花より死神

湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)

第1話


 あの子はいつも、花咲く季節にやってくる。

 そうして、ほかに誰も見ない、虚空を見つめて立ち尽くす。

 私には、あの子がそこで何をしているか見えている。

 毎年毎年懲りないなぁ、と、私はため息をついている。

 ――わたしの寿命、吸い取ってください。

 あの子はいつも、心の中で同じセリフを繰り返す。

 その度、彼は大鎌の先端でアイツの根元をほじくりながら、

 ――死神だからって、寿命を縮めたりはできないんです。

 怯えた声で、呟いていた。


 アイツが朽ちたのはいつのことだっただろう。

 アイツがまだ花を咲かせられる頃は、多くの人がアイツを見上げて微笑んだ。時に缶やらゴミ置き場と化したこともあった。そんな時、アイツは「私が片付けたいけれど、動けないからどうしようもないね」と苦く笑ったものだ。

 アイツが朽ちていく時、側には死神がいた。

 死神は大鎌の先端でアイツの体をつつき回していた。

 アイツは動けないから、抵抗することもできなかった。

 時々、強い風が吹いた時、葉を落としてやる。ダメージなんて少しもないけれど、それは私たちにできるわずかな抵抗の方法だった。

 最後の一枚を死神の頭に落とし、アイツは朽ちた。


 朽ちた後、アイツがいた場所には誰も寄り付かなくなった。

 そこはしばらく土があるだけの寂しい場所だった。

 ある時、シロツメクサが土を覆い始めた。

 それから、幸福を探すものが幾人か、アイツの場所で葉に触れながら笑っていた。

 けれど、私たちの花咲く頃。

 人々は私たちに夢中になる。

 だから、アイツの場所は、そこだけ異空間を切り貼りしたかのように、しんと静まる。

 時折、シートを敷いて飲み食いする人がいた。

 その後、アイツの場所は、誰に片付けられるでもない缶やゴミが転がった。


 あの子は、ある時突然やってきた。

 人々が私たちに夢中になる中、あの子だけは真っ直ぐに、アイツの場所へ向かった。

 しばらく虚空を見つめると、散らばったゴミを片付け始めた。

 綺麗になったその場所で、あの子はしばらく立ち尽くした。

 その時、私は見た。

 アイツを死に追いやった、死神が再びそこに現れたことに気付いた。

 あの子が何を考えているのか、私は知ろうとした。

 あの子が何を見ているのか、私は見ようとした。

 けれど、そんな能力を、私は持っていなかった。

 私に見えたのは、怯えた死神だけだった。


 それからあの子は、毎年毎年アイツの元へやってきた。

 もちろん、死神と対話をするためにだ。

 私に死神が見えたのは、あの子が来る時だけだった。

 だから今死神を呼び寄せているのはあの子だと、私は思っていた。

 まるで人が花を見るように、あの子と死神を見つめていると、ふと声が聞こえた。

 ――わたしの寿命、吸い取ってください。

 誰の声かはわからないが、おそらくあの子の声だろうと思った。

 それは、死神が見える人間しか、呟かないだろう言葉だったから。

 ――死神だからって、寿命を縮めたりはできないんです。

 怯えた声がした。あの子の声ではない。これは、死神の声。

 けれど、あの子には死神の声が聞こえないらしい。

 あの子はひたすら、願い事を繰り返す。

 死神は大鎌の先端で、アイツの根元をほじくる。

 まるでいじけた子どものように。


 あの子は死にたがっていた。

 けれど、あの子は死なせてもらえなかった。

 毎年毎年、死神のもとへ通っては、寿命を吸い取ってほしいと願った。

 死神は、だんだんと面倒にでもなってきたのやら、

 ――死神だからって、寿命を縮めたりはできないんです。あなたは長生きするはずですから、花でも見ておいてください。ほら、あっちとかきれいですよ。

 あの子の視線を、アイツと自分から外そうとし始めた。

 大鎌の先端が、私に向いた。

 あの子の視線を、私は受けた。

 瞬間、ビュウと風が吹いた。

 私は精一杯に風に体を任せながら、おいでおいでと心で言った。

 あの子が私に近づいてきた。

 初めて近くで見たその顔には、陰があった。

 なるほど、さすが死にたがりだな、と笑いたくなるほどの、陰があった。

 あの子は心の中で言った。

 ――きれいな花なんかつけちゃって。羨ましい。人間じゃないって、羨ましい。

 私は、何を言うかと思った。


 人にもいろいろあるだろうと思う。

 皆が満足に暮らせているわけではないだろう。けれど、多くの人は、動くことができる。私たちが並ぶ道を、まるで川に花弁を流したかのように、ゆぅらゆぅらと進むことができる。

 私には、そのように動けることが羨ましいのだ。

 どうして人間に羨ましいと思われなければならないのか、わからないのだ。

 けれど、わからないからこそ、わかるのだ。

 自分と異なる性質を持った何かに憧れてしまう気持ちが。

 ――もっと近くへおいで。お話ししよう。

 ――ううん。今日はいいや。だって、あなたの近くにいると、いっそう惨めに思えてくるから。

 あの子は苦く笑うと、ゆぅらゆぅらと流されていった。


 あの子は本当に、死ねなかった。

 長生きすると言われていた通り、何年経ってもアイツの元へ、そして私の元へやってきた。



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