【完結】家族レシピ(作品240504)

菊池昭仁

素敵な家族の作り方

第1話

 「ただいまー」


 と言っても家人の返事はない。いつものことである。

 5年前、私は郊外にこの小さな2LDKの建売住宅を、35年ローンで購入した。


 最寄のJRの駅からはクルマで10分。駐車場を借りるのは勿体ないので駅まで自転車を漕ぎ、山手線と地下鉄を乗り継いで、片道2時間の通勤だった。

 つまり、一日24時間のうちの6分の1を会社への通勤に使っていた。

 1ヶ月20日出勤するとして、1年で240日。1年間で960時間の通勤時間である。

 すなわち1年のうち40日を会社への通勤に費やしている計算になる。ゆうに1ヶ月以上である。

 今年で42歳の厄年になる私は、あと18年で定年退職である。

 となると定年まであと720日。約2年が通勤で終わることになる。これを悲劇と言わずしてなんと言えば良いのだろうか?

 せめて妻のみさきに駅までの送迎を頼んでみたが、


 「無理。チャリンコを漕げば体力も付くし、電車でエッチな動画も見れるじゃない」

 「いつも電車は満員だよ」

 「痴漢だけはしないでね? 家のローンもまだ残っているんだから」


 と、取り合ってもくれない。

 娘のなぎさの小学校には近かったが、中学校までは3kmも離れていた。

 その住宅営業マンは口が達者だった。


 「今、お嬢さんは小学校の低学年でいらっしゃいますよね? ここは小学校にも非常に近いので、とても安心です。ナンチャラ坂46のようにチャーミングで利発そうなお嬢様なら、すぐに学校の人気者になってしまうでしょう!

 ここは大型分譲地ですから、お子さん同士の家庭環境も大体同じで、あまり苛めもないようです。

 弊社としましてもここが最後の1棟ですので、「早い者勝ち」ということになってしまいます。

 いかがです田所様? 家賃並みのお支払いでこの「夢のマイホーム」が手に入るのですよ。

 このチャンスを絶対に逃してはいけません! 奥様とお嬢様のためにも是非、ご決断を!」


 松潤のようなイケメン営業マンに「美しい奥様」と言われた岬はすこぶる上機嫌だった。


 「いいんじゃないの? ここで。

 色々見たけどみんな予算オーバーだったし、ここなら日当たりもいいし、ここに決めましょうよ。

 もうくたびれちゃった。週末の展示場巡りも」

 「パパ、私はここでいいよ。お引越ししたらワンちゃんを飼ってもいいでしょう?」


 確かに折角の休日に、住宅展示場回わりは限界だった。

 そして私はまんまと営業マンの口車に乗せられてしまったのである。



 実際に住み始めてみると、ゴミの収集所が目の前にあったり、西風が吹くと2km離れたゴミ処理場からの焼却臭も漂って来た。そしてさらに最悪だったのがお隣の佐々木さんだった。

 回覧板を届けても出て来ない。やむを得ずポストに入れると後で家までやって来て、


 「ちょっと田所さん! どうしてちゃんと家まで届けてくれないのよ! まったく不親切なんだから!」


 と、逆キレされる始末。

 おまけに来客が来るとちゃっかりウチの駐車場に黙ってクルマを停めて知らんぷり。

 そしてそれを注意しようものなら、


 「何よそれくらい! いいじゃないの、いつもじゃないんだから!

 それに田所さんのところはの軽自動車が1台だけ、日中は奥さんがパート先のファミレスに乗って行くから駐車場は空いたままでしょう? それくらいいいじゃないの、お隣さん同士なんだから!」


 と、ねじ伏せられてしまう。




 妻の岬はいつも愚痴を溢していた。


 「私、この家を買うことには気が進まなかったのに、パパが勝手に「ここにしよう」と決めちゃうからもう最悪。

 ああ、早くこの家から引越したい。もうヘンになりそう、隣の佐々木のババアは頭がおかしいし」

 「パパが悪いんだよ。こんなところにお家なんか買うから。

 私、本当は転校なんかしたくなかったのに」

 「だってお前たちがここがいいって言うから・・・」



 今まで住んでいたアパートは、駅から歩いて5分の距離にあったので、会社の通勤にもラクで、同僚たちと酒を飲んでいても、帰りの電車の時間を気にしなくて済んでいた。

 だが今日は雨だからと岬にクルマで駅まで迎えに来てくれと頼むと、岬は凄く不機嫌になる。


 「会社の人との飲み会は、バスが通っている時間までにしてよね! まったくもう!

 私は『タクシー・行く!』じゃないんだからね!」


 散々嫌味を言われ、家に着くと、


 「はい、1,000円になります」

 「カネ取るのか?」

 「当たり前でしょう? タクシーなんだから」


 そう言ってカツアゲされる始末である。

 ゆえに「ただいま」と家に帰っても、女房も娘も返事をしてはくれなかった。

 玄関に出迎えてくれるのは柴犬のパトラッシュだけだった。

 ちぎれるほど尻尾を振って私にじゃれ付くパトラッシュ。


 「ただいまパトラッシュ。いつも出迎えありがとな?」

 「ワン!(お帰りなさいパパ! 今日もお仕事お疲れ様でした!)」




 風呂から上がるとダイニング・テーブルの上にはホラン・ラップが掛けられた、冷めたコロッケが置かれてある。

 私はそれを電子レンジに入れ、温めて食べるのが毎日のルーティーンだった。

 ホームセンターの特売で買った、1本98円の知らない銘柄の発泡酒を飲んでひとりで寝る毎日。

 岬とのセックスレスはもう4年以上にもなる。

 たまに私が求めると、


 「そんなにしたければ風俗にでも行けばいいでしょう!」


 と拒絶される。毎月の小遣いは昼食代込み、タバコ代込み、ジュース代込みで2万円しかない。

 ピンサロなら4回行けるが、デリヘル嬢をホテルに呼ぼうものなら、1回で月の小遣いが消滅してしまい、私は餓死するしかない。


 そして最近、どうも岬の様子が怪しい。

 今まで見た事もないような、派手な赤や黒のTバックも干すようになり、頻繁に誰かとLINEをしている。

 パート先のファミレスでの女子会も頻繁だった。


 「今日もまた女子会なのか? 昨日も女子会だったよな?」

 「昨日はママ友たちとの女子会。ホント、イヤになっちゃうわ。でも仕方がないのよ、参加しないと仲間外れにされちゃうの。朝までには帰れると思うから、たぶんだけど」


 私はそれ以上追求することはしなかった。

 この家に引越して来て5年、私の家族は崩壊寸前だった。



 そんなある日のこと、会社に1本の電話が掛かって来た。


 「田所係長、3番に西川様という方からお電話です」

 「はい」

 


 私は業者さんかと思い、電話を取った。


 「お電話代わりました。『子供のおもちゃ本舗』、田所です」

 「田所雄一郎さんでいらっしゃいますか?」

 「はい、そうですが?」

 「私、弁護士の西川と申します。この度、お父様の田所榮太郎様がお亡くなりになりまして、生前、お父上からご依頼を受けた者でございます。お話ししたいことがございますので、一度ウチの事務所においでいただくことは可能でしょうか?」

 「どういったご用件でしょう?」

 「榮太郎様の遺産相続の件でございます」


 それはまさに、「青天の霹靂せいてんのへきれき」だった。

 



第2話

 私は霞が関にある、西川弁護士の事務所を尋ねた。

 西川弁護士はテレビでもよく見かけるコメンテーターだった。

 物腰はやわらかいが眼光の鋭い、ハイエナのような男である。

 いかにもお金が大好きそうで、いつかは衆議院議員になって法務大臣となり、「俺様が法律だ!」と、妄想しているような、脂ぎった中年男性だった。


 「はじめまして田所さん。弁護士の西川です。

 既にご存知かとは思いますが、あの『行列に並ぶなんてまっぴらゴメンだ 法律案内所』に出演している、西川則易夫のりやすいおです。よろしく。

 先日はお電話で失礼いたしました。お父上の榮太郎会長とは生前からお付き合いがございまして、今回のご逝去に伴い、遺言書に基づく遺産相続のお手続きのご依頼をいただいております。もちろん、ご相続の意思はおありですよね?」

 「遺産というのはどのくらい・・・、あるんでしょうか?

 負債も財産ですよね? まさか借金を相続なんてことはないですよね?」

 「あはははは ご心配には及びません、負債は銀座のクラブに二千万円ほどです」

 「二、二千万円! 相続しません! そんな大金! 失礼します!」


 私はスリットスカートがエロい、江角マキコのような秘書が出してくれた、マダム津々子のバウムクーヘンをエゾリスのように口に頬張ると、素早く退席しようとした。


 「まあまあ落ち着いて下さいよ田所さん。話はこれからです」


 相手は西川弁護士である。騙されたら大変だ。

 私は眉毛につばを付けた。


 (騙されるものか!)


 就職してから父とは一度も会ってはいなかった。

 母は私が中学の時に他界しており、私と父は賃貸マンションにふたりで暮らしていたが、私が就職して家を出ると父も家を引き払い、行方不明になっていたのだ。

 西川弁護士は話を続けた。


 「資産は世田谷に屋敷が1邸と、その他相続税等を支払った場合の残りの現預金、有価証券等がおよそ3億4千万円、そしてポルシェとメルセデス、そしてフェラーリF40がございます」


 私は思わず叫んでしまった。


 「世田谷に屋敷! 3億4千万円の株式と現預金! ポルシェにベンツ! そしてフェラ・・・」

 「田所さん、フェラチオではありません、フェラーリですフェラーリ。はい、左様でございます。もちろん銀座のクラブの未払金も支払った後の金額でございます。

 何かご質問はございますか?」

 「あのー、父の死因は何だったのでしょうか? そしてどうして父がそんなお金持ちに?」

 「死因は急性心筋梗塞でした。こちらがその時の死亡診断書になります。

 お父上のお話ですと、宝くじで5億円が当選し、それを元手に株や先物取引、不動産売買等で財を成したとおっしゃっていました。よう知らんけど。

 失礼、大阪出身なものでつい大阪弁が出てしまいました。お許し下さい。

 それではこれらの書類をご確認の上、サインをお願いいたします」


 書類を確認して私がサインをしようとすると、西川弁護士がそれを止めた。


 「お待ち下さい。ひとつ言い忘れていたことがございます。

 遺言状の中に、「家は売却してはならん。シェアハウスにして住人と一緒に暮らすように」という文言がございますが、その点については大丈夫でしょうか?」

 「つまり、世田谷の家は売らずに「シェアハウスの大家になって一緒にその住人たちと暮らせ」ということでしょうか?」

 「そのようです。いかがですか?」


 もちろん親父の残してくれた家を売るつもりはない。

 折角父が残してくれた家だからだ。

 そして私は父が好きだった。

 だがそれを岬が知ったら多分こう言う筈だ。


 「その家をさっさと売っちゃってさあ、そのお金で港区のタワマンで暮らそうよ!」


 と言うに決まっている。

 岬は都内のタワマンで生活するのが夢だったからだ。


 「もちろん家は処分しません。わかりました、家は私が大家として同居して、シェアハウスにします」

 「では改めてサインをお願いします」


 その日から私は突然の大金持ちになった。




第3話

 私は家に帰って岬と渚に遺産相続の話をした。


 「ここを引っ越すことにした」

 「あなた、今日は4月1日、エイプリル・フールじゃないわよ。つまらない冗談は止めてくれる?」

 「バッカみたい。そんなの出来もしないくせに」


 思った通りの反応だった。

 私は自信たっぷりに言ってやった。


 「親父が俺に遺産を残してくれていたんだ」

 「だからそんな出鱈目な話は止めてって言っているの!」

 「ホントなんだ。俺も驚いたんだ。それで今日、管財人の弁護士と会って来た。ほら、これが証拠だ」


 私は西川弁護士の名刺を彼女たちに見せた。


 「えっ? あの『行列に並ぶなんてまっぴらゴメンだ 法律案内所』の西川さんじゃないの! ホントなの!」

 「俺がお前たちにウソを吐いたことがあるか?」

 

 急に色めき立つ女房と娘。


 「それでそれで? いくらなの? お義父さんが残してくれた遺産って? 300万円? まさか1,000万円なんてことはないわよね?」

 

 私は相続金のことは黙っていることにした。

 話せば必ずあれが欲しい、これが欲しいと、岬は地に足がつかなくなってしまう。

 カネは人を簡単に変えてしまう。


 「現金は僅かだが、世田谷の家を譲り受けることになった。

 明日早速、みんなでその家を見に行ってみないか?」

 「行く行く! 絶対に行く! 高級住宅街、世田谷にお家だなんて最高じゃないの!

 出来れば現金の方が良かったけど、世田谷だもんね?」

 「私、転校するのイヤだな・・・


 娘の渚は今、サッカー部のイケメン・キャプテン、隼人君と付き合っているらしい。

 彼氏と別かれるのがイヤなのだろう。


 「まだそこに住むなんて決めたわけじゃないから安心しなさい。

 お家がボロだったら解体して土地だけ売っちゃえばいいんだから」


 (岬、それは出来ないんだ)


 「そうなの? じゃあ見に行ってもいいけど・・・」


 岬は親父の家を売る気満々だった。

 なぜなら岬もここを離れる気はなかったからだ。ファミレスの店長とチョメチョメをしていたからだ。


 「駅の近くに豪邸を建てましょう! それならいいでしょう?」

 「うん、それなら賛成! 大賛成だよママ!」


 そんな彼女たちを見て、パトラッシュは寂しそうだった。

 パトラッシュは話は出来ないが、人間の話は理解出来る犬だったからだ。

 私はパトラッシュを抱きしめて言った。


 「パトラッシュ、明日はお前も一緒に見に行こうな? 親父が残してくれた世田谷の家を」

 「ワン!(楽しみだね? パパ!)」




 翌日、私たちはクルマのナビに従い、世田谷の家にようやく辿り着いた。

 だがそこにはとてつもなく大きな、お城みたいな洋館が建っていた。



 「ナビだとここなんだけどなあ。それらしい古くて小さな家は見当たらないなあ?

 みんな凄い豪邸ばかりだ」

 「本当にここで間違いないの?」

 「あの人に訊いてみよう。すみませーん、この辺りに田所榮太郎の住んでいた家はありませんか?

 榮太郎は私の父なんです」


 その御婦人は凄く高そうな白いボルゾイを散歩させている最中だった。


 「ここのお屋敷ですけど」

 「このベルサイユ宮殿みたいなお屋敷が父の家!」

 「そうですよ、この町内ではいちばん大きなお屋敷ですわ。おほほほほ」


 私は西川弁護士から受け取った、ゲート開閉のリモコンのスイッチを押した。


 「ひらけ~、ポンキッキ!」


 すると大きな両開きのアイアン門扉がゆっくりと開いた。私はゆっくりとクルマを敷地内へと進入させて行った。


 300坪はあろうかと思われる敷地は緑に囲まれ、レトロな洋館が建っていた。

 

 私たちは言葉を失い、しばらく呆然としていた。

 まるで夢を見ているのかと思った。


 


第4話

 「何これ・・・、まるでお城じゃないの!」

 「パパ、本当にこれが私たちのお家なの?」

 「間違いない、このリモコンで門扉も開いたしな?」



 私たちはやっと屋敷の玄関まで辿り着いた。


 「あなた、鍵は?」

 「予備のキーは受け取ったが、暗証番号でも開くらしい 1818、イヤよイヤ嫌っつ」


 私は震える手で4桁の暗証番号を押した。


 ピポパポ ガチャ


 「空いたぞ」

 「早く中に入ってみましょうよ」


 重い両開きのポンデロッサ・パイン製のドアを開けると、


 「すごい・・・」


 岬も渚も深い溜息を吐いた。

 玄関ホールは24帖もあり、床は白い大理石で、天井は大きな吹き抜けになっていた。

 中央にはきらびやかなスワロフスキーの巨大シャンデリアが吊られている。


 「私たちが住んでいる、あの35年ローンの雨漏りがする欠陥住宅の1階が、みんな入っちゃうくらい広いわね~」

 「電気を点けて来る」

 「あなた、気をつけてね?」

 「パパ、私もついて行ってあげようか?」

 「ああ、大丈夫だからここで待っていなさい」


 岬と渚はすっかり私を尊敬しているようだった。

 私は携帯のライトを頼りに分電盤を探した。

 

 分電盤は洗面所近くにある物置の中にあった。

 私はブレーカーのスイッチを上げた。

 屋敷中の照明が一斉に点灯し、屋敷は息を吹き返した。


 

 「ママーっ! 千葉にあるのに『東京ネズミ王国』みたい!」

 「すごい照明の数ね? リビングはここの扉の向こうかしら?」


 岬は両開きの大きなリビングドアを開けた。

 するとそこは48帖もある大きなサロンで、中央には優雅な曲線階段があった。

 

 「こんな階段、初めて見たわ! それに大きな窓、なんて広いお庭なの! いっぱい綺麗なお花が咲いているわ!」

 


 リビングに隣接している東向きの明るいキッチン。それはまるでジュエル・ロブションの厨房のようだった。

 ゴトクがしっくりした4つ口のコンロ、最新鋭の換気システムにジャンボシンクが2つ。それとビルトインの電子オーブンレンジにグーズネックのタッチレス水栓。そしてアルカリイオン整水器までが設置されていた。

 調理台はコールドテーブルになっており、冷蔵庫は業務用の大型冷蔵庫が2台備えられてあった。



 「なんて素敵なキッチンなの! ウチのファミレスより凄いかも!」


 キッチンは女の夢である。

 岬はうっとりとした目でキッチンを撫でていた。

 キッチンの南には12畳の和室があり、大きな囲炉裏が付いていた。

 リビングの一部はBARになっており、『ルイ13世』にヘネシーの『エクストラ・パラダイス』、そして『ラフロイグ』、ワインセラーにはドンペリや『ロマネ・コンティ』がぎっしりと備蓄されていた。


 

 浴室の方から渚の興奮した声が聴こえて来た。


 「ママ、パパっ! お風呂も凄いよ! 温泉みたいに広くてサウナまでついてる!

 まるでラブホテルみたい!」


 (何? ラブホテルだと? 渚はまだ中学生でありながら、隼人君とチョメチョメしているということか!

 避妊だけはちゃんとしているんだろうな! 大丈夫か? 杉田かおるみたいになったら大変だぞ!)


 「あらホント! 凄くいいアロマの香りがするわ!」

 「それに1階のおトイレは男女別になっていて、2つもあるよ!

 私、2階も見て来る!」


 階段をうれしそうに駆け上がっていく渚。そして渚を追って階段を駆け上がって行く柴犬、パトラッシュ。

 渚はそれぞれの部屋のドアを開けて回った。


 「お部屋がたくさんある! ベッドルームが1,2、3・・・、8部屋もあるよ!

 それにおトイレが3つと大きな洗面所、洋風のおしゃれなお風呂まである!

 私、このバルコニーのある南向きのお部屋がいい!

 ねえいいでしょう? パパ」

 

 渚はすっかり隼人君のことも忘れ、ここへ引っ越す気が満々なようだった。

 岬も同じだった。


 「私は渚の隣、この東南の角のお部屋にするわね?

 12帖もあるじゃないの! それに天蓋付きのキングサイズのベッドもあるわ!

 これならあのカビ臭い場末のラブホに行かなくても済むわね? うふっ」


 (カビ臭いラブホ? やはり岬は店長とチョメチョメをしていたのか!)


 「お前たちの好きな部屋を選ぶといい」

 「パパ大好き!」

 「ありがとう、あなた。チュ」


 (初めてだ! こんなに岬と渚が俺を愛してくれるなんて!)


 私は北側にある、いちばん小さな四畳半の部屋を選んだ。

 私には大きな部屋は必要がなかったからだ。

 どうせアダルトビデオを見て寝るだけの部屋なのだから。


 「パトラッシュ、俺とお前はこの部屋で一緒に暮らそうな?」

 「ワンワン!(了解ですご主人ちゃま!)」


 パトラッシュはちぎれんばかりに尻尾を振って喜んでいた。


 なるべくいい部屋を残して置きたかった。

 親父の遺言を守るために。

 そして私は岬たちにあの話を始めた。シェアハウスの話を。


 「この家を俺の所有にするためには1つだけ条件があるんだ」

 「何なの? その条件って?」

 「それはこの家でシェアハウスをすることなんだ」


 案の定、岬たちは騒ぎ出した。


 「知らない人と一緒に暮らすなんて絶対にイヤ!

 そんな条件、何とかしてよ!」

 「私もイヤだよ、そんなの」

 「でもそれがこの屋敷を相続するための条件なんだ。もしそれがイヤならこの家に住むことは諦めるしかない」

 「そんなの絶対にイヤ!」


 でもそれは想定内の反応だった。

 私は話を続けた。

 

 「俺もそう思ったよ。でも面白そうじゃないか? 知らない人たちと家族みたいに暮らすなんて。

 それに一緒に住む人たちを選ぶのは俺たちなんだし、何もイヤな人たちと一緒に暮らすわけではない。

 8部屋あるということは、俺たちが各々3つの部屋を使うとなると残りは5つ。

 一部屋を5万円で貸したとして、月々の家賃収入は25万円になる。

 一年で300万円だぞ?

 それは岬が自由に使って構わない。どうだろう? シェアハウスをやってみないか?」

 「全部私がもらってもいいの?」

 「もちろんだよ、生活費は今まで通り俺が仕事で稼ぐから」

 「それならいいけど」

 

 岬はすぐに賛成した。

 無理もない、一生懸命ファミレスで働いても、非課税範囲でしか収入にならないからだ。


 「私はイヤだよ、知らない人と一緒にこの家に住むなんて」

 「これは渚の将来のためでもあるのよ? そうすれば素敵なお洋服だってたくさん買ってあげられるし、渚の大好きなジミーズの『東京バナナ男子』のコンサートにだって行けるのよ?」

 「ホント! それならいいけど・・・」

 

 娘の渚は即答した。

 やはり渚は岬にそっくりだなと思った。欲が深い。


 「よし、これでこの家に引っ越すことが出来るな?

 早速シェアハウスの入居者をネットで募集することにしよう」

 「審査は厳しくしましょうね? 1次審査は写真付きの書類選考にして、2次は面接にするの」

 「そうだな? これから一緒に生活するわけだからな?」


 こうして入居者の選考が始まった。

 



第5話

 ガレージには真っ赤なポルシェとメルセデスの黒のマイバッハ、そしてレッドのフェラチ・・・、じゃなかった、フェラーリF40が格納されていた。


 「わー、すごいすごい! このクルマも相続したの?」

 「ああ、そうだよ」

 「だったらこの中古の走行距離230,000キロの軽自動車、『ショウハツ・ミロ』はもういらないわね? ビッグ・モーターに売っちゃおうっと」

 「どうせ査定はゼロだ。逆に処分料を取られてしまう」

 「そうかしら? でもいいわ、私、この赤いフェラチオに乗るから」


 私は敢えて訂正はしなかった。それはファミレス、『ダスト』の店長と浮気している岬への復讐でもあった。


 「ちょっと隼人君ママ、素敵でしょう? この真っ赤なフェラチオ?」

 「・・・」


 岬は必ず周囲にそう自慢するはずだ。

 笑い者になるがいい、岬。浮気をした罰だ!


 「パパ、この真っ赤なポルシェは免許を取ったら私に頂戴」

 「安全運転するんだぞ」

 「うん、これ百恵ちゃんが歌っていたあのクルマだよね? 「真っ赤なクルマ!」って」

 「ああそうだ、あの犬HKは国営放送として受信料をたっぷり徴収しているからと、特定の商品名を言っちゃ駄目だからと言って、紅白歌戦争では「真っ赤なポルシェ」を、「真っ赤なクルマ!」と言ったエピソードは有名だからな?」

 「今では商品名どころか、ゴミ売りテレビとコラボしてたり、自民党の犬だもんね?」

 「どうせイギリスのBBQを真似たんだろうな?」

 「パパ、それを言うなら「BBC」でしょう?」

 「似たようなもんだ、QもCもな? ちなみにパパはCCBのファンだ」




 入居者とのトラブルを避けるため、シェアハウスの入居者の募集管理は大手不動産業者『顧客ファースト・ぽんぽこタヌキ不動産』に仲介を依頼することにした。



 「田所様、田園調布でシェアハウスをするよりも、この立地を活用した低層賃貸マンションをされてはいかがでしょうか? 将来に渡ってかなりの収益性が期待出来ますし、奥様やお嬢様への相続対策にもなります」

 「確かにそうかもしれませんが、一度、シェアハウスってやってみたかったんですよ」


 私は適当にウソを吐いた。

 シェアハウスは親父との約束だったからだ。

 そして私は他人と一緒に暮らすことに少なからず興味があった。

 私は寮生活などの共同生活を送ったことがない。他人との共同生活が一体どんなものなのかを経験してみたかったのである。



 「シェアハウスでもここは田園調布ですから、家賃5万円というのは安すぎませんか?」

 「あまり家賃を高く設定すると、入居される方も限られてしまいます。なるべく幅広く入居者さんに応募していただきたいのです」

 「おそらく入居希望者は殺到しますよ。この立地、このお屋敷、そしてこのお家賃で食費に光熱費、家具家電付きで、ひかり回線の使用、アダルト番組まで見放題なんですから。おまけにペット可だなんて、まるで宝くじの『ソーちゃん』に当選したようなものです」

 「入居を希望される方にはまず、顔写真付きの履歴書を送っていただくことにします。

 そしてその中から面接者を絞り込み、入居者を選考させていただきたいと思います」

 「わかりました。ところでこのシェアハウスのお名前はいかがされますか?

 借家の場合、賃貸建物の名前は非常に重要です。横文字にして田園調布という文言を入れた方がよろしいかと。

 そうですねえ、例えば『グランメゾン田園調布』とか『シャトー田園調布』とか、『田園調布ウメコ・デラックス』なんていかがでしょうか?」

 「シャトーと言うとなんだかラブホテルみたいですよね? 実はもう名前は決めているんです」

 「それはどんなお名前ですか?」

 「『陽だまり荘』です」

 「『陽だまり荘』? ですか?

 それでは漫画家さんたちが貧乏時代を過ごした、あの『ときわ荘』みたいで、あまりイメージが良くない気がします。こんなに凄い豪邸なのに。

 『ザ・田園調布 薔薇屋敷』ではどうでしょう? あるいは『田園調布・でんでん』とか? とにかく田園調布の名前は入れた方がよろしいと思います。

 『銀座コージーコーナー』とか、『イエス! 銀座高杉クリニック』みたいに」

 「私は「田園調布」というブランドが欲しい入居希望者はお断りするつもりです。

 『チャネル』や『ルイ・ポットン』『ホシイノ・ジュンコ』などのブランド好きの人は私とは考えが合わないからです。名前は『陽だまり荘』でお願いします」


 担当者の片柿大輔かたがきだいすけさんは渋々それを承諾した。


 その名前には私の願いが込められていた。



       陽だまりのような人たちの家



 それがコンセプトだったのである。




 予想通り、入居希望者は軽く10,000組を越えた。

 家賃5万円で食費等込み、田園調布という立地でこの屋敷の外観と間取りには注目が集まった。

 応募者多数ということで募集はすぐに打ち切ることにした。

 私たち家族は既に書類審査でクタクタだった。



 「あー、もう見るのもイヤ」

 「どれにしようかな? 神様の言うとおり、裸足のアベベ、あべのハルカス、あべべのべ」

 「岬、渚。駄目だよちゃんと選ばないと。入居希望者たちは真剣なんだから。文芸新人賞の適当な選考会じゃないんだから」

 「だってパパ、まだこんなに沢山あるんだよ」

 「これは単に入居者を探すものじゃないんだ。俺たちと一緒に生活をしてくれる、「家族」を見つけるんだから。

 だからもっと真面目に選ばないと」

 「わかったわよー。だったら私は顔はキクタク似で身長は180cm以上、年収は1,500万円以上の大学院卒以上で、足の臭くない人を選ぶことにするわ」

 「私は『東京バナナ男子』の亀吉かめきちクンみたいなひとがいい!」

 「何々、最多摩さいたま出身? パス」

 「年収123万円? 却下! 問題外」

 「痴漢、盗撮で逮捕歴あり、ハゲ、デブ、チビ、52歳独身。駄目だこりゃ」

 「元反社。これも駄目ね?」

 「この人はどうかなあ? あの『同情するならドジョウをくれ』の天才子役、足立久美あだちくみのお母さんは?」

 「駄目よ、このオバサン、エッチだから」

 

 (だからいいのに、熟女だし)


 一次審査の書類選考は徹夜で3日間にも及んだ。

 

 


 疲れて和室で昼寝をしていると、足元に人の気配を感じた。

 

 (岬と渚は買物に出ていていないはず・・・)


 「雄一郎、おい、雄一郎」


 薄く目を開けると、そこには死んだはずの親父が和服姿で立っていた。


 「親父なのか! 良かった! 死んではいなかったんだね? ちゃんと足もある!」


 私は跳ね起きて親父に抱きついた。

 すると親父は寂しそうに言った。


 「ワシはもう死んでおるんじゃ。ワシは幽霊なんじゃよ」

 「幽霊でも会えてうれしいよ、親父。

 ずっと会いたかった。ううううう」

 「ありがとうよ。でもワシの姿はお前とパトラッシュにしか見えんのじゃ」

 「ワン!(おじいちゃんだ! おじいちゃんだ!)」


 パトラッシュは大喜びである。


 「シェアハウス、やってくれてどうもありがとう。

 これはワシの長年の夢だったんじゃ。赤の他人と一緒に家族のように暮らす家。

 そんな理想のコミュニティ・ハウスを作りたかった」

 「親父、かならずすばらしいシェアハウスを作ってみせるよ」

 「ありがとう雄一郎。よろしく頼むぞ」

 「任せてくれよ親父」

 「じゃあまたな?」


 そう言い残して親父は消えた。

 俺はうれしかった、親父に会えて。




第6話

 最終的に面接者を10人に絞った。

 ここから5組を選ぶことになる。

 最初の面接者は阿佐田哲也というか、電撃ネットワークの南部虎弾なんぶとらたのような感じの、62歳の小説家志望の老人だった。


 「夏目治なつめおさむです。夏目漱石の「夏目」と太宰治の「治」と書きます。最初、父は芥川龍之介の大ファンだったこともあり、私に「龍之介」と名付けようとしたそうですが、「龍」という漢字が子供の私が書くのは大変だろうと、簡単に書ける、太宰治の「治」にしたようです。「龍」ですと16画ですが、「治」なら半分の8画で済みますからね? あはははは

 父は私を『令和の文豪』にしたかったようです。

 お陰でサインが凄くラクです。サイン会をするのにも実に都合がいい」

 「サイン会もなさるんですか?」

 「いえ、「もしそうなったら」の話です。あはははは。

 私の夢はGINZAセックス、じゃなかった『GINZA6』のTSUTAYA書店さんで、草間彌生さんの水玉オブジェの前でサイン会を開くことなんです。

 もちろん男性読者さんはお断りですよ、壇蜜や檀れい、檀ふみのような聡明で美人でオッパイの小さい、セクシーな女性と握手をし、ハグをして、チュウをして、パンティに油性マジックでサインをするのが憧れです。

 「壇! 壇! 壇!」って、まるであのホットドッグマンがやっている人材紹介会社、『あったかワンワン』の宣伝広告みたいですけどね? あの広告、しつこいですよね~ あはははは

 恋愛ドラマでこれからチョメチョメという時に限って途中で流れるあのCM。

 いやあ、あれには参りますよねえ? ホント迷惑。

 サイン会の後、みんなで銀座のクラブでどんちゃん騒ぎをしてそれから・・・」


 夏目治さんは自分の世界に入り、遠い目をしていた。

 気分はもう乱交パーティのようだ。


 「わかりました、もう結構です。それではなぜ『陽だまり荘』にご入居を希望されたのかお聞かせ下さい」

 「面白い小説が書けると思ったからです。

 だってワクワクするじゃないですか? 様々な個性のある人たちと同じ釜の飯を食べて生活をするなんて。

 これからの日本の少子高齢化問題のヒントがこのシェアハウスにはあると思ったからです。

 だからといって、私は岸田総理の手下でも、ましてや安倍派のクソ議員たちの仲間でもありませんのでご心配なく。

 よろしくお願いします」

 「ありがとうございました。結果は後日、こちらからお知らせします」

 


 岬は査定書に✕印を、渚は△印を点けた。


 「駄目かな? さっきの夏目さんは? 小説家なんて、俺は面白いと思うけどなあ?」

 「小説家だなんて言うけどさあ、あのお爺さん、ウイッキー・メディアにも出てないわよ。

 ウソなんじゃないの? 小説家だなんて」

 

 渚の意見は意外だった。


 「悪い人じゃなさそうだよ。お試しで入居させてあげたら? ひとり暮らしのお爺さんだし、孤独死でもしたらかわいそうだよ。大家さんが」

 「渚はそう言うけど、岬はどうだ? 俺は賛成だけど」

 「渚がそう言うならお試しということならいいわよ。でもヘンな人だったらすぐに出て行ってもらうわよ?」

 「よし、まず一組は決まりだ。あと4組だな? 次の方どうぞ」


 

 やって来たのは江口洋介似の医者だった。年齢は40歳。バツイチ。娘さんは医学生らしい。


 「私は救命救急医をしていますので、あまり家には帰れません。でも・・・」

 「合格! 合格です! 今夜から入居して下さい! 私のお部屋で一緒に同居しましょう!」


 岬は大興奮だった。まるでサカリのついたサルのように。

 岬は査定書に赤いマジックで、でっかい花まるを描いた。


 「ママ、落ち着いてよ」

 「落ち着いているわよ! 合格よ合格! 絶対合格!」


 (俺は松雪泰子がいいけどなあ)


 

 2組目も決まった。



 「では『爆笑疑問』さんどうぞ」

 「ハイどうもー! 『爆笑疑問』の裏口入学疑惑、証拠不十分で有耶無耶になった割り算が出来ない大田原でーす!」

 「その相方、お刺身のツマみたいに存在感の薄い、ちっちゃい方でーす! 奥さんは美人でーす!」

 「あなたたちは賃貸に住む必要はないんじゃないですか? ちっちゃい方の人は10億円の豪邸もあるし」

 「どんなバカが住んでいるのかと思っただけだぴょーん!」

 「ただの冷やかしですか? お引き取り下さい」


 岬と渚も私と同意見だった。


 「ごめんなさい、私、『爆笑疑問』って大っキライなの。『日曜日本』でも教養の欠片もない司会をしているし」

 「私もキライ。面白くもなんともないから。ただうるさいだけだし」

 「バカ野郎! 俺の嫁は偉いんだぞ! 芸能プロダクション、『地球』の社長なんだぞ!」

 「あの大阪の独裁者、弁護士、トオルもいるしね? もうお帰り下さい」

 「訴えてやる!」



 「次の方どうぞー」


 今度は岬が応対に当たった。

 朝倉サト、82歳。長男は東大法学部を出て財務省事務次官を経て、現在は民自党幹事長。

 長女はバイオリニストで音大教授。子供たちは僧侶、弁護士、検事、裁判官に開業医に医学部教授。

 孫、曾孫ひまごたちも『華麗なる一族』だった。

 つまりみんな偉そうな人たちで大金持ちだった。

 サトさんも元局アナで、才色兼備の美熟女であり、今でも43歳にしか見えない。

 そんな人がなぜシェアハウス、『陽だまり荘』に入居したいのだろう?


 「私、サトさんの大ファンなんです!

 でもどうしてあなたのように恵まれた人がこのシェアハウスに?」

 「理由を言わなければいけませんでしょうか?」

 「知らない人たちと暮らすんですよ? 大丈夫ですか?」

 「大丈夫です。ぜひお仲間に入れていただけませんか?」

 「ママ、サトさんならいいんじゃない? 上品でやさしそうだし」

 「そうね? それじゃあ合格にしますが、もしあわなければ遠慮なく出て行ってもかまいませんからね?」 

 「ありがとうございます」


 ということで3組目も決まった。

 その後は歌舞伎町のホスト、セクハラ部長は除外した。



 次の面接者はシングルマザーの川村静香、28才だった。

 娘の由佳ゆかちゃんは5才。保育園に通っていた。


 「家賃を三ヶ月も滞納してしまい、今月までにアパートを出ていかなければなりません。

 どうか私と娘を助けて下さい」


 私たちは静香さん母子を気の毒に思い、入居を許可することにした。

 もしも家賃の5万円が支払えない時は、私が立て替えてあげるつもりだった。


 

 他の面接者は性格的なものや話し方があわなかったのでその場で断った。

 そして最後に面接したのは売れないお笑い芸人、山下清一、45才だった。

 めずらしく渚が質問をした。


 「山下さんは山下清に似ているって言われませんか?」

 

 確かに「おにぎりを下さい」と言ったら山下画伯にそっくりだった。

 坊主頭にランニングシャツ、小太りでお腹も出ている。


 「はい、よく言われます」

 「履歴書にお笑い芸人と書いてありますけど、どんなお笑いなんですか?

 私、お笑いが大好きなんです」

 「そうでしたか? ボクのお笑いは山下清のものまねです」

 「うわー、やってやって!」


 山下がモノマネをやろうとした時、渚と岬はすでに笑い転げて椅子から落ちていた。


 「あはははは あはははは お腹痛い! 山下さん! 合格です!合格!」

 「何もしなくても面白いわ! この『陽だまり荘』が楽しくなりそう!」

 「ボ、ボク、まだ何もしてないんだな? お、おにぎりを下さい」

 「あはははは あはははは ママ、パパ、山下さんは合格でいいよね?」

 

 そして入居者の5組が決定した。




第7話

 続々と入居者たちが『陽だまり荘』にやって来た。

 クルマを持ち込んだのは医師の北島さんだけだった。娘さんと一緒にやって来た。

 だがそのクルマは大学病院の医者だというのに、メルセデスSLKでもポルシェでもジャガーでもなく、かなり古いショウハツ『ミロ』だった。


 クルマから降りた北島さんは私に娘さんを紹介してくれた。


 「田所さん、今日からお世話になります。娘の麗華です」

 「はじめまして大家さん。娘の麗華です、よろしくお願いします」


 医学部の2年生という話だったが、ガッキーのように美しく聡明な娘さんだった。

 育ちの良さが窺える。

 付き合っているのはおそらく山ぴーみたいなイケメンだろう。


 「先生、クルマはこれ1台だけですか? 他にフェラーリとかヘリコプターは?」

 「あははは 私は高杉クリニックの院長先生のような大金持ちではありませんよ。

 大学講師の給料など、コンビニバイトとあまり変わりはありません。

 それに東京で大きなクルマなど必要ありませんからね? 電車も地下鉄もある。クルマは小回りが効いて燃費がいいことが重要です。

 スニーカーのように気軽に使える軽自動車が一番ですよ。税金も安いですしね?」

 

 流石は『救命救急24時』のドクターだ。

 派手なスポーツカーでワカメの垂れ下がっている地方のラブホへ入るようなゲス男ではない。

 本来、医者は商売ではないし、政治家でもないのだ。

 そんな北島さん親子に私はすっかり魅了された。


 (死ぬ時は北島先生に看取ってもらいたい)


 私はそう思った。




 初日なのでウエルカム・パーティを開いた。


 「ようこそ『陽だまり荘』へ。大家の田所雄一郎です。そして家内の岬と娘の渚になります。

 仲良く楽しく生活しましょう。お掃除は当番制になります。洗濯は女性もいますから各自で行って下さい。

 水道光熱費は結構ですが、節約にはご協力下さい。

 炊事はお腹が空いて手の空いている人がみんなの分まで作る。食材は私が用意しておきますから自由に使って下さい。冷蔵庫に私物等を入れる時は名前を書いて置いて下さい。

 ただし自己責任でお願いします。

 ここでは面倒なルールはありません、相手の立場で考え、尊重すること。ただそれだけです。

 では乾杯しましょう! 乾杯!」

 「かんぱーい!」

 

 お笑い芸人の山下清一君が口火を切ってくれた。


 「それではボクから自己紹介をします。

 ボ、ボクは山下清一なんだな。凶本興業所属のお笑い芸人なんだな。

 特技は山下清のものまねと、料理なんだな。

 賄はボクに任せて欲しいんだな。お、おにぎりを下さい」


 山下君のお陰でみんながドッと笑った。その場の緊張した空気が和んだ。


 「私は北島進之助です。ER(緊急救命室)で働いています。

 殆ど病院にいますのでここで眠ることはあまりありま・・・」


 すると北島先生のスマホが突然鳴った。


 「俺だ。わかったすぐ行く。みなさんすみません、急患なのでこれで失礼します。麗華、後は頼んだぞ」


 北島先生はショウハツ『ミロ』で大学病院へ飛んで出て行った。

 岬は残念そうだったが、うっとりしていた。


 「素敵、北島先生・・・」


 娘さんの麗華さんが挨拶を続けた。


 「みなさん、はじめまして、北島の娘の麗華です。医学部の2年生です。

 忙しい父なので中座してすみません。

 母は私が中学の時に亡くなってしまいましたので、いつも私はひとりでした。

 だからこんな大家族で暮らすのが私の夢でした。

 私は父を尊敬しています。

 必ずドクターヘリのドクターになってみせます」


 (顔もオッパイもお尻も、ちっさっ! どうかあの『逃げるは恥だよドラえもん』で共演した、大工の源さんとだけは結婚しませんように)


 「私は朝倉サトです。おばあちゃんです。「サトちゃん」って呼んで下さい。

 抜刀術、影山流抜剣を少々。よろしくお願いします」


 (サトちゃんが居合を? 凄い趣味だな?)


 「ネット小説家の夏目治です。小説家なので昼間は寝て夜起きて執筆しています。

 みなさんとは生活帯が逆になります。夜ドナルドの店長さんみたいに。あはははは

 この3年間で400以上作品を書きました。売れないけど。 

 放浪作家であり、吟遊詩人です。みなさんと仲良く暮らしたいと思っていますのでよろしく。

 それからセフレは沢山いますが、女房はひとり、愛人もひとりです」


 (自慢かよ!)


 最後は静香ちゃんと由佳ちゃん親子だった。


 「川村静香です。それと娘の由佳です。シングルマザーです。

 中卒です、高校には行っていません。バカです。

 よろしくお願いします」


 すると山下君が上手くフォローしてくれた。


 「ボ、ボクは学校には行っていません。でも、人生という学校には今も通っています。

 北村さん、由佳ちゃん、一緒に楽しく生活しましょうね?」


 みんなから温かい拍手が送られた。


 由佳ちゃんはトイプードルを抱いていた。


 「由佳ちゃん、そのワンちゃんのお名前は?」

 

 サトさんが訊いた。


 「プリン」

 「そう? かわいいお名前ね? 今度おばあちゃんと一緒にお散歩に行きましょうね?」


 パトラッシュもうれしそうに吠えた。


 「ワンワン!(ボクもボクも! お散歩お散歩!)」



 歓迎会は深夜まで続き、私たちはすぐに打ち解けることが出来た。

 まるで家族のように。


 


第8話

 「やっと始まったな? シェアハウス」

 

 バルコニーでタバコを吸っていると、親父の亡霊が現れた。


 「親父か? 個性は強いけど、悪い人たちではないみたいだ」

 「個性のない人間なんておらんよ。そして楽しい事ばかりでもないのが家族というもんじゃ。血縁があるわけでもないからのう。

 これから色んな問題も起きるじゃろうが、大丈夫じゃ、愛さえあれば」

 「大丈夫かなあ?」

 「心配は無用じゃ、たとえ取っ組み合いの喧嘩をしてもな?」

 「なるべくそうはなりたくないけどな?」

 「愛があれば乗り越えられる。それが家族というもんじゃ」

 「愛かあ。俺の本当の家族には愛が希薄だけどね?」

 「愛は常に溢れているわけではない。愛が枯渇しそうになったら足せばいい。

 家族という花を枯れさせないためにな?」

 「でも大家族って安心するよ。いつも家に誰かがいる生活はいいもんだね?」

 「昔の日本は大家族じゃった。爺さん婆さんがいて、おふくろと親父がいて、8人兄弟なんてザラだった。

 叔父さんや叔母さんもいたりした。孫に曾孫。犬や猫もいた。

 人間のメシの残りに味噌汁や鰹節を掛けただけの餌じゃった。

 ペットショップもなく、子犬や子猫が生まれると、家の前のダンボールに入れて、「どうぞご自由に」という具合じゃった。犬は屋外で飼うのが当たり前じゃったからな?」

 「今はバギーマンのおやつまで出ているもんね?」

 「犬猫も家族じゃからな?」

 「パトラッシュもプリンちゃんが来て喜んでいるよ。それから親父・・・」

 

 いつの間にか親父の亡霊は消えていた。



 

 掃除当番は小学校のように円の中に名前を書いて、掃除する場所を決めていた。

 みんな掃除は一生懸命してくれていたが、静香ちゃんだけはいい加減だった。


 「静香さん、掃除機をかける時は物を動かして掛けなきゃ駄目だよ。しかも掃除機を丸く掛けてるし。

 埃は端に集まるんだよ、ちゃんとコーナーもかけないと」

 「うるさいなあ、それなら夏目さんがやればいいでしょう?

 私、掃除なんかしたことないもん」

 「今日の掃除機係は静香さんなんだから、静香さんがやらないと」

 「そんなの、今まで誰も教えてくれなかったもん。

 ウチは母子家庭で、母親はいつも男を家に引っ張り込んで万年床だったし。

 そもそも家に掃除機なんてなかったもん」

 「掃除はね、感謝の心でするんだよ。

 汚くなったから掃除をするんじゃないんだ。「汚さないためにする」んだよ。

 「いつもありがとう」と感謝を込めてね?

 汚い神社やお寺なんてないだろう? 物には魂が、神様が宿っているんだ。

 一緒にやろうよ、俺が教えてあげるから」

 「無理」


 静香さんはダイチョンの掃除機を置いて、部屋を出て行ってしまった。



 するとその掃除機を由佳ちゃんが拾った。


 「オジサンごめんなさい。ママの代わりに由佳ちゃんがやるからママを許して」

 「じゃあオジサンと一緒にやってみようか? お掃除をしてキレイにすると、いいことが沢山起きるんだよ」

 「本当?」

 「ああ、本当だよ。さあ一緒に掃除をしよう」 

 「うん」


 夏目さんと由佳ちゃんは掃除機を掛け始めた。


 


第9話

 ちょうど岬と渚が買物から帰って来た。


 「あー、お腹空いた~。何か作ってよ、山下君」


 岬は山下君の料理の腕前がどの程度のものなのかを試そうとしていた。

 おにぎり作りには料理のすべての基本が入っているからだ。


 「いいですよ、何が食べたいですか?」

 「おにぎりが食べたい」

 「ボ、ボクもおにぎりが食べたいんだな?」

 「あはははは 似てる似てる! お腹痛い! あはははは」

 「ではシンプルに、これから「塩むすび」と「味噌おにぎり」を作りますね?」

 「ねえ、「おむすび」と「おにぎり」って違うの? 同じよね? 呼び方が違うだけでしょ?」

 「そう言う人もいますが、ボクは「おむすび」は丸で、「おにぎり」は三角形にする物として区別しています。

 「コンビニおにぎり」とは言いますが、「コンビニおむすび」とはあまり言いませんからね?

 それに「三角おむすび」とは言いませんけど、「三角おにぎり」とは言うでしょう?」

 「ふーん、そうなんだあ」

 「ではご飯を炊きますね。お米の銘柄は何ですか?」

 「コシヒカリよ」

 「どこのコシヒカリですか?」

 「産地のこと? 魚沼産とか会津湯川村産とか?」

 「コシヒカリにも色んなブランド名があるんですよ。

 そもそもコシヒカリの由来は、北陸地方の農業試験場が、新潟のあたりを越後えちごと呼んでいたことにちなんで、越後の「越」を「コシ」と呼んで、「越後の光り輝くお米になるように」との願いを込めて、「コシの光」、つまり「コシヒカリ」と名付けたそうです。

 有名な物で言うと「魚沼コシヒカリ」がありますが、その他「佐渡コシヒカリ」、「会津コシヒカリ」、「浜通コシヒカリ」、県南「ひとめぼれ」や「ゆめぴりか」、「ミルキークイーン」などがあります。

 コシヒカリは甘みと粘りが強く、冷めても美味しいのが特徴です。

 お母さんやお婆ちゃんがふんわりと握るおにぎりは、とても美味しいご馳走です」

 「今はコンビニで簡単に買えちゃうけどね?」

 「あれはすごい発明でしたよね? パリパリの海苔おにぎりが簡単に食べられちゃうんですから」

 「これは栃木県産のコシヒカリのようですね?」



 山下君がお米を研ぎ始めた。

 お米がひたひたになるくらいの水を入れて、やさしくやさしく労るようにお米を洗っている。

 そして静かにその研ぎ汁を捨てた。

 するとそこへ同量の水を入れて炊飯器の中に入れたがスイッチは押さない。


 「えっ? 一回しか研がないの? そして炊飯ジャーのスイッチも押さないじゃないの」

 「強くお米を研ぐと、お米が割れてしまいます。よく研げばツヤツヤと炊きあがり、糠臭さもなくなるのですが、同時に栄養も失われてしまいます。ですからおにぎりには1回「洗う」だけでいいのです。

 そして2時間、お水に浸して置きます。お米に水を吸わせるために。

 本当は薪で羽釜炊きの方がより美味しいのですが、ここにはありませんからね?

 火力はなるべく強い方がいいんです。だからお店では殆どがガス釜を使います。

 それから私は炊飯器の水の目盛を見ません。新米の場合は含水率が高いので、少し水を少なくすることもありますが、普通はお米と同量のお水を入れます。

 お米3合の場合にはお水も3合にします」

 「ふーん、そうなんだあ」

 「そして早く炊きたい場合にはお湯で、時間がある時は冷たい水で炊いた方が甘みが増します。氷をいれるといいですね?」


 

 

 ようやくご飯が炊きあがった。

 

 「炊きあがったらご飯を十字に切って掘り起こして混ぜ、少し冷めてから握ります。

 大体目安としては70℃から75℃くらいがいいでしょう。

 なるべく余分な水蒸気を飛ばしてから握った方が、甘みも増して美味しいからです」


 山下君はふたつのバットにご飯を分け、片方には瀬戸の粗塩と味の素を振り、素早く混ぜた。

 そしてもうひとつのバットには、甘みの強い白味噌『日本海みそ』を入れて混ぜた。

 山下君はお茶碗にホランラップを敷いて、そこに塩味を付けたご飯を入れ、かるくラップを絞って形を整えただけでそれをまな板の上に並べる作業を繰り返した。


 「それだけでいいの? 握らないの?」

 「お寿司と同じで、適度に均等に空気が入るように軽く一回だけ握ります。そうすることでおにぎりを口に入れた時にほころぶからです。

 ただあまり握り方が甘いと、手に取った時に崩れてしまいますから注意が必要です。 やさしく愛情を込めて握ることが大切です」


 どんどんおにぎりが完成していった。

 それはまるで寿司職人のようでもあった。

 山下君が岬と渚、そして俺に寿司海苔を巻いて塩むすびを差し出してくれた。


 「どうぞ食べてみて下さい」

 「ありがとう。いただきまーす。

 もぐもぐ、美味しい! こんなに美味しい「塩むすび」なんて初めて!」

 「良かったら「味噌おにぎり」もどうぞ」

 「うん、どれどれ。味噌おにぎりなんて初めてよ、食べたことない。

 すごい、すごく美味しいわ! 山下君、おむすびの天才なのね!」

 「あ、ありがとうございます。ボ、ボクもおにぎりを食べてもいいですか?」

 「あはははは」

 「あはははは 山下君、最高!」

 

 私たちは山下君と笑って「塩むすび」と「味噌おにぎり」を食べた。

 それから山下君が『陽だまり荘』の料理番になったのは言うまでもない。




第10話

 田園調布のこの屋敷に移り住んでも、親父からの莫大な遺産を相続しても、私は今までの生活を変えることはなかった。


 毎朝会社に出勤し、ワンコインの『富士そば』を食べ、昼食代、タバコ代込みの月3万円の小遣いのままだった。

 贅沢がしたいとは思わなかった。元々私には物欲も出世欲もなかった。

 所詮人間の胃袋は握りこぶし大であり、寝て一帖、座って半帖で十分なのである。

 ひとりで沢山のクルマもいらない。

 ましてや世田谷であれば、電車やバス、タクシーに地下鉄も整備されている。

 ただし、田園調布に引越したことで、あの通勤地獄からは開放され、月に一度は職場の同僚たちと『チキン男爵』で焼鳥を2本と、生ビール1杯を楽しむことが出来るようになったのはうれしかった。



 「田所係長、都内に引越したそうじゃないっすか? 都内の何処っすか? まさか23区じゃないっすよね? ウチの会社じゃ無理っすもんね? 係長になっても年収350万円ではねえ。マジやばいっす。

 練馬区っすか? やっぱり区じゃなくて奥多摩の山ん中とか? タヌキやニホンカモシカと一緒に暮らしているっすね? あるいは群馬だったりして? あはははは」


 入社3年目の西田は、宇宙人のような男だった。何を考えているのか? 何語でしゃべっているのか、時々私には理解できない。いわゆる「ゆとり世代」の子だった。

 日本相撲経済産業工業芸術芸能大学という、舌を噛みそうな大学を出て我が社にコネで入社して来た、とてつもないバカである。


 部下の川俣が西田に言った。


 「流石は西田、あのボンクラ専務の甥っ子だけのことはある。

 何しろ日本相撲大学のアメリカン・ドッチボール部で、を吸って逮捕され、証拠不十分で不起訴になり、検察も不起訴になった理由は言わねえんだからなあ。あはははは」


 川俣は陽気に笑った。


 「オレ、日本相撲大学じゃないっすよ、日本相撲経済・・・、あれ? 何だっけ? とにかくオレ、バカじゃないっす!

 漢字で名前が書けないのと、割算が出来ないだけです!」

 「そうだよなあ、何しろお前の名前、西田挨拶だもんなあ。俺でも書けねえよ、挨拶なんてむずかしい漢字。

 それじゃあ西田、九九は言えるか? シチロク?」

 「49」

 「惜しい、あとちょっとで正解だ。ではロクシチ?」

 「58?」

 「川俣、もうそれくらいにしてやれよ。笑いすぎて呼吸困難になりそうだよ」

 「そうですよ川俣さん、今の時代に九九なんてもう古いっす! 乗り遅れっす!」

 「バカ野郎、それを言うなら「時代遅れ」だろうが? それじゃあ英語はどうだ?」

 「オレ、大卒っすよ? 英語は得意っす。犬は英語で「HOT・DOG」っす」

 「お前賢いなあ? それじゃあ「お茶」のことはなんて言うか言ってみろよ」

 「パン・ティっしょ?」

 「あはははは お前まだチェリー・ボーイなのか? 会社辞めてお笑い芸人になれよ、凶本興業で。あはははは」

 「チェリー・ボーイ? なんっすかそれ? 第二外国語はスワヒリ語だったので、ロシア語はわかりませんよ」

 「お前がいると生ビール一杯でも酔えるよ。よっ! 我が社の開毛露屋さば男あけろやさばお!」

 

 私は西田に言った。


 「俺が引越したのは八王子だ。ユーミンやヒロミ、そして安倍派のクズ、萩生田の地元、八王子に住んでいるんだよ。賃貸の事故物件だけどな?

 でも通勤時間が半分になって、本当に良かったよ」

 

 私は嘘を吐いた。


 「なーんだ、八王子っすか? あのフワフワちゃんと同じ八王子? あはははは ダサ あはははは」

 「西田、笑うなんて係長に失礼だぞ? 九九も言えないくせに」

 「九九もロシア語も社会に出れば関係ないっす。ウチの会社では使った事ないっすもん。

 それに必要があれば「Siriリン」に教えてもらえばいいんっすから」

 「お前、スマホを持ってねえのにどうやって訊くんだよ? あはははは」


 私はそんな楽しい毎日を送っていたのである。





 『陽だまり荘』に帰えると、いつものようにサロンで酒盛りが始まっていた。

 

 夏目さんにサトさん、山下君と岬、渚たちが盛り上がっていた。


 「お帰りなさい大家さん!」

 「大家さん、お仕事お疲れさまでした。一緒にいかが?」

 「パパもこっちにおいでよ」

 「ああ」


 私もその輪の中に入って行った。

 岬が第三の缶ビールを私にくれた。


 「今日もお仕事ご苦労様。あなた、この塩辛、すごく美味しいわよ。山下君の手作り」

 

 私はその塩辛を食べてみた。

 凄く美味しかった。ちゃんとイカのワタに塩を振り、それをザルに立てかけて余分な水分を飛ばして麹をいれ、臭みを抜くために柚子を加えてある。


 「こんな塩辛、食べたことないよ! 山下君は料理の天才だね?」

 「あ、ありがとうなんだな? 大家さん」


 みんな私のことを大家さんと呼ぶが、渚は「ナギちゃん」、岬は「ミキティ」と呼ばれていた。

 俺も「ゆうちゃん」と呼ばれたいものだ。



 「ミキティー!」


 山下君がおどけてみせた。


 「なあに? 山下画伯?」

 「こ、これは小さなネズミのウンコだな? そ、そしてこっちは大きなネズミのウンコだな?」

 「あっ、それ知ってる! お弁当屋さんで山下清がゴハンからネズミのウンチを拾うシーンでしょ?」

 「流石はミキティ、よくご存知ですね!」

 「だって最近、MIYAZONのプレミアムAVビデオで毎日『裸の大将』見てるもん」

 

 すると夏目さんが笑って言った。


 「ミキティ、「AVビデオ」では日本語としておかしいですよ、「アダルト・ビデオ・ビデオ」になってしまいますから」

 「あっそうか! あはははは 「キムチ・チゲ鍋」と同じね?

 キムチ鍋・鍋になっちゃうもんね?」

 「そうですよ、あはははは」


 

 シェアハウスを始めて2ヶ月が過ぎていた。

 岬も渚も、昔のようによく笑うようになった。

 そして映画やドラマは見るが、くだらないテレビ番組は誰も見なくなっていた。

 

 


 布団に入ってうつらうつらとしていると、親父の亡霊が枕元に立っていた。


 「あっ、親父」

 「お前は贅沢をしないのはどうしてじゃ? カネは十分あるはずじゃが?」

 「俺は毎日がとてもしあわせだからだよ。それにせっかく親父が残してくれたお金に、手をつけるわけにはいかないよ。親父の残してくれた財産は、親父の血と汗と涙の結晶だからね?

 それに俺は物にも地位にも興味がないからね? 酒と女は好きだけど。

 今はいつも家には誰かがいてくれる。

 そして岬と渚も変わった。みんな親父のおかげだよ」

 「お前は欲のないヤツじゃな?」

 「素敵な仲間がいる、家族同然の仲間がね。

 これ以上のしあわせはないよ。ありがとう親父」

 「まあお前がそれでいいならそれでいいがのう。

 やはりお前はワシの息子じゃ」


 それだけ言うと親父の亡霊は消えてしまった。




第11話

 「はあ はあ 岬さん、好きです・・・」

 「あ あん あ あ いくっ」


 (早く終わってくれないかしら。ああ面倒臭い)


 いつものセックスとは違い、岬の気持ちは冷めていた。

 岬はイッたふりをした。フェイクである。


 「岬さん、もうイッたの?」

 「うん、店長が上手だからすぐにイッちゃった」


 (ああ、なんかもの足りねえ~。後で自分でヤルしかねえなあ)


 「それじゃあ僕も出すね?」


 (どうしてこんな男と、今まで不倫なんかしていたんだろう?

 よく見たら出川哲朗にそっくり、背もチ◯コも小さいし)


 「出すよ、出すよ岬さん。うっつ ・・・出ちゃった」


 いつも店長はスキンを付けていたので、そのまま射精をした。


 「はあはあ 今日も、凄く良かったですよ、岬さん」



 岬はベッドヘッドに置いたタバコに手を伸ばし、ホテルの名前の入ったライターで火を点けた。


 「ふーっつ ねえ、もう終わりにしない? 私たち」

 

 店長は岬より4才年下の34才。今、店長の奥さんは子供を連れて、二人目の出産のために実家に帰っていた。


 「どうしてですか! そんなの僕はイヤですよ!」

 「店長だってもうすぐ二人目が産まれるんだし、 お遊びはもうおしまいにしましょう」

 「おしまいだなんて、僕は本気ですよ! 女房とは別れます! だからの旦那さんとは別れて、僕と結婚して下さい! 岬さんのいない生活なんて考えられません! 僕は絶対に別れませんからね!」


 (甲斐性なし? ウチの旦那は甲斐性なしなんかじゃないわ!)


 「本気? よく言うわ。私と付き合っていながら奥さんとしっかり「やることはやっていた」んだしね?

 しかも中出し」 

 「僕は女房にはめられたんですよ、今日は大丈夫だから中に出してって言うからつい・・・」

 「出すとか出さないとか、民自党の給付金じゃないんだからさあ、そんなのもうどうでもいいの。 

 あなたは私に言ったわよね? 「女房とはもう3年もセックスレスなんです」って。

 セックスレスでどうして赤ちゃんが出来るワケ?」

 「マリア様と同じです、受胎告知!」

 「店長、あんたファミレスのスタッフからなんて言われているか知ってる? サカリよサカリ」

 「サカリ? 「ゆとり」じゃなくてですか? 僕、ゆとり世代だから。

 円周率は「3」と習いました」

 「年中セックスのことばかり考えているからよ! とにかく私はもう無理だから! ハイさようなら。

 ほら言いなさいよ、「先生さようなら、みなさんさようなら」って」

 「そんな・・・、僕はこれから一体どうすればいいんですか!」

 「AVでも観てオナニーでもしたら? お猿さんみたいにその小さいチ◯コが擦りむけて血が出るまで」


 岬はタバコの火を消して、イラつきながらバスルームへと入って行った。



 大きなジャグジーバスで、泡風呂にして入っていると店長が入って来た。

 

 「わかりました。岬さんとはお別れします。だから最後にもう一度だけらせて下さい」


 岬は風呂からあがると、冷水シャワーを店長に浴びせた。


 「つ、冷たい! な、何をするんですか!」

 「正気に戻してあげようと思ってね? そういうところなのよ、アンタのキライなところって。

 邪魔だから出て行って! お風呂くらいゆっくり入らせてよ! この短小早漏仮性包茎!」

 「岬さん、僕が一番気にしていることを・・・」

 「アンタ病気? タイガー・ウッズ、梅本人デナシと同じ、セックス依存症じゃないの? ちょんぎってあげましょうか? そのポークビッツ」


 店長はがっくりとチ◯コと頭をうなだれて、浴室を出て行った。


 

 岬は再びジャグジーに入り、照明をレインボーに変えた。


 (どうしてあんなつまらない男に惚れていたんだろう?)


 岬は寂しかったのだ。

 真面目だけが取り柄の退屈な夫。狭くて安っぽい、貧素な建売住宅。お隣の佐々木のウンコ・ババア。

 住宅ローン返済のために働く、時給850円のファミレスでのパート。虚しい日々だった。

 女子校では、ひき逃げお笑い芸人のノンスタイルの井上に似た高校教師ですら、真田広之に見えてしまうのと同様、ファミレス『ダスト』の出川哲朗も、松潤に見えてしまうのだ。

 誰でも良かったのだ。心の隙間を埋めてくれるなら。

 『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造もぐろふくぞうでも良かったのだ。


 岬はようやく目が覚めたのであった。雄一郎のやさしさ、思い遣りに。

 田園調布の大きなお屋敷。メルセデス・マイバッハに真っ赤なポルシェ。そしてフェラチオF40。(岬はいまだにフェラーリをフェラチオと呼んでいた)

 今ではパートで働くこともなくなり、月々25万円が入って来る。

 みんな夫、雄一郎のおかげだった。

 岬は夫に感謝するようになっていた。


 (これからは一緒に寝てあげようかな?)


 


 「ただいまー! 『金だこ』を買って来たからみんなで食べようよ」

 「お帰りミキティ!」

 「ママお帰りなさい」

 「お帰りなさい、渚ちゃんママ」

 「ただいま由佳ちゃん。ママは?」

 「お仕事に行った」

 「そう? じゃあママの分は冷蔵庫に入れておこうね?」

 「うん」

 

 夏目さんは朝方まで執筆をしていたので寝ているようだった。

 夫の雄一郎はまだ会社から帰っていない。

 山下画伯は仮面ライダー・ショーの前座営業に出ていて不在だった。

 医師の北島さんは、相変わらず大学病院に泊まり込みだったが、娘の麗華さんは勉強の休憩中ということだった。

 居ない人たちのたこ焼きを冷蔵庫に仕舞うと、渚、朝倉サトさんと由佳ちゃん。そして麗華ちゃんの女性陣だけのタコパが始まった。



 私たちの『金だこ女子会』のテーマはもちろん、恋愛である。



 私はいきなり下ネタをぶっこんでみた。


 「ねえ、精子って飲んだことある? サトちゃんは真面目だから、お口でゴックンなんてしたことないでしょうね? 体位は正常位オンリーだったりして? モグモグ」

 

 するとサトさんはサラリと言ってのけた。


 「あるわよ、あれって苦いわよね? こう見えて、私は恋愛には奔放だったのよ。

 もちろん体位は四十八手は試したわよ、「駅弁」とか「松葉崩し」とか。

 写真雑誌、『SATURDAY』にはよく追いかけられたものよ」

 「誰とですか?」

 「それは内緒。でも「いけない恋」だった」

 「いけない恋? 不倫ですか?」

 「もういいじゃないの、忘れちゃったわ。昔のことだから。

 でもね、今思うと、本当に愛していたのかは疑問ね?

 「恋に恋していた」ってカンジ。

 結局寂しかったんだと思う。誰でも良かったのよ、相手なんて誰でも」


 私はドキリとした。


 (サトさんも私と同じだったんだ)


 「わかります! その気持ち、わかります!」

 「夫婦って服みたいなものでしょう?

 はたから見ればおかしな服に見えても、着ている本人たちは意外に着心地が良かったり、デザインが好みだったりする。だから結婚したわけだしね?」

 「私、今、学生結婚をしようか迷っているんです」

 「いいんじゃない? 麗華ちゃんならしっかりしているし、赤いスケスケのTバックなんか履かなさそうだし、お互いに医学生なんでしょう?」

 「いえ、それが相手は学生じゃないんです。彼は研修医なんです。しかも既婚者で子供が2才」

 「それってヤバいんじゃないの? それで江口洋介、じゃなかったお父さんは何だって?」

 「お父さんになんか言えるわけないじゃないですかあ。

 それこそ彼が父の救命救急に運ばれてしまいますよ。メスで切り刻まれて」

 「なるほど」

 「由佳ちゃんのママも恋しているの?」

 「由佳ちゃんはキライ、ママと由佳ちゃんをいじめるから」

 「・・・」


 女子たちはそれを聞いて絶句してしまった。

 由佳ちゃんにとって男は、母親を虐める悪人でしかないのだ。


 「やさしいパパがいるといいのにね?」

 「由佳ちゃんね? 夏目のおじちゃんみたいなパパがいい!」

 「あの麻雀の阿佐田哲也とか、電撃ネットワークの南部虎弾みたいな夏目さんが?

 夏目さんはパパじゃなくてお爺ちゃんだよ」

 「ちがうよ、夏目ちゃんはパパだよ」

 「そうだね? 夏目おじさんはやさしいもんね?」

 「うん! フィフティ・ワンのパチパチアイスも買ってくれるんだよ」

 「それはやさしいね?」

 「うん! 夏目ちゃんは由佳ちゃんもママも叩かないし」

 「・・・」

 「うんうん。でもね、由佳ちゃん、男の人はね? 「タフでなければ生きていけない やさしくなければ生きている資格はない」ってレイモンド・チャンドラーっていうハードボイルド作家も言っているからね?

 由佳ちゃんも大きくなったらそんな男の人と恋をするんだよ」

 「由佳ちゃん、ママみたいにオッパイが大きくなったら夏目ちゃんのお嫁ちゃんになる!」

 「あはははは そうだね?」

 「うん」


 私はこのシェアハウスに住んで、本当にしあわせだと思った。


 (ありがとう、雄一郎)





第12話

 夏目と朝倉サト、そして由佳の三人は、いつものようにパトラッシュとプリンの夕方の散歩をしていた。


 「由佳ちゃん、みんなに『ミセスドーナツ』でも買って行こうか?」


 夏目が由佳に言った。


 「うん、由佳ちゃん、『ミセスドーナツ』のアメリカン・クルーリー大好き!。サトちゃんは何が好き?」

 「私はポンタリングが好きかな?」

 「チョコのついているやつ?」

 「あれ、美味しいわよね?」

 「うん」

 「それじゃあ由佳ちゃんはアメリカン・クルーリーとポンタリングのチョコがついているやつね?」

 「ありがとう夏目っち。由佳ちゃん、うれしいなあ。

 由佳ちゃん、夏目ちゃんのお嫁さんになってあげるね?」

 「ありがとう、由佳ちゃん」


 夏目とサトは顔を見合わせて笑った。


 


 『ミセスドーナツ』までは少し遠かった。

 ドーナツを買って店を出ると、由佳が夏目に言った。


 「夏目っち、由佳ちゃん疲れたからおんぶして」

 「疲れちゃったか? 今日は歩いたからな?」

 「うん、おんぶして」

 「わかったよ。サトちゃん、すみませんがドーナツをお願いしてもいいですか?」

 「もちろんよ」


 夏目はサトにドーナツの入った箱を渡し、由佳をおんぶした。

 サトはパトラッシュとプリンのリードを巧みに操りながら、由佳を背負った夏目と並んで歩いた。


 

 女の子は意外と重い。だが夏目はうれしそうだった。


 「由佳ちゃん、眠っているわ。余程疲れたのね? 重いでしょ? 女の子って男の子よりも重く感じるものよ」

 「私にもひとり、娘がいましてね? 娘が小さい時はよくこうしておんぶしたもんです」

 「夏目さんって結婚していらしたの?」

 「ええ。10年前に女房と離婚して、それ以来娘ともずっと会っていません。

 私は家族から捨てられたんです」

 「捨てられたんじゃないと思う。あなたが捨てたのよ・・・」


 サトはまるで自分のことを言っているかのようにそう呟いた。


 「そうですね? 私は家族を捨てました。大切な家族を」


 夏目は泣いていた。背中に幼かった娘の記憶を感じて。


 「ヘンなことを言ってごめんなさい」

 「いえ、サトちゃんの言うとおりですから。

 でもこの涙は悲しいから泣いているのではありません、うれしいんです。私に由佳ちゃんという孫が出来て」

 「そうね? それは私も同じ気持ちよ」


 夕暮れの田園調布。夏目とサト、由佳、そしてパトラッシュとプリンは家族だった。





 ポロロロロン ポロロロロン


 「はい! こちら『すごい大学病院』の救命救急です!」

 「渋谷道玄坂消防です! 50代男性と30代女性、意識はあります! バイタル少し高めの不倫カップルの受け入れは可能でしょうか!」

 「受け入れ可能です! でもどうして不倫カップルだと?」

 「それは患者を見ればわかります!」

 「了解しました!」



 15分後、不倫カップルが搬送されて来た。1台のストレッチャーに乗せられて。


 「こ、これは何!」

 「ふたりとも結婚指輪をしている! ダブル不倫カップルだわ!」

 「早く何とかしてくれ! チ◯コが千切れそうだ!」

 「膣痙攣を起こしている! おい秋山、すぐに男性患者の前立腺を刺激して射精させてやれ!」

 「わ、私には出来ません! そんなの夫にもやったことがない!」

 「お前はそれでもナースか! お前は自分がデリヘル嬢だと思え! お前はこの救命救急の、ナンバーワン・デリヘル嬢だ!」

 「わかりました北島先生! 私はこの『救命救急24時』のみだらな人妻、デリヘル嬢の秋山です!」

 「そうだ! 俺は今、大動脈破裂の患者で手が離せん! 頼んだぞ秋山!」


 すると別の壇蜜のようなお色気たっぷりのナースが叫んだ。

 ズボンではなく、膝上のスカートを履いていた。


 「先生! ショックです!」

 「とにかくサテンスキーで今、動脈の血流を遮断するのが先だ!」

 「北島先生! 今度はさっき運ばれて来た患者さんの血圧が70に下がりました!」

 「フェローの野村はどうした!」

 「わかりません! 逃げたみたいです!」

 「探して来い!」

 「はい!」


 ERはてんてこ舞いである。


 「看護士さん、早くして下さいよ!」

 「ちょっと待っててね? すぐに気持ちよく抜いてあげるから!」

 「看護士さん、パンツ見せて下さいよお! その方が早く出せますから!」

 「何を言ってるのバカ部長! バシッ バシッ」


 30代の杉本彩に似た女がその男に往復ビンタをした。

 

 「そもそもお前のせいだぞ! 早く俺のデカチンを離しやがれ!」

 「イヤよ! 奥さんとは別れるって言ったくせに! この変態デカチン部長!」


 そこへ初代『どざえもん』の声優と声がそっくりな婦長がやって来た。


 「ボク、どざえもん。パッパラパッパッパ~ パパ・ローション!」


 婦長はポケットからパパ・ローションを取り出すと、結合部分にそれをたっぷりと塗った。


 「これでもう大丈夫よ。これくらい覚えておきなさい。秋山さん、一体何年ナースをやってるの?」

 

 チュポン


 チ◯コが抜けた。


 「婦長のバカ! 前立腺プレイ、やってみたかったのに!」

 「そうだったのね? ごめんなさい、秋山しずかちゃん・・・。ボク、どざえもん」



 

 やっと一段落したので、北島は二週間ぶりに『陽だまり荘』へ帰った。



 「北島先生、お久しぶり~」

 「お父さん、お疲れ様。大丈夫だった?」

 「ああ、やっと落ち着いたから帰って来たよ。麗華、何か変わったことはないか?

 恋愛もいいが、不倫だけは駄目だぞ、絶対にだ。

 今日もそんな不倫カップルが緊急搬送されて来た。まったく。

 しかもダブル不倫だぞ」


 麗華は固まってしまった。


 「先生もどうです? ドーナッツ?」

 「ありがとうございます。もう3日も風呂に入っていないので、お風呂をいただきます」

 「大変なお仕事ね? 救命医って」



 なーぎさのはいから人魚~♪ キュートなヒップにズキドキ♪



 北島の携帯が鳴った。病院からだった。

 病院からの着信音はキョンキョンの『渚のはいから人魚』にしていたのである。

 流石に救命からの着信音を、まさかデーモン閣下の『聖飢魔II蝋人形の館』には出来まい。


 「どうした? うん、わかったすぐに行く!」

 「お父さん、また病院へ戻るの?」

 「ああ、それじゃ行ってくる」

 「気をつけて」


 救命救急医の北島に、つかの間の休息もないのであった。

 シャワーも浴びることが出来ない。


 「いい香り・・・」


 だが、岬は3日も風呂にも入れない北島の体臭に、うっとりと欲情するのであった。


 



第13話

 静香は『陽だまり荘』に殆ど帰っては来なかった。

 由佳はいつも独りぼっちだった。

 そんな由佳を不憫ふびんに思い、シェアハウスのみんなは自分の家族のように明るく接していた。



 「由佳ちゃん、今日は何を読んで欲しい?」

 「今日はねえ、『三匹のこぶた』がいい」

 

 由佳は自分の専用本棚から『三匹のこぶた』の本を持って来て、サトに渡した。

 それは渚がまだ幼い時に読んでいた絵本だった。


 「サトちゃん、これ読んで」

 

 由佳はサトの膝の上にちょこんと乗り、サトの読み聞かせをじっと待っていた。


 「はいはい、それじゃあ読むわよ。むかしむかし、三匹のこぶたがいました。そのこぶたは・・・」


 すると由佳はサトのやさしい声に安心して、すぐに眠ってしまった。


 「あら、眠っちゃったのね? 母親の静香ちゃんは一体何をしているのかしらねえ?

 こんなかわいい娘をひとりにして」

 「夜の街で働いているようですよ。先日、キャバクラの店の前でお客と話しているのを見掛けましたから」

 「どうして声を掛けなかったの?」

 「流石にそれはちょっと」


 夏目が言った。


 「でも明日、その店に行って来ようと思います。このままでは由佳ちゃんがかわいそうだから」

 

 由佳の目から涙がこぼれていた。


 「ママあ~・・・」

 「かわいそうに」


 サトは由佳の頭をやさしく撫でた。




 翌日、夏目はキャバクラ、『エデンの園』に静香に会うために出掛けて行った。


 「いらっしゃいませ」

 

 夏目は店内を見渡すと、そこに静香を見つけた。


 「あの子、指名してもいいかな?」

 「はい、シーナちゃんですね? 少々お待ち下さい」

 

 ボーイが静香に耳打ちをした。

 

 「シーナさん、新規のご指名です」

 「わかったわ。茂ちゃん、ちょっと待っててね? すぐに戻るから」

 「早く戻って来てくれよ、シーナちゃん。大人しく待ってるから」


 静香が夏目の席にやって来た。


 「何の用? 嫌がらせ?」

 「たまには『陽だまり荘』に帰って来い。由佳ちゃんが寂しそうにしているぞ」

 「そんなの他人のアンタに言われる筋合いはないわ」

 「母親のお前に会いたがっているんだ。自分の娘だろ? 心配じゃないのか?」

 「私なんかいなくても、あそこにいれば安心でしょう?」

 「そういう問題じゃない。お前には母親としての自覚はないのか?」

 「私、子供ってキライなのよ。それに好きで産んだ子じゃないし。

 前に付き合っていた男に中出しされただけだし。あれほど今日は中に出すなって言ったのに。あのバカ」

 「今、どうしているんだ?」

 「男と一緒にいるから安心して」

 「一度『陽だまり荘』に帰って来い。話はそれだけだ」

 「せっかく来たんだから飲んでいきなよ。1時間4,000円で飲み放題なんだから」

 「安物の酒とは相手にしない主義なんだ。悪酔いするからな」

 「どうせ私は安い女よ。だから何? 安い女はしあわせになっちゃいけないの?」

 「俺は母親としての義務があるだろうと言っているんだ。

 子供には母親が必要なんだ」

 「そんなことないわよ? 私には母親なんていなかった。男と逃げて私を捨てたクズ女しかね?

 私はその女の娘だもん、私も同じクズ女よ。ゴミよゴミ」

 「とにかく一度、帰って来い。みんな待っているから」

 「話はそれだけ? 由佳のことよろしくね?」


 静香はそれだけ言うと、元の客のところへ戻って行った。




 

 「どうした今日は? やけに激しいじゃねえか?」

 「生理前だからムラムラするのよ!」

 

 (クソジジイ! そんなに心配ならお前が育てろっつうの!)


 「もっとガンガン来なさいよ!」

 「疲れてんだよ、今日は」


 (外で女とやって来たくせに)




 味気ないセックスの後、ベッドでタバコを吸っていると男が言った。


 「静香、カネ貸してくんねえ?」

 「昨日の2万円はどうしたの?」

 「後輩に奢ってもうねえよ。3万でいいからよお」

 「私は健太のATMじゃないわよ」

 「ダチが入院するんだよ、アイツ、カネがねえから可哀想でよお。

 頼むよ静香」


 静香は財布から全財産の23,000円を健太に渡した。

 

 「これしかないよ。全部あげる」

 「ワリイな静香。必ず返すからよお」

 「もう別れよう。このままだとアンタも私も人でなしになるから」

 「イヤだよ、俺は静香を愛しているんだ」

 「彼女にもそう言ってるんでしょ? 今まで貸したお金は返さなくていいから、その彼女と仲良くやりな」

 「そんなこと言うなよ~、静香~」


 静香は健太を思い切りひっぱたいた。


 「これ以上アンタをキライにしないで! さようなら!」





 静香はその日、『陽だまり荘』に帰って来た。



 「ただいま」

 

 トイプードルのプリンを抱いていた由佳が静香に走り寄り、飛びついた。


 「ママーっ!」


 静香は由佳のカラダを振り払った。


 「やめて、疲れてるの!」

 「ごめんなさい・・・」


 サロンに冷たい空気が流れた。

 するとサトが静香に近づき、いきなり静香のほほを打った。


 「何すんのよ! ババア!」

 「由佳ちゃんがどんな想いであなたのことを待っていたのかわかる?

 父親なんていなくてもいい。でも母親はいないと子供はちゃんとした大人になれないの!

 アンタみたいにどうしようもない母親でも、由佳ちゃんには大切な母親なのよ!」

 「だから私はこんな大人になったのよ! 私は母親の愛情なんて知らずに育ったんだから!

 色んな男を家に引っ張り込んで、100円玉を握らせておっぱらわれて育った私だもん。母親になるなんて出来ない!」


 夏目がさとすように静香に言った。


 「だったら今からなればいい。由佳ちゃんの母親になってやれ」

 「最初から完璧な母親なんているわけないじゃない。

 私だってサトちゃんだって、母親の資格が出来たから母親になったわけじゃない。

 母親にしてもらったのよ、子供に。

 育児はね? 「育自」なの。子育てをしながら自分が成長させてもらうの!

 わからないことや悩むことがあれば、私たち母親の先輩に訊けばいいでしょう!

 私たち、家族なんだから!」

 「ママをいじめないで!」

 「由佳・・・」

 「あなたは必要とされているのよ、この子に。

 そしてあなたたち親子も私の娘であり、孫なのよ」

 「人生なんていつだって変えられるんだ。過去なんてどうでもいいじゃないか。

 親を恨んだり、社会を恨んだりするのはもう止めろ。

 折角そんなに美人に生まれたんだから。

 ここはな? 寂しがり屋の集まりなんだ。だから弱い相手の気持ちがわかるんだ。

 俺たちに甘えろ、少しはラクになるはずだ」


 その日、みんなが泣いた。

 そして家族を実感した。




 翌日から静香は一生懸命掃除をするようになった。

 

 「静香! 汚い水で雑巾を絞るんじゃない! バケツの水を替えて来い!」

 「うるせえなあ、ジジイ」

 「ジジイじゃねえ、パパと呼べ!」

 「ふざけんな!」


 (ありがとう、お父さん・・・)


 静香はバケツの水を取り替えに行った。




第14話

 山下は由佳の顔の鉛筆画を描いていた。

 

 「由佳ちゃん、もう少しだからね? じっとしていてね?」

 「うん、画伯、由佳ちゃんのお顔。ちゃんとじょうずに描いてね?」

 「うんと可愛く描いてあげるからね?」

 「はーい」



 そこへ勉強を終えた麗華が2階から降りて来て、何気なく山下の描いている絵を覗いた。

 麗華は絶句した。


 「こ、これって本当に鉛筆1本で描いたの!」

 「麗華おねえちゃん、画伯はすごく絵がじょうずなんだよ。写真みたいに描けるんだよ」

 「ボ、ボクは絵を描くのが好きなんだな?」

 「一体どこで習ったんですか!」


 山下君が笑っているだけだったので、私が代わりに麗華ちゃんに教えてあげた。


 「本当は個人情報だから言っちゃダメなんだけど、言ってもいいよね? 山下君。

 山下君は東京藝大の出身なんだよ」

 「えっ! あの東京藝大ですか! じぇじぇ! 東京ゲイ大じゃなく?」

 「ゲ、ゲイ大学は新宿二丁目、ゴ、ゴールデン街なんだな?」

 「私も一時いちじ、藝大の指揮科を目指したんですけど諦めて医学部に入りました。

 音楽の才能がないことに打ちのめされたんです」

 「ボクも美術にしようか音楽にしようか迷いました」

 「山下君はピアノも得意なんだよね?」

 「得意ではありませんが、ピアノは好きです」

 「ええっ! 山下さん、ピアノも弾けるの? その顔でそのお腹で? 本当ですか!」


 みるみる麗華の顔が紅潮して来た。


 「ピ、ピアノは顔で弾くんじゃな、ないんだな?」

 「弾いてみて下さいよ!」

 「いいですよ、由佳ちゃんの似顔絵を完成させてからでもいいですか?」



 それから30分後、山下は由佳の細密画を完成させた。


 「出来たよ、由佳ちゃん」

 

 山下君が由佳ちゃんと私、そして麗華ちゃんに完成した鉛筆画を見せてくれた。


 「すごいすごい! 画伯はエライね? 画伯大好き! ちゅ」


 由佳が山下の頬にチューをした。


 「今度、私も描いてくれませんか! 油絵で! なんなら脱いでもいいです! 私スタイルには自信があるんです! オッパイはBカップですけど乳首と乳輪はピンク色ですから!」

 「麗華さんは美しいからモデルさんには最高の素材ですよ」

 

 山下は由佳にその絵をプレゼントすると、スタイン・ウェイのピアノの前に座ると、あの超絶技巧の難曲、プロコフィエフのピアノ・ソナタ、第7番を弾き始めた。


 私たちは身動きが出来ないほど、山下君の弾くピアノの音に魅了された。

 麗華ちゃんを見ると、麗華ちゃんは感動のあまり泣いていた。


 麗華はさっきまで勉強の合間に不倫相手の彼とのあんなことやこんなこと、そんなことやどんなことを思い出しながら、ひとりエッチをして2回ほどイッてしまったが、2才の子供までいる、そのイケメン・ロクデナシ変態研修医のことなどもう忘れて、「裸の大将」みたいな山下に夢中になっていた。


 (山下さんに抱かれたい、好きになっちゃったかも・・・)


 麗華は泥沼になりそうだった不倫の恋からようやく目が覚めたのであった。

 めでたしめでたしである。


 これでそのクソ・イケメン君は麗華パパに筋弛緩剤を注射されることもなく、トリカブトもフグ毒、デトロドトキシンを飲ませられることもなくなった。

 あーよかったよかった。アブナイ、アブナイ。




 夕食はいつものように山下君が作ってくれた。


 「しかし山下君は料理もプロ級、天才だね? まるで料亭だよ」

 「ホント、あの産地偽装の『船場・兆々』の板前さんみたいね? よう知らんけど」

 「ボ、ボク、そこで働いていたんだな?」

 「山下君はその『船場・兆々』で二番板をしていたんだよね?」

 「き、記者会見で女将さんにささやかれたんだな? 「私が勝手にやりました、って言いなさい」と言われたんだな」

 「それで辞めたの?」

 「ち、ちがうんだな? おにぎりを作り過ぎて女将さんに叱られたんだな? 「あんたクビ!」だって言われたんだな?」

 「あはははは」

 「でも凄く美味しいわ。山下さんって素敵。何でも出来るのね?」

 「山下君、別にお笑い芸人なんかやらなくてもいいんじゃない? 何でも出来るんだから」

 「ボ、ボクは人を笑顔にすることが好きなんだな? 人を笑顔にしたいんだな? 笑っている人を見るとしあわせになれるんだな?」


 みんなが山下の話に深く頷いた。

 人間のしあわせとは人の笑顔を見ることなのかもしれない。



 俺の隣で親父の幽霊が言った。


 「雄一郎、中々見どころのある青年じゃないか?

 応援してやれよ」

 「もちろんだよ親父」

 「昔の政治家はカネも集めたし悪いこともした。

 だがそれは自分のためではなく、日本の、そして国民の幸福のためにチカラが必要だったからじゃ。

 ところが今の政治家はどうじゃ? 自分のための金儲け、権力を欲しがってばかりじゃ。

 それは今の国民が、自分のことしか考えず、いかにラクして金儲けをするか考えていないからなのかもしれん。

 だから政治家もそうなるんじゃ。

 これからの世の中は「心の時代」にならねばならん。

 この山下清に似た青年のようにな?」


 それだけ言うと親父の亡霊は消えた。

 



第15話

 静香はキャバクラを辞め、スーパーでレジ打ちを始めた。

 

 「レジ袋は必要ですか?」

 「大丈夫です」

 「3,967円になります」

 「じゃあKinacoに4,000円チャージして下さる?」

 「かしこまりました。4,000円チャージですね?」

 「あまり多く入金すると落とした時に泣いちゃうでしょう?」

 「そうですよね? 落とした時にショックですもんね?」

 「あなたの手、素敵な手ね? 凄くがんばってる感じがする」

 「ウチに掃除にうるさいしゅうとがいるんですよ、いやんなっちゃいます。手が荒れて」

 「私は好きよ。そんなあなたみたいな手。掃除はね、自分の心を磨くものでもあるからね?

 それじゃまたね?」


 その御婦人はそう言って静香の手を褒めてくれた。


 (NAVEAだけじゃダメだよなあ)


 静香は自分の手をじっと見た。




 「ただいまー」

 「ママおかえり~」

 「静香、お疲れ様。早く風呂に入って来い。それからついでに風呂掃除もして来いよ」

 「はいはい。わかりましたよー、クソオヤジ」


 

 静香はまず風呂掃除を始めた。

 

 ゴシゴシ ザーザー ゴシゴシ


 『陽だまり荘』の風呂はあまり汚れてはいない。

 それはみんながキレイに使っていたからだった。

 今まで静香はまともに掃除をしたことがなかった。

 だがここへ来てから夏目に厳しく掃除をさせられるようになると、最初あれほどイヤだった掃除が段々好きになって来た。


 「いいか静香、掃除は汚くなってからするんじゃない。汚くならないように掃除をするんだ。

 キレイなトイレはキレイに使おうとするだろう? そして汚い公衆便所などはどんどん汚くなっていく。

 だから特にトイレはキレイにしなければならん。

 トイレには神様がいるからな?」

 「そんなわけねえだろう? トイレに神様だなんて」

 「神様はあちらこちらにいらっしゃる。そして俺たちをじっと見ていらっしゃるんだ」

 「どうして?」

 「俺たちが成長しているかを楽しみに見守ってくれていらっしゃるんだよ」

 「成長?」

 「そうだ、人間は成長するために生きている。心も体もだ。

 成長こそ、人間の喜びなんだ。自分もそして他人の成長もな?

 そして神様はキレイな所を好まれる。神社やお寺はキレイに掃除がされているだろう?

 汚くしていると逆に悪魔が棲み着くようになる。

 ゴミ屋敷がそれだ」


 不思議なもので、毎日夏目からそう言われているうちに、掃除が習慣となり、静香は掃除をすることが楽しくなっていた。


 「静香、よく掃除をするようになったな?」

 「掃除すると楽しいよなあ? キレイになるって」

 「これからお前に不思議なことがたくさん起きるぞ」

 「どんなことだよ? ジジイ」

 「それは俺にもわからん、だがいいことが起きることに間違いはない」




 静香のレジに昨日のマダムがまたやって来た。


 「川村さん。あなたの仕事ぶりはいつも見ていたわ。

 明日からあなたが世田谷店の副店長になりなさい」

 「あはははは ありがとうございます、お客様にそう言っていただけるととてもうれしいです」

 「私はお客様じゃないわよ、会長の娘なの。専務取締役なの。黙っていてごめんなさい。あなたは幹部になって『イトウ・ヨーイ堂』を支えていって欲しい。がんばってね? 川村副店長」


 静香は泣いた。うれしくて泣いた。

 静香は今まで人に褒められたことがなかった。

 静香ははじめて自分を認めてもらえた。

 これが一生懸命、掃除をしたご褒美なのかもしれない。


 (ありがとう、夏目のおとうさん)



 静香は別人のように働き、1年後、エリア統括部長へと昇格した。




第16話

 「母さん! あの高級老人ホームの一体何が不満なんだよ?

 入居金1億も払ったのに、俺に相談もなく急に出て行くなんて!

 そしてよりによって『陽だまり荘』なんて安いシェアハウスに引っ越すだなんて!

 食費込みで5万円なんてどう考えてもおかしいだろう! 絶対何か裏があるはずだ!

 秘書に調べさせるからな!」

 「あら、老人ホームなんかよりはるかに素敵なところよ。 

 お食事も『陽だまり荘』の方が美味しいしね?」

 「母さん、少しは俺の立場も考えてくれなきゃ困るよ!

 俺は民自党の幹事長なんだよ!」

 「だったら親子の縁を切ればいいでしょう? 私はあそこを出て行くつもりはありませんから」



 朝倉サトは何不自由のない恵まれた生活をしていた。

 長男家族と大きな屋敷に住み、かわいい孫や曾孫にも囲まれ、しあわせな毎日を送っていた。

 長女はバイオリニストで現在は音大の教授をしており、孫はアメリカのなんじゃら医科大学で「猫の手」といわれる外科医をしていた。あれ? 「孫の手」だっけ? とにかく朝倉家はエライ人ばっかりの『今夜はカレーなる一族』だった。


 だが野心の塊のような嫁の低市ていいち早苗、あっ、それは旧姓だった。早苗とはソリが合わなかった。

 嫁は息子がブランドだったのである。ルイ・ボットンやチャネルのように。

 東大卒で元大蔵エリート官僚。嫁の実家からの後押しもあり、今では若くして民自党の幹事長にまで登り詰め、次期総理候補として有力視されていた。


 「あなた、まさか幹事長で満足しているんじゃないでしょうね!

 一体いつになったらわたくしを日本のファースト・レディにしていただけるのかしら?」

 「ファースト、ファーストってうるさいヤツだな! お前は都知事の泥沼百合子か!

 そもそもお前がカリフォルニア・レーズン大学を卒業したのも怪しいものだ。

 ファースト・レディとは言うが、そもそもお前、カイロ、じゃなかったロスに4年もいて、英語も話せないなんておかしいだろ?」

 「しょうがないでしょう? 三平ちゃんっていう通訳をつけていたんだから。

 だいたいあなたは集金力が足りませんのよ!

 阿呆派のあのブルドックデブみたいに、もっとしたたかになりなさいよ!

 追求されても「不記載」「記憶にねえなあ」で通せば良かったのよ!

 証人喚問なんて絶対に許しませんからね! 政治倫理審査会ならいざ知らず!

 裏金なんてみんなやってることじゃないの!

 テレビやマスメディアなんてお金で何とでもなるのに! ホント、バカ正直なんだから!

 少しは三階さんや森ゾウさんを見習ったらいかが!」

 「早苗さん、もうそれくらいでいいんじゃない? 信勝だってちゃんと日本のことを考えているんだから。政治の世界には魑魅魍魎がうごめいているんですから、女が口を挟むものではありませんよ」

 「お母様は黙っていて下さい! これは私たち夫婦の問題なんですから!」

 「何もそんな妖怪人間のような恐ろしい顔で言わなくてもいいじゃない?

 ここは国会の予算委員会じゃないんですから」

 「私に喧嘩売ってんのかこのババア!」


 そんな毎日に嫌気が差したサトは、高級老人ホーム『極楽館』へと入居したのであった。

 

     極 極 極 極 極楽館!

     焼肉焼いてもヤキモチ焼くな!


 

 「これはこれは、朝倉幹事長のお母様。『極楽館』へようこそ」

 「お世話になります」

 「こちらこそです。ここ『極楽館』では面倒な人間関係もございません、みなさんセレブの方たちばかりでございます。毎日がまるで豪華客船でお過ごしになられているように配慮させていただいております。 

 コンセプトは「あの世への豊かな船旅。Bon Voyage(ご安航を祈る)!」でございます。

 素敵なお部屋に充実した娯楽施設。映画館にカジノ、昭和歌謡も歌える、スナック『じゅーじゅー』もございます。

 お食事は三つ星レストランのシェフ監修の元、近所のパートさんたちが心と気合を込めてお食事をご用意させていただいております。

 ご高齢になりますと、多少味覚が衰えてまいりますので、なるべく味付けには砂糖をどっさりと入れ、塩分と油は多めにして、なるべく早く極楽へ行けるように工夫しております。

 『極楽館』の名前の由来には、そうした「早く極楽浄土へ行けるように」という、崇高な願いが込められているのであります。

 いわばセレブのための「ホスピス」ですな?

 でもご心配には及びません。医師も看護士も常駐しております。医師はヨボヨボの高齢の産婦人科医なので安心です。それにここは人里離れておりますので、救急車を呼んでも到着までに1時間も掛かってしまうのでまず助かりません。ドクターヘリは呼んでも無駄です。山Pとガッキーはもうヘリを降りましたから。 あはははは」



 寝て起きて食べて、ゴルフをしたりパッチワークをして過ごす退屈な毎日。

 そんなある日、サトが街を歩いていると『ガキんちょレストラン』という店を見つけた。


 (『ガキんちょレストラン』? どんなお料理が出て来るのかしら?)


 サトは恐る恐るその小さなレストランのドアを開けた。


 そこはレストランとは名ばかりの食堂だった。

 壁には黄色い短冊にメニューが手書きで書かれてあった。


 『焼きそば・夜明けの三平ちゃん』『リンゴとはちみつ お家でライスカレーだよ~♪』『餃子の飛車角』『箱があるから「箱あるぜ」パスタ』『北海一番 味噌ラーメン』などが並んでいた。


 だが値段が書かれていない。


 「あのー、お値段は時価ですか? お寿司屋さんみたいにボッタクれそうなお客さんからは高く取るというあれですか?」 

 「ああ ウチはタダなんだよ、何をどれだけ食べても全部タダなのさ。だから好きなものをたくさん食べな。あはははは」


 三角巾をした割烹着姿の女将らしき人の良さそうな中年女性がそう言って笑った。


 「それでアンタ、何が食べたいんだい? 今日は『熱々ぐらぐらグラタン』がお勧めだよ」

 「じゃあその『熱々ぐらぐらグラタン』を下さい」

 「あいよ! 『熱々ぐらぐらグラタン』一丁!」


 周りを見渡すと、キャラクター物のボロ靴を履いた子供や、ヨレヨレのTシャツ姿の親子、アダダスの3本線のジャージ姿の男や老人が、むさぼるように食事をしていた。そして入口のテーブルの上には「ご自由にお持ち下さい」と書かれた段ボール箱に、野菜やレトルト食品、缶詰にカップ麺、お米やお菓子が入れられて置かれていた。


 (そうか、ここは生活に困窮している人たちの救済食堂なのね?)


 「はいお待ちどうさま! 熱いから火傷しないように食べるんだよ」

 「うわあ!美味しそう。これを無料でいただいてもいいんですか?」

 「もちろんだよ。ここはみんなの憩いの場なんだ。

 お腹いっぱいに食べられることはしあわせなことだからね?

 さあ遠慮しないで早く食べな」


 すると隣にいた5才くらいの女の子が話しかけてきた。


 「おばちゃんもおうちに食べ物がないからここへ来たの? 私もお家でひとりぼっちで何も食べる物がないからここに来たんだよ」


 サトは思わず泣いてしまった。


 「ここはどうやって運営しているんですか?」

 「企業さんや個人からの寄付だよ。でも全然足りてないけどね?

 国は何にもしちゃくれないからあたしたちがやるしかないのさ」

 「そうなんですか・・・」

 「でも一番の理想はね? こういう場所を増やすんじゃなくて、みんなが平等に生きられる社会を作ることだよ。   

 あはははは」


 サトは政治家をしている信勝のことを思い浮かべていた。


 (あの子は政治家として一体何をしているのかしら!)


 サトは怒りと虚しさが込み上げて来た。



 「ごちそうさまでした。美味しかったです」

 「腹が減ったらいつでもおいで」


 帰り際、サトは店の隅に置かれた募金箱にそっと一万円札を入れて店を出た。



 数日後、サトは『ガキんちょレストラン』に1千万円を寄付した。

 そしてサトは老人ホーム『極楽館』を出て、ここ『陽だまり荘』に入居し、老人ホームに支払うお金を困っている人たちに届け、自分も可能な限りボランティアをしていた。



 「サトちゃん、今日も『ガキンチョ』ですか?」

 「うん、ちょっとお手伝いにね?」

 「今度、私も行ってみようかなあ」

 「ぜひ夏目さんも来てよ! 生きていることが楽しくなるから。

 世の中、まだ捨てたものじゃないという気持ちにさせてくれるはずだから」

 「じゃあ今度一緒に連れて行って下さいね」

 「よろこんで! じゃあ行って来まーす」


 サトは笑顔で『陽だまり荘』を後にした。


  


第17話

 私は最近、妻の岬とダブルベッドで寝るようになっていた。

 私からそれを要求したのではない。岬が勝手にダブルベッドを購入し、私たちは一緒に寝るようになったのだ。



 「あっ ダメ、いいっ、そこ、そこよそこなの」

 「ここか? ここがいいのか?」

 「そうよ、すごくいい、あっ、また、また来そう、来るわ、キターッ! 秋田ーッ!」


 というくらい、仲良しになっていた。

 建売住宅に住んでいた頃は寝室は別々で、会話もセックスもない仮面夫婦だったのにである。

 夫婦というのはチョメチョメしなくなったらそれは夫婦めおとではない。ただの「同居人」である。


 (ファミレス『ダスト』の店長と別れたのか?)


 射精したチ◯コを丁寧にしゃぶりながら岬が言った。


 「お客さん、本日の「みだらな奥様コース」、1万円になります。

 延長はしますか?」

 「あ、はい。いいえ、大丈夫です」


 私はボロボロの財布から、千円札10枚を取り出すと、それを岬に渡した。


 「すみません、千円札でごめんなさい」

 「まいどおおきに」


 岬はうれしそうに、お金を大きな黄色の鳩サブレの缶の箱の中に仕舞った。


 「今度からピンサロ料金に値下げしてもらえないかなあ。3,000円とかに」

 「別にいいわよ。その代わり、プレイの内容もピンサロ並みになるけどそれでもいいの?

 私は良心的にデリヘルやソープの半額の料金にしてあげているのよ、この岬さんのナイスなボディに価値がないとでも言うの?」


 (まさかオッパイは垂れて来て、お腹もちょっとポッコリで妊娠線も・・・。

 それに少しアソコが「ゆるい」かも。なんて例え地球に隕石が衝突しようとそれだけは言えない。

 なぜなら俺も岬を言えた義理ではないからだ。

 加齢臭はする、身長は岬よりも5cmも低い。チ◯コは小さくて仮性包茎。おまけにハゲで小太り。そんな俺が岬を批判できるわけがない。何より岬はテクニシャンである)



 「あのね、最近、渚の様子がおかしいのよ」

 「おかしいってどんなふうにだ?」

 「あの子、何だかあまり笑わなくなったような気がするのよ。チャプチャプ(お口でフェラーリをしている音。岬は今だにフェラチオとフェラーリを間違えたままなのである)」

 「そうなのか? 俺はアイツをあまり見掛けないからなあ。この屋敷が広すぎて」

 「今度、それとなく渚と話してみてよ」

 「わかった。うっ また出そう」

 「あら元気ね? もう1回する?」

 「もうお金がないよお」

 「PAIPAIでもいいわよ。VIDEカードもあったわよね? どうせするんだからサブスクリプションでもいいわよ。

 5%割引にしてあげるから」

 「LEONのお買物じゃあるまいに」

 「しょうがないわねえ、それじゃあツケでもいいわ。明日の夜までに1万円ね? もし遅れたら金利は10日で5割だからね」

 「ト五? それじゃあ『闇金 牛牛くん』より厳しいじゃないか」

 「どうするの? やるのやらないの?」

 「それじゃあ今度は「痴女コース」でお願いします」

 「かしこまりましたあ! ちょっと待っててね? 今、穴開きパンティを履いてくるから」




 そう言われてみると、私はここへ引越して来てからも、渚とはあまり話をしていなかった。

 私は渚と話したかったが、渚は思春期ということもあり、私が話し掛けても「うん」とか、「別に」しか返事をしなかったので、自然と自分から娘を避けていたのは確かだった。

 私は父親らしく、渚と話してみることにした。



 渚は来年、高校受験を控えていた。

 以前の中学とは違い、世田谷の上級国民中学は、桁外れの金持ちたちで溢れていた。


 「ウチのお爺ちゃんさあ、今、裏金で騒がれてんじゃん? ホントかわいそうでさあ」

 「みんなやってることなのにね? ヤッてるヤッてる?」

 「アンタはジローちゃんか!」

 「それでお爺ちゃん、そのお金は何に使ったって言ってるの?」

 「何だかね? 自分の子分や反社の人に渡したり、選挙の時の買収や、愛人とのチョメチョメとかに使っているみたい」

 「へえ~、そうなんだあ」

 「蘭のパパは何をしてるんだっけ?」

 「東京地検特捜部よ」

 「げっ。お願いパパには言わないでね?」

 「大丈夫だよ、だってパパは瑞希のお爺ちゃんには絶対に逆らえないもん。

 黙っていれば検事正にもしてもらえるんだって。起訴なんかしたら外務省に出向になってシベリア送りだよ。ウクライナかガザかもしれないし。でも秘書は捕まえるって言ってた。一応形だけらしいけどね? 書類送検って言うの?」

 「なら良かった。所詮この世はお金だもんねえ。渚はあんなお屋敷に住んでるけど、パパは何をしている人なの?」


 渚は困った。

 

 (まさか大人のおもちゃ、じゃなかった『子供のおもちゃ本舗』の万年係長だなんて言えないしなあ)


 渚は咄嗟にウソを吐いた。


 「会社の社長だよ」

 「やっぱり。何の会社の社長なの?」

 「今度うちのお爺ちゃんの民自党にも献金してよ」

 「あのね、色々だよ色々」

 「そうかあ。渚はお嬢様だもんね?」

 「渚は高校、どこを受けるの?」

 「この辺の子たちはみんな幼稚園や小学校から私立のチョ~頭いい私立じゃん? 大学までエレベーター式の。 公立の小中校に通う私たちは金持ちのバカばっかりだしねえ~」

 「私は高校はどこでもいいんだ。入れればどこでも」

 「どうして?」

 「だってパパが「大学はピラミッドのある『ホッ・カイロ大学』に行って箔を付けて来い」っていうからさあ。

 もし卒業出来なくても首席卒業って言えるしね? だって『ホッ・カイロ大学』だよ?」

 「ウケる~。そして女子アナから都知事ってか? 将来は日本初の女性総理! よっ! 総理大臣!」

 

 渚はすでに決めていたのである。


 (私はアイドルになって家からも近い、芸能人がいっぱいいる『堀堀学園』に入学するの!)


 渚は小さい頃からアイドルになることが夢だった。

 だからしょっちゅう渋谷や表参道を用もないのにうろついて、スカウトされるのを待っていたのである。


 (絶対にスカウトされちゃうはず! だって私、かわいいもん! テヘペロ)



 先日、原宿を歩いているといきなり声を掛けられた。


 「君、キャワイイね~! どう? ウチの事務所で働く気はない?」

 「それってスカウトですか!」

 「モチのロンだよ~。君なら1本、10万円は出すよ、キャッシュでGO!

 しかも領収書ナシだじぇえ!」

 「1本?」

 「申し遅れましたあ! ボキ、こうゆうもんだぴょーん!

 はいカメラさん、回して回して! そうそう下からパイオツへパーン!」

 「株式会社『そふとおんでまんた』?」

 「うち、大人のビデオを作っている企業なんどえーす! どう? AV業界のなんじゃら48のラッシーみたいなアイドルのセンターを目指す気はないきゃなあ?」

 「けっこうです!」


 スカウトにやって来るのはそんな連中ばかりだった。




 私は学校帰りの渚を待ち伏せした。


 「おう渚、今帰りか? 偶然だなあ? どうだ? パパと一緒に苺パフェでも?」


 渚はイチゴが大好物だった。


 「いいよ、食べても」

 「そうか? それじゃあこの先のフルーツパーラー、『イチゴ売りの少女』に寄ってから帰ろう」



 『イチゴ売りの少女』にかわいい少女はいなかった。魔法使いの老婆みたいな高齢者のパートさんばかりであった。


 「ごちゅうもんは? フガフガ(みんな残り物の甘い物ばかりを食べているから入れ歯だったのである)」

 「この「これでもか苺パフェ」を2つ下さい」 

 「かしこまりました。もし食べられなかった場合は1万円いただきます。フガフガ」

 「えーっ! 大丈夫か渚?」

 「たぶん大丈夫だと思う」

 「そうか? もし残したらお持ち帰り出来ますか?」

 「もちろんです。どっかのテレビ局みたいにADに食べさせたりすることはありません」



 『これでもか苺パフェ』がやって来た。

 なんとブリキの大きなバケツに入って来たのである。

 私は見ただけでもうお腹がいっぱいになってしまった。

 

 (これがプリンだったら全部飲めるのに。プリンは飲み物だから)


 「わあ! 美味しそう!」


 渚はまるで萌アジみたいに可愛く美味しそうにパフェを食べ始めた。


 「良かったらパパの分も食べていいからな?」

 「うん、ありがとう」

 「ところでどうだ? 学校は楽しいか?」

 「うん、凄く楽しいよ。みんなバカばっかりで」

 「そうか。それは良かった。ところで渚、来年は高校受験だが、どうするつもりだ?」


 渚の手が止まった。


 「あのねパパ。私、『堀堀学園』の芸能コースに行きたいの」

 「あのジミーズとか堀ちえ子の通っていた『堀堀学園』か?」

 「私、アイドルになりたいの。ダメかな?」

 「ダメなもんか。お前が決めたことならパパは応援するよ。がんばりなさい」

 「いいの!」

 「当たり前じゃないか。パパもママも渚の味方だ。何も心配することはない。自分の信じた道を行きなさい」

 「ありがとう、パパ」

 

 私は渚の泣いているところを久しぶりに見た。


 「ほらほら、泣いていると苺が塩っぱくなっちゃうぞ」

 「そうだね? パパも食べなよ、すごく美味しいから」


 

 結局、渚は私の分まで完食し、達成したので苺一箱を貰った。


 


 帰り道、渚が言った。


 「パパ、手をつないでもいい? 幼稚園の時みたいに」


 渚の手は小さくて温かかった。


 「パパの手って大きいね?」

 「そうか?」


 私は泣きながら、娘とふたりで家路を辿った。




第18話

 深夜、夏目はネット小説に投稿するための小説を書いていた。

 夏目は夏目漱石のような純文学にこだわっていた。

 彼の書く小説には難解な表現は少なく、小学生でも理解出来る小説を理想にしていた。



      難しいことをやさしく そして簡単に



 それが夏目の信条であった。

 以前は新人文学賞にも片っ端から応募した夏目だったが、一次審査の前で文学部の学生バイトにふるい落とされ、1次審査にすら残らず、その他大勢としての扱いだった。

 もちろん新人賞を諦めたわけではないが、広く読まれなければ書いている意味がない。

 そこで簡単に無料で読むことが出来る、『アルパカ・ポリス』のネット小説に投稿を続けていたのである。

 24時間ポイントが1,500ポイントを超え、何度も出版申請をしたが返事は来ないことが多かった。

 純文学部門で上位を独占していても、相変わらず出版のオファーは来なかった。

 菊池、いや夏目は荒れていた。


 「ちくしょう! いったいいつになったらGINZA6のTSUTAYAでサイン会が出来るんだよ!

 そしてその後は並木通りのクラブでムフフフフ・・・」


 そんなことばかり考えてる菊池、いや夏目には出版は程遠い話であった。

 かと言って、比較的人気のあるラブコメなんてオッサンが書くにはキモい。

 菊池、いや夏目は純文学が好きだったのである。

 純喫茶、純愛、純粋、大橋純子に八神純子。純の付くものはみんな好きだった。あー♪ みずいろの雨~♪



 小説は夏目が考えたものではなく、天から降り注いで来るものであった。

 だから菊池、いや夏目にはスランプがない、書けないということがないのだ。

 だがジジイなので無理は出来ない、起きては書き、食べては書き、女とチョメチョメしては書いた。

 パソコンの前に座るだけでストーリーとタイトルが勝手に降りて来るのである。

 その作品数は凄まじく、一日で原稿用紙100枚のノルマを自分に課していた。

 今では3年間で400を超える作品数になっていた。


 「俺は作品数だけでは三島由紀夫にも負けていないぜ」


 それが夏目、いや菊池、じゃなかった夏目の口癖であった。

 だが、数を書けばいいというものではない、大切なのはそれが純文学として読者の心を揺さぶり、鷲掴みにしてその小説が人生を考えるきっかけになることが重要である。


 夏目は目があまり良くない。もう歳だからである。

 本当は自分の名前が隅に小さく印刷してあるオリジナルの原稿用紙にモンブランの万年筆でブルーのインクを使って書きたいのだが、原稿用紙の枡から文字がはみ出してしまうので、やむなくWordで書いていた。

 将来、菊池昭仁文学記念館、じゃなかった『夏目治文学記念館』を造り、そこに手書き原稿を展示して、小さなちゃぶ台で和服を着て、隣に美人のエロ編集者をおいて小説を書いている自分と、その壇蜜のような美人編集者の蝋人形を作って飾るのが夢であった。しょうもない夢である。



 ドアがノックされた。

 

 コンコンコンコン


 コンコンの2回だけのノックはトイレに誰か入っていないかの確認のノックである。訪問を告げるノックは3回か4回。怒っている時や急いでいる時は5回以上が慣例である。

 ドアの外から『裸の大将』こと、山下の声がした。


 「夏目さん、お邪魔しても大丈夫ですか?」

 「画伯か? どうぞ」


 山下がお盆におにぎりとお茶を乗せて入って来た。


 「いつも夜中に精が出ますね? お、おにぎりを作ったんだな? よかったら、食べて欲しいんだな?」

 「ありがとう画伯、ちょうどお腹が空いていたところだよ」

 

 夏目は山下のおにぎりを食べ、お茶を飲んだ。


 「どうして夏目さんは深夜に執筆するんですか?」

 「深夜はみんなが寝ているから静かだろう? それにこの時間帯に小説の物語が降って来るんだよ。

 爽やかな朝にドロドロの愛憎劇は似合わないからね?」

 「実は僕もそうなんです。お笑いネタを考えるのはいつも深夜から朝方なんです」

 「深夜はミステリー・ゾーンだもんな?」

 「はい。ところで今書いている小説はどんな小説なんですか?」

 「海老チャーハンの有名な小さい町中華のオヤジが、宇宙人にさらわれて銀河系のハズレにあるケセランパサランという星で海老チャーハンを作らされ、その宇宙人の王様がその海老チャーハンに感激して、Mr.スポックのように耳の尖った娘、マライヤと結婚するという小説なんだ。

 ただし、エッチは出来ない。なぜならその宇宙人たちには生殖器がなく、お互いにテレパシーを使ってするからだ」

 「なるほど、つまりテレパシーを使ったテレホンSEXのようなものですね?」

 「そうなんだよ、そこがこの小説のミソなんだ」

 「ではどうやって子孫を残すのですか?」

 「受胎告知だよ画伯。そして卵で生むんだ」

 「マリア様みたいですね?」

 「いいかい画伯、人はいずれセックスをしなくなると僕は思っているんだ。

 これだけ世の中にバーチャル・リアリティのあるエロが蔓延しているんだからな? そしていずれはあの不朽の名作、『実験人形 ダミー・オスカー』が現実のものになるだろう。つまり面倒臭い人間の男女の恋愛は不要となるわけだ。

 それがこのSFエロ純文学の傑作、『宇宙中華レストラン 拉致された店主 源五郎「けせらんぱさらん星人」の誘惑』という小説なんだよ。モグモグ」

 「これがもし「ノーデル文学賞」を受賞したら、おそらく司会者はタイトルが長すぎて舌を噛んでしまい、死んでしまうかもしれませんね?」

 「なるほどそうだなあ、じゃあもっと短くするよ、『けせらんぱさらん星人との結婚』、これでどうだろう?」

 「それより『美味しん棒』ではいかがでしょう?」

 「なるほど、あのどうでもいい金持ちたちが料理の蘊蓄うんちくを偉そうに自慢する、あの山岡家五郎と愉快な仲間たちのあれだね?」

 「その通りです、令和の文豪、太宰漱石じゃなかった、夏目治先生」

 「流石は藝大出だ。中々学があるじゃないか?」

 「恐れ入ります。では食べ終わりましたら廊下に出しておいて下さい。

 お邪魔しました」

 「ありがとう、画伯」

 「どういたしまして」


 夏目は再び執筆を始めた。どうでもいい小説を。




最終回

 うららか春の日曜日、私たちは満開になった庭の桜の木の下で花見をしていた。

 今日は北島先生も参加して、久しぶりに『陽だまり荘』の全員が勢揃せいぞろである。


 「北島先生、今日は病院をお休み出来て良かったですね?」

 「ええ、久しぶりにERから開放されました。やはりこうしてみなさんと一緒にいられる事が一番救われますよ」

 「ようやく満開になりましたね? 桜を見ながら酒を飲み、こうやってご馳走を食べながらみんなで楽しく過ごすひと時は最高にしあわせですな? 日本の心、そのものです」

 「本当にしあわせ。こうしてお花見をしながらみんなでお食事をするなんて、あのジェラート・ロボションでお食事するよりも美味しいわ」

 「食事は何を食べるかじゃなく、誰と食べるかが大切ですもんね?」

 「流石は大手スーパーの御曹司に見初みそめられ、婚約した静香は言うことが違うな?

 その婚約指輪が眩しいぜ」

 「ありがとうジジイ、サトちゃん。そしてみんなのお陰です。私今、凄く幸せです。

 来月、由佳と一緒にここを出て行きますが、また遊びに来てもいいですか?」

 「もちろんよ、ここはあなたたちの実家なんだから、いつでも来なさい。

 そして私たちは家族なんだから」

 「プリンも一緒だよ」


 由佳ちゃんが私たちひとりひとりのホッペにキスをしてくれた。


 「ありがとう由佳ちゃん、プリンも元気でね?」

 「ワン」

 

 柴犬のパトラッシュは寂しそうだった。


 「どうしたパトラッシュ。お前も寂しいのか?」

 「クゥ~ン」

 「大丈夫よパトラッシュ、またプリンを連れて遊びに来るから」

 「ワン!」


 山下画伯と麗華ちゃんが仲良く肉を焼いていた。


 「なんだかそうしていると恋人同士みたいね? 画伯と麗華ちゃん、とてもお似合いよ」

 「実は私たち、結婚することになりました」

 「えっ!」

 「ボ、ボクと麗華ちゃんは、け、結婚することになったんだな? お、おにぎりを下さい」

 「ホントなの! おめでとう画伯、麗華ちゃん!」


 すると江口洋介、じゃなかった北島先生が言った。


 「ホント、麗華はいつも事後承諾なんですよ。

 まあ、山下君なら父親としても安心ですけどね?」

 「そうなるとふたりもここを出て行っちゃうの? 寂しくなるわねえ」

 「いいえ、私たちはずっとここにいます。赤ちゃんが生まれてもずっと。いいですよね? 大家さん?」

 「もちろんですよ、私たちは家族ですから」


 その時、北島先生のスマホが鳴った。


 「俺だ、わかったすぐ行く」

 「また病院からですか?」

 「ええ、それじゃあみなさん、ごゆっくり」

 「大変なお仕事ね?」

 「私は人の命を救うのが仕事ですから」

 「気を付けて」

 「はい」


 北島医師はあのボロボロのショウハツ『ミロ』で病院へと向かった。


 「サトちゃん、明日は子ども食堂ですよね? 私たちもお手伝いに行きますよ」

 「ありがとう岬ちゃん、凄く助かるわ」


 サトさんは相変わらず子供たちの支援を続けていた。

 娘の渚はめでたく大手芸能プロダクションの『ホレプロ』にスカウトされ、歌やダンスレッスン、写真撮影など、デビューの準備で大忙しの毎日だった。来年の春には『堀堀学園』への進学も決まっていた。

 渚がレモン缶酎ハイを飲みながら私に言った。


 「なんだか本当の家族みたいね?」

 「ああ、そうだな? 血の繋がっていない、赤の他人なのにな? こんな大家族っていいよなあ。

 子供も大人も、男も女も、若者も年寄りも、そして犬や猫もいる大家族。

 昔の日本の家族はこうだったよなあ」

 「そうね? 愛し愛され、助け合い、励まし合い、共に成長し、成長させていく。

 本当に私たちは素敵な家族ね?」

 「こんなシェアハウスが沢山出来るといいのにな?

 そうすれば日本は平和ですばらしい国になるよ」

 「ねえあなた?」

 「何だ?」

 「今日はタダでやらせてあげてもいいわよ」

 「ありがとう、岬」


 桜の下で、私たち家族の笑顔も満開だった。



 

 夜、私が月を眺めながらタバコを吸っていると、親父の亡霊が現れた。


 「俺にもタバコ、1本くれんか?」

 「いいけど吸いすぎるなよ? 肺がんで死んだら大変だから」

 「ワシはもうとっくに死んどる」

 「ああ、そうだった。あはははは」


 親父にタバコを咥えさせ、火を点けてやった。


 「どうだ雄一郎? 家族っていいもんだろう?」

 「ああ、家族って血を分けた子供とは別としても、所詮は他人の集まりだからな?」

 「俺はお前たち家族に何もしてやれなかった。すまなかったな?

 俺はお前に家族のすばらしさを知って欲しかったんじゃ。

 もちろんカネは大事にしなければならん。カネがあれば人をしあわせに出来るからな?

 だがカネのために人生があるのではない。豊かで幸福な人生を送るためにカネがいるのじゃ。

 バカみたいな節約や、投資などの財テクに血眼ちまなこになっている人間はカネのために生きておるようなものじゃ。

 人の価値は「いくらカネを持っているか?」ではなく、「いかに人のためにカネを使ったか?」なのじゃ。

 カネは尊い。神の叡智だからな?

 家族とは実にいいもんじゃ。お互いに支え合い助け合い、補いながら人生という荒波を航海してゆく仲間なんじゃからな?

 時には喧嘩することもあるじゃろう。だがすぐに仲直り出来るんじゃ、家族なんじゃから」

 「親父が残してくれた一番の宝物は、この家族だったんだね? ありがとう親父」


 そう言うと親父は月に向かって飛んで行ってしまった。


 


 静香ちゃんたちが出て行って間もなく、新しい入居者が『陽だまり荘』にやって来た。

 彼女もまた、静香ちゃんのようなシングルマザーだった。

 かなりの巨体ではあったが、笑顔のかわいい女性だった。

 

 「今日からお世話になる、服部由加里と息子の三平です。 よろしくお願いします」

 「お帰りなさい! ようこそ我らが『陽だまり荘』へ!」


 みんなの笑顔がこの親子を温かく歓迎した。

 『陽だまり荘』にまた、新しい家族が加わった。


              『家族レシピ 素敵な家族の作り方』完





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【完結】家族レシピ(作品240504) 菊池昭仁 @landfall0810

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