第2話
もう少し花が咲いたらまたあの子に会えるだろうと思っていると、私のもとへあの死神がやってきた。
死神は大鎌の先端で、私のことをつついた。
――何をするんですか?
――時が来たのです。
――もう朽ちるということですか?
死神は口をつぐんだ。
そして、ひたすらに私の体をつついた。
私は体の外を突かれながら、体の中が腐っていくのを感じた。死が急速に近づいてくるのを感じた。
そして、思った。
死にたがりのあの子をおいていくのは、嫌だと。
道連れにしたいわけではない。
しかし、あの子を一人にしたくもない。
――ひとつお願いがあるのですが、聞いていただけませんか?
死神は、手を止めた。
――あの子のことです。
死神は、苦く笑った。
死神が言うに、あの子の寿命は絶望的なほどに長いのだと言う。
死に指が届いたことはあるらしい。
けれど、運がいいのか悪いのか、あの子はどのようなアクシデントも、乗り越えてきた。そして、それはこれからも続いていくそうだ。
私はそれを聞いて、いたたまれなくなった。
まるで、今に根を張っているようだ。
人間は、動くことができる。けれど、今に、生きることに根を張って、動けなくなっている。
動けないことが生み出す苦しみを、私は知っている。
だから、あの子の苦しみを少しは理解できると思う。
――私はこの命の終わりを受け入れます。ですが、ひとつ、心残りがあるのです。だから、死神さん。あなたにお願いがあるのです。
――なんですか?
死神は、女神のように穏やかに微笑んだ。
――あの子のことです。ひたすらに、寿命を吸い取ってと願う、あの子。
――ああ。
――これからも、あの子の話し相手になっていただけませんか?
言うと、死神はこめかみを掻いた。
私の願いを、理解できないとでも言いたげに。
――あの子はこれからも、生かされる。誰や何かに先越されながら、生きていく。あの子は毎年ここへ来て、あなたに死を早めてと願う。あなたはここで、あの子を待つ。そうしたら、あの子が生きている間、あの子が一人になることは絶対にないのです。あなたがいれば、あの子は孤独とは無縁になる。それは、生きる希望となると思うのです。あなたが迎えにいく時まで、毎年、私の仲間が咲く頃に、あの子をここで待っていただけませんか。
我ながら、おかしなことを言った気がした。
死神は、ポカンと口を開けて、私を見ていた。
――はじめて、です。
――はじめて?
――生きる希望となってほしいと、はじめて言われました。
死神の顔には、驚きと喜びが浮かんで見えた。
――約束しましょう。あの人を迎えにいくその時まで、私はあの人をここで待つと。
――ありがとう。
微笑み合う。
本当なら、握手をしたかった。
けれど、私は風なしに体を動かせない。
死神が、私の心を見透かして、私の体を抱きしめた。
それから、グッと大鎌を握りしめ、私の命を終わらせた。
ふわぁ、と浮いた。
体が地から離れ、私は風に乗った。
まだ風に乗る方法を覚えていないから、ただ流されて、何かにぶつかる。
ふわぁ、と天へ昇り始めた。
もう、障害物はない。
ゆぅらゆぅらと流されながら、私はこの世界に別れを告げる。
――ありがとう。さようなら。死神さん、よろしくお願いします。
花が咲く頃になると、私は心だけふわりと地へ戻ってくる。シロツメクサが地を覆う場所に、あの子がふらりとやってくるのを、ゆぅらゆぅらと見守っている。
――わたしの寿命、吸い取ってください。
――ごめんなさい。吸い取れません。話は、できますけど。
死神は、私のもとへ、あの子を連れてきた。
そして二人して、私を見つめた。
と、言っても、人間からしたら、あの子は虚空を見つめているように見えるのだろう。
――あなたは先に、いけていいなぁ。わたしは、置いてけぼり。ひとりぼっち。さみしい。つらい。
あの子が心の中で呟くから、
――あなたは一人じゃないよ。死神さんが、一緒にいる。花が咲いたら、ここへ戻っておいで。死神さんが、ここで待っていてくれるから。
あの子は死神を見つめた。
その視線は、誰かには、道のずっと先を見ているように見えるのだろう。
死神はこめかみを掻くと、
――います。まってます。寿命を縮められない、お役に立てない死神でよければ、ですけど。
風が吹いた。
花びらが舞った。
あの子が笑った。
あの子が笑うのを、私ははじめて見た。
――明日、あの人を迎えにいきます。
ふわふわと舞う私に、死神が言った。
――時が、来たんですね。
私は心の目を閉じて、あの子を、あの人を思い浮かべながら呟く。
――そう、なのですが。
――なにか、不都合が?
問うと、死神はこめかみを掻いて、気まずそうに笑った。
――ちょうど、花咲く頃なもので。待っていたのか、迎えに来たのか、わかりにくいなぁと。
確かに、わかりにくい。
けれど、あの人は気づくと思う。
死神と毎年語らいながら、もうじゅうぶんに老いたあの人は、気づき、そして死を受け入れると思う。
あの人は、死神の迎えに気づいた時、なんと言うだろう。
――私も共に、降りてもいいですか?
――ええ、もちろん。いつものことじゃないですか。
死神と共に、地に降りる。
私には、あの人の穏やかな死に顔が、老いるまで生きられたことを喜んでいるように見えた。
花より死神 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya
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