Chapter6 アムニージ・アック
第18話 ミッシング・リンク
「久しぶりじゃないですか? 二人きりの任務なんて」
「ああ……思えば、本当に久しぶりだな。下手したら初陣以来じゃないか?」
移動中の輸送トラックの荷台で、レイヴンはハウンドにそう言った。一緒に載せられていた兵士たちは思い思いの過ごし方をしている。火を覆い隠すカバーをした煙草を吸って、狙撃対策をしていたりする者もいる。
煙草の火は、意外なほど遠くからはっきりと見えるものだ。その火を頼りに敵が狙撃してくることもある。軍人が、軍人同士で副流煙を気にすることはまずない。つまり、煙草カバーは戦略的な意味がなきゃやらないのだ。
「この体のおかげで高山病とは無縁でいられるのがいいですよね。まあ、昔のナノマシンは血中酸素濃度の変化で不調を起こしたりしたみたいですが」
「コンバットハイのような症状が出やすくなるんだっけか。なんか、映画かゲームでそんな設定を見たよ。現実になるなんて、クリエイターも思わなかったろう」
兵士の比率は男女が半々。戦仕事は男のもの、という考えは古い。月経周期もそれ自体も制御できてしまえば、女だってほとんどデメリットなく参戦できる。戦場で凌辱されるのは、今や女だけではない。男もまた、女やトランスに狙われる「略奪対象」なり得る。戦場における性別によるメリット・デメリットは、もはや意味をなさない。
レイヴンは幌が揺れるに合わせて跳ねる車体に、ため息をついた。その度に揺れる女の胸を、男たちは口笛を鳴らしながら歓喜している。なぜかハウンドも口笛を鳴らす——口の構造的に、それらしい音を再生していると言った方が正しいか。
「アサルト・ストライカー、だってな?」
レイヴンの隣に座る女が声をかけてきた。女はブーストマンであった。というのもその頭部は立派な狼であり、戦闘服から覗く肉体も、モフモフの毛皮に覆われているのだ。胸が膨らんでいるのは脂肪と胸毛の両方だろう。
マニア向けに言えば、メスケモ——そんな女性であった。
遺伝子治療技術と、生物化学技術のバイオロイド技術が可能とした、究極の整形外科の賜物だ。
「ああ。ビースト・ネペンテス。知ってるだろ」
「知ってる。サテライト落としの英雄、だろ」
「……ふん」
レイヴンたちの行動は、公式には伏せられている。だが、軍では公然の秘密と言っていいくらいに知れ渡っていた。
「私もストライカー部隊なんだ。
「ストライカーがビーストだけじゃないのは知っていましたが、二部隊合同だなんて……」
「組織再編があるかもって噂だぜ、ハウンドさんよ。……あー、すまん、私はヴォルフ。階級は少尉。本名はいつか教えてやる」
「レイヴン、だ。太尉。ビースト・ネペンテスを率いてる」
「ハウンドです。階級は中尉です」
ヴォルフが「上官かよ」とぼやいた。
「同じストライカーだ。タメでいいだろ?」
「ああ。多分、従軍歴で言えばあんたの方が長いだろうしな」
レイヴンはそう言って、彼女に聞いた。
「俺さ、世間知らずの孤児院出だから知らねえんだが、今ってどういう状況なんだ? 記録では知ってるんだが、記憶が曖昧でさ」
「別に、ずーっとこんなさ。一五〇年前に国家解体戦争が起こって、終戦から一三〇年ずっと、企業と宗教と王族の勢力が戦国乱世で凌ぎを削ってる」
「へえ……」
「お前、本名は。生前の」
「ミオ・ドローメル」
「その苗字なら……親から聞いてねえのか? あ、いや……孤児院つったか。すまん」
「いいって。どのみち俺はペアレントレスだし」
ヴォルフが、そしてハウンドが疑問を顔に浮かべた。
「その苗字は、孤児院で申請されたものですか?」
「……? なんで?」
「フツーペアレントレスってのは、人工子宮に割り振られた識別名を名乗るんだ。ナンバーエックス、とかっていうふうに。……そんなことも知らんのか?」
レイヴンは、言葉に詰まった。
そうだ、そう——確かにそうだ。
……なんで自分は、そんな簡単なことも知らないんだ?
「レイヴン?」
「あ、いや……ハハ、脳をスキャンした時に記憶が飛んだのかな。……ガキの頃の記憶、あんまねーんだわ」
「まあ、そういう不具合も出るっていうしな」
「なんでもいいですよ。過去がどうあれ、私が知るレイヴンは、ただ一つのレイヴンなんですから」
レイヴンはハウンドのその言葉に、なぜかひどく縋りたくなった。
自分が空っぽな人間だと自覚していたが、ふとした瞬間に感じる記憶の欠落が、妙に怖い。
俺は……本当に、あの日焼かれたミオ・ドローメルなのか?
いや、仮に違ったとしても。
レイヴンとして生きてきたこの半年に、偽りはない。
知らず知らず、レイヴンはハウンドの手を強く握っていた。
震えるその手を、ハウンドは無言で力強く握りしめるのだった。
×
新州都フィオヴィレから北に約四〇〇キロ先に、レヴィディア州オルゴヴィス市がある。
ヘリに乗ってその地の土を踏んだのは、リリア・アーチボルトとその助手でボディガードを兼任するソフィア・アーチボルトである。リリアはマスクをしていた。
二人はすぐに迎えのタクシーに乗り込み、オルゴット孤児院へ向かった。
〈前々から疑問に思っていたことがある〉
暗号通信で、リリアは娘に話しかけた。
〈なんでしょう〉
〈なぜミオには苗字があるのか、だ〉
〈……? 中世じゃないんだから、苗字くらい……〉
〈やつはペアレントレス・チルドレンだ。本来ならばミオ・ナンバーxxというふうに人工子宮に振られている番号がその苗字になる。なぜドローメルなんだ?〉
〈孤児院が取得した苗字でしょうか〉
〈それを確かめる。ずっと引っかかっていた。ディオネアのくびきを解き放った今、私は自由だしな〉
タクシーは街から少し外れた建物についた。
小綺麗な二階建ての建物で、公民館といっても通るようなしっかりした造りである。
車両から降りた二人は、運動場で遊ぶ子供たちの視線を浴びながら入り口で待っていた責任者の女性アンドロイド——イオに、一礼した。
「お忙しい中申し訳ございません。ご連絡しておいたアーチボルトです」
「お待ちしておりました。こちらへ」
院内は子供たちの似顔絵や、工作品が並んでいる。共用のパソコン、本棚には絵本や漫画——。
その中で、写真が飾られている場所もあった。日付からして、ここ二年のものらしい。
通された応接室のソファに座り、リリアは嫌な予感を感じていた。差し出されたコーヒーの湯気を目で追いながら、端的に聞く。
「この孤児院に、ミオ・ドローメルという男の子は在籍していましたか?」
「ミオ……? いえ、そのような名前の子は、記憶にも記録にも存在しません」
ソフィアが若干食い気味に聞いた。
「何かの間違いでは? 彼は十八歳まで——四年前までここにいたはずです!」
「それこそ間違いです。このオルゴット孤児院ができたのは二年前ですよ?」
——おかしい。
じゃあ、ミオ・ドローメルとして生きて、焼かれたあの青年は何者だ?
ディオネアから素質のある素体を供与され、身元は処理しておくと言われたリリアは、そのときは個人のことまで感知するのは自分の仕事ではないと割り切って、与えられたレポートに従っていた。
だがローガン兄弟が実権を握りフィオヴィレ州として独立し、彼らを人間として扱う必要が出て状況が変わった。
生前の情報の整理が必要となったのだ。
ハウンドは本名ミラ・ナンバーエコー。ミラという幼い少女の脳に高度な生体ユニットにする実験を実施した結果、脳死状態となった。深層心理への呼びかけでサイボーグ手術への同意を得て、施術した。
オウルの本名はエルザ・クライトン。軍の狙撃手で、作戦中に自爆ドローンの突撃を喰らい瀕死の重傷を負う。呼びかけに応じ、狙撃特化モデルの第七世代義体と適合した。
レオの本名はクラヴィス・フュアリー。空軍の主席パイロット。無茶な作戦でサイクロプスに撃墜され、首だけになっていたところを回収される。記憶の欠損をホロブレイン化の際に補い、ことなきを得た。
ヴィクセンの本名はジミー・ナンバーウッド。社会保障の暮らしに嫌気がさし就活、しかし親の七光も職歴もない彼は行く先々で失敗し、自殺を図る。深層心理への呼びかけに応じ——。
レイヴンの本名は自称含めミオ・ドローメル。三年間、ディオネア系列の電子部品工場に勤める。ここまではいい、裏も取れている。二十一歳から遡ること十八歳の人生は確かなものだ。
だが、それ以前が全くの謎なのである。
誰から生まれたのか、どこからきたのか、一切不明。あらゆるデータベースに、該当するものがない。
「念の為お伺いしますが、ミオ・ドローメルという名義での仕送りは?」
「いえ……」
「ディオネアからの援助は、どのように?」
「州が取り決めた、友好上のパフォーマンスだと。断れば取り壊すと脅されて……」
リリアは顎に手を当てた。
〈父さん、ディオネアなら何か知っている気がします〉
〈私もだ。今日のことは他所で言いふらすんじゃないぞ〉
〈はい。サーバーおよびデータベースの記録を改竄しておきます〉
コーヒーには一切手をつけず、リリアは立ち上がった。
カップに唾液がつけば、それだけでここに存在した証拠になるからだ。
「すみませんね、急に押しかけて。今日のことは忘れてください」
「えっ、あ……」
「それがあなた方のためにもなります。では、ごきげんよう」
リリアは相手に有無を言わさず部屋を出た。
ソフィアも黙って続いてきた。
〈気づいているか、ドローメルという言葉の意味に〉
〈古エルゴン語で夢見る、という意味ですか。
〈……興奮するね〉
二人は待たせていたタクシーに乗り込んだ。
発進した車内で、ソフィアが聞く。
〈何に?〉
〈世界の秘奥に、さらなる未知の表層を引っ掻いている気分に、かな〉
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