第2話 誰が為の開拓
「っと、え……?」
「ぐえっ!」
私が軽く着地した横で、ローナは盛大に尻もちをついた。
薄暗く、風が通る音が響く空間。それは一方向に道のように、ずっと遠くまで続いている。
拝啓母さん。現在私達の旅は、とんでもない方向に向かっています。
今から大体三時間ほど前。私とローナは国境を超え、森の街「ヴェデラゴ」に入った。
初めは、初めて見る森や自然に少しワクワクしていたが、眠っていないため酷い疲れに襲われ、私達は木陰で休むことにした。
すぐにでも眠れそうな私を心配して、ローナが母に持たせてもらった魔法瓶を出したときだった。コップが外れ、跳ねた先の坂を転がっていってしまったのだ。
それを追いかけてローナが走り出してしまい、緊急事態に少しだけ覚醒した私は二人分の荷物を持って彼女を追いかけた。
ローナは凄く早かった。長い事盗賊として国中を逃げ回っていたからか、地面を蹴る力が凄まじい。岩を飛び越えながらどんどん前へ駆けていく。私の足では到底追いつけない。
「ちょっと、早いって!あっ」
多分、小さな石だった。それに躓いて、その勢いのまま私は前にすっ飛んだ。
位置的に避けられず、前を走っていたローナにぶつかってしまう。それでバランスを崩してしまい、ローナと私は坂を尋常でないスピードで転がった。
どうやっても止められない。ローナと離れようにも、魔法瓶の紐がリュックに絡まって取れない。
どうしようかと思ったが、咄嗟にローナが木を掴む。すると、そこで止まれはしなかったものの、少ししたところで止まることができた。
「はあ……」
「ゔゔ……目が回る……」
すっと起き上がって絡まりを取る。坂の上からここまで、大きな距離じゃなさそうだ。ちなみにローナは起き上がれていない。
ローナを起こそうと手を貸しに近づいたその時、地面がメリッと音を立てて沈んだ。
後ろを振り返る。見れば、大きなヒビが先程の木を起点にどんどんこちらに向かってきている。その度に地面が少しずつ沈んでいる。
それに気付いたローナが、瞬時に動いて手をついた先にはもう一つのヒビ。
私達は、地面の割れ目に落ちたのだった。
どうやら大きなトンネルに落ちたらしいが、なんだか様子がおかしいように思えて、周りを見回す。
「いてて……あ、コップ!」
コップも一緒に落ちてきたらしい。起き上がったローナが一目散に駆けていく。
「捕まえた!」
「はい、荷物」
「え!ありがとう……!」
よく取れたね、と目を輝かせるローナ。しかし彼女も事態の異常さに気付いたようで、周りを見て不思議そうに首を傾げた。彼女なら、ここがなにかわかるのだろうか。
「ここどこ?」
「分かんない。洞窟か何かだと思うけど」
「え、これが洞窟?」
洞窟というものは地理学の教科書に載っていたので知っているけど、まさかこんなに広くて大きいとは思わなかった。
「そだよ!でも、私が知ってる感じの洞窟じゃないんだよなーって。なんか、誰かの手で掘られてる感じがするっていうか……」
にしては天井高いんだよねー。出らんないよこれ。とローナ。確かに、さっき私達が落ちてきた穴は、地面から十メートルほど離れている気がする。穴からは太陽の光が煌々と差してきている。
となると、この先に進むしか無いのだろうか。
考えていたことは同じだったようで、さきにローナが口を開いた。
「……進んでみる?」
「……うん」
太陽の当たらない暗い道に一歩踏み出す。何歩も進んでいくと流石に足元に不安を覚え、取り出したスマホの明かりをつけた。
それを見てローナが驚いた様子で言った。
「わ、それ光るの?」
「う、うん。ほんとに知らないんだね。機械とか」
「知らないよ!エネルギアの技術は最先端だもん。まだまだ他国には普及してないのが殆どだよ……」
「へえ……まあ、私も逆に森とか川とか、こうゆう絵とか、初めて見たけど……ローナ?」
声がしなくなって振り返ると、ローナはぽかんと口を開けて壁を見つめていた。
「どうしたの?」
「これ……すごい手がかりだよ!」
「え、何が?」
「これは壁画!ここに人がいたっていう痕跡だよ!」
驚いて壁を見やる。これ、人がやったものなのか。高いところまで神秘的な女性の絵が描かれている。ローナは興奮気味に続ける。
「これがあるってことは、やっぱりこの洞窟には誰かいるんだよ!会えれば何か教えてもらえるかも!」
「お、おお……!」
「さあ、先へ進もう!」
「うん!」
重大な発見を得た私は、暗い道を照らしながら再び進み始めた。
「うーん……誰もいないね」
それから何分、いや何時間歩いたか、結局誰とも会うことはできず、ローナは唸った。
一方私はあることに気付く。これはヤバい、ヤバすぎる。内心大慌てでローナを追いかけた。
「ローナ、ヤバい」
「ん?やばい?」
「まずいってこと!太陽にあたってないからスマホの充電が切れそう」
「え、じゅうでん?切れたらどうなるの?」
「使えなくなる…そしたら光がなくなって何も見えないよ!」
「ええええええええええええ?!」
二人で画面を覗き込む。バッテリーマークはたしかに赤く点滅している。
「え?!え?!あとどれぐらい使えるの?!」
「残量があと……あっ!!」
「あ、きえた!!!」
プツッと電源が落ち、あたりを闇が支配する。夜行性の獣人は多少暗くても月などの小さい光源さえあれば無害だけど、こうも全く光源のないところだとわけが違う。
全く見えない、奈落の闇に落ちるのみ。
「ヤバい!見えない!」
「や、やばい!誰かー!!!」
その場から動けず二人で必死に叫ぶ。すると、少しだけ状況が変わったことに気付いた。
「ん……?ちょっと見えるようになった?」
「た、確かに。でもどこにも光源なんて……ん?」
ある一点、前方に目を凝らす。一つの、でん今日のような何かが、ふわふわと揺れながらこちらに向かってきている。
「あれ……何?」
二人でそれを見ていると、その光が、だんだん数を増やしていて、気づけば物凄い数のそれが、こちらに向かってきていた。
脳が判断する。あれはこの世のものではない。
「に、逃げるよ!」
「え、ぐえッ!」
首を傾げている場合ではない。ローナの首根っこを掴んで全速力で来た道を引き返す。後ろを振り返る。まずい。思ったより早い。それに、なんか追いかけてきてない?
ローナもその光景を見てわぁぁ!と悲鳴を上げる。真っ暗で何も見えないのも気にせず、二人でひたすら真っすぐ走った。
不意に、足元にかすかな振動を感じた。疑問を口にする前に、目の前の地面から何かが突き出てきた。
「に゙ゃッ?!」
「わ゙あッ!!」
突き出てきたものが、周辺の地面を崩しだす。視界がスローモーションのように歪む。追いつかれてしまったんだ。もう終わりだ。
絶望と共に目を閉じた時、パッと視界に明かりが広がった。
「こ、怖がらないでください。無害ですから…」
声が聞こえて目を開ける。地面から、ヘルメットを被った頭がこちらを見ている。穴から這い出てきたそれは立ち上がると、ズボンに付いたポケットから機械を取り出し、ボタンを押して話し始めた。
「お父さん、止まってくれたよ」
いくつか会話をして、再び機械をポケットの中にしまう。そして私達に向き合った。ヘルメットに付いた布で顔が見えないけど、どうやら
「す、少しお待ち下さい」
「貴方……何者?」
「へ、あ、その……」
分厚い上着で大きくみえたその体躯を、小さく縮めておろおろとする。その声は少年のようにも聞こえたが、仕草からして相手は少女のようだった。
「私、ローナ!狼だよ!こっちは猫のニア!」
「ちょ……」
「あなたは?」
少女はピタリと動きを止める。そして黄色いヘルメットを脱いだ。顎辺りまでの長さの暗い砂色の髪と、赤い瞳、横寄りの控えめな耳が現れる。
「私は……ネロリ・ロックウッド。ミーアキャットです」
「ネロリ!よろしくね!」
「よ、よろしくお願いします」
「敬語じゃなくていいのにー」
「あ、これはその…癖みたいなものなので、気にしないでください」
ネロリはヘルメットを抱きしめてそれきり黙ってしまった。どうやらかなりシャイな性格らしい。
しかしここで疑問が生まれ、自分より少し背の高い彼女に話しかけた。
「えっと…ネロリ」
「はい」
「貴方、なんでここにいるの?」
「それは……」
ネロリの答えを聞く前に、ローナがわっ!と声を上げる。振り返ると、大勢のヘルメットを付けた人々が、そこに迫っていた。
「私が、ここを開拓している集団の一人、だからです」
開拓団。話だけは聞いたことある!とローナ。そうか、おばけだと思っていたのはヘルメットのライトだったんだ。
集団から、大柄の男性が出てくる。彼は穏やかに笑い、私達の所にやってきた。
「ネロリ」
「お父さん」
「彼女たちは?」
「えっと、狼のローナさんと、猫のニアさん」
「初めまして!」
「ど、どうも」
「やあ、開拓団リーダーのグレン・ロックウッドだ。よろしく頼む」
ネロリのお父さんは優しく笑って私達と握手を交わした。そしてすぐに話し出す。
「君達はここに迷い込んだのかい?」
「はい。転がった先の地面が、突然陥落して…」
「それは災難だったな。怪我はないかい?」
「はい!無傷です!」
「はっはっは!そうか。なら安心だ」
グレンさんは娘のネロリとは反対に、気さくで明るい性格のようだった。
「これからどうずるつもりだい?」
「地上に出て、ヴェデラゴを目指したいんですが」
「そうか……なら、俺達で送り届けよう!」
「え?!」
思いがけない申し出に、ローナと二人で驚いて目を合わせる。
ネロリは父に話しかける。
「お父さん、本当にいいの?」
「ああ。この子らと会えたのもなにかの縁だ。助け合うのが、我々のモットーだろう」
と言うと、彼は集団の前に出た。人々はそれまで思い思いに話していたが、リーダーが現れた瞬間ピタリとそれを止めた。
「皆聞いてくれ!明日一番、上昇作戦を決行する!」
とても大きな声だった。しかし一瞬置いて、それを上回る歓声が沸き起こった。
ローナが上昇作戦?と首を傾げる。隣りに居たネロリが、全員で地上に出ることをそう呼ぶんです。と教えてくれた。
「さあ、善は急げだ。先へ進もう」
その声で、全員が動き出す。
ネロリがこっちです。と手招きする。ローナもワクワクが止まらんと言うような顔で私を見る。
行こうか。と一歩踏み出したときだった。足に入れたはずの力が入らない。視界に何もうつらなくなった。
「あ?!ニア!」
「あ、え、あ、あわぁ……!」
頬に冷たい土の感触を感じた。それなのに何も考えられず、深い眠りにおちた。
「……ん?」
「あ、大丈夫ですか?」
目が覚めて一瞬脳が混乱する。そしてすぐに、自分は今旅に出ている身だと思い出す。
枕元に、心配そうな顔をしたネロリがいた。彼女は最後見たときは着ていた上着を着ていなかった。見れば、上着は私の身体に掛けてくれている。
「あれ、ここ……」
「我々のコロニーです。ニアさん、突然倒れられたんですよ」
「ああ、そっか」
そう言えばそうだった。普段は眠っている時間に活動を続け、慣れない環境や急激な運動に体がついてこられなかったんだろう。眠ったからか多少元気な気がするが、やはりまだ重だるい。
言いながら起き上がろうとすると、慌てたネロリに止められる。
「起き上がっちゃ駄目ですよ、まだ休んでいてください…」
「うん、ありがとう。……あれ、ローナは?」
「ローナさんは……あ、あそこです」
ネロリが指さした先、ある大きな壁の前にローナ、そして三人の子ども達がいた。何人か大人もいる。
子ども達は白いペンキのようなものをつけた筆で、壁に絵を書いていく。ローナは子ども達を肩に乗せたり、同じく絵を書いている人々の手伝いをしていた。
「すごいね。あれ全部、あの人達が描いたの?」
「はい。我々は昔から、絵を通して歴史を伝えてきた種族なので」
ネロリが正座の体制から体育座りに直す。薄い身体に筋肉のついた腕、弱々しい口調の割にかっこいいな、と失礼ながら思ってしまった。
「我々は長い事、地下に掘った穴で暮らしてきました。掘ってはコロニーで休む。を繰り返し、しばらく掘ったらコロニーを移動する。その度にこうして壁画を遺すんです。彼らと、ローナさんが描いているのも、その一つです」
「あ、じゃあ私達が途中で見たのも、きっと貴方達が描いたものなんだね」
「そうかもしれません」
二人で話していた間、遠くにいるローナたちにも動きがあった。ローナが子ども達と少し会話をしたあと、肩に一人を乗せたまま子ども達とこっちに走ってくる。ローナも子ども達も、何故か満面の笑みを浮かべていて、心無しかめちゃめちゃ恐怖を覚えた。
「ね、ネロリ?」
「な、何でしょう……?」
「とてつもなく嫌な予感がするの、私だけ?」
「ニーアー!」
やっぱりだ。子ども達ごとこっちに走ってくるローナ、微笑ましいように見えるこの光景を止める人はだれもいない。今の体調で子ども三人と狼少女の相手をすることは不可能だ。死ぬ。確実に。
あと少しで彼女たちがやってくる。その前に逃げたい。でも動けるほど元気じゃない。
そんな私の前に、スコップを持ったネロリが立ちはだかった。
「顔を覆っていてください」
「え?」
それ以上何も言わない彼女に従って、咄嗟に彼女の上着の中に隠れる。
すると一瞬、地面がガクッと揺れたような感覚を感じた。
「わわっ?!」
「あー!ネロリねえずるいー!」
「わたしもねこさんあいたーい!」
上着から顔を出す。そして状況の理解に困った。さっきまで私は少し高くなった平たい地面に横になっていたはずだ。しかし私が今いるのは人がしゃがんで埋もれくらいの凹みの中。そのすぐ隣、ローナ達が走ってきていた方向には大きな壁。その横に土にまみれたネロリが、服の土を払いながら地面にスコップを突き立てていた。
「え?」
疑問の声を上げた私に気付き、ネロリはこちらに向き直る。
「お怪我など、ありませんか?」
「大丈夫だけど……何が起こった?」
「ニアさんから半径一メートルを七十センチ程掘り下げ、その土で彼らが来る方向に壁を築きました」
「え?!」
「わ、起き上がっちゃ駄目です!身体に障りますよ」
「この一瞬で、どうやって……?」
「え、と、掘ったんです。このスコップで」
ネロリはよく使い込まれていそうな、金属製のスコップを掲げる。ところどころ塗装が剥がれているそれは、何の変哲もないように見える。つまり、今起こったこれは彼女自身の力ということだ。
「凄い。才能だよ!」
「そ、そうですかね……」
照れたのをごまかすように、手袋をはめた手で顔についた泥を拭う。その拍子に、首元から一切輝くものが現れた。黄色の、爪のような形で――
「あっ!」
「ひぇっ?!」
「それ、ペンダント!」
「……???」
色は違えど私達が持っているものと同じ形、特徴。間違いない。彼女は〝適合者〟だ。まさかこんなところにいるなんて思いもしなかった。
「え?!何?!何があったの?!」
壁の向こうから、状況を知らないローナの声が響いた。
壁を元の平面に戻したネロリが、両手首に巻いた包帯で汗を拭ってテントに入ってくる。コロニーの人々は基本テントで暮らし、このテントは、ネロリとグレンさんのものだそうだ。
「お、終わりました……」
「ありがとう。じゃあ、座っていただいて」
「……はい」
不安げに私達の前に正座するネロリが、ペンダントを手に話しだした。
「えっと……このペンダントがどう、きゃッ!」
「それどこで手に入れたのッ?!」
「ローナ落ち着いて」
ネロリに飛びかかる勢いで、ローナは叫ぶ。それを治めて、代わりに話した。
「ごめん。私達もちょっと、その、びっくりしてて」
「いえ。その、これは、貰ったんです。知り合いではない人から」
「そこ詳しく!!」
「え、あ……その人は、私が一人別の道を掘っているときに、突然現れました。丈の長い大きなローブを着た、背の高い人で、若い男性の声だったので、相応の方なんだと思いますが……」
「なるほどー……」
「えっと……?」
「あ、ごめん。実はね、私達も――」
隣でソワソワと落ち着かない彼女に目配せし、二人揃って首元の証を晒した。
「……あ」
「その、同じなんじゃないかなと思って」
眼の前の彼女は首にかかる使命を握りしめ、少し不安そうな、複雑な表情を浮かべた。
「ネロリ、それ貰った人に、なにか言われた?」
「……『貴方は〝クリソベリルの爪〟の適合者だ』と言われました。他の適合者と旅に出なさい、とも。そうした暁には、自分が思い悩んでいたものを打ち消す出会いが待っているだろう、と。えっと、その、つまり……その〝適合者〟が、貴方達という訳ですよね」
「そうだね」
ネロリの表情が不安げに曇る。気になったが、ローナは気にせず続けた。
「私達ね、それに従って旅をしてるの!まだどこにもついてないんだけど。ねえどう?ネロリも一緒に行かない?」
ローナはきっと、絶対来てくれる!と確信を持って聞いたんだろう。しかし、ネロリは顔を曇らせた後、私達に向かって頭を深く下げた。
「すみません。辞退させてください」
「ええッ?!」
ああ、そうだよねと思った。急に言われてはい行きましょうなんて言える人のほうが稀だ。私だって初めは断ってたし。
しかし理由を聞かないことにはこちらも下がれない。なんせ適合者は五人のみだ。一人かけると何が起こるかわからない。
「どうしてか…聞いても良い?」
「えっ……と……その……」
聞かれると思っていなかったのか、ネロリは目を泳がせて、そしていびつに笑顔を浮かべた。
「……ほら、私ってずっと地面の下にいたじゃないですか!だから世間知らず過ぎて皆さんに迷惑かけると思いますし、何より、旅とか、そんな…気分じゃないっていうか……」
「本当は?」
驚いた。ローナは明るい気配がガラッと変え、真面目な表情でネロリに問いかける。
ネロリはびくりと後ろに後退る。そしてもう逃げられないと思ったのか、顔をくしゃりと歪めた。
「……私、怖いんです!外に出ることが!地上は私達にとって危険なんです。お母さんは十五年前地上に出た時、土砂崩れに巻き込まれて死にました。私をかばって。もう二度と同じことが起こってほしくないんです。もう、大切な人を失いたくない……それに私、勇気がないんです。旅に出ようにも、そもそも
涙を流しながら、震えをこらえている。悲痛の叫びだった。 そして彼女は涙を拭い顔を上げたかと思うと、自嘲的に笑ってみせた。
「呆れたでしょう。こんな奴一緒に行ったところで足手まといになるだけです。これがいるなら、お渡しします。なので、お願いします…辞退させてください……」
最後、ネロリは再び、顔を歪めて頭を下げた。
ああ、この子は本当に連れていけない。彼女が抱えているのはトラウマだ。私の断った理由なんかとは全く違う。一緒にしてはいけなかった。
ローナも彼女の痛みを想像したのだろう。眉を下げてこちらを見る。
彼女と旅をすることはできない。彼女の意思は尊重しなければいけない。
「……わかっ――」
「なんでそんなこというの?」
その時、テントの入口から幼い声が聞こえた。さっきローナの肩に乗って絵を描いていた子どもたちだった。二人共不安げに丸い瞳を揺らしている。
その存在に気付いたネロリが慌てて立ち上がる。
「リーフ、ナット、聞いていたんですか?」
「ネロリねえ、そんなこといっちゃだめ!」
「じぶんのことわるくいっちゃだめって、ママいってた!」
「し、しかし、本当のことですから……」
「そんなことないもん!」
ネロリのもとにかけてきた子どもたちは彼女の膝にしがみつき、涙を流しながら叫んでいる。
「ネロリねえは、いっつもみんなのためにがんばってるでしょ!」
「ネロリねえがいなかったら、パパもママも、みんなこまっちゃうもん!あしでまといじゃなもん!!」
「二人共……」
「…ネロリねえのママがいないりゆう、はじめてきいた。なんにもかんがえないできいちゃって、ごめんなさい」
「それは!私が言わなかっただけですから。あなた達は何も悪くありませんよ」
「でも、ネロリねえを、きずつけちゃったでしょ?」
「それは……」
子ども特有の無垢な質問。きっと彼らは以前訊いたことがあったんだろう。
「ごめんなさい。でもネロリねえはつよいよ」
「強くないですよ。今だって立ち直れてないんです。あの時私が勝手な行動さえしなければ、母は死ななくて済んだんです。私が代わりになれていたらと、何度思ったか――」
「だめッ!」
子どもの一人が、しゃがみこんでいたネロリの口をふさぐ。男の子は眉を吊り上げて彼女に叫んだ。
「そんなこといったら、ネロリねえのママないちゃうよ!」
「ネロリねえのママは、そんなことかんがえてほしくてネロリねえをまもったんじゃないでしょ!!」
ネロリの目が見開かれる。その目からみるみるうちに涙が溢れた。
「ネロリねえ、いっておいでよ。ネロリねえにしかできないんだよ。ネロリねえのママだって、そう思ってるよ」
「……うん」
「それとね、じぶんをきずつけること、もういわないで?ママのためにも。ネロリねえはつよくて、やさしくて、ちゃんとゆうき、もってるからね」
「……うん、ごめんなさい。怒ってくれて、ありがとう」
涙の止まらないネロリに子供たちは抱きつく。彼らは生まれてから、ずっとネロリと一緒だったんだろう。子供の力は、計り知れない。
しばらくして泣き止んだネロリが、子供たちから離れ立ち上がる。
「……でも、一度お父さんと話をさせてくださ――ひぃやッ!!」
ネロリはテントを出ようと足を進めたが、外を見た直後飛び上がって後ろに尻餅をついた。
「ネロリ?!」
「お、おと、おとお、お父さん?!」
みんな驚いて入口を見る。たしかにそこにはグレンさんがいた。申し訳無さそうに眉を下げている。
「すまん。盗み聞きするつもりじゃなかったんだが……」
「い、いつからそこに……」
「最初からだ。こいつに呼ばれてね」
グレンさんは足元に目をやる。彼の足元から、ひょこっと男の子が顔を覗かせた。
「ルート……」
「ごめんなさい。でもぼくも、ふたりとおなじきもちだったから……」
そのままテントの中にいた子ども達の元へ走っていく。
グレンさんは膝を折り、ネロリと目線を合わせて話した。
「ネロリ。おまえがそんなふうに思ってるなんて、知らなかったよ」
ネロリは尻もちを着いた体制から起き上がり、父に向き合う。
「一人で背負わせて悪かった。もっと父さんもおまえの気持ちを図るべきだった」
「違うよお父さん。私が一人で勝手に抱え込んでたのが悪いの。もっとお父さんを頼ればよかった」
父の言葉に首を振った娘は涙を拭い、決心したような表情で顔を上げた。
「お父さん、私、旅に出ようと思う。まだ物凄く怖いよ。トラウマが消えたわけじゃない。でも、私変わりたい。皆のためにも、自分のためにも」
そんな娘を見て、父は立ち上がった。テントを出て、コロニー全体を見渡す。
「皆!聞いてくれ!」
その声に、テントの中にいた人も、作業をしていた人も、すべての人が動きを止める。
「明日一番に予定していた上昇作戦は、中止とする!」
人々は動揺した。今まで決定したことに基本変更を加えたことがないかのリーダーが、初めて変更を申し出たのだ。
彼は続けた。
「俺の娘が、人生に関わる重要な旅に出る決意をした!だから、もしも次決行する日が来るとしたらそれは!ネロリが戻った時だ」
その言葉、この光景に、娘は息を呑んだ。生まれてからずっと共に冒険してきた仲間たちが、自分の門出を喜んでくれる。皆手を取り合って、踊って、お祭り騒ぎ。
ただの自分一人のことで、こんなに多くの人が喜んでくれるなんて、思ってもみなかった。
父は再びテントの内側へ戻ってくる。ネロリの肩を支えて、彼女に微笑んだ。
「行って来いネロリ。俺達はここで待ってる。だからというわけではないが、俺達が地上で暮らせそうな場所を探してきてくれないか?旅のついでに」
ネロリは耳を疑った。今、父は地上で暮らすと言った?父は再び続ける。
「もうこの地下に残された資源はそう多くない。俺達も、地上に出て暮らさなきゃいけないときが来たんだ。だからこそ、その新たなコロニーの場所を、おまえに探してきてもらいたい。彼女達との旅を通して」
今まで任された中でも、一番の大役。ここで行かなくてどうする。
力強く頷いたネロリは、父と固く握手を交わした。
「ネロリ!」
「あの、先程はすみませんでした」
彼女は頭を下げる。謝らなければ行けないのはこちらの方で、二人で慌てて止める。
「私、変わりたいです。みんなのために。お願いします。同行させてください」
顔を上げたネロリに、もう涙の影は見えない。
彼女は、彼女自身で思ってるより、ずっと強い心の持ち主だ。と思った。
「やっったぁ!!」
「でもきっと、いやほんとに足手まといになると思うので……」
「「そんなことない!!」」
「ネロリねえ!」
「あ、ごめんなさい……」
「ここだ……」
「結構遠かったね」
翌日、体を休めた私達は、前日落ちてきた穴に向かった。勿論ネロリと、開拓団の人々も一緒だ。
ネロリは出発を前に、一人ひとりに挨拶していた。
「じゃあ、行ってくるね」
「ああ、気を付けてな」
「絶対、安住の地を見つけてくるから」
「そこまでじゃなくていいさ。まあでも、その意気でな」
「ネロリねえ……」
「ありがとう三人共。あなた達のお陰だよ。私が少しでも勇気を持てたと思えるのは」
「ちがうでしょ?」
「え?」
「ネロリねえがゆうきをもてたのは、ネロリねえのパパとママのおかげでしょ!」
「……そうだね。でも、ありがとう」
彼女が全員に挨拶をしていく間、私は再びあの壁を見つけた。
「あ、ネロリ!」
「はい?」
「これだよ。昨日の」
ネロリと、グレンさんがやってくる。二人は壁を見上げ、それから何かに気付いたように息を吐く。
「これ……」
「ライラ……」
手に花を持ち、斜め上、光が差し込む先を見上げる美しい女性の絵。私達には分からない、長い長い彼らの歴史の一部。
「……お母さん、行ってきます」
ネロリは壁に寄り添って、静かにそう言った。その手には、光を得て美しく輝く宝石が握られていた。
しばらくしてこちらに戻ってきたネロリに、ローナは声をかけた。
「……よし!行こう!!」
「はい!」
グレンさんが穴の外へフック付きの縄を投げる。それは見事に引っかかり、外へ出る準備は整った。
「……行ってきます!」
縄に手をかけたネロリは振り返る。その目には父や子ども達、いつか見た母の姿があった。
「「「行ってらっしゃい!!!」」」
よく晴れて爽やかな風が木々を通り抜ける朝。
彼女の、大切な仲間のための、開拓の旅が始まった。
道行く爪の音 おるか。 @orca-love
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