赤く灼けた鉄の靴を履いて 赤い靴⑤(白雪姫ミステリー・11,000字)

源公子

第1話 赤く灼けた鉄の靴を履いて 赤い靴⑤(白雪姫ミステリー・11,000字)

 カン! 一番小人が槌を振る、真っ赤に灼けた鉄を打つ。

「我らの可愛い白雪姫。我らの大事な宝物。その姫が」


 カン! 二番小人が槌を振る。

「魔女の妃に殺された。毒の林檎で殺された」


 カン! 三番小人が槌を振る。

「けれども姫は生き返った、王であられる父君の愛ゆえに。魔女の呪いは解かれたのだ」


 カン! 四番小人が槌を振る。

「今日は姫と王子の結婚式、魔女の妃の裁きの日。我ら七人呪いも七つ、たった一度の死で許すものか‼︎」


 カン! 五番小人が槌を振る。

「七度産まれて七度死ね、我らの呪いの赤い靴を履いて」


 カン! 六番小人が槌を振る。

「逃げ果せればお前は自由、靴がお前を七度殺せばお前の魂は地獄堕ち」


 カン! 七番小人が槌を振る。

「そうしてお前は赤く灼けた鉄の靴を履いて、地獄で踊り続けるのだ。世界の終わりが来る日まで」


 鎖に繋がれ、魔女の妃が引き出された。


 赤く灼けた鉄の靴を履いて、死ぬまで踊るために。

 遠くで娘の泣く声がする。

「ムッター、ムッター、ムッター……」


 ◇


「ふざけんな! 誰がこんなモン着るかー」


 声と同時にマンションのドアが開き、男が転がり出て来た。麗子さんのお兄さんだった。

 続いて紅い着物が降って来る。


「あのクソ親父に言っとけ、今度こんな物持って来たら勘当だ!」


 ドアが壊れそうな音を立てて閉まる。


「お兄さん大丈夫ですか?」

 僕はお兄さんを助け起こした。


「ああ、雪雄君ありがとう」

 可哀想にお兄さんは涙ぐんでいる。


 大会社の社長のお父さんの秘書をしているお兄さんは、男勝りの妹の麗子さんとお父さんに挟まれて苦労が絶えないのだ。


 時は十二月上旬。来年の成人式の着物を届けに来てこんな事になったらしい。

 お兄さんは「恋人の君からも説得してくれ」と頭を下げるけど

 そりゃ無理です。

 だって僕は、お父さんの押し付ける見合い避けのための偽恋人なんですから。


 その上麗子さんは女が嫌で、成人したら性転換手術で男に成るためタイの病院にもう予約も入れてるんですよ。


 ◇


 僕らの出逢いは九ヶ月前。


 一年間の一般教養のカリキュラムも終わり、仏語の初めての授業の日だ。

 僕は講堂の最前列の席の端っこに座っていた。

 その時ドアが開いて、女の子達の黄色い声の一団が入ってきた。


「うるさいなぁ……」

 振り向くと、騒ぎの真ん中にいた美青年と眼が合った。


 途端に頭の中で鐘が鳴る。

「この人だ、僕の運命の人は」

 て……男なんですけど!


 フリーズした僕に、そいつはツカツカと歩み寄り、無言で隣にストンと座る。

そして探る様な眼で、恥ずかしく成るくらいジーッと僕を見詰めた。


 うわわ、どうしよう! 僕、BLヤダ、こまる。

 思わず後退りして、そのまま椅子から落ちてしまった。


「おい、大丈夫か?」

 ハスキーで素敵な彼の声。僕、BLでもいいかも……。


 授業が始まり、教授が出席を取り出したけど、僕は彼に見とれてた。


「白井雪雄、初日から欠席か?」

 教授の声が響く。


「あ、ハイ! 白井雪雄ここです」

 慌てて立ち上がった弾みに、思い切り机の角に男の急所をぶつけた。


 股間を押さえて涙ぐむ僕を見て、彼がドン引きしてる。


「白戸麗子」

「ハイ」 ハスキーな声が答える。


 え、麗……子?  

振り向くと、軽蔑した様な顔がそこに有った。


「白戸麗子です、よろしく」


 頭が真っ白になり、気づくと授業はもう終わって、僕は講堂の最前列で一人で座っていた。





「ハア……」


 トイレの洗面所で顔を洗って溜息をつく。

 鏡に映る色白で女の子みたいな顔。

 パッチリ目に長い睫毛、真っ赤な唇、ツヤツヤの黒髪。


「雪雄は女の子だったら良かったのにねえ」

 死んだお婆ちゃんがよく言ってたっけ。


 高校の時も、この外見のせいで〝お嬢ちゃーん〟って虐められ、ホモっ気の有る先輩男子にしょっちゅう言い寄られて……。

 操守って卒業できたのが奇跡だったんだよね。


 勉強だけは、頑張って良い大学に入れたけど、友達はできなくていつも一人ぼっち。


 挙句に、白馬に乗った王子様みたいな女の子に一目惚れして……撃沈。

 なんで男になんて生まれて来たのやら。神さまお恨みします。


 ――鏡よ、壁の鏡よ。国中で一番美しい女はだれ?――


「はい、白戸麗子さんです」

 僕は反射的に答えた。


「へえ、そうなのか」

 後ろから聞こえるこのハスキーな声は――。


「わぁ!白戸さん、どうしてここに?」


「どうしてって……手を洗いたいんだが」


「あ、すいません!」

 僕は慌てて場所を譲った。彼女が手を洗う水音だけが響く。


「ン? ペーパータオル切れてる。ハンカチ車か」


「どうぞ」

 僕は胸ポケットからハンカチを出した。受け取ったハンカチを見て麗子さんは怪訝な顔をした。

 白のレースだったからだ。


「わぁ! 間違えた。それ死んだお婆ちゃんのです。御守りがわりに持ってるんです。」


「お婆ちゃんね……」

 眉間に深いシワが寄る。

 下を向いたままの綺麗な唇が、声をたてずに動いた。


 〝へたれ〟


「雪雄は車で来てるのか?」

 手を拭いてしばしの沈黙の後、麗子さんは言った。


「え? 電車です。免許は持ってますけど」

 すると、すっとハンカチと一緒に車のキーが差し出された。 


「なら、送らせてやる。光栄に思え!」


「ハイ?」

 なんだか分からない内に、僕は麗子さんの専属運転手になっていた。




 慣れない外車の左ハンドル。

 オープンカーなのに景色どころじゃない。

 事故らずに麗子さんの住むタワーマンションに着けたのは奇跡だったと思う。


 青息吐息の僕を引きずって、マンションの最上階にある自分の部屋に駆け込むと、麗子さんは、見合い写真の束を抱えて待っていたお兄さんに宣言した。


「見合いはしない、コイツと結婚する」


 以来僕は、見合いを断る口実の恋人(仮)として、犬の様に毎日麗子さんの後にくっついている。

 はたからどう見えようと、犬で幸せ。運命の女性と一緒にいられるんだもん。


 ◇


「麗子さん、お兄さん帰りましたよ」


 麗子さんはもの凄いしかめ面でベランダで煙草を吸っていた。

 空にかかる満月が、みがいた鏡の様に綺麗に輝いている。

 恐る恐る僕はお兄さんに頼まれた事を伝えた。


「あの……帝国ホテルでのクリスマスパーティ、頼むから出席してくれってお兄さんが」


「どうせまた見合いだよ! その上真っ赤な花柄の振袖だあ? 成人式なんぞ行くもんか!」


「でも振袖って言っても下は紺の袴ですし、ハイカラさん風で、麗子さんに似合うと思うけどな。お兄さん、わざわざ靴も特注したって言ってました」


「どうせ私は足がデカイよ! チックショウあの親父、娘なんて自分の所有物、都合よく使える道具だと思ってやがる」


 そんな風に扱われたら、女なんて真っ平だって気持ちになるのも無理はない。

 世間がその人に期待することが、その人の〝有りたい自分〟と一致するとは限らないのだ。


「でも……麗子さん、本当は赤とか着たいんじゃないですか? この前、買い物帰りにショーウィンドウの赤いドレスのマネキンの事、ずっと見てたじゃないですか」


「あれは、ドレスを見てたんじゃない! 靴を――あ〜説明するのもいやになる」

麗子さんの眉間のシワが益々深くなった。


「そんな怒った顔ばかりしないで。せっかくの綺麗な満月の夜なのに。彼もあんなに笑って輝いてるんですから、麗子さんも笑ってくださいよ。ね?」


 麗子さんは、またあの探る様な眼をした。初めて会った時の眼。

 そして、囁いた。


〝Spieglein, Spieglein, an der wand: wer ist die schönste Frau in dem ganzen Land?〟《鏡よ、壁の鏡よ。国中で一番美しい女は誰?》


「またですか? それ口癖なんですね。初めて会った日も、トイレの洗面台の前で“鏡よ壁の鏡よ”って麗子さん、後ろから急に言うから驚いて……」


 アレ?なんか忘れてるような。

「わーっ、麗子さん、あ、あそこ男子トイレですよ!」


「気付くの遅い! 遅すぎる。お前はホントに……」

 麗子さんの顔が、警戒レベルに達した。


「九ヶ月だぞ、ずっと一緒にいて……なんで思い出さないんだ、お前は!」

 突然麗子さんが泣き出した。


「私達、生まれる前に出逢ってるのよ!まさか娘が……〝ムッター〟って私を呼びながらいつも私を追い掛けてきた可愛い娘が、股間が凸の男に生まれ変わってるなんて。それもこんな頓馬でヘタレの甲斐性なしに!」


 わ! 麗子さんが泣いたの初めて見た。

 それに、初めて聞いた高い声。


「七回目の、最後の転生でお前にもう一度あえるなんて……。私は一目で分かったのに! お前、なんにも感じなかったの?」


「ハイ、運命の女性だって思いました」


「運命がちがーう! 私、確かめたくてお前の後付けたのよ。︎そして鏡の問いでわかったの。雪の様に白く、血の様に赤く、黒檀の様に黒い……私の可愛い、Schneeweßchen《シェネベッチェン》」


「はいい? 白雪姫、僕がですか?」


「それよ! お前いつからドイツ語解る様になったの?

 さっきも、トイレでも私はドイツ語で喋ったの。

 それにドイツ語にはね、男性名詞と女性名詞ってのがあって〝月〟は男性なの。世界中で、〝月〟を〝彼〟と呼ぶのはドイツ人だけなのよ!」


「は? その、あれ?」

 もはや、僕の理解を完全に超えていた。


「あーっ、もういい! 説明してやる。そこにお座り!」


 麗子さん(白雪姫のお母さん?)はその場にドンとあぐらをかき、

 僕はチョコンと正座した。


「私ね、七人の小人に呪われたの。それで、七回も生れ変わる破目になったのよ」


 そうして、麗子さんは語り出した、本当の白雪姫のお話を……。


 ◇


 「私は、七歳で修道院に入ったの。

 あの頃は良家の子女はみんなそうだった。

 そうやって親の決めた相手が迎えに来るまで一歩も外に出られずに、お祈りと花嫁修業をさせられた。


 女の子達は檻から出たくて、相手が誰だろうが喜んで結婚したものよ。

〝ここよりはましだ〟って信じてね。外の世界はもっと酷いとも知らずに。

 私の夫になる男が迎えに来た時、私はまだ八歳だった。


 彼は王になったばかりの若者で、私の親はいい話だと思って二つ返事で了承した。あの時代は、愛じゃなくて家どうしの取決めで結婚するから、そういう事って多いのよ。



 当然〝白の結婚〟だと思ってた、

 法的には夫婦でも性的関係の無い結婚をそう言うの。

 でも教会で式を挙げた夜、彼は八歳の私をベッドに引き摺り込んで、嫌がる私に言ったの


『お前は僕の妻だ、妻としての当然の義務だ。お前は神に誓ったんだからな』

 結婚と言う名の合法的レイプ。私の夫に成った男は幼児性愛者だったのよ。


 どこにも逃げ場は無かった。 

 あの時代の女は男の所有物、財産の一つにすぎなかったから。


 でも夫は私にベタ惚れで、どこに行くにも私を連れて行った。

 そして誰もが私を見てその美しさを褒めちぎった。

 その時初めて私は、美しい女は微笑み一つで何でも欲しいものを手に入れられるのだと気づいたのよ〝これは私を守るたった一つの武器なんだ〟ってね。


 だから子供が産まれると分かった時、私は迷わず最高の美を望んだ。

『雪のように白く、血のように赤く、黒檀のように黒い子供が欲しい』


 美しさが、産まれる子供を幸せにしてくれると愚かにも信じ込んでたの。

 望み通りの娘が生まれて白雪姫と名づけた。私は夢中で可愛がったわ。


 でもね、その頃から夫の国王が冷たくなった。

 お前を産んだ時、私は十四歳だったけど、夫の基準からしたらもうお婆さんだったのよ。


 そうして国王の美少女漁りが始まった。

 みんな十歳以下の可愛い子ばかり。国王に命令されたら、嫌なんて言え無い。親は泣く泣く娘を差し出してた。


『鏡よ、壁の鏡よ。国中で一番美しい女は誰だ?』

 そう言って国王は、可愛い娘を探したの。

 鏡を持ってたのは妃じゃなくて国王だったのよ。


 なのに、私は夜のベッドの義務から解放されて呑気に喜んでた。

 考え無しのバカだった。

 だって白雪姫が七歳になった時、鏡はこう答えたのよ

 『白雪姫』って」


「あの……麗子さん。お話の途中ですいませんが、これって『本当は怖いグリム童話』の続編か何かですか?」


 グーで殴られた。

「黙って聞け!」


「ハイ」

 鼻血を拭いて僕は答えた。


「お前の父親……私の夫の国王はね、実の娘に手を出すのに躊躇する様な男じゃない。

 だから私は国王の留守に狩人に頼んで、森の向こうにある私が昔いた修道院に、お前を届けようとした。

 

 なのにお前ったら、狩人が一休みしてる隙に花を摘むのに夢中になって、森の中で迷子になっちゃったのよ。


 狩人の報告を聞いて、私は慌ててあの鏡にお前の事を聞いた。

 そうして七人の小人の所に無事でいる事が分かったの。


 でも、鏡に聞けば国王もすぐ知る事になる。

 グズグズしてる間はない。私は、お前を助ける方法を必死に考えた。


 そうして昔、地下にある秘密の部屋で読んだ本の事を思い出したの。

 人を死んだ様に眠らせる薬の作り方。


 上手くいくか自信は無かったけど、そうでもしないと可愛い娘が血を分けた実の父親のおもちゃにされてしまう。


 八歳の時の初夜の恐怖。

 死んだ方がマシだと泣き叫んだあの夜をお前に味合わせるくらいなら、たとえ失敗して死んでもまだ幸せだと思った。

 

 だから、お前にあの林檎を作って持って行ったの。鏡に私だと気づかれない様に変装してね。

 林檎を食べたお前は死んだ様になって、鏡も白雪姫は死んだと言った。


 それでやっと国王はあきらめてくれた。


 ちょうど隣の国との戦争が始まり、それどころでは無くなったしね。

 小人達はお前をガラスの棺に入れて大事に守ってた。


 でも、私の薬作りは嬉しい事に成功していたの。お前はガラスの棺の中で、眠ったまま段々と成長していった。

 やがて八年の月日が流れ、長く続いた戦が終わり、国王は負けて帰ってきた。


 そして、隣国の王子に払う賠償金をどうするか考えながら森を歩いてたとき、白雪姫の棺を見つけた。

 すっかり大人になった白雪姫をみて、コレを賠償金代わりに出来ると思いついた国王は、小人達を騙して白雪姫を取り上げ、魔法を使って生き返らせた。


 そして白雪姫が吐き出した林檎のカケラを見て、国王は誰が自分の可愛い獲物をこんな風に眠らせて〝大人の女〟にしてしまったのか悟ったの。


 国王は七人の小人を証人にして、私を教会に魔女として訴えた。


 白雪姫と隣国の王子の結婚式の日、私は七人の小人の作った、呪いの込もった赤く灼けた鉄の靴を履かされて、死ぬまで踊るしか無かった」


「麗子さん、あ、あの…まだ続くんですか?」

 僕は既に足が痺れ切っていた。


「そうよ、ここからが本邦初公開。〝誰も知らない秘密の白雪姫〟なんだから」


「いや、あの、既に十分誰も知らない白雪姫になっちゃってますよ? 悪いお妃様が灼けた鉄の靴を履いたなんて聞いた事ないし、 白雪姫を助けたのは父親じゃなくて王子様だし、白雪姫の本当のお母さんは姫を産んだ後死んだって……」


「グリム童話の初版本を読んだこと無いんかい、ちゃんと実の母親と書いてあるの!

 子供向けの童話ってのはね、忖度と教育的指導が付きもんだから〝意地悪な継母〟に直されたの。

 それにグリムは初版本のテキストでは五話、三版では六話も別のバリエーションを記載してる。

 いいとこ取りして、最終版の今の形になっただけ

 ちゃんと白雪姫の父親が娘を助けるバージョンも有る。


 最終版には、『一足の上履きが真っ赤に灼かれ、お妃はそれを履いて死ぬまで踊らなければなりませんでした』と載ってるの。発言はちゃんと裏を取ってから!」


 まだ続く様です、足痛いよう。



「それで七人の小人の呪いってのが、七回生まれ変わって、七回赤い靴を履いて死ぬ。一度でも赤い靴を履かずに一生を終えたら、呪いから解かれて自由になれるの」


「え? なんか凄く簡単じゃないですか。靴を履かないよう注意してれば良いだけ?」


「それがそうも行かないの。世の中は女の子にやたらに赤を着せたがるモノなのよ。

 五歳の女の子が、お婆ちゃんに綺麗な赤い靴をプレゼントされて〝コレ嫌い〟なんて言えると思う?周りの大人の目を見たら、履くしか無いの。


 その後、外で友達と遊んでて、解けた靴の紐を踏んで転んだところに、馬車が突っ込んで来てグシャ……それが一回目」


「五歳でグシャですか?」


「そう、グシャ。だから二回めからは気をつけてたんだけど、今度は絵のモデルを頼まれてね。

 赤いドレスと靴を履いてポーズを取ってくれと言うから初めは断ったの。


 そうしたら〝本当は靴をぬいだ裸足の君を描きたいんだ〟と言いだしたから今度は引き受けた。

 昔は、女が靴を脱ぐのは入浴とベッドだけだったからかなり危ない絵なんだけど、私は気にしなかった。

 その絵描きの事が好きだったの。


 絵は入選して、彼、私にプロポーズしてくれた。


 二人で手を繋いで、美術館の階段を登り、張り出された絵を見に行ったら、絵の中の私は赤い靴を履いてた。

 彼が私を気遣って描き直してたの。


 私、思わず後ずさりしてそのまま階段から転がり落ちて死んだの。コレが二回め」


 僕はやっと事の重大さに気付いた。並みの呪いじゃないんだコレは。



「三回めは、かなり上手くやったの。八十歳まで無事に生きられた。 もう大丈夫だと思って道を歩いてたら、石につまずいて塀の塗替えをしてた人にぶつかり、転んでペンキの缶をひっくり返した。


 ペンキの色は赤。私の靴は真っ赤になってた。それを見た瞬間、私の心臓は止まった。コレが三回め。まだ聞きたい?」


「いえ、もう結構です。こんな呪い避けようが無いですよ」


「その通り、私は六回失敗した。今回が七回めの最後のチャンス、失敗は許されない。唯一の救いは、七人が別々に呪いを掛けたせいか、殺し方の手口が全て違うの。前にやられた方法は、二度と起きないからそれは警戒しなくて済む。

 だからってどんな手が襲って来るか判るわけじゃ無いけどね」


 麗子さんのタバコが燃え尽きて指から落ちた。


「もし、七回目も失敗したら……どうなるんです?」


「魂は地獄に落ちて、赤く灼けた鉄の靴を履いて、世界の終わりが来るまで踊り続けるの。地獄が有るかはわかんないけど、呪いが本物なんだから有るんじゃない?」


 僕は言葉を失った。なんという人生なんだ。


「あ、でも良い事もあったか」

 そう言って麗子さんは笑った。僕が初めてみる優しい笑顔。


「お前にもう一度会えたもの。私の可愛いシェネベッチェン」

 そう言うと、麗子さんは優しく僕を抱きしめた。


 心拍急上昇! もう、死んでもいい!


「バカな子ほど可愛いって本当なのねぇ」


 心拍急降下……ガッカリ。

 腹が立った僕はこう言った。


「でもね、麗子さんだって結構バカ娘ですよ」


「何だと?」

 麗子さんに突き飛ばされて後ろにコケながら、なおも僕はこう言った。


「だってそうじゃないですか。 せつかくの成人式の着物も嫌、誕生パーティーも嫌って、麗子さんみたいに綺麗な娘持った父親だったら、自慢したいの当然ですよ。

 僕は両親を子供の頃に無くして、お婆ちゃんに育てられたから父親ってどんなかわかんないけど、麗子さんが僕の娘なら絶対そう思います!」


「お前が父親ならそうだろうな」

 輝く月明かりの中、麗子さんが逆光で影だけになった。


「でも生憎私の父親は……私の初めの夫とそっくりな奴なんだ」

 麗子さんのお母さんは出産後亡くなってる。つまり、守ってくれる人はいなかったのだ。


 女の美しさは呪いにもなる。

 まさか、転生の度にこの人はそれを繰り返して来たのか?

 だから女の呪いから逃げる為に男になろうとしてるのだろうか。


「パーティの日何日だ? 兄貴は、何も知らないんだ。顔立ててやらなきゃな」


「二十一日、麗子さんの誕生日です。二十歳おめでとうございます。僕もだけど」


「今、僕もだけどって言わなかったか?」


「ハイ、僕も誕生日なんです。だからなおさら麗子さんと運命を感じてたんです」


「そーか! タイ行きの飛行機の予定日は、変更だ。最高の誕生日パーティーにしてやるぞ」


 麗子さんの邪悪な笑い……嫌な予感。



 ◇


 そして、二十一日。帝国ホテルのパーティー会場に麗子さんをエスコートして入って行くと会場が響めいた。


 真っ白なロングドレスに身を包んだ麗子さん。

 ハンサムな男は世界一の美女に化けてしまったのだ。


  麗子さんと僕は、お兄さんとお父さんの前に立った。


「御招き頂いて参りましたわ、お父様。紹介致します、私の夫の白井雪雄です、今朝入籍しましたの。皆様、祝福して下さいな」


 会場から響めきと共に、拍手が沸き起こった。


「麗子、どういう事だ!ワシは何もきいとらんぞ」

 驚くお父さんに麗子さんは笑った。


「お父様、私ももう二十歳、成人しましたの。

 麗子はもう大人、お父様の子供は卒業です。長い間お世話になりました」


 そう言って麗子さんはお父さんに抱きつくと耳元で囁いた。


「あばよクソ親父、あの事黙っててやるから好きにさせな。

 さあ、踊りましょう、あなた」


 呆然としているお父さんを横目に麗子さんは僕の手をとった。 


「い、良いんですか?こんな事して」

 僕は、膝がガクガクだった。


「良いのさ。アイツ、まーだ私に未練タラタラで、しつこく言い寄って来てたんだ。証拠のビデオと写真突きつけて、脅迫してやってもまだ諦めないのには呆れたよ。

 代わりに、たっぷり巻き上げてやった。車とか、マンションとか、お小遣いとか。ザマーミロ」


「ひえっ!」

 怖い、麗子さん怖い。

 さすが白雪姫のお母さん、だてに七回も生きてない!


「でも、お前には悪い事したな。戸籍汚しちまって。手術終わって帰国したら、すぐ籍抜くからさ。何しろ私、次に会うときは男になってんだから」


「良いですよ。僕、麗子さんがどんな姿してても大好きですから」


「可愛い事言ってくれるな。御礼に、今夜ここのスイートを取ってあるから 一晩付き合ってやる。

 お前みたいなヘタレは、下手すりゃ一生チェリーボーイでお終りだものな。

 クソ親父の使い古しだがテクニックは自信あるぞ」


 心拍MAX! もう訳わかんない。


「あら、嫌なの?」

 麗子さんはちょっとがっかりした顔をする。


「ち、ちがっ、違います。ぜっ、ぜぜぜひおっお願いしましましま〜」


「お馬鹿さん。そうゆう時はこう言の〝Ihr, Frau Königin, seyd die schönste Frau im Land.〟《お妃様、貴女がこの国で一番美しい》」


 麗子さんはお月様みたいに笑った。


 ◇


「風よ吹け~少しも寒くないわ」

 成田に向かう車の中で、麗子さんは呑気に「アナと雪の女王」を歌う。


「寒いですよ、オープンカーですもん」

 僕はいじけて答えた。


「機嫌悪いわね。私、昨夜下手だった?」


「最高でしたよ! だから腹が立つ。僕、一回だけなんて嫌です!もっとしたい、ずーっとしたい。

 男になるなんてやめてずっと僕の奥さんでいて下さい。手術なんてさせません!」


 僕はハンドルを切りUターンした。車線を無視して中央分離帯に突っ込っこむ。


「バカ、前を見ろ!」

 麗子さんの悲鳴。トラックが目の前に迫っていた!


 ◇


 ……気がつくと僕等の乗った車は土手に乗り上げて斜めになって止まっていた。


 トラックは横転し、荷台のドアが壊れ積荷の箱が散乱している。

 麗子さんは車の外に投げ出されていた。


「麗子さん!」

 駆け寄ると、麗子さんが呻いた。


「畜生、まさかこんな手で来るとは――」


 麗子さんの左手が何か赤い物をつかんで胸から引き抜いた。血が吹き出す。


 それはピンヒールの赤い靴。

 周りに飛び散る潰れた箱からとび出していたのは、一つ残らず真っ赤な靴ばかりだった!


「呪いは成就した―」

「した」

「した……」

 木霊する声。振り向くと、七つの小さな影が走り去った。


 世界がぐるりと回り、突然全ての記憶が戻って来た。

 僕は高い、高い、悲鳴を上げた。


「ムッターしっかりして!」


「あら、やっと思い出したの。相変わらず遅いんだから……」

 ゴボリと麗子さんが、血を吐いた。


「ね、私は何色の靴を履いてる?」


 僕は、ムッターの手をにぎりしめた。


「白よ、ムッター赤じゃない」


「そう……私の勝ち、呪いは終わる。私は赤い靴を履かずに死ぬ」

 ムッターの手が冷たくなって行く。


「遺言状を弁護士に渡してある。私のものは、全てお前に。

 食べてくくらいはあるわ……

 幸せになるのよ。私の可愛いシェネベッチェン」

 

 ムッターの手がすべり落ちた。


「ムッター、ムッター、ムッター!」

 遠くにサイレンの音が聞こえる。


 ◇


  麗子さんの葬儀が始まり僕も夫として、列席していた。


「雪雄君、見てやってくれよ。麗子綺麗だろ?」

 

 お兄さんが僕に声をかけたのは、通夜も終わって、交代で寝ずの番をしていた時だった。


「あいつは嫌がってたけど、親父がどうしても着せてやりたいって言うからさ。成人式の着物着せたんだ。

 靴も特注してたの、やっと届いたから。納棺に間に合って良かった」


 麗子さんはとても綺麗だった。ハイカラさん風に頭に赤いリボン、花柄の赤い振袖、紺の袴。

 そして特注の編み上げブーツの色は、赤だった。


  僕は外へ飛び出した。



 昼に降った雪で外は白く変わっていた。

 白く縁取られた葬儀場の池の水に、僕の顔が映る。


 雪のように白く、血のように赤く、黒檀のように黒い。

 こんなもの呪いでしかないのに……。


 死んでから赤い靴を履いたムッターの魂は、助かったのだろうか?


 それとも世界に終わりが来る日まで、地獄で赤く灼けた鉄の靴を履いて、踊り続けるのだろうか……


 空には輝く半分の月。残りの半分は池の水におちて揺れている。


「鏡よ、空の鏡よ。ムッターは今何処にいるの?」

 二つに割れた月は答えること無く、ただ蒼く光るばかり。


 




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