夢見た場所に立てば

 裏表紙から呼んでいた記録から顔を上げ、座ったままの青年は微笑む。

 『怪物』の化身が前に、偉大なる戦士たちの王が立つ。


「バスカニア、僕は思い違いをしていたようなんだ」

「腐れの獣、お前は今でも愚鈍だ」

「ウーツでのことを〈水晶〉は知っていたから、自分から出てきたんだ。僕じゃない、タムリアが自分で」


 微笑んだままの青年は、王に答えない。

 しかし王は、青年に言葉をかけ続ける。


「そうであろうよ」

「カッセルガンドは僕しか見てなかった。僕は、良き人なんてなれないのに。なのに最後で、タムリアは笑わせたんだよ」

「魔術の神を笑わせるとは、流石の戦士だ」

「氷輪の本を見て、タムリアが初めて強情に欲しいって言ったんだ。僕を殺すつもりは……そのときから? 本を買ったのは、失敗だったのかな」

「決して、間違いなどなかった。戦士の王が断言する」

「バスカニア、君は知っていたのかな? タムリアに、怪物を殺す気なんてなかったって」


 バスカニア王は白熱する斧を握りしめるが、振り上げることなく怒りを飲み込む。この世で唯一と言っていい怪物の熱を引き受ける武器を持ちながら、己では目の前のものを殺せぬと知っているからだ。怪物のもとへたどり着けながら、人の国しか護れない自分を恥じるしかないのだ。


「……いいや、英雄は怪物を殺すだろう。お前の持つその紙束で、いずれ怪物を討ち果たすのだ」

「なぜそう言えるんだい? 事実、そこで怪物は生きている」


 ここで初めて言葉を返し、青年は王を見据える。


「タムリアが人間であるからだ。騎士であり、戦士であり、聖女の末裔である英雄だからだ」


 青年はバスカニアの言葉に、肯定も否定もできなかった。

 青年は人間ではない。騎士でも、戦士でも、聖女の末裔でも英雄でもない。

 分からないのだ。


「いいか、怪物。心折れ、積み上げたものも、鍛え上げたものも、積み上げたものも砕かれ崩れたとき、英雄はなにをするか知っているか。知らぬならば聞け」


 己も英雄であり、英雄の一側面の象徴を代表する。

 “戦士たち”の王が、英雄たるを口にした。


「思い出すのだ、崩れ去ったものすべての礎を。思い出すのだ、英雄ならざる己の願いを。己を英雄へと導いた……己自身を」

「なぜ?」


 青年を見据え、灰青の瞳が清廉に光る。


「英雄であっては、選ぶことのできない道があるからだ。英雄は孤高で孤独だ。一人ではみえない道があるのだ」


 青年はやはり、なにも分からない。

 肯定も否定もせず、言われたままに受け取る。

 ただ考えることは少ない。聖女との約束、次は失敗しないという決意、タムリアが自分を殺すのだという安心。

 これ以上バスカニアと話しても意味はないだろうと、青年は立ち上がる。


「これを、落としていたぞ」


 バスカニアが青年に差し出したのは、常に青年が持ち歩く聖女の物語。

 手放したときが『青年』の終わりだと思っていた青年だが、手放したことにさえ気がつけないのは予想外だ。


「ありがとう。さて、次を探さないとね。約束を果たさなきゃ」

「……タムリアの剣は、持っていかんのか」

「うーん、もやもやしてたからやめてたけど、持って行こうかな。魔術陣と鞘、ニズアの皮袋も……」

「そうしろ。そのお前が持っている紙束も、しっかり人に渡せ。それが、タムリアが怪物を殺す武器だろう」

「そうするよ。ありがとうバスカニア、道が決まった」


 言葉を残して、青年が風に溶ける。

 残されたバスカニアは熱を発する斧を落とし、己を呼ばなかった馬鹿者のそばに腰を落とす。


「…………満足そうにしているな。生きて帰れと言ったろうが、タムリア」


 心臓はとうに止まり、肺が大気を取りこむこともない。その瞳は何も映さず、輝く笑顔は永劫戻ることはないだろう。

 だが、ジゼの山嶺を踏破するまでの損傷のすべては、その白い肌には痕すら見当たらない。

 タムリアの組まれた両手の上に厳つい右手を重ねれば、肌の下をゆったり巡る血潮をバスカニアは感じた。

 死人の躯に、血が走っているのだ。


「熱を与えているのか。風で巡らせ、朽ちぬように押し留め……世界の因果、見いだされた界因、その三つまでも」


 自分が死に方を教えた弟子に、バスカニアは語りかける。


「愛されたな。そして、愛したのか。最後までお前は、あいつの味方だったのか」


 どこに隠し持っていたのか、聖言の刻まれた金属片。小さな手の下に隠されたそれを、戦士の王は鎧の欠片であると理解する。

 導かれるように裏側を確認したバスカニアは、不格好に刻まれた文字をなぞる。


【わたしのことばはセカイへ 聖女とししょーと わたし ねがいかなえられますように】


 男は悟った。あの少女は、夢をひとつ叶えたのだと。聖女と同じ想いを抱き、同じ場所に立ったのだ。

 バスカニアは絶対の確信を得た。弟子が殺そうとする怪物と、助けようとする者を。


「ああ、お前ならばそうする。聖女を同じ道を…………『怪物』を殺し、だろう」


 二度と笑顔を浮かべないこと以外、生前と変わらない姿のタムリア。

 花と春風に抱かれた英雄の遺骸のそばで、王は民が作り上げた歌を力強く音にした。



   *



 聖女の末裔にして、聖律家門筆頭ハナカザの問題令嬢。

 ドレスで剣と馬を振り回した、西国家のある意味伝説。


 ――怪物の生存を世に伝えた、忠告の騎士。


 ただ一人世界の危機を証明し、後に続く幾人もの英雄を導いた英雄なのです!

 それが正しい正しくないなんて知りません。

 ですが、たぶん聖女ポイントは山盛りでしょうね、ええ。

 そういえば、彼女は聖女と◯◯の約束も本人から聞いたのでした。

 なんともまあ、聖女の物語は誇張されているもので。

 いえ、逆に過小表現かもしれませんね。

 うむうむ、別に知られて困るものでもないでしょう。

 イメージを守るために、勝手に改変するのも分かりますが。

 聖女はたぶん、目の前で出されたら拳で語り出すタイプですよ。



『燃やすとかどんな仕打ち⁉ 賃金見合ってないわっ‼ 安心して、私が時間をあげる。見返しましょう! 私と貴方の願いを叶えるのよッ‼ …………はあっ? なんでって、正気になったとたん冷静ね』


『ここまでする理由なんて――――――――前に立ったら良すぎただけよっ‼‼』

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怪物と約束 アールサートゥ @Ramusesu836

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