23 その土竜、明日を向く
>永妻晴菜さんから参加申請がされています
伸忠は「許可」の文字の所を触った。
>永妻晴菜さんが参加しました
と表示がされても、新しい通知はない。
この空白に、晴菜の「なんて書いたらいいんだろう」と慌てながら考えている様子が、伸忠には透けて見えるような気がした。だから、せかすことをせず、ゆっくりと待つことにする。
着信音が鳴る。
晴菜 : 話したいことがあります。
緊張で白い顔をしているような気がした。もちろん、全くの見当外れの可能性もある。でも、待つことは止めて、お節介を焼くことに方針転換する。
伸忠 : 真嗣のこと?
伸忠 : 6年前に死んだ
晴菜 : あ
誤爆かな、と思う一方で、予想に確信を持つ。
そして、それは正しかった。向こう側では、
――嘘をついていたのがバレていた。
――伸お兄ちゃんに嫌われる。
パニックで過呼吸寸前の晴菜が、様子を見守る彩寧と寛乃に寄り添われていた。
伸忠 : 知っていたよ
伸忠 : 4年前に高校の同級生に教えられた
偶然再会した同級生から真嗣のことを聞かされた時は、伸忠の周りから音が無くなった。
でも、よくよく考えれば、胸にストンと落ちた。「真嗣」とのやりとりで違和感が感じることが多かったからだ。
だけど、そのことを指摘するつもりは無かった。そうする理由もうっすらと感じていたから。
晴菜 : 黙っていてごめんなさい。
少しのタイムラグの後の返ってきた返信に、伸忠も寄り添う。
伸忠 : 謝る必要はない
伸忠 : お礼を言うのは僕の方
伸忠 : あの時助けてくれてありがとう
もしも、6年前のあの時の「真嗣」とのやりとりがなかったら、伸忠は真嗣と同じ道をたどっていた。
晴菜 : お礼を言われる立場じゃない
晴菜 : 助けようとしたからじゃない
晴菜 : お兄ちゃんが死んで寂しかったから
晴菜 : 伸お兄ちゃんとのつながりが切れるのに耐えられなかった
晴菜 : 嘘を吐いたのは私のわがまま
伸忠 : わがままでいいんだよ
晴菜 : でも底辺ダンジョン配信者にしたのも私
――背負わなくてもいいものを背負っている。
痛ましささえ伸忠は感じてしまう。
伸忠 : それは違う
伸忠 : 今を選んだのは私だ
このように「背負わなくていい」「下ろしてしまえ」と言うのは簡単だ。でも、一度背負ってしまうと下ろすのはなかなかできない。出来るのは、背負ったものを下ろす時まで、寄り添って、少しでも負担を軽くできるようにするだけ。
伸忠 : 死ぬのが怖かったから
弱さを認めることは勇気が要る。年下の子、守りたいと思っている子に向かってであれば、なおさら。
でも、勇気を出す。
伸忠 : 晴菜ちゃんと会うことが出来なくなるのが嫌だったから
伸忠 : だから今の「底辺ダンジョン配信者」の道を選んだ
晴菜 : でも
返事を考える前に、気が付くと送信していた。日中、後ろ向きだった心がそうさせたのではない。
伸忠 : 今度直接会わない?
誰かに背中を押された気がした。後悔とか後ろ向きの気持ちは浮かんでこない。勇気を振り絞った今なら前を向ける気さえする。
向こう側から息を呑む音が聞こえたような感じがした。
しばらくして、
晴菜 : 周年ライブが終わってからでもいい?
伸忠 : もちろん
周年ライブが行われるのは5日後の日曜日。この後、新しい着信が来ることはなかった。
椅子の背もたれに寄りかかると、伸忠の目は見慣れた自室の天井を映す。
そうしながら、自分の感情と向かい合う。
――正直、恋愛感情は無いな。
昔からの親友の妹への親愛感、加えて、アイドルとして頑張る彼女への応援する気持ち。
アイドルの特別な存在になりたい、そんな感情は欠片も無い。
――ステージで輝く彼女たちを客席から見ているだけで十分。
それに「スターライトセレナーデ」が恋愛を認めているからと言って、「スターライトセレナーデ」のファンが認めて受け入れるかは別問題。実際、彼氏がいるメンバーはいるが、公表された時には相応に荒れた。
――ダンジョンとは違う言葉の刃を晴菜ちゃんに突き付けられるのは……。
とまで考えて、伸忠は気が付いた。
「避けたい」と考えるのではなく、「守りたい」という感情が自分の心にあることを。
ダンジョンでゴブリンの刃から守ることができなかった。だからこそ、近くで守りたい。その感情があることを。
部屋の中に大きな溜息が響いた。
*
「遠い星に祈る夜、あなたの声が響く気がして♪」
「触れたいと願っても、冷たい風が吹き返ってくる♪」
「スターライトセレナーデ」の定番曲の中に、切ない恋をする女の子を描いたラブソングがある。その落ちサビを普段はメンバーの中から選ばれた2人がステージ上で向かい合って歌声をハモらせるのだが、
「それでもあなたのそばにいたい♪」
この日の周年ライブでは1人だけで歌った。歌ったのは晴菜。マイクを持っていない左手を客席の方に向けて、情感たっぷりに歌い上げた。
瞬間、彼女の歌声でハートを撃ち抜かれたファンによって、会場はこの日一番の大歓声に包まれた。
伸忠は身動きひとつとれなかった。確かに、晴菜と視線が絡んだ。彼女の左手は客席の中でもステージから真正面ではなく、そこから少し外れた伸忠の方を向いていた。
――眩しい。
と感じると同時に、
――晴菜ちゃんの「答え」だな。
1人だけで歌ったのは薫子を始め誰かの指示ではなく、晴菜自身の希望。伸忠から会おうと望まれて、自分の意思をステージから直接伝えるために、考えた結果。
このように彼女の行動の意味を導き出した伸忠は天井を仰ぎ見たくなった。
ライブが終わる。周年に相応しい盛り沢山な内容にファンたちが満足げに会場を後にし始める中、普段なら人混みに揉まれないように真っ先に会場から出るはずの伸忠は座席に座ったまま。ボーっとライブの余韻に浸っていた。
そんな彼に声を掛ける人物がいた。
「石引伸忠さんですね」
視線を向けると、3人の女性が立っていた。両脇の2人はこれまでのライブで目にした覚えがあった。
その2人は脇に控える形で、真ん中の子、明らかに大人の他の2人よりは年下、高校生で、綺麗系というよりは少しだけ子ダヌキを連想させる可愛い系の子だった、が一歩前に出て、
「これを受け取ってもらえませんか」
と言って、データカードを1つ差し出してきた。
敵意や加虐心といった攻撃的感情は感じられない。かといって、好意とは少し違う。言葉遣いには、少しだけ背伸びしているような様子は感じとれた。
とりあえず、気取られないように、ノイズキャンセリングイヤホンを会話モードに切り替えて、
「何が入っているんですか?」
受け取りながら確認してみると、全く想定外の反応が返ってきた。
「3つの署名簿が入っています」
「しょめいぼ……ですか?」
伸忠の頭の中では「しょめいぼ」の漢字変換が出来ていない。
「1つは、先日、東京ダンジョンでチーム・スピカの皆さんを助けていただいたお礼と感謝をお伝えするものです。『スターダスト・セレナーデ』のファン8万人の名前が記されています。本当にありがとうございました!」
「……は?」
更なる想定外の言葉に伸忠の頭の回転が止まってしまう。
「人数は少ないですが、冷やかしやミーハーを排除するために、最低1カ月のファン活動が確認出来る人に限りました。厳選されたファンによる署名です。安心してください!」
――「安心してください」って……。
――それに限定? 厳選? どうやってそれが出来る?
彼女の堂々と話す言葉に、心の中だけでツッコミを入れる。ちなみに、「スターダスト・セレナーデ」のファンクラブ会員数は公表されていないが約5万人。もちろん、ファンクラブに加入していないファンもいる。
気を取りなおすために、伸忠が辺りに視線を回すと、目の前にいる3人だけでなく、
――え? これ、どういう状況?
視線に悪意や敵意は感じられない。むしろ、温かく見守られているような……。
意識が引き戻される。
「もう1つは、石引さんに永妻晴菜さんからの愛の告白を受け入れていただけるようにお願いする嘆願書です。5万人の署名が集まりました」
「え? 嘆願書?」
「はい!」
更に更なる想定外の内容に、伸忠の口から思わず言葉が漏れるが、彼女からは笑顔で肯定されてしまう。
「……えーと。『受け入れるな!』とか『近づくな!』とかの間違いということは?」
「ありません!」
恐る恐るといった感じで口にした言葉ははっきりと否定されてしまう。それどころか、
「まさか、そのようなことを誰かに言われたのですか!? そんな人間がいたら、『スターダスト・セレナーデ』の真のファンではありません。そんなことを語るのはファンを
言い切る彼女に圧倒されてしまう。
――圧が強い。
二の句を継げられないため、とりあえず、
「それで、最後のは?」
「最後は、永妻さんを受け入れる際、一緒に日下彩寧さんと関口寛乃さんも受け入れていただくようにお願いする要望書です。7万5千人の署名が集まって、現在も増え続けています」
「……は?」
更に更に更なる想定外の内容に、今度こそ伸忠の頭はフリーズしてしまう。そんな頭でも、
――2つ目のより人数が多い。
ことに気が付いて、
「……ええと、2つ目のより数が多いですが、逆の間違いでは」
「いいえ! 間違っておりません!」
はっきりと否定されてしまい、思わず天井を見上げてしまう。見上げて天井のシミを数えようにも、見慣れないライブ会場の高い天井にシミは見つけられない。
仕方なく、現実に向き合うことにする。
「それって、私に『3股をかけろ』と言っていることになりませんか?」
「……言われてみれば、そう受け取られてもおかしくないですね」
伸忠の言葉で「初めて気が付いた」と言わんばかりの表情に彼女はなるが、
「もし、そんなことをして、『チーム・スピカ』の3人をもてあそび、悲しませるようなことをされたら」
それまでの温かい笑みが、一転、
「ブチ殺しに伺わせていただきます」
冷たい笑みに変わった。
伸忠の背筋に冷たいものが走る。
そんな彼の様子を置き去りにして、彼女の笑みは再び温かいものに戻り、
「ですが、私たちがお願いしているのは違います。チーム・スピカの3人のそばにいて、見守ってほしいのです。その結果、恋愛感情が生まれても、4人で同意されているならば全く問題ありません。もちろん、永妻さんとの間のは大歓迎です」
「……いいんですか、それで?」
「困惑されるのは理解できます。ですが、チーム・スピカの3人の関係を考えると、最善最良の選択肢と考えています。日下さんは1人にしてしまうと孤独で死んでしまうような寂しがり屋さんです。関口さんは人間不信の傾向があり、周りに信頼できる人がいることが欠かせません。永妻さんはもう言わずもがなです」
「……なぜ、私なんです? 他に」
「相応しい人がいる」と言おうとしたのだが、
「石引さん以外いません! デビュー当時から見守ってきて、実際に身を挺して守ってきたあなた以外には存在しません!!」
「……」
「理解していただけたでしょうか?」
混乱した頭では、理解も何もあったものではない。
「もしも受け入れていただけたなら、可能でしたら、SNSや『セレナーデ通信』などで近況を伝えていただけると、てぇてぇ成分が補充されるので助かります」
この言葉には、彼女だけでなく、脇に控える2人も頷いている。それどころか、この話が聞こえる範囲にいる人の多くが首を縦に振っている。
それでも、
――「スターダスト・セレナーデ」のファンの多くは、私が晴菜ちゃんに近づくのに反対ではない、ということか。
このことだけは理解できた。
そこに、
「何事ですか?」
割って入ってきた人物がいた。
間崎薫子。「スターライトセレナーデ」を
表面は冷静さを保っているが、内心は焦っていた。ライブが終わって会場から出て行くはずのファンの流れが止まったこと、残ったファンがただ1人を取り囲んでいること、その報告を聞いて、慌ててバックステージから駆け付けてきた。
先日のダンジョン配信での失態を挽回するためにも、今日のライブでは失敗は欠片も許されなかった。彼女自身が許さないことを自身に課していた。
しかも、取り囲まれているのが伸忠と聞いて顔を青ざめさせていた。「スターライトセレナーデ」のかけがえのない恩人である彼を再びトラブルに巻き込むなど、合わせる顔がない大失態。
毅然な態度で断固とした処置を取る覚悟を決めていた。それこそ、最悪の場合どちらかを切り捨てる覚悟さえも。
でも、彼女を待っていたのは全く別のもの。
「間崎社長ですね。社長にも受け取ってもらいたいものがあります。こちらのデータカードには、石引伸忠さんと永妻晴菜さんとの関係を認めていただけるように、加えて、同意があれば日下彩寧さんと関口寛乃さんとの関係も認めていただけるようにお願いする、私たちファン4万5千人分の署名が入っています」
「え?」
「返答は今この場でなくて構いません。後日改めて返答をお聞かせ願えますでしょうか」
言葉を聞いて、薫子の頭の中を、プロデュースの新たな展開、メンバーの不満解消、恩人への恩返し、といったことが
――「奇貨居くべし」。
「いいえ。返答はこの場でさせていただきます。各人の同意の上という前提条件は付きますが、皆様からの要望を運営会社として阻むことは一切致しません」
満額回答にざわめきが起こる。
ざわめきが収まるにつれて、視線が伸忠に集まっていく。
「同じようにOKしろ」という強い圧力を感じた。
それでも、NOを突き付ける、あるいは保留する、その回答を出す勇気を伸忠は持っている。
だから、結論は、
「間崎社長、これから『チーム・スピカ』の皆さんと会うことは可能ですか?」
「もちろんです。バックステージにご案内します」
薫子に連れられて伸忠が姿を消してから、ライブが行われていた会場はやきもきするような空気に覆われた。
20分ほど経過した後、ステージの上に現れた4人の姿は会場を揺らす大歓声を沸き起こす。
*
その夜、伸忠は1人の男と夢の中で向き合っていた。
永妻真嗣。高校の同級生で親友で、晴菜の兄。普段、伸忠の夢に現れる時は大人の姿で、身体は痩せ、顔はやつれ、頬もこけ、表情は幽鬼のようだったのが、今日の彼は高校生の時の姿だった。身体はしっかりしていて、顔はふっくら。なにより笑顔を浮かべていた。
「よお、久しぶり」
「……久しぶり、だな」
真嗣の言葉に、伸忠は辛うじて返事を返すことができた。いつの間にか、自分の姿も高校時代のものになっていた。
「なあに、辛気臭い顔をしてんだよ」
「……どんな顔をすればいいのか、分かんないんだよ」
伸忠の心の傷からかさぶたが剥がれ、血がにじみ出てくる。
その様子を察するように心配げな色と、何もできない無力さが、真嗣の目に浮かんで混じる。死者には何もできない。
「……まあ、分からんでもないが、こういう時は笑顔になれ。笑顔に」
真嗣の口癖のようないつも口にしていた言葉を伸忠は思い出す。
「『笑顔でいたら楽しいことがやってくる』だったか」
「そうだ。今みたいな辛気臭い顔をしていたら、辛気臭いことしかやってこないぞ」
「……」
「まあ、そんなことを言っておきながら、他人のことは言えないんだがな。最後の俺は笑顔を忘れていたから」
「……」
「だから、お前は笑顔を忘れるな。四六時中笑っていろとは言わない。でも、晴菜の前にいる時だけは笑顔を忘れるな」
彼の言葉を受けて、伸忠は言葉を絞り出す。
「……分かった」
「もっとも、晴菜を悲しませることがあったら、許さないからな。今度は化けて、地獄に引きずって行ってやるから。その時は覚悟しろ」
「……言ってろ」
シスコンぶりを見せる真嗣に、ようやく伸忠の顔にも笑顔が浮かぶ。
けれど、沈黙が下りて、次第に互いの顔から笑顔が消えていく。直感的に、この後の別れが最後の別れ、永遠の別れになることが分かっているから。
……その時が来た。
「さて、時間だ」
かつては、毎回互いに「またな」とか「明日、学校で」などと言って、笑顔とグータッチとともに別れていたが、
「じゃあな」
真嗣は固い顔のまま拳を前に掲げた。
溢れようとする感情を必死に食い止めながら、伸忠も応える。
「……じゃあな」
互いに拳を交わす。
その瞬間、真嗣の姿が伸忠の前から消えた。
何も無い空間が伸忠の視線を下に落とさせ、唇をキュッと噛みしめさせる。心にできた傷からは血が止まらない。簡単には治らない。
それでも、伸忠は力を込めて、視線を前に向けた。
姿は今の姿に戻っている。
そして、
同じ時、伸忠が眠る部屋の暗闇の中、獣の1対の瞳が浮かび上がっていた。
その瞳が1度だけ瞬きをすると、闇の中に溶け込んでいく。
このことに伸忠が気付くことはない。
**********
最終話までお読みいただきありがとうございます。また、応援も本当にありがとうございました。
この後は再び執筆に専念いたします。今作のように、完結まで書き上げてからの投稿となりますので、次作の更新は未定です。
更新情報は近況ノートでお知らせします。この作品を通じて得た経験を糧に、これからも創作を続けていきたいと思います。
それでは、繰り返しになりますが、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
その土竜は己の爪を「鋭くない」と隠す C@CO @twicchi
★で称える
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