道行く爪の音

おるか。

第1話 世を、夜を

「では、今日の授業はここまで」

 チャイムが鳴った瞬間、先生は教室を後にした。先生はキリンだから、きっともう眠気が限界なのだろう。三徹だって言ってたし。

 担任がいなくなったときは決まって帰りのホームルームはない。荷物を片付け、教室を出る。午前4時丁度。いつも通り。

「ニアー!」

「ユカ」

 後ろから去年同じクラスだった友達、ユカが駆けてくる。

「お疲れー、おなかすいちゃったよー」

「だね」

「ねね、この後どっか食べに行かない?」

「あー……ごめん今日は遠慮しとくよ」

「そっかぁ……また今度誘っても良い?」

「いいよ」

「やったあ!」


 私達獣人は、太古の昔に生きていたとされる〝ニンゲン〟によって生み出され、この地球で繁栄した生き物だ。

「遺伝子情報の半分が〝ドウブツ〟、半分が〝ニンゲン〟という特徴を持つ私達はそれぞれ違う特徴を持っており、これまた太古に存在していた〝ドウブツ〟の特徴に則り区分している。区分によって名称があり、獣人達はこの区分を〝種〟と呼んでいる。

 研究者曰く、私達の身体のつくりは〝ニンゲン〟に等しく、多くは特徴として〝ドウブツ〟のような耳や尻尾を持っている。他にも翼をを持っている種や、鋭い爪を持っている種も存在する。

 獣人達はそれぞれの性質ごとにいくつかの国に住み分かれ、現在では十の国が、この地球に存在している。


 ユキヒョウの獣人であるユカの白い尻尾が揺れるのを見ながら、小学校のときにやった教科書の内容を思い出していた。

「あれ?ニア?聞いてる?」

「あ、ごめん。なんだっけ」

「今度の建国記念日、予定空いてる?って話」

「ああ、来週の月曜日だっけ」

「うん」

「空いてるよ。どっか遊びに行くの?」

「うん!私調べてたの!この前できた駅前にできたカフェなんだけど……あれ、夜やってないや……」

「行くなら、私達が起きてるしかなさそうだね」

「うう、やってると思ってたのに……」


 私達は〝夜行性〟という性質を持つ。ここ、情報の大国「エネルギア」には夜行性の獣人たちが快適に暮らせるよう「フリックスタイム」という制度が適応されている。

〝昼行性〟の獣人達の時間基準から十二時間基準をずらし、生活できるという制度だ。私とユカの家庭はこの制度を利用しているので、昼間営業の店を利用する場合は早起き、または徹夜ならぬ〝徹昼てつちゅう〟しなければならないのだ。

 ちなみにこの国で暮らすほとんどの夜行性獣人はフリックスタイムを利用しているが、この国以外で暮らす夜行性の獣人達は昼行性に適応して生活しているらしい。


「まあ、しょうがないかー……あ、ニア、何かやりたいことある?」

「いや、私は特に」

「んもー、ニアいつもそうなんだからー。趣味とか好きな事とかないの?」

「んー……あんまり」

「もー、それ人生楽しい?」

「……さあね」


 話していればあっという間に昇降口についてしまう。ユカと私の家は反対方向にあるのでここでお別れだ。

「バイバイニア!また月曜日に」

「うん。またね」

 午前四時の空は暗い。でも街の照明が輝いているので視界には困らない。そもそも夜行性獣人は夜でも見やすい目の仕組みになっているのだけど。

「あ、ママ!猫!」

「こら、指ささないの!すみません……」

「いえ。慣れてますから」

 私達〝猫〟、特に〝イエネコ〟と呼ばれる獣人は世界でも少数だ。理由はわかっていない。それに加え私は黒毛だから、こうして珍しがられることも少なくない。

 パーカーのフードを深くかぶって、明るく輝く街を見上げる。人目を避けるように、細い道を急いだ。


「ただいま」

「おかえりーニア」

「来週の月曜ユカとご飯行ってくる」

「へー、何時に家出んの?」

「午前九時」

「わ、徹昼すんのか」

 私は母さんと二人暮らしだ。父さんは小さい頃に事故で死んでしまった。

 私はかなり引きずっていた覚えがあるが、カラッとした性格の母は笑顔で父を送り出していた。

「朝ご飯何?」

「うどん」

「ネギある?」

「ある。ツナ缶も」

「最高」

 我が家の家庭料理、ツナ缶うどん。うどんに水分を切ったツナ缶を入れるだけなのだがこれが格段に美味しいのだ。

「ほいお待ちどう」

「いただきます」

 母と向かい合ってうどんを啜る。やっぱり美味しい。

 ズルズルと立て続けにうどんを啜っていると、突然母に耳を触られる。

「何」

「いやね、あんた本当に父さん似だなって」

 私の色殆どないもん、と母は笑う。

 母はトラ猫だ。サラサラの茶髪はよく染めたのと間違われたらしい。私は黒猫の父に似たらしい。

「いい男だったんだよ。あんたの父さん」

「知ってるよ。記憶あるもん」

「えー嘘だー、あたしあんただったら絶対覚えてないもん」

「じゃあこれも父さんに似たんだね」

「はー一本取られたわー」

「はは」

 母さんとのやり取りは基本こんな感じだ。これをユカに話したら、友達みたいだねと言われたが何でだったのかさっぱりわからない。

 先に食べ終わった母さんが、最後に三人で撮った家族写真が入った写真立てを手に取る。

「ホントに、頭が良くて世話焼きで落ち着いてて、あんなにモテてた奴他にいなかったね」

「高校の同級生だったんだっけ」

「そー。告白されたときはびっくりしたよ。ほら、あたし雑じゃない?もっとセイソなのがタイプだと思ってたからさー。てかそんな素振りも一切なかったし」

「はいはい」

「ちゃんと聞けよー」

「もう何回も聞いたでしょ」

「あ、そっか」

 こういう母の忘れっぽいところを見ると、やっぱり私は父似なんだなと思う。

 母はわかりやすい人だと思う。あっけらかんとしていて思ったことはなんでも口から出ているような。流石に失礼だから言わないが。

 不意に母が耳を立てる。

「あ、そいえばあんた宛に荷物きてたよ」

「え、荷物?」

「うん。なんか頼んだ?」

「いや、特に何も」

「え?なんだじゃあ」

「とりあえず確認してみるよ」

「ほーい」

「ごちそうさまでした」

「お粗末さん」

 丼をシンクにおいて、自室への階段を登る。オレンジ色の電球が、ジジッと音を立てる。

 私の家はそこまで新しくない一軒家だ。父方の祖父が持っていた家の一つで、父が亡くなったときに譲ってもらったものだ。

 そのため少し古く、昔のものが多く残されている。

「……でか」

 基本的にあまり物が置かれていない私の自室。窓際にベッドがあり、それ以外で主な家具と言ったら、机と小さな本棚くらい。

 その簡素な自室に入って目に入ったもの。それは軽く私の胸辺りくらいまである大きな段ボールだった。

「こんなに大きいのいつ頼んだっけ……ん?」

 上の面の端になにか書いてある。

『髢九¢縺ヲ』

「え……これ何語?」

 宛名なんだろうか。でもこんな言葉、何処の国で使われているんだろう。

 とりあえず、テープを取ってみよう。と思ってびっくりした。この荷物、テープが付いていない。

「え」

 この国の荷物は基本、郵便局を通るときに公式のテープで留められる。〝肉球〟というまるいマークが散りばめられた可愛いやつ。

 しかしこの荷物にはそれがついていない。母が剥がしたにしても、跡がついていないのでありえない。

「……開けるか」

 取るものがないので仕方ない。蓋に手をかけ深呼吸し、心のなかでカウントダウンする。

 三……二……一…………

「……えいっ!……え?」

 見えたのは、もこもこの何か。と耳。

 中を覗き込むと、丸まって眠る獣人の少女が、ぴったり収まっていた。

「え、ちょ、え?誰?」

 その時、女の子の目がパチっと音を立てる勢いで開いた。

「にゃっ?!」

「みつけたっ!うわわわッ!」

 女の子は箱から飛び出したかと思えば、バランスを崩して箱ごと床に倒れた。

「ニアー、どうしたー」

 母が階段下から聞く。まずい。

「な、なんでもない!」

 咄嗟に答えてしまったが何でもないわけがない。突然届いた謎の違法?配達物から獣人出てきてるんだよ。しかも「みつけた」って何。ただ事じゃないんですけど。

「ふう、侵入成功」

 箱から侵入者が起き上がる。何が侵入成功だよ。大迷惑なんですけど。

「あ、あんた何者?」

「私はローナ!探したよ〝ルビーの爪〟の適合者!」

「は?何言って――」

「一緒に来て!」

「え、ちょちょちょちょちょちょ」

 急に変なこと言い出して急に手を引っ張らないで欲しい。ローナと名乗った彼女はそのままどんどん窓の方へ進んでいく。

「ちょ、っと待って!」

「わっ」

 彼女の手袋をはめた手から自分の手を取り戻す。

「流石猫さん。柔らかい」

「説明して。でなければ通報します」

「エッ?!」

 私の発言に、向かい合って最早臨戦態勢だった彼女は慌てだす。

「そ、それだけはご勘弁を……」

「何で」

「何でってそりゃ……私盗賊なので……」

「は」

 盗賊って、今の時代居るの?この国に?てことはもうこれ誘拐未遂で通報していいよね?

「……通報します」

「ちょっと待って!!!」

「嫌です離してください」

「お願い!地球の危機なの!!」

 思わず足が止まる。

「地球の危機?」

「ちゃんと説明するから!お願い通報だけは……」

 必死の形相で頼まれてしまうと、こちらも何も言えない。


 ということで結局、一一〇番をすでに打ってあるスマホを挟んだ状態で、侵入者と向かい合っている。

「これ何?」

 少女が目を真ん丸にして私との間にあるものを凝視している。

「え、スマホだけど」

「スマホ……?」

「え、知らないの?」

「始めて見た……」

 ますます謎でしか無い。何なのこの子。

「……まず貴方は誰ですか」

「ローナ。一応……盗賊です」

「名字は?」

「わかんない。父ちゃんも母ちゃんも小さい頃に死んじゃったらしくて聞けてない」

 いきなり闇が深い情報を軽く言わないでほしい。

「そう、なんだ。……で、何が起こっているんですか」

「そう!よくぞ聞いてくれた!」

「ちょ、静かにして」

「あ、ごめん。私普段は盗賊として国を周ってるんだけど」

「極悪ですね」

「最後まで聞いて!それでこの前入った洞窟で、これを貰ったの」

 と言って、彼女は上着のポケットから古い紙を取り出した。

「なにこれ」

「ある伝説についての古文書ってその人は言ってた」

「誰ですかその人」

「わかんない。ローブで顔もよく見えなくて」

「怖」

「でね、これも貰ったの」

 彼女は首元に手をかけ、かかっていた紐を引っ張りだす。

 するとコインくらいの大きさの、怪獣の爪のような形の緑色の宝石が現れた。

「それ、ペンダント?」

「うん。貴方は〝ペリドットの爪〟の適合者だって渡されたの」

「不審すぎる」

「他にも四人いて、あなたは四人目だって言ってた」

「前に三人いるってことですか?」

「うん、このペンダントを持つ獣人が集まれば、この古文書の謎は解けて道は拓ける、とも言ってた」

 話が全く持って真実味を帯びていないような。それでも彼女は続けた。

「それで、貴方に会いに来たのはこれを渡すため」

 ポケットから取り出されたのは、同じく爪のような形の赤い宝石のペンダント。

「私なら、五人目を見つけて、この伝説の謎を解けるだろうって」

「……」

 恐る恐るペンダントを受け取る。するとそれは月のように一層光り輝いた。

「わ、何?」

「十の爪が集う時、道は拓かれる」

「え?」

「私、伝説を解き明かしたいんです!だから私と一緒に来てください!お願い!」

 困った。全く話を信用できない。と言うか――

「これ全く地球の危機じゃなくないですか」

「え?!いや……」

「むしろ私情ですよね」

「ゔッ……たしかにそうだけど……」

「貴方最初地球の危機だって言いましたよね?」

「じ、十分危機だと思わない?!」

「少なくとも、破滅的でないので危機ではありません」

「ご、ごもっとも……」

 目の前の少女の耳がどんどん垂れていく。一周まわって可哀想になってきた。

 かといって私にはそうすることもできない。もうここはちゃんと言ってしまおう。

「私には何もできません。なのでお引き取り下さ――」

「行ってきなよ」

 突然後ろから聞こえた声に、盛大に飛び上がった。

「か、母さん?!いつから聞いてたの?!」

「え?今めっちゃ飛ばなかった?」

「最初から聞いてたよ。猫なめんな?」

「私も猫だけど?!」

 何食わん顔で母は部屋に入り、私のベッドに腰掛けた。

「はいはい。えーっと、ローナちゃん、だっけ?」

「へ、はい……?」

「うちの娘をよろしくね」

「え!いいんですか?!」

「いいよいいよ。〝適合者〟ってつまり、この娘じゃないとできないんでしょ?連れてっちゃっていいよ」

「ちょ、母さん勝手に話を進めないで!私は行く気なんてない」

 第一なんで私がこんな危険そうな事に片足を突っ込まなければいけないんだ。それに来週の月曜日はユカと遊ぶ約束だって控えている。

 訴える私を一瞥して、母は溜め息ながらに口を開いた。

「馬鹿ね。困ってる人目の前にしてよくそんなことが言える。いい?ニア。あんた行かなかったら、絶対後悔するよ」

「後…悔……?」

 後悔。母からは一生聞くこと無い言葉だと思っていた。

「あたしが医者なのは、分かってるよね」

「……うん」

「え?!お医者さん?!」

「そうだよ。この職についてるとね、後悔なんてたっくさんできるのよ。あの時こうしていれば、患者さんをもっと早く助けられたかもしれない。こうせずに済んだかもしれない。って。でもあたしが医者であること関係なしにできてしまった後悔はもっとたくさんある。もっと真面目に勉強していればよかったとか、あの時父さんを一人で行かせなきゃよかったとか、もうちょっと幼いあんたと一緒にいればよかったとか。それ以外にもうんとある」

「母さん……」

 知らなかった。いつもなんでもないように笑う母が、ここまでいろんなことを抱えていると思っていなかった。

「だからあんたにはね、あたしみたいな思いはしてほしくないの。後悔しないなんてのは絶対に無理だよ。生きてれば避けられないからね。でも防げるものは防いであげたいの。ニア、あんたはここで行かなきゃ絶ッ対後悔する。あたしが断言する。学校にも言っとくユカちゃんにも話しとく。だから行ってきなさい。」

 最後には母は私の肩を掴んで、真剣な目でそう言った。

 私は、今まで母の何を見て生きてきたんだろうか。何を持ってして私は母という人間を知った気でいたんだろうか。

「ごめんなさい……」

「何よ。謝ることなんてなにもしてないじゃない」

「でも……」

「なにか思うことができたっていうなら、さっさと荷物まとめなさい!わかった?」

「……うん」

 母はいつものようにニッと笑った。

「よし、そうと決まったら急がなきゃね!ローナちゃん!ニアの荷物検査は任せたよ!」

「ラジャ!」

「終わったら来なさい!傷の手当てをしなきゃ」

「え」

 母の言葉で彼女の方を見る。たしかにその手足は傷だらけだった。

「え、うそいつから?!」

「ん?さあ?覚えてない」

「ええ……」

「はははっ!いいねーワイルド!あんたもそんくらいになってきなさい!」

「えー……」


 荷物は最小限だった。軽く着替えと筆記用具、日用消耗品。あとスマホ。母に言われて携帯救急セットも持たされた。

「はい、ローナちゃんにはこれを任せた」

 母によって手当てが施されたローナに母は丸く膨らんだ肩掛けカバンを手渡した。

「これなんですか?」

「おやつバッグ!途中で食べな。スープもはいってるからそれは近いうちに飲みきってね」

「わ!ありがとうございます!」

「こんなにうちにお菓子あったっけ」

「へそくりよへそくり」

 意地悪そうにニヤリと笑う。多分意味合いが違うけど、まあいいや。

「ニア」

「なに……わ」

 ローナと二人で鞄の中身を確認していると、母は突然私を抱きしめた。

「え、なに?」

「行ってらっしゃい。外の世界を見ておいで」

 身体を離した母は、今までになく優しい表情をしていた。

「なんか今日、見たこと無い母さんをいっぱい見た気がする」

「え、やだ。そう言われると恥ずかしいんだけど」

 いかにも恥ずかしそうなジェスチャーで一歩引く母を見て、少し笑った。

 そしてついに、ドアノブに手をかける。

「じゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい!たくさん冒険してこいよ!」

 ドアを開ける。旅の前、最後に見る母の顔は、いつも通りのニッとした、清々しい笑顔だった。


「いいお母さんだね!私、凄く刺さったよ……!」

「うん。本当にそう思う」

「じゃあ改めて、ローナです!よろしくね!」

「ニア・アルベルトです。よろしく」

 そういえば母の話の直後すぐに支度に移ってしまったから、まともに話をしていなかった。

「えっと…まず、何処に行けばいいの?」

「んー、わかんない」

「……え?」

 ここに来て、そんなことを言う人を私は初めて見た。だか彼女の話には続きがあった。

「だからまず私の故郷に戻って、なにか聞いてみようかな!と」

「貴方、盗賊なら聞く前に捕まるんじゃ?」

「大丈夫!街の人は私のそんなとこまで知らないから!」

「心配だな……あ…」

「ん?」

 胸を張るローナから目をそらした先、熱く明るく世を照らす存在を見た。

「綺麗…」

 太陽、それも昇っていくところは久しぶりに見た。こんなにも綺麗だったなんて。

 ペンダントをかざす。きらきら光って、これさえ持っていれば何でもできるような気がした。

「良い門出だね」

「かどで?」

「だいたい出発みたいな意味。知らないの?」

「うん、知らなかった!」

「そう…」

「じゃあ、行こっ!」

「……うん」


 腕時計の表示は午前六時半。

 私は見知った祖国を、夜を出る旅に出た。






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