第19話 DE=PMc^2

 簡易的に建てられたプレハブ小屋や、運んできたコンテナをそのまま理路整然と並べ、防水テントを張った拠点が立っている。

 急拵えの野戦司令部だ。レイヴンはその野戦司令部に設られたアサルト・ストライカーたちに割り当てられたテントで横になっていた。

 軍隊の仕事は二等辺三角形であるというのが、リリアの持論であった。

 華々しい戦闘やなんかは三角形の鋭角の一点だけで、大抵は膨大な後方支援や補給要員、そして待機時間が軍隊の仕事だと。

 ストライカーという特殊部隊といえるレイヴンたちは有り難くも常に鋭角の一点に置かせてもらえるが、それでも待機時間ばかりはどうにもならない。


 瞼の裏に炎が焼き付いている。——だいぶマシになってきたと思っていたが、一年前のあの光景がいまだに網膜を焼く。

 赤黒い炎が逆巻く。悪魔の哄笑のようにその烈火の声が聞こえる。焼ける人、人、人。動物も、草木も花も焼けて、死んでいる。猛烈な嵐のように吹き荒ぶ劫火——これは。

 これは、なんの記憶だ……?

 レイヴンはゆっくりと瞼を開いた。


「どうかしました?」

「いや……なんでもない。疲れてるんだと思う」

「話してください。恋人なんですよ、私たち」


 今ここにヴォルフはいない。彼女と彼女の部下は偵察部隊に同行し、作戦を行っている。


「最近……自分のものじゃない何かの記憶を見る」

「それは……夢では? 自分のものではあり得ない突飛なものだって見るでしょう」

「夢じゃないよ。少なくとも今見た炎は……俺はしっかり、意識を保ってた。明晰夢っていうには違うし、そういうのじゃない」


 レイヴンはハウンドの手を握った。


「不安ですか?」

「自分が誰なのか、時々わからなくなる。……俺は、なんなんだろう」

「あなたはレイヴンで、私の恋人で、博士の作品で、ビーストを率いる隊長です。それだけで、あなたの存在証明足り得るんです」

「単純だな」

「単純明快なものは美しいです。流れる水が美しい、生えている木が美しい、花が美しい。それだけで充分です。世界はシンプルであるべきなんですよ」


 ハウンドの世界観はあまりにも純粋で、それゆえに揺るがぬ一貫性があった。余計なものを削ぎ落とした、太い幹だけのようなわかりやすい軸がそこにある。他人の意見なんかでは揺るがない、絶対的な意志や信念ともいうべきそれが、彼女の中にはあるのだ。


「ハウンドと……もっと……」

「……はい」

「ずっと一緒にいたい。俺にはハウンドが必要だ。……俺も、ハウンドから必要とされたい」

「はい……私もです。私も、同じです」


 両腕を絡めて、互いに向き合う。そのまま、キスをかわす。

 そのとき、野戦司令部のブザーが鳴った。

 敵襲を知らせるブザーだ。レイヴンとハウンドは甘い雰囲気を振り払って素早く立ち上がり、義体出力を戦闘状態に移行する。

 レイヴンは外してあった鞘を腰のハードポイントに接続。ハウンドは折りたたんでいた弓を展開し、矢を抜いた。

 敵はどこから——そう思っていると、突如野太い雄叫びが響いた。


「なんだ」

「レイヴン、北東です!」


 ハウンドに言われ、レイヴンはそちらを見た。

 そこには上背が五メートルを越す巨人がいた。それも、機動兵器では——ない。

 鎧装を着込んだである。ドローム・ショックで失われたこの星の生命——幻獣のような。まさか、生き延びて……違う。何を考えている? どう見たってあれはバイオロイドだ。

 生物化学を人体工学に応用したように、それによって人間を獣人に変えたように、アレは人工的に作り出された生体兵器である。


「キングスレイ・バイオニクスの……」


 兵士がそう漏らした。


「各小隊、持ち場を離れるな! 点呼を取って各小隊長の指示に従って撤退しろ!」

「照合完了、ジャガーノートです! 畜生、潰しにかかってきやがった!」

「撤退、撤退だ!」

「〇三小隊点呼完了」「〇二、点呼完了」「〇四——」


 レイヴンはハウンドに目配せする。


「俺たちであれを止めるぞ。ハウンド、援護」

「了解」


 反重力翼ユニット、展開。黒い半透明の翼が形成され、レイヴンを重力を無視した機動へ導く。羽ばたき、加速。

 四つ目の巨人は右腕に握るヒートアックスを振るい、プレハブ小屋を吹き飛ばした。レイヴンは上空から抜刀、急降下し、その頭部を切りつける。


「硬ェ……!」


 鎧装は問題なく両断。だがその下の皮膚が、あまりにも硬い。

 重力に負けぬよう頑強な肉体を持っているのだ——当然のことだが、五メートルの巨体で、体重はどう考えても数十トン。その肉体をクレイドルという惑星の重力下で動かすための皮膚組織、筋力、骨格の強度は一般的な生物のそれを凌駕するだろう。

 生物種からして、ヒトとは別物なのだ。


 レイヴンは迷わず前腕を展開する。個人兵装の〈超雷電ヱレキテル〉を有効活用した兵器——ニードルランチャーである。

 充填されているナノマテリアルがニードル弾を生成し、彼の能力で電磁加速を開始。

 ジャガーノートが斧を振るった。超高温の白熱化した刃がレイヴンを切り裂こうとするが、反重力翼で空を掴むようにして後退。

 素早く、左腕を振った。展開されたランチャーからニードル弾が射出され、ジャガーノートは予備動作に反応して左腕を掲げた。

 構えていたバックラーが粉砕される。が、ニードルは二発、放たれていた。バックラーと相討ったニードルに続き、二発目が前腕に食い込む。

 ジャガーノートが「ゴァアッ」と鬱陶しそうな声をあげた。


「マジかよおい」


 ニードルは貫通せず、周りの皮膚と筋肉を抉りつつも、骨を砕くことさえなかった。


「俺のランチャーは最新の複合装甲すらぶち抜くんだぞ。やっぱ大物はオウルのレールガンレベルじゃなきゃムリか……」


 とはいえ、左腕サイズで主力戦車の主砲以上の威力を、二連続で叩き込める方がイカれているのだ。まさしく、人間兵器と呼ぶに相応しいスペックである。

 ハウンドがすぐさま矢を放った。〈超振動ヴィブラシオン〉を付与された矢は、それ自体が小刻みに対象を掘削する。突き刺さった矢は肉眼では認識できない振動を繰り返し、次々、肉を抉って食い込んでいった。


「お、おい……あれが……」

「マジかよ、ジャガーノートを立った二人で押し返してやがる」

「弓でレールガン並みの威力だしてやがるぜ……冗談だろ」

「第七世代の、人間兵器部隊ビースト・ネペンテスだ……」


 レイヴンは太刀に〈超雷電ヱレキテル〉を流した。ナノマテリアルとドローム技術が可能とする超伝導冷却液が浸透し、刀身を超電磁が駆け巡る。

 青く輝く太刀を、レイヴンは上空から真下に振り下ろした。

 雷、それ自体が巨大な剣と化す一閃——〈雷霆剣ライトニングブレード〉が、ジャガーノートの脳天から股下までを駆け抜ける。

 まさしく落雷。雷鳴に匹敵する轟音が轟き、凄まじい衝撃波にテントが軒並み吹っ飛ぶ。大地が抉れ、ジャガーノートの周りの草花と土が一瞬で蒸発して消し飛ぶ。

 

 雷を放った大鴉レイヴンが、さながら雷神のように地面に降りた。

 そこに付き従うのは、やはりハウンドである。


「……あの鴉女、やりやがった」

「あれがビースト……」

「本当に俺と同じサイボーグかよ」


 レイヴンは太刀を軽く振って、鞘に納めた。


「ここは引き払った方がいい。今のはおそらく威力偵察のようなものだろう。指揮系統の異なる俺の意見なんぞ従う道理はないだろうが、そちらの司令官の懸命な判断に期待する」


 慇懃無礼、いっそ横柄にレイヴンは言い放った。

 小隊を率いる一人の少尉の階級章を縫い付けた男が、おずおずと問う。


「どこへ?」

「元々の任務を前倒しで実行する」

「独断専行ですよ!? 待ってください、今司令部と——」

「ビーストの指揮権を持つのはリリア・アーチボルトただ一人だ。それこそローガン元帥の命令でさえも、俺たちを動かすことはできない」

「くそっ、愚連隊め。勝手にしろ!」


 レイヴンは背を向け、ハウンドを伴って歩きだした。両断されたジャガーノートは、その断面を一億ボルト、約三万度という想像もできないような威力で焼かれ、肉が焼け爛れ炭化していた。出血さえしていない。

 凄まじい力は、すり鉢状に抉れた地面が物語っている。土が焦げて、今もなお煙を上げているのだ。

 一見すれば、レイヴンはバイオロイド兵器の中でも主力級を一撃で倒したように見える。だが実際は、連発不能の大技をすぐに出して短期決戦に持ち込まねば不利になる、という確信がそうさせたのだ。


「バイオロイドってのは、無人機より厄介なんだな」

「そのようですね。おそらくは薬品や催眠学習で敵味方を識別しているのでしょう。もしくは、味方兵士に打ち込まれたナノマテリアルから発せられるフェロモンが、その識別を助けているのかもしれません」

「フェロモンってのは、興奮するアレか?」


 視界に投影したマップをもとに進みながら、ハウンドは「そうです。それは性フェロモンですね。他にも数えきれないほど存在します」と肯定し、


「それを高度に組み合わせることで生物を兵器として運用する技術を、キングスレイは——っ、広域通信……?」

「割り込んできやがった、誰だ……?」


 それは、突然だった。

 背後で爆音が轟く。——部隊がいた地点だ。一体何が——なんて考えるまでもない。伏兵が再度襲撃したのだ。

 向かうべきだ、と思っていたが、視界をジャックする映像がそれを邪魔する。


〈あー、あー……ごほん。聞こえているかな、科学を舐め腐る戦域の人間エテ公ども〉


 ARモニターに、見知らぬ中性的な顔の青年が映り込んだ。セミロングヘアの青髪に、右目を眼帯状の義眼ユニットに置き換えた謎の人物。

 黒いスーツの上に白衣の上着、そして迷彩柄のズボンという、ビジネスマンと科学者と軍人の相子のような奇天烈なファッション。

 この顔——どこかで。


〈『DE=可能性P×記憶の質量M×光の速度の二乗c^2』——僕からの宣戦布告だ。期待している〉


 ——なんだって?

 謎の人物はそれだけ言って、その場から去った。そこには、レイヴンもテレビメディアなどで知る、ディヴィア・クライスラー総裁——ディオネア・インダストリーズの最高責任者が座らされていた。猿轡の代わりに、ピンとレバーが抜かれた手榴弾を咥えさせられて。その目は限界まで見開かれ、恐怖で震え、涙を流している。

 直後、それが炸裂。あっけなく、ディヴィア総裁の頭が、肉体が粉々に吹っ飛んだ。

 そこでカメラの映像も止まる。


「ハウンド」

「合成じゃないです。本物の映像でした。それに、あの方程式は……」

「ドロームエナジーの……エナジー出力を導き出すドローム方程式だ」

「さっきの人物に該当するデータがありません。別の勢力の……?」

「くそ、ややこしくなった……いや、なんで俺はあいつを知ってる気がするんだ。違う……あの顔……生前の、俺……?」


 ハウンドが顎に手を当てる。


「博士に繋ぎます」

〈博士、レイヴンだ。聞いてほしい、さっきの男だか女だかわからんやつだが——〉

〈君の孤児院の先生だろ〉


 リリアはそう言った。


〈は……?〉

〈正確には、あのアンドロイドのモデルになった人間だ。今照合した。合致率九六パーセント、本人だろう〉

〈……誰だ?〉

〈ロイ・ドローメル。


 は——。……実父、だって?

 何を、……言っている?


〈一旦戻れ。状況がおかしなことになっている。レイヴン、一つ言っておくぞ〉

〈これ以上何を……〉

〈お前は、ただ一人のお前だ。この半年にあったことだけは嘘偽りのないものだ。いいな〉


 博士は念を押すようにそういった。レイヴンは訳が分からない状況に叫び出しそうになったが、ハウンドが寄り添ってくれる手前そんな無様な真似はできないと、必死に堪えた。

 しかし、レイヴンは所在なくウロウロしはじめ、ため息をついたり、足踏みしたり、明らかに苛立っている。

 訳が分からないことが——のしかかってくる。

 過去だと思っていたものが過去ではなくて、全く見知らぬ未知が、背後からしがみついてくる。

 遠くの空にヘリのローター音が響き渡る。


 この日を境に、フィオヴィレ軍優勢の戦局は傾きを見せ始めるのだった——。

 そして、レイヴンに、ある残酷な事実が突きつけられようとしていた。

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