第12節 昼休み追走曲 Ⅶ.

 


 軛殯くびきもがり康峰が地面に倒れ、破裂した水道管の元栓が締められ、イワシ男が逃げ去ったそのあと。

 馬更竜巻ら生徒会も遅れてきた鍋島村雲と合流し、イワシ漁に去って行った。

 急にその場が静かになる。

 さっきまでの馬鹿騒ぎが嘘のように、凪いだ。

 そこへ——


「ああっ、そんな……!」


 何かを見つけた紅緋絽纐纈べにひろこうけつ紗綺が叫ぶ。

 愛刀を投げ出し、長い髪が地面に着くのも構わず中庭の一角に座り込んだ。

 生徒たちが呆気に取られて見守るなか、何かをそっと両手で掬い上げる。

 ハムスターだ。

 その小さな四肢はぴくりとも動かない。

 紗綺の指が、手が震えた。


「……間に、合わなかった」

 紗綺の瞳が大きく揺れて、ぽろぽろと大粒が零れ出した。

 呆然と見ていた生徒たちがどよめく。


「あの生徒会長が……」「ウソ、泣いてる⁉」


 例え禍鵺マガネの群れに囲まれようと、手傷を負おうと見せたことのない泣き顔。

 大勢の生徒がざわめくのも無理はない。

 ちなみに彼女に目を奪われて誰もその近くで屍と化している康峰には見向きもしない。


「ねぇ。それホントに死んでんの?」


 不意に背後から、鵜躾うしつけ綺新きあらが声を掛けた。

 その肩に早颪さおろし夢猫むねこも凭れかかっている。

 紗綺は頬を涙で濡らしたまま振り返って訊く。

「……どういう意味だ?」

「ハムスターって危険を察知したりパニックしたりしたときに、死んだも同然に固まることがあるんだって」

「え~綺新ちゃん物知り~。急にどうしたの?」

「普段馬鹿って言いたいワケ? まーあたしも新会長のペット博覧会で聞こえてきただけだからよく知んないけど」

「死んだふり、みたいな感じ?」

「多分ね」

 紗綺が目をぱちくりさせた。


「確かに……」

 紗綺は掌の小動物をつんつんした。

「傷は、ない。目立った外傷は」

「心臓は?」

「小さくてよく分からないが……動いている、気がする」


「おおっ」


 群衆からどよめきが上がった。

 紗綺の瞳に急速に光が灯る。

「ど、どうすればこの子は動き出すんだ?」

「さぁ、そこまでは」

「死んだふりってだけなら、しばらくしたら勝手に動くんじゃない?」

 夢猫が言った。

「分かった!」

 それから紗綺はじっと両手に乗せたハムスターを見続けた。



 十秒。

 二十秒。

 紗綺は微動だにしない。

 釣られたように周囲の生徒たちも。

 と言うか空咳ひとつ許さない妙な空気に、黙り込んでいた。視線だけが行き来する。ついさっきまであれだけ騒がしかったとは思えない。

 しかし——


「動かないぞ!」

 紗綺が叫んだ。

「んーダメなのかな」

「誰かハムスターに詳しい者はいないか⁉」

 そう言われて生徒たちが顔を見合わせる。

「周りが煩くてびっくりしたならー、静かにしてあげればいいんじゃない?」

「あと、夜行性だし暗いほうが落ち着くかも」

「暗くて静かだな! よし!」

 言うや否や紗綺はその辺に散乱している看板や布切れを手繰り寄せた。

 即席で小屋のようなものを作る。

 そのなかにそっとハムスターを安置した。

 ひそひそと話し出す生徒もいたが、紗綺が立ち上がって彼らに叫んだ。


「済まない皆! いましばらく静かにしてくれ! 頼む!」


 そう言われて生徒たちは顔を見合わせる。

 丁寧に頼んではいるが、その手は(無意識に)腰に差した愛刀の柄に掛かっている。逆らう者あらば(無意識に)切り捨てん気迫だ。

 水を打ったようにその場が静まり返った。

 まだ正午過ぎの夏の日差しが頭上に降り注いでいる。



 一分。

 二分。

 汗を浮かべた生徒たちがそろそろ堪らず動こうとしたとき——

 ぴょこっ、と。

 ハムスターの手足が動いた。

 身を起こし、様子を伺うように鼻を動かす。


「……動いた!」

「マジで生き返ったぞ!」

「うおおおおおおおおおおお!」


 生徒たちから歓声があがる。

 その中心で紗綺は。

「……よかった」

 そう呟き、瞳を揺らした。安堵の笑みが零れた。

 立ち上がり、周囲を見渡して言う。


「本当によかった。ありがとう。——皆、ありがとう! 皆の協力のお蔭だ!」


 その声に万雷の拍手が沸き起こった。

 何も知らない小動物は紗綺の掌の上でひょこひょこ鼻を動かしている。


***


「何をやってるんだ、一体……」

 学園長の雑喉ざこう用一はそんな群衆を遠目に腕を組んでいた。


 少し前から中庭で騒ぎが起きているというので様子を見ていたが。

 『指導員』を任せた康峰はそんな騒動の隅っこで誰知れずひっくり返っている。

 先ほど喧嘩に巻き込まれた際に心停止したのだろう。

 彼の特異な体質については聞き知っている。しばらくすれば息を吹き返すはずだ、が。

「こういう事態を防ぐために任せたんじゃなかったのか……」

 まぁ、見ているだけの自分が言うのも何だが。


「いやはや。いいものですねぇ、若さとは」


 ふと、なじみのある声が背後から聞こえた。

 振り向くとそこに伽羅きゃら与一——四方闇島『島長』が歩いてきていた。

 相変わらず小柄で山羊のような細い顔つきに、愛想のいい皺を刻んでいる。

「や、これはどうも。お疲れ様です」

 雑喉は腕組みを解いて頭を下げる。

「何かありましたか?」

 雑喉は訊いた。

 伽羅は「いやいや」と手を振って応える。

「いきなり声を掛けて申し訳ない。私も学園祭というものがどんなものか、この目で見たくてね。物見遊山ものみゆさんに参じただけです。ひょっひょっ」

 そう笑って視線を遠くの群衆に向けた。


 生徒たちは拍手喝采のあと、緊張の糸が解けたように各々喋り合ったり、大喧嘩の後始末に動き出したりしていた。


「やはり若者のエネルギーはいくら見ても飽きませんなぁ。彼らを見ていると、学園祭をやってよかったと思えます。例えいっときの気晴らしでもね。……そうではないですか、学園長?」

 雑喉も生徒たちを見る。

 確かに彼らはいままでに見たことのないような表情を見せていた。

 例えこれが化物と戦う学園のいっときの幻想としても——

 彼らにとっては忘れられない思い出になるのかもしれない。


「そうですね……確かに」

「ま、怪我人でも出れば大ごとですが」

——怪我人どころか心停止した男もいるが。

 それは言わなかった。


「おっと、引き留めてすみませんな。私はこれにて失礼」

「もっとゆっくりしていかれては?」

 何か用事でもあるのか。

 そう思って見ると、伽羅は笑って自分の顎鬚を撫でた。

「まぁ、物見遊山と言うのは半分。もう半分の理由は天代守護にこき使われてましてな」

「なんと」

 自分も体よく雑用を任されることは多いので、人使いが荒い連中と言うことは知っていたが。

 それにしても『島長』たる彼までとは。余程の人手不足か非常事態なのか。

「何でも例の新たな天代守護支部長、空鷺からさぎ氏が不在のようでして。彼らも参ってるようですよ」

「はぁ、それで……」

「例の失踪事件に進展があったのに、肝心のトップがいないので動けないとか。それで臨時でこの爺が動いているという次第です」

「それはそれは……ご苦労様です」

 天代守護の職員数名が山中で消息を絶ったというあれか。そう言えばそんな事件もあった。

 学園祭で失念していたが。


「何かお手伝いできることでも?」

「いえいえ。貴方の役割はここで生徒たちの思い出を見守ることですよ。ひょっひょっ」

 おどけるように笑ってから、「それでは」と短く挨拶して伽羅は背を向けた。

 現れたときと同様、飄々と去って行く。

 雑喉はしばらくその背中を見送った。


「あ、学園長!」

 自分も校舎に引き返そうとしたとき、後始末に奔走していた生徒のひとりがこっちに気付いて声を掛けた。

「あの、軛殯先生なんですけど……どうしたらいいですか?」

 おずおずと訊く。

 相変わらず康峰は地面に放置されたまま微動だにしない。

 なぜ自分に訊く、と言いたいところだが、彼らも対処に困ったのだろう。

 雑喉は答えた。

「放っておけ。そのうち勝手に動き出す」

「はぁ」

「こほん、まぁ、そうだな……」

 流石に康峰の扱いが乱暴だったかと思い、雑喉は渋い顔で付け足した。

「……なるべく静かで暗い場所にでも運んでおいてやってくれ」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アポカリスト2 ―狂瀾の学園祭― 志島余生 @shijima_yosei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ