第20話 突き詰めれば、可能性は収束する

 新州都フィオヴィレ市——フィオヴィレ軍中央司令部。

 現場から急遽撮って返してきたビースト・ネペンテスは、小会議室に集められていた。

 そこにはビーストの五人とリリア、ソフィア、そしてハロルド・ローガン元帥とその副官の女アンドロイドがいる。


「クローン、だって?」


 一連の話を聞いたレイヴンが、おうむ返しに聞いた。

 リリアは頷いて、


「確証はない。だが状況証拠がそれを示している。ミオ・ドローメルとの合致率が九四パーセントの顔紋、一瞬映った掌紋と指紋、そして声紋、網膜パターンも一致している。あのロイという男は……私はあれがオリジナルというニュアンスで咄嗟に実父という言葉を出したが——同時に、あちらがコピーである可能性もあると見ている」


 レイヴンの目がかすかに揺れる。

 自分が、何者でもない虚像であると告げられたのだ。ふんぞり返って堂々としていろという方が無理である。


「俺が……オリジナルだってのは……可能性だろ。……でも、じゃあなんで記憶と現実が食い違ってる? 俺が育ったはずの孤児院は、二年前に出来たばっかだったんだろ。やっぱり俺の記憶は作り物じゃないのか?」


 ハウンドが両肩に手を添えていた。それは安心させる意図もあれば、暴れ出したらすぐに制圧するための安全装置になるという意味合いも見受けられた。


「記憶を抜かれた、ということ?」


 オウルが言った。レオが「どういうことだ」と聞く。

 それに対してヴィクセンが答えた。


「脳を——この場合、生前の生の脳をって意味っすけど、それをいじったんじゃないんすか? ナノマテリアルを注入して記憶野を改竄したとか。先輩のいう『劫火の嵐』がなんなのかは気になるんすけど、そういったジャミングで記憶を奪い、盗み出していたとしたら?」


 ハロルドが顎を撫で、


「レイヴンのホロスキャンはディオネアが行っていた。リリアはあくまで呼びかけをしただけ。ホロスキャンだけなら、既存の流通した技術だからな。その時に、ナノマテリアルを脳味噌から取り出し、記憶を奪った……だが、なんの記憶を?」


 ハウンドが、「可能性×記憶の質量×光の速度の二乗……レイヴンの記憶が、この記憶の質量を指しているのだとしたらどうでしょう」と言った。


「俺の記憶? 俺の記憶が、どうドローム方程式と関わる?」

「それをロイに聞けばいいんじゃないんですか? 私は単細胞なので、分からないことは分かる人に聞くようにしているんです」


 その理屈を聞いたレオが、手を叩いて大笑いした。


「ガハハ、そりゃあいい! ロイを締め上げればいいんだろ、話がわかりやすくなったじゃねえか」

「あんたたちは単純でいいわね。……レイヴン、ごめんなさいね、うちはあんたが来る前からこんな感じだったのよ」

「お前ら……確かに、そうだけど……でも」

「実際、ロイの凶行って僕らにどういう影響が出ているんです? ディオネアだって総裁を殺されて、戦線は崩壊、軍は壊乱してるんじゃないんすか? 僕としては現実的な状況を知りたいんすけどね。元帥殿、その辺はどうなんですか?」


 確かに、ロイ・ドローメルはあの配信でディヴィア総裁を爆殺している。ディオネア軍にとっても、ロイは最重要の抹殺ターゲットだ。


「現状は単純だ。ロイ・ドローメルはエルドシェルドの軍事研究施設に所属している科学者で、先の配信の直後にキングスレイはディオネアとの契約を破棄。すぐに手のひらを返し、エルドシェルドと組んだ。ディオネアは実質壊滅したと言っていい」

「あっけない幕切れでしたね、父さん」

「企業戦争なんてそんなものだ。契約が取れないと終わり。営業力が戦争市場を左右するんだ。……で、ハロルド。我々は化け物企業にどう対抗するんだ?」

「今まで通り。営業と、流通で戦う」


 アンドロイドの副官がホロディスプレイを展開した。

 映し出されたのはロイ・ドローメルのバストアップ写真。ハロルドが説明を開始した。


「この男は七年前からエルドシェルド軍事研究施設——通称ヘルメスに所属している。実年齢は不明。恐らく生前の姿をモデリングした義体だろう。ミオ・ドローメル同様、その出生は不明だ」


 椅子の向きを変え、背もたれに腕を乗せたリリアが口を挟んだ。


「ヘルメスといえば、タイムマシンの研究だとかワープホールの研究だとかを行うトンチキ空想科学研究所だろ。実在したんだな」

「連中も無機物との交配を可能にしたアーチボルト父子には言われたくないだろうな」

「ですって、父さん」

「ふん。じゃあ何か? あっちはあっちでタイムマシンが完成しているとでも? ありえん話だ」


 そんなものがあってたまるか、とレイヴンは思った。


「今を、現在を踏ん張れない奴が、どんなに過去を変えようが同じ末路に帰結するに決まっている。そんなくだらないマッチポンプのために、大勢の未来が揺らいでたまるか」

「全くもってレイヴンの言うとおりです。……それに、ドローム方程式がタイムマシンを否定しています」

「ん? どういうこと?」「さあ、さっぱりだ」「僕もっす」


 オウル、レオ、ヴィクセンの反応に、リリアが解説した。


「可能性、すなわちこれはシュレディンガーの猫だ。箱の中の猫は生きていると同時に死んでいる。これは、観測さえしなければ二つの可能性が共存でき、観測した瞬間に結果として確定してしまうために、もう片方の可能性はことを意味している。要するに、実現し得なかったパラレルワールドなんてものは存在せず、ただそうなるはずだった可能性はエネルギーとして還元される——ドローム方程式が示す可能性とは概ねこのようなものだ」

「そっか、時間の分岐自体があり得ない、っていう理屈なのか。じゃあここで僕が先輩に悪口を言って、やべえ! ってなっても過去には戻れないから必死に謝るしかないってことっすか?」

「なんだかよく分からん解釈だが、まあその通りだ。過去は変えられんし、未来は今の己の選択によって掴んだもの一つでしかあり得ない。たられば、なんてものはこの宇宙にはあり得ないんだ」


 レオが首を傾げる。


「根本的に理解できんのだが、ドロームライトってのは石ころなんだろ。なんでそれが可能性だとか記憶だとかってのと結びつくんだ」

「それはドロームライトがこの星の可能性、無限の記憶、それが結晶した結果だからです」


 ソフィアが答えた。


「僕たち一人一人を、細胞組織と考えてください。星を構成するものを、まあなんでもいいので人体の組織に置き換えてみましょう。あり得ないと思われるでしょうが、僕はこの星それ自体が超巨大な生命であると捉えています。ドロームライトは、その生命が秘める可能性の上澄みとして表出したものなんです」


 オウルが、「じゃあ記憶の質量っていうのは?」と聞いた。

 それにはハウンドが答える。


「可能性との接点です。人々の記憶が、可能性を生む。記憶を意識や意志と代入してもいいでしょう。いずれにしても、生命が持つ可能性との知覚的な接点を、記憶の質量と呼ぶのです。そしてそれが、超光速でめぐると、ドロームエナジーの出力——あの、純粋なエネルギー鉱石になるのです」

「要するにこの星は超光速で思考を行っていると? その結果がドロームライトの生成?」レオが聞いた。

 ハウンドは頷いて、「その通りです」


「……もう一人の俺の宣戦布告は、ドロームライトで何かしでかすぞ、っていう脅しなのか?」

「わざわざレイヴンを名指しするように顔を出し、期待している、と一言。……どう考えても我々に対する挑戦状だ」


 リリアが苛立たしげに椅子を鳴らす。


「ぽっと出のクソガキが、気に入らん。私を差し置いてドロームライトの秘奥に挑む気か!? なぜ私を誘わんのだ!」

「父さん、怒るところそこじゃないです」


 ハロルドがため息をついて、


「話を戻すぞ。エルドシェルド軍は南ロックヘッド山を中心に軍備を固めている。文字通り、雪崩を打ったように進撃を企てているに違いない。我らも各要塞へ兵力を出している。幸い、イェルンの連中もエルドシェルドへの恨みがある。協力的だ。時期が早まっただけで、いずれはこうなることだったのだ。むしろ手間が省けた」


 とは口で言っているが、実際は胃痛の種がいくつもあるに違いない。言葉に出さない大人の忍耐力を、レイヴンは怒涛のように押し込まれた情報を処理しつつ、察した。


「総力戦になる。悪いが諸君らにはしばらく休暇を出せないものと思ってくれ」


 ハロルドはそう言って、今後の細かな話を詰め始めた。

 そのブリーフィングを聞きながら、レイヴンは表示されっぱなしのロイの顔を見た。

 世界のどこかで生きていた、もう一人の自分。欠落したレイヴンの記憶を持っているであろう存在。


 確信する。

 お互いに、コピーではないと。少なくとも、お互いはお互いをオリジナルだと思っているのだ。

 であればこれは、ミラーマッチだ。

 実像を写しあう鏡に映る、本物のお互いを、恐らくはお互いに求め合っている。


 ——期待している。


 そっちが、その気なら。

 その、投げ渡されたグローブを、レイヴンは躊躇わずに掴む。


 ——上等だ、クソ野郎。やってやるよ。

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【一旦休憩いただきます】ビースト・ネペンテス — 瀕死になった俺、機械化置換手術を受けてムチムチ爆乳スケベボディの女サイボーグになる — 裡辺ラヰカ @ineine726454

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