あのとき/少女の軌跡

 温暖な気候と強い日差しが、穏やかな海に降り注ぐ。サビア森林の南側、大陸西南部に位置する内海であるラジミツ海。正確には緣海に分類されるそこは、中継地として人と金が行き来する西部海路の心臓だ。

 そんなラジミツ海北部、大陸最大級の港として数百年の歴史と時流を刻むウーツ街。

 陸と海の境界をまたぎ、いまは動かない巨獣が横たわっていた。

 その上に立つは急所をプロテクタで覆う鎧を身につけ、光を反射する素朴な剣を掲げた少女。

 巨獣は、魔獣を喰らい続けた海獣のなれの果てであった。魔獣を殺戮本能ではなく捕食本能で狙った獣は、時間をかけてなみの魔獣以上となる災害と成り果てたのだ。もとより“王獣”と呼ばれる格があった獣は大型船3隻にもなる巨体を揺らし、度々ウーツ街へと進行を試みていた。

 魔獣の脅威を幾度も跳ね返してきた港町は、二年で五度も巨獣を海へ押し返すことに成功。だが、流通と人が減ることで徐々に息切れ状態へ押し込まれる。

 六度目の巨獣進行阻止は、もはやウーツの意地だった。滅びを認めない、海の人の決意だった。だがついに、陸にほど近い場所まで巨獣は船を蹴散らす。

 横やりを入れたのは、小さな少女。貧相とも言える痩躯に見えた。細い腕が剣を振るった瞬間、巨獣は毛が変化した角を失った。

 言葉を失う船乗りたちをよそに、水を纏ったように輝く刃は巨獣を傷つける。硬く巨大な骨は刃をはじくが、大砲と魔術を跳ね返す皮と肉は切り裂かれていく。

 浅瀬に巨獣の頭が達したとき、呆然とする海岸の防衛部隊に声がかかる。

 青年だった。柔らかな笑みと声は、戦えと人々を鼓舞した。少女の剣と青年の声が、信じられないほど心臓を高ぶらせ、気付けば大声を上げて大砲やバリスタを動かしていた。家に引っ込んでいた者でさえ飛び出し、熱を持った身体を振るって戦った。

 ウーツの民が一際大きな歓声を自認したときには、巨獣は倒れ英雄が誰よりも高い場所で勝利を告げている。


『私はテントを30分で建てられる! 内装も10分で整えられる‼』


 内容はよく分からなかったが、ウーツの民は次の言葉を素直に待った。

 魔術なのか、風が少女の声をウーツ全体に響かせる。


『準備は整ったのです! 私はこれより、次なる冒険へと踏み出すのですっ!』


 やはり具体的なことはよく分からないが、ウーツの民は風車が揺れるようなどよめきを生んだ。

 少女が隣に目を向けたとき、そこには青年が立っていた。無粋なことは言わず、青年を褒め称える声が出たていどであった。


『船をッ! ラジミツの南へ行くために、一隻の船だけを貸して欲しいです! この巨獣を対価として欲しいのです‼』


 謙虚さと高潔さに感動したウーツは、全力で恩人の頼みを叶えると心を一つにした。

 四日をかけて名工が船を造り、街から出していたベテラン船乗りを呼び戻し、ウーツで一番の使用人が船に乗った。踊り子は断られた。

 僅かな時間であった。しかし、ウーツは未来永劫語り継ぐために石碑と銅像を建てた。

 ふれあえば、想像よりずっと幼い少女を。

 その笑顔を忘れないために。

 石碑と銅像を見せるために引き留めたのは、恩人より怒られてしまったという。



 ――――……



 ジゼ大陸南部には、魔術の聖地がある。四つの地上都市と一つの海中都市、魔術法域ライゼン・クローツである。

 たどり着く者は神秘の力を手に入れる、そんな噂まであるおとぎ話のような場所。まあ、実際はただ魔術的知識教育が飛び抜けていただけなのだが。ただし、それが当てはまるのは魔術に深く関わらない者だけ。

 魔術とは知識、それがライゼンでの常識。だが、住人たちはそれが一種建前であることを知っていいる。正確には、自分たちとは違う異次元に座す者たちを知っているのだ。


『こっこ、こんにちは! 良い天気ねっ!』


 緊張を隠しきれないタムリアは、分厚い天上の下で言い放つ。外は太陽が見えない曇天だった。

 聖都アロベーンより訪れた騎士を見下ろすのは、魔術を己と扱う七人の万能者。すなわち魔術法域の君臨者、魔術卿である。

 タムリアの挨拶で四人がため息と共に出て行ったので、残ったのは三人だけだが。

 家格において上位三名が残ったのは、果たして幸運と言えるかどうか。


『まずは……神の杖、こんにちわ』


 しゃがれた声で、魔術卿にして法域の盟主が声を上げた。タムリアは招かれた立場で先に挨拶するという、けっこうなポカをやらかしていた(魔術師は作法はともかく礼儀に厳しい)。


『かて……タムリア・アハトラナ・ティウロムシーダロンレイ=ハナカザ……騎士。法域のカッセルガンドという。聖都とは、関係もない』


 聖都にもカッセルガンドはいるが、あれの方が後から名乗っているのだ。盟主たるカッセルガンドは、家名にして個人名として聖女以前より法域を治めている。

 タムリアが再び挨拶をして、本題へ入った。


『魔術を学びたい……しかれ、時間持たん…………よい、承った』


 地上において魔術の神とも言える盟主は、鷹揚にうなずく。

 そう、タムリアは魔術を学ぶために来たのだ。青年は考えていた、彼女には魔術を扱える素養はないのかと。それも、英雄に相応しい魔術を。盟主がうなずいたのだ、素養はあるのだろう。

 盟主が視線を飛ばすと、残っていた魔術卿の一人がニンマリと笑う。

 膨大な魔術陣、光が線と点となり描く神秘。

 そこから生まれたのは――――タムリアの前に浮かぶ一冊の本。

 アンビゼル印刷商なる商標が刻まれた本は、どの角度からも市販本に見えた。


『販売前だ。超越者の為の教本……ひ孫が名付けた……出版は、そこなアンビゼル……40日後、出る』


 どうやら、盟主直筆らしい。なぜだろう、魔術の神にしては世俗的だ。出版前の試印刷らしく、会社の印が押されていた。

 アンビゼル魔術卿は腹を抱えて大爆笑していた。

 本を抱えて呆然とするタムリアに、しゃがれた声が再び向けられる。ただその視界には――二人を映して。騎士から青年へ、移り変わるように。


『それが……カッセルガンドの意志……良き人とならんことを』

『あのっ‼』


 タムリアの呼びかけに、法域の盟主は仕草をもって先をうながす。

 目をキラキラさせた青年騎士はためらいもなく、大陸でも五本指に入る影響力のみなもとに大声を向ける。


『サインくださいっ! 魔術卿法下のみなさまの全部! できればッ‼』


 アンビゼルは呼吸困難になりかけ、影の薄かったイグラハミトムも笑い声をこぼし、カッセルガンドは口角をあげた。大変失礼なタムリアの行動は、どうも魔術卿三人の心を掴んだようだ。

 その後、魔術卿三人に、渋い顔をした呼び戻された四人が加わることで魔術卿勢揃いのサイン本が生まれた。ついでに今年7歳になる、法域盟主のひ孫のサインも付いてきた。おそらく、空前にして絶後の偉業として語り継がれることだろう。


『よかったね』

『わ~……うぉ~……夢がひとつかなった…………』


 ライゼン・クローツを出てからも、タムリアは『ちょうえつしゃのための、きょうほん』を眺めたまま。そのまま歩いて、前を走っていた馬車にぶつかり破損させたほどだ。

 読み込み、実践し、工夫して…………タムリアが篝火の魔術を会得したのは、四日後のことだった。自らへの害悪を燃やし、遠ざける魔術は、まさにただ一人の英雄に相応しいものである。青年は、そう思った。そう思うしか、できなかった。

 そして少女は青年に、希望を見せてしまった。



 ――――……………



 空気が澄んで、星がよく見える季節。それは東の果てにある島国の、特徴的気候が生んだものだ。

 何千年も前、突如として“天人”を名乗る数十人が世界に現れたという。その中で三人が命を代償に島を生み、気候を変え、文化と狐人たる巫女を与えたと言われている。宝物である幼子への犯罪が極刑(特に無職は残虐に裁かれる)など、いまだに文化も多く残っていた。

 ヤオヨロズの神という、ありとあらゆる神を容認する文化の島国。

 だが、日輪平安国ひのたいらかのくに(他国に読ませる気ない、自国でも特別な読み方扱い)において、現人神と広く呼ばれるのは一柱(特徴的単位)のみ。

 狐の耳と尾を持つ天の御使い、〈天臨日狐の九尾〉たる巫女である。


『くそいまいましいのぉ、ドグサレ。わしを脅すとは、うっかりミスする神に似て大脳がたりんぞ?』

『やあ、久しぶりだね』

『濁った息を吐くなドグサレ』


 神威従える巫女が、青年を見下ろす。

 稲穂の海を連想させる、黄金の体毛。背に浮かべた歯車のような背光輪は、日輪の威厳そのもの。床が黄金に波打ち巫女を支えるのは、穢れより離された者であることをあらわす。ケモノとヒト、両者の性質を備えることこそ一種神聖さを覚えさせるだろう。

 〈天臨日狐の九尾〉〈千年神使〉〈女皇〉……世界屈指の歴史と神秘の生き証人、“巫女”がそこにはあった。


『警邏を人質とはのぉ……また組み直すか』

氷輪ひょうりんも大変だね』

『わしをその名で呼ぶかドグサレっ』


 巫女は機嫌が悪かった。明らかな脅威を港で捕らえろと命じれば、向かわせた警邏すべてが叩き伏せられ人質になったのだ。

 どうにもできない穢れは不快。それよりも、人間だ。巫女は不変半不滅ではあるが、死がないわけではない。

 紅白の上に身につけている羽織りを直し、巫女は刺々しい視線を青年の隣に向ける。


『初い……が、焼命と悲泣の相がみえる。神殺しの手の者なるか?』

『私タムリアです! サインくださいッ!』

『近づくなバカモノっ! 手足口目を戒めれば考えてやるわ‼』


 毛を逆立たせた巫女が金色の目を燃え立たせれば、タムリアは炎によって束縛された。かなりの温度があるのか空気が熱されるが、篝火の魔術が編まれたコートはタムリアを完全に熱から護る。仮にも現人神と呼ばれる巫女の炎を、鍛え初めて一年も経たないタムリアが防いだ瞬間だ。

 ピクリ、と巫女は眉を上げる。タムリアは手足口目を狐火で戒められ、なにも分からなかった。


『氷輪、口にしたことは守らないと』


 青年が言えば忌々しそうな顔をしながら、巫女はタムリアが持っていた書物を奪い、耽美な筆跡で名を残した。平安国産の絵物語には『天臨日狐護国記』と記され、すでに端がよれるほど読み込まれている。

 拘束を解かれたタムリアは感激に号泣し、神殿から叩き出すように滞在を赦す巫女の姿があった。

 タムリアと青年は最初に鍛冶場を巡り、その後は観光に集中する。団子を食べ、道場破りで返り討ちに遭い、翌日お礼参りに行く、その後は温泉と伝統料理、次の日には門下生に襲われ嬉しそうにする……とにかく愉しそうな観光である。

 そうやって十日間が過ぎた夜、タムリアは日課となった入浴で全身をほぐしていた。


『ずいぶん、時に余りがあるものよのぉ』

『おきつね様……色が、変わりました、ね?』


 意外にも冷静に「その呼び名、ドグサレか」と悪態を吐く巫女は、以前タムリアが見た時とはまったく違う姿をさらしていた。

 まず、太陽の化身である証、背光輪がない。金毛は凍てつくような白銀色へ、金眼は灰色の中にほんのり七色混じる月光冠のように。よく見れば、毛先の白が黒色に染まっている。大きな耳をピンと立てる姿は、人の形をしたギンギツネにしか見えない。


『われはもとより日輪の神でない。天の権威と瞳、日月の巡り転輪の化身なれば。天の色が変われば、われも変わろうというものよ』

『意外に小さい……』

『人の肉は食いとうないが……一興か? 大父は何をおもいわれの肉をちんまり……』


 湯に座っていて、巫女の大きな耳先がタムリアの目程度の高さ。尋常ならざる神威で気付かなかったが、巫女の躯は幼子のようであった。それでも、流し目は日照りより恐ろしい。

 一人と一柱は湯船に並ぶ。


『鞘を造れと、言わぬのなぁ』

『断られる気がしたので』

『一目に名を書けと迫られればのぉ……とはそらさん。貴様が道を選ばんがゆえよ』

『私は怪物を殺します。世界のために』

『殺すのか、世界を戻しても』


 風と水面が静まるまでが、言葉の隙間となる。


『われが皇座に残されしばらく、風は強く命を冷やした。それはなんといたいものよぉ。杖が神命なりと突き立ち風を押しとどめ、どうにかわれは倒れんだ』

『そのあと、太陽が割れて地面に落ちた。留まり、いつしか光は消えた…………ですよね?』

『風が散らされた、が抜けとるな』


 それは、200年前の節目以前より続く、平安国では有名なおとぎ話。


『そちらでは、怪物が生まれる前かのぉ。熱をとどめ、ため込み、森羅を腐らせる神のごとき怪物であったろう。さぁて、殺すか?』

『ししょーとの約束です。怪物は何があっても倒さなければならないのです』

『ならば聞かせろ。殺し方をな』


 夜空を見上げ、巫女は己とも言える月を眺める。

 立ち上がったのはタムリア、巫女の前に立ち、ひざまずく。


『そんな目で見るな。わかっておるわ、貴様が決めたことなぞ』

『鞘を、打って欲しいです。私の剣は人のもの、折れないために鞘がいります』

『問うた。言葉で聞かせろ』

『いやです。私の決断は、私だけが背負います』


 一年にも満たない旅途中の騎士に、巫女はふかくふかくため息を強要される。

 人間はなんて強情なんだ、とでも思ったのかもしれない。


『ならば憧れ、恋、嘆願を捨てろ。貴様がわれの国の者と競う間に、鞘を打つ』

『っ――ありがとうございますッ!』

『うぅん、四年ぶりよなぁ。湯の分やるかのぉ――――貴様、日輪平安国すべてに伝えておけよ』

『…………なにをです?』

『われの鍛冶は太陽。大仕事ゆえ、九日昼夜の闇夜は忘れよ』


 にやりと笑い月光に溶けて消えた巫女。タムリアは呆然とした顔を浮かべる。

 十分ほど動けなかったタムリアは、突如として太陽が天頂に居座ることで動くしかなかった。


『タムリア? 風が動いたら、急に昼に……』

『ししょーっ⁉ 早すぎですおきつね様ーっ⁉ 国中にお知らせしないとーっ⁉⁉』

『あれ、服は着ないの?』

『女湯に入ってきてますししょーッ⁉』


 出国の日、国一番の技巧派剣士を鞘で叩き潰したタムリア。

 久しい夜の中で、多くの国民に祝福と文句を言われながら手を振る。

 彼女は船の上から、耳は隠せど尻尾を一本出した見送り人にことさら元気に両手を挙げた。

 


――――…………

 ――――…………

  ――――…………

   ――――…………




「その先は知っている。大魔獣たるニズアの黒蛇の命と引き換えに、毒と傷を得た。一年をログターニアで過ごし、三刻前にそこで……ついぞ我が名を呼ぶことはなかった」


 花を燃やし空気を焼き、白熱する戦斧を携える巨躯。

 瘴気などなかったかのように傷のない姿をさらす、傷だらけの鎧を纏った戦士。

 ジゼの山嶺という魔境、その麓にあって最強と謳われる人類の壁。

 炎斧王バスカニアが、そこにはいた。

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