16.新しい感情と共に
「ハァッハァッ……殿下が速すぎてはぐれるかと思いましたよ」
「煩い。君が鍛え足りないんだ」
「それは分かってますけどぉーっていうかいつまで水浴びしてるつもりですか?えっとシャッシャッ、シャルロッテさんも……!」
「はあ……とりあえずタオルでも買ってきてくれ」
「了解でーす!!」
スワードは恋人の扱いが雑なようだった。恋人は従順で、少し拗ねた顔も愛らしい。
恋人は意気揚々とお使いへ行くのだった。
再び2人きりになったところでスワードがシャルロッテの手を引き、日当たりのいいベンチに案内した。
そしてスワードに促されるままに日光でチリリと熱いベンチに腰掛ける。
びしょ濡れの体がベンチの熱で徐々に生温くなってきて、シャルロッテは不快感を感じた。
「それで? なぜこんなことをした?」
スワードはシャルロッテの背もたれまで腕を回し、顔を覗き込んで尋ねた。
彼の揺れた銀髪からパタタッと雫が落ちる。
シャルロッテは恥ずかしさで昂り始める感情を堪えて俯いた。
「どうしてと言われましても…」
(殿下と恋人さんを見るとムカムカ胸焼けしまして……とは言えないし)
「どっどうしてなんでしょう?」
「いや私が訊いているんだ」
シャルロッテが首を捻ってはぐらかすと、スワードの眉間にシワが寄った。
「……ときにシャルロッテ、今日はいつもより肌が出たドレスのようだが?」
「ああ、これですか?」
確かに本日のシャルロッテのドレスは普段より肌見せしたものだった。
日焼け知らずの白いのデコルテが出て、いつもより肌色面積の多いである。まあ数cm程度の話だが。
「そうですね。今日は暑──」
「浮気か」
「……へ?」
「私に隠してあのバカ令息と密会していたんだろう? だからそうやって肌を見せているのか。まさか未練があるとでも? 君を無碍にした男の何が良いんだ、ほら言ってみろ」
「そんな! わたしは……っへむ!?」
俯いていたシャルロッテは反論しようと顔を上げた。
眼前ではスワードの眉間の皺が深くなり、眼光が鋭くなる。
その青い瞳は、普段の透明感は姿を消し今は烟るような熱を孕んでいた。
(うっ浮気? それを言うなら殿下が浮気者よね? だって恋人がいるのに私に思わせぶりな……!)
シャルロッテはスワードに従順に過ごしてきたが、今回ばかりは抑えられなかった。
みぞおちで熱される胸焼けの…尖った感情は、シャルロッテを攻撃的にしたのだった。
「浮気者は殿下です! 恋人がいらっしゃるのにわたしに近寄ったりして、あの子に悪いと思わないんですか? あと……わたしにも」
「……なんのことだ?」
スワードはまるで心当たりがないとでも言うように目を丸くした。
しかし浮気相手にされたと思っているシャルロッテにしてみれば、スワードの反応は全く悪びれていないように見えて。
シャルロッテの感情がまた尖り、頭に角が生えそうだ。
「しっしらばっくれないでください。わたし知っているんですよ? わたしの訓練を土壇場でキャンセルして、朝からさっきの可愛らしいお方と睦まじくされてましたよね? それなのにわたしにお花の指輪を……」
「ん?」
「そっそれに訓練場でわたしの手を取るのも嫌がりましたし」
「いや、あれは」
スワードは口を噤んで固まった。
それを見たシャルロッテの感情はさらに角を持った。
きっと痛いところを突かれたのだろう。
シャルロッテを浮気相手にしようとしたのだから。
スワードは少し考えを整理しているようだった。
「シャルロッテ、私は──」
「あっいたいた! 殿下ぁーー! はいっ殿下のお好きなふわふわタイプです!」
スワードの恋人は駆け寄ってきて、紙袋から大判のタオルを出して得意げに笑った。
恋人だからよくタオルを買いに行かせているのだろう、当然タオルの好みも知っているようだ。
いやそれは恋人だから……なのか?
シャルロッテは不思議に思った。
スワードはそのふわふわタオルを広げて恋人に言う。
「待て。まさか1枚だけか」
「えっ? はい! 特に枚数を言われなかったので経費をかけないようにと思いまして!お2人が仲良しなら1枚の方が良いかな〜なんちゃって」
そう言って恋人はシャルロッテを見下ろした。
彼女の熱視線でシャルロッテは恋人のことがさらに分からなくなる。
「はあ。それで近衛騎士を志願するとは……先が思いやられるな。正式入団後は団長にこってり絞られるがいい」
「えええええっ!!」
スワードはその先を聞かず、ふわふわタオルをシャルロッテの頭から被せた。
スワードの体格には適したそれは、シャルロッテの尻の下まで包む大きさだ。
そして驚くべきことにスワードはシャルロッテの頭を優しく拭き始めたのだ──恋人の前で。
「でっ殿下! 自分でやりますので!」
「シャルロッテ、君は1つ誤解している」
「誤解?」
「ああ。紹介しよう、こちらゼーンズ・フット。
「…………か、れ?」
彼、ゼーンズはシャルロッテに振りかぶって敬礼した。
「シャルロッテさん!!
「はっはい! 2度目……っ!」
(ん? 僕? 2度目?)
シャルロッテはゼーンズに影響されて背筋をピンと伸ばした。
しかし言葉の意味が理解できずに目を丸くする。
スワードは足りない言葉を付け加えた。
「昔、ゼーンズは君に命を救われたらしい。木が倒れて下敷きになりそうなところを助けてもらったとか」
「おっきな木を割って助けてくれましたよね! 覚えてませんか!?」
「大きな木……」
シャルロッテは記憶の引き出しを開けていった。そして行き着いたのは「本格的な怪力逸話」の引き出しで。
『またある時は倒れる大木を恐怖のあまり拳で真っ二つに割ったこともあり、その時は木の下にいた子供をたまたま助けていた』(※1話参照)
──こ・れ・だ!!
シャルロッテに過去の記憶が稲妻のように体を駆けた。
そうだ、あの時の
伸びた髪の毛と変声期の声は、あの日泣きぐずっていた少年とは結び付かなかった。
しかしこの屈託のない笑顔だけは確かに見覚えがあった。
シャルロッテがハッとしてゼーンズの目を見ると、彼は跪いて彼女の手を取った。
ゼーンズの手は、下手すれば腰掛けるベンチより熱い。
彼は紅潮したが、しかしシャルロッテの瞳を真っ直ぐ見つめた。
「ぼっぼぼぼっ僕! あなたのことを忘れた日はありません! シャルロッテさんは強くて綺麗で優しくて可愛くて、それから──ふぎゃっ!!」
「下心まみれなら入団試験は中止だ」
スワードは興奮するゼーンズの頭を叩いた。
そしてシャルロッテの手をタオルで包んで拭く。その間スワードは終始顰め面で、ゼーンズを見る厳しい視線は今度はシャルロッテに向けられた。
濡れて束になる銀髪の間から覗くその瞳は明らかに怒っている。
「君も君だぞシャルロッテ・シルト」
「へ?」
「ほいほい男を釣って、そんなに私を苛立たせるのが楽しいか」
「はっはい!? 釣ってませんし、というか怪力のせいで釣ろうとしても釣れませんし、それにっ……!」
よしんば釣れたとしてなぜ怒られる?
シャルロッテはスワードの理不尽な言い草に目を怒らせた。
スワードこそほいほい釣るではないか。
彼は泣く子も黙るこの国の麗しき王太子。
舞踏会で令嬢達に囲まれているところはこの目でしかと見た。
これがほいほいと言わず他に何と言う?
シャルロッテはぷいっとそっぽを向いた。
「殿下だって舞踏会で……この前のお花屋さんでもサクッと女性を射止めてました」
「私が意図したものではない」
「わたしだってそうです!」
「ああそうだろうな。だから気を抜かずに
「…………はいぃ?」
スワードはタオルをずらしてシャルロッテの顔を隠した。
そんなこと、シャルロッテがスワードに怒られる筋合いはない。
第一、なぜ避けなくてはいけないのか。
シャルロッテ達は訓練をしているだけだ。
か弱くなって、誰かと恋ができるようになるための訓練を。
(そうよ。わたし達は訓練をしてるだけ……なのになぜ殿下は怒って、わたしもこんなに胸焼けがするの?)
シャルロッテとスワード、両者とも顰め面で不快感を露わにしていた。
これまでの人生の中、シャルロッテが誰かにこんな態度をとったことはない。
そしてこんな風にみぞおちが煮えることもなかった。
シャルロッテが奥歯を噛み締めるとゼーンズが口を開いた。
「あのぉーーシャルロッテさん。殿下は嫉妬してるだけですから」
「え?」
シャルロッテの周りに疑問符が飛んだ。
しっと?シット?sit?座ってますけれど。
「嫉妬だ、嫉妬。君には理解できない感情だろうがな」
「殿下ぁー、そうピリピリしないでください。そんなツンケン尖っちゃって。嫌われても僕知りませんよ?」
「余計なことを言うなゼーンズ」
スワードはタオルから手を離し、長い脚を組み直して天を仰いだ。
シャルロッテはある言葉にハッとした。
ゼーンズはスワードに「尖っちゃって」と確かに言った。
そう、スワードは尖っているのだ、シャルロッテと同じように。彼女は思わず口にした。
「それなら、わたしの感情だってすごく尖ってました。だからその……噴水を……」
シャルロッテは言葉を濁した。
いくら怪力を理解されているとはいえ、恥ずかしい。羞恥心で思わず赤面する。
怪力になってしまった言い訳をしなくては、とシャルロッテは言った。
「しっ仕方がなかったんです! 殿下が恋人がいるのにわたしにお花の指輪をくださったり、モーヴ様はわたしにデートを申し込んできたり、皆さんわたしを浮気相手にしたいのかと思ってそれで……!」
ここまで息継ぎ無し。
シャルロッテはタオルの中で俯いて首まで赤くなる姿を隠した。
それに気がついたのだろうか。
スワードが指でタオルをつまみ、シャルロッテの顔を覗き込んだ。
そのスワードの表情は初めて見るもので。
上目遣いで、溶けるように潤んだ瞳は何かを確かめるように僅かに揺れていた。
それから眉毛を下げて笑った。
「ははっそうか。君も同じだったのか」
そう、シャルロッテの感情はスワードのそれと同じだった。
つまり彼女の「謎の尖った感情」の正体は「嫉妬」だったのである。
シャルロッテは新しい感情を知ると、不思議と地に足のついた感覚になった。
スワードの気の抜けた笑顔を見て、シャルロッテの顔は自然に綻んだ。
気温のせいだけではない、体が火照る感覚がする。
シャルロッテとスワードが2人の世界に入りかけたところでゼーンズが水を差した。
「お2人ともぉーーっ!?僕もいますからねっ!?」
引き寄せられていたシャルロッテとスワード。しかしゼーンズの声で我に帰ったシャルロッテはバネが跳ねるようにスワードから離れた。
一方の取り残されたスワードはため息をつくのだった。
そうして丸く収まった3人はシャルロッテとスワードは王宮馬車で、ゼーンズは馬に騎乗して帰路についた。
噴水はスワードのポケットマネーとやらで修繕をしてくれるらしく、シャルロッテの負担は一切強いられなかった。
いつもながらに感謝しかない。
シャルロッテはスワードに相槌をしながらいまだに髪先から滴る水を眺めていた。
スワードもシャルロッテ以上に濡れていた。
そしてその水滴に塗れたスワードを見てシャルロッテはふと思い出した。
「そう言えばなぜ転んだ時に手を避けたのですか? その……す、少しショックだったので」
「ん? ああ、あれは……」
スワードは珍しく言い淀んでいる。
口を引き結び視線を逸らして、腕を組んだ。そして頬を染めながら言った。
「あ、汗だくの汚い手で君に触れられないだろう」
「殿下が汚い……ふふっ! なんですかそれ。殿下が汚い時なんてありませんよ。おかしなことおっしゃいますね。ふふっ」
(そんなことを気にしていらっしゃったの? いつもはわりと強引なのにね)
シャルロッテの溢れる自然な笑い声にスワードは歯を見せてニカッと笑った。
それは怪力令嬢でも王太子でもなく、ただの男と女の幸せな空間だった。
シャルロッテの気持ちは温かくなった。
「嫉妬」で感じる尖った感じはなく、丸くてふわふわ包み込んでくれるような、そんな温かい感情だ。
この感情は、一体何だろうか?
嫉妬という新しい感情を覚えられたのだ、スワードと共にいればこの「謎の温かい感情」の正体を学べるかもしれない。
(殿下も同じ感情だといいな……)
シャルロッテは自分の胸に手を当てたのだった。
〜第一章・完〜
怪力令嬢シャルロッテは「か弱く」なって恋がしたい!〜待っていたのは王太子の溺愛でした〜 三月よる @3tsukiyoru
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