『メズマライザー』ウルトラヒットから考える、「考察されがいのある作品」の価値

奈良ひさぎ

《めずまらいざー》

ボカロ曲『メズマライザー』が凄まじいヒットを見せています。4月投稿らしいのでちょっと流れに乗るのが遅いかな?

この曲、とにかく考えさせられる要素というか、深い演出や歌詞が話題になっていて、ネットではしきりに考察がなされています。散々考察コメントや考察動画に考察記事、考察コメントのまとめ動画まで出ている状況なので、私が今更その考察の内容について触れる必要はないと思っています。あえて軽めの感想を言うとすれば、「体調悪い時に頭の中で延々ループしそうな歌」でしたね。『INTERNET YAMERO』とか『魔法少女とチョコレゐト』に似た雰囲気を感じます。いや、どれもインターネット依存症を扱ってるって話もあるし、共通項があってしかるべきなのかな?


今回話題にしたいのは、考察の内容ではなく、そもそもの「考察される作品ってなんぞや?」っていう話。

音楽でも小説でもアニメでも、新しい作品が出ると決まって「このシーンは○○のオマージュになっていて、作者は◇◇を意図しているのだろう」みたいな考察がしきりにされるのが今の時代。世界観が凝っている作品ほど、ネット考察班の活気があふれているように思います。鬼滅も呪術も通ってきた道です。音楽だと『砂の惑星』もそうかも?


これが悪いと言うつもりは毛頭ありません。ウィットに富んだり各方面の知識を要求されるコンテンツというのは楽しいから考察が止まらないのでしょうし、私もこういう作品を鑑賞するのが好きです。考察を見て「そんなこと考えつかねえよ」「作者賢いなー」といつも思っています。

ただ、自分が同じような作品作りをできるかというと、それはまた別の話。時々「○○のオマージュをここで入れたら、考えさせられるシーンになっていいな」という思想のもと、あえてねじ込むことはもちろんあります。これまで私が方々で計20作ほど長編を執筆してきて、一番会心のシーンだと思っているのは、第6作『絶望捜査官』の一節。神戸・三宮を舞台にした作品なのですが、両親を空襲で亡くした少女がJR三ノ宮駅改札前の柱にもたれかかりうなだれるシーンが登場します。分かる人には分かる、野坂昭如氏の『火垂るの墓』のオマージュです。


自作語りはこの辺にして、こういうことが毎回、あるいは一つの作品全部にわたってできるかというと、難しい。そんなに「考察されること」を求めていない作品だってあることは、クリエイターならば分かってもらえるのではないでしょうか。そこで思うのが、「みんな、世に出る作品に考察要素を求めすぎじゃないか?」ということ。


こんなことを言うとさっきと言ってることが違う、と返されそうなものですが、相反はしていません。考察要素を作品に込めることや、あれこれ考察することそのものを悪いと言っているわけではなく、なんでもかんでも考察を求めすぎじゃないですか、という話です。

もちろん言論や思想の自由に則れば、お出しされた作品を受け取る側がどのように解釈するかは自由、ということになるのですが。仮に作者の想定していなかった、あるいは作者にとって望ましくない解釈をされた場合、作品に対する評価がまるで変わってしまうのではないか、と危惧しています。

またクリエイターの側も、考察の余地なく、書いてあること、表現していることをありのまま受け取ってほしい作品を作ることだってあるはずです。「考察しがいのある作品」を求める読者の声に応じて作品作りをするのは、なろう系の流行りに乗って似たような味のする作品を出すのと似ているところがありますが、作品の多様性を失わせることにならないか。そういった危惧もあります。


いずれにせよ、今はよくても後々困らないかという心配です。なろう系についてはプロアマ問わず全作品がなろう系で埋め尽くされたわけではないので、だいぶ下火になった今、ちゃんと他のジャンルの作品が頭角を現していますが、考察の有無についてはもっとマクロな話で、後々取り返しがつかなくなる可能性もあります。これが杞憂であれば、全く構わないのですが……。

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『メズマライザー』ウルトラヒットから考える、「考察されがいのある作品」の価値 奈良ひさぎ @RyotoNara

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