするメリットは少なかった。しばらく留まったのち、ノースモアランドの部隊とともにディアナたちは、さらに北進すべくランカスターを出発した。


 ノースモアランドから来た部隊の兵数は三千、それにランカスターの一千が追加されて総勢四千。堂々たる軍勢である。街道を進む兵士たちの頭上には、悠然と空を飛翔する赤竜の姿があった。

 

 一行の目的地はノースモアランドだった。道中、王弟リカードに与する諸侯の領地に入り、その勢力と小競り合いが起きたこともあったが、大規模な戦闘はなかった。


 そして、ランカスターを出立してから一週間ほどして、一行はノースモアランドにたどり着いたのだった。

 

 到着したとき、深い安堵と喜びがバルドルとディアナを包み込んだ。ようやく、という思いだった。


 もともと、ダニエルの山荘から飛び立ったときは、ノースモアランドに直行する予定だったのだ。あれからノースモアランドにいたるまで、およそ一ヶ月が経っている。一ヶ月しか経っていないという見方もあるかもしれないが、波乱をきわめた日々だったので、何年もの月日が流れたかのような感覚をバルドルは味わわされた。

 

 そして現在、ノースモアランドに着いてから三日が経っている。

 

 ディアナは、彼女のいとこであるノースモアランド公爵や、その他の幕僚たちと毎日のように会議を開いている。これからどのようにしてリカードと覇を争っていくかという会議だ。他国の人間という意味で部外者であるバルドルは参加していない。

 

 バルドルとディアナはゆっくりと話す機会がなかった。リオンとの戦いが終わったあと、人格はバルドルに戻ったが、ノースモアランドに向かう道中は周囲に兵士がいたこともあって、ディアナと二人きりになることはあまりなかった。ここに着いてからも彼女は忙しく、やはり話す機会は少ない。いや、正確に言えば、バルドルが彼女と二人きりになるのを避けているところもあった……。

 

 ノースモアランドに着いてからバルドルは特にやることがなく、ドラゴシュに乗って空を飛行したり、今のように海辺で過ごしたりしていた。

 

 ドラゴシュはリオンから受けた傷が完全に癒えて、元気そうに水浴びをしている。それを眺めてバルドルは気持ちが和むのを感じていた。


「バルドル」

 

 ふいに、後ろから声をかけられた。


「ここにいたのね」

 

 ディアナだった。

 彼女は静かな笑みを浮かべながら、ゆっくりとバルドルのところへ近づいてきた。


「ディアナ、どうしたの?」


「特にどうしたというわけじゃないけど、あなたときちんと話をしておきたかったの。でも最近、あなたが近くにいないときが多くて……」

 

 ディアナはためらうようにバルドルに尋ねた。


「最近、私と二人きりになるのを避けてる?」

 

 言われ、バルドルはぎこちない笑みを浮かべた。


「君にどんな顔をすればいいのかわからなくて」


「……理由はロアンとのこと?」

 

 うん、とバルドルはうなずく。


「お兄さんのこと、どう謝ればいいのか……これから君とどう接すればいいのか……わからないんだ」


「バルドル、あなたが謝ったりしなくていいのよ……。リオンと戦ってくれただけで充分よ。その償いという意味も込めて戦ってくれたのでしょう? それに、ロアンを討ったのは彼だし……。あなたがそんなに心を痛める必要はないのよ」


「それでも、君の兄上を手にかけた事実をなかったことにはできない」


「…………」


「だから、君とは距離を置くべきなのかもしれない」

 

 ディアナは悲しげに表情を曇らせ、うつむいた。


「だとしても……僕は……」

 

 気持ちに嘘はつけなかった。


「ディアナ、君が好きだ」

 

 瞬間、彼女ははっと顔を上げた。その緑色の瞳がかつてないほど光彩を放ちはじめる。


「君の兄上との過去があっても、この気持ちは変わらない」

 

 ディアナは、バルドルをただ見つめていた。


「といっても……君からすれば迷惑かもしれないし、もっと他に言うべきことがあるだろうし……そのう……」

 

 バルドルは急に気恥ずかしくなってきて口ごもりだした。気の利いた言葉が見つからない。

 

 いつのまにか向かい合っていた二人。ディアナは何も言わず、ゆっくりとバルドルとの距離をつめて、自分の手をバルドルの肩においた。

 

 彼女は唇をバルドルの唇にそっと重ねた。

 

 バルドルは嬉しさよりも先に驚きに打たれた。ただでさえ勇気がいる行為なのに、トラウマを持つ彼女にとってはなおさらのことだっただろう。

 

 だが、それがバルドルの思いに対するディアナの答えだった。


「バルドル、私もあなたが好きよ」

 

 その言葉は――バルドルの心に垂れ込めていた暗雲を消し去り、どこまでも澄みきった蒼穹を広げた。

 

 バルドルはディアナを優しく抱きしめた。彼女はバルドルの胸に顔をうずめる。震えてなどいなかった。


 もはや今の二人は、敵同士の二国に生まれたがために対立する王子と王女などではなかった。互いに恋慕する十七歳の少年少女でしかなかったのである。


「ディアナ」

 

 バルドルは静かに言った。


「僕はラーザに戻ろうかと考えてる」

 

 彼女は顔を上げて不思議そうにした。


「……今日のあなたって予想外なことばかり言うのね。このロマンチックな状況だったら、『ずっと君のそばにいるよ』なんて言って口説くのが紳士じゃないの?」


「ディアナ、僕は真面目に話してるんだけどね……」


「わかってるわよ。国に帰るのは仕方ないかもしれないわね。最初からその約束だったもの。でも……やっぱり寂しいわ」


「ラーザには一旦帰るだけだよ。すぐこっちに戻ってくる」

 

 ディアナは小首をかしげた。


「これからまたリカードとの戦が始まるだろう。それに備えて、父と兄に援軍を出してもらえるように本気で頼みに行く。援軍を連れて戻ってくるよ」


「……できそうなの?」


「できるさ、きっと」


「そうね。バルドル、あなたを信じるわ」

 

 そして、二人は見つめ合った。

 

 バルドルはディアナの肩に手を置く。今度は自分からキスをしようとした――が。

 

 二人の唇が近づいたそのとき。ばしゃり、という水音がして気づけば二人は濡れていた。ドラゴシュが脚で海水をかけたのだ。

 

 バルドルとディアナは思わず笑った。海から出たドラゴシュは首を伸ばして二人の間に割って入ろうとする。


「ドラゴシュってば、どうしたんだよ」


「きっと、あなたを取られると思ってやきもちを妬いてるのよ」

 

 バルドルはほほえみ、赤竜の顔をなでた。


「僕が一番好きなのはお前だよ」


「あら、よかったわね、ドラゴシュ!」

 

 うららかな春の陽光が降りそそぐ中、赤く輝く竜とたわむれながら、ラーザの王子とブリタニアの王女は顔いっぱいに笑みを咲かせていた。



 

 ……そして一年後、ディアナ王女の軍勢は王弟リカードを打ち破り、ディアナはブリタニアの玉座にく。その二年後、バルドルは、病没した父王と戦死した兄の跡を継ぎ、ラーザに君臨した。恋に落ちた二人の王による歴史の、これが幕開けである。

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天才竜騎士の王子は、敵国の王女と恋に落ちる @darupoyo

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