川を渡る(死への旅・SS・シロと隆と晴美ちゃんシリーズ⑤)

源公子

第1話

霧の中、石の道を歩いている。水の流れる音が下の方からしている。


石の道だと思ったものは、どうやら橋のようだ。下の水音は、川らしい。

俺はとても大きな川の上の、細い石橋の上を歩いているのだ。


前を見ると白い霧で何も見えない。

後ろを見ても同じ霧が立ち込めて、さっきまで俺が歩いて来たはずの石橋を見えなくしている。

本当はあそこに石橋なんてないんじゃなかろうか。俺の歩いて来た道は、俺の足が離れると同時に霧になって、川の中に消えていってるんじゃないだろうか。


後戻りをするのは諦めて、俺はあるはずの石橋を前に進む。

人生なんてこんなもんだ……。

そんな夢を見た。






夢から覚めたのに、世界は暗かった。右手だけが暖かい。

窓が右側にあり、日が差しているようだ。


俺は目を開けることができない。

体中にチューブを入れられて、動いているのは心臓くらい。

呼吸も酸素吸入器がなければ止まってしまうだろう。

事故でこうなったのだ。


医者が「植物状態で、もう意識は戻らない」と言って、妻に生命維持装置を外すよう勧めている。費用だって馬鹿にならないのだ。


でも、妻は諦めようとしない。

毎日通って来て、小さな体で大きな俺の体を、床ずれにならないように体位を変えている。  


庭の花を摘んでは枕元におく。今日はチューリップのようだ。

俺の好きな黄色なのか確かめられないのが残念だ。


真っ暗で、ただザワザワとした音の中、時間が過ぎていく。

前は休みなく俺に話しかけていた妻も、今は黙っていることが多い。

夕方に妻は帰り、瞼を通して微かに感じていたライトが消される消灯時間。

静かになると、また夢の時間が訪れる。





霧の中、やっぱり俺は橋の上を歩いている。

違うのは、霧の中に俺の過去が映ることだ。       

パチリ、パチリと将棋を打つ音。おじいちゃん、孫の僕にも手加減しないんだもん。

おばあちゃんはいつもプリン作ってくれた。懐かしいな、二人とも死んじゃった。

 

そうそう、猫のシロがいた。いつも学校から帰ると、玄関まで迎えに来てくれた。

僕の嫌いなもの、内緒で食べてくれたっけ。

妻と仲良くなったきっかけもシロだった。あいつ、俺より妻の方に懐くんだから。

玄関で冷たくなってた時は悲しかったな。


ずっと夢を見ていたい。色のない、暗くてうるさい音だけの現実は嫌いだ。

妻が、あの約束を実行してくれるといいのだが。





「では、生命維持装置を外します」

医者の言葉に、妻の嗚咽と頷く気配がした。

体中のチューブと、酸素吸入器が外された。


これでいい――結婚した時、臓器提供のカードに二人で記入したんだ。

何か人の役に立つことをしたいといって。俺の体ひとつで、何人かの命が助かるのだ。

だんだん聞こえる音が遠くなり、意識がぼんやりしていく。




また、夢の中。ついに橋が終わり、俺は花畑の広がる川の岸に立った。

光あふれる世界。全人類共通の記憶……

死の川を渡り、花畑の中で死んだ懐かしい人たちと再会する。


ああ、おじいちゃんとおばあちゃんと、シロが迎えに来ている。

振り向くと橋はもうなくなっていた。

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川を渡る(死への旅・SS・シロと隆と晴美ちゃんシリーズ⑤) 源公子 @kim-heki13

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