Spanish Rain (スパニッシュ・レイン)

上月祈 かみづきいのり

Spanish Rain (スパニッシュ・レイン)

 ねぇ、もうテキサスこっちには慣れたかしら?

 まぁまぁ、ね。それでいいのよ、少しずつで。

 でもまさかね、私が日本に滞在ホームステイしていたときの、あの赤ちゃんだったあなたがこっちへ留学に来るなんてね。

 アナタのお母さんリカコはとても賢いわ。

 だって、高校卒業と大学入学の間にブランクがあるんだもの。だったらまず、テキサスの生活に慣れとくのは本当に正解よ。

 え? テレビ? うん、いつも通り見ているわよ。だって夜の九時だからやることないもの。六月はシーズンじゃないから去年のプレイオフを録画したものだけどね。気になる? じゃあ、隣にいらっしゃい。なにも恥ずかしがることないじゃないの。

 これはNCAA全米大学フットボールだけど、そもそもこっちのフットボールは見た? イマイチそうね。まぁいいわ。

 ここだったらあとでそうね、例えばテキサス大学ロングホーンズで調べてみなさい。フットボールの話題は熱弁しない限り出来ておいて損はないわ。相手が熱弁したら『自分にはよく分からない』ってふりをしてとにかく喋らせるのよ。分からないって答えるときはちゃんとそういって、理由もハッキリと答えること、オーケイ?

 そういえばだけど。日本は今、RAINNY SEASONなんだっけ? なんだっけ、あの歌。アーメィ、アーメィ、フューレ、フューレ、だっけ? 

 そう、その歌! やっぱりうろ覚えだとうまく歌えないわね。まぁいいわ。

 その歌ね、今でもマザーグースみたいってときどき懐かしく思うのよ。リカコが教えてくれたのよ。ところで、マザーグースの方は知ってる? こんな歌でさ。

 Rain rain go away,

 Come again another day.

 Rain, rain, go to Spain,

 Never show your face again.

 Little Johnny wants to play!

 リズミカルで、ナンセンスでしょ?

 実はこれね、色々なヴァージョンがあるからどれが正しいかと聞かれちゃうと困るのだけど、私のママからはこう教えてもらったわ。別にジョニーじゃなくてもいいのよ。スージーでもマイケルでもビアンカでも、アナタの名前でもね。

 でも私はジョニーが一番しっくりくるのよ。すごく単純かもしれないけれどね、ジョニーっていう友達がいて、NFL選手プロフットボーラーになったからに違いないわ。でもしばらくお互いに音沙汰ないんだけどね。

 大学にいたころは四年生になってもなかなかベンチ入りもできないような状態だったから、Littleちっちゃな Johnnyジョニーは wants試合 to play!出たいなんてふうに茶化されたり。でも確かに彼はWRワイドレシーバーとしては小さかったわ。五フィート九インチ一七五センチメートルしかなかったもの。でも彼はどのQBクォーターバックも信頼できるような捕球率だった。背は低いけどね、どうにかしてボールをもぎ取って、ちゃんとフィールド内に着地して、そこがエンドゾーンならタッチダウンってわけ。

 だから今もプロとしてフィールドに立っている。

 それでね。私にとって、さっきの歌はジョニーしかありえないのよ。えっなに? どういう関係? そうね。昔、私が一番応援していた選手よ。ときどき彼から連絡くれるけどね。恋人候補ではなくて、巣立って立派になった、他人よ。気弱だった、小さなジョニーはもういなくってさ。もういいわ、この話は。

 ところでさ、さっきの歌に"go to Spain"っていうフレーズがあったけど、あなたはスペインに行ってしまった雨のことを考えたことある? でもさっき聞いたばかりなら、考える時間はないわね、ごめんね。

 私はね、すごく時間をかけて考えたことがあるわ。たしか、小学生の頃から日本へ行く直前まで。

 私が今でも今までも好きだった物語があって、これもその考察に影響しているわ。『オズの魔法使い』よ。

 笑わないでほしいんだけど、私はドロシーになりたかった。本当にね。現実にうんざりするほどに望んでたことだし、そんなことありえないって分かっちゃうから苦しかった。

 もっとも、それはあのジュディ・ガーランドに恋焦がれていたのかもしれないけれどね。彼女の歌っている『オーバー・ザ・レインボー』が素敵で、下手くそでも真似して、いつか私もあんなふうにどこかへ旅をしたいって思って。ドロシーはカンザスに住んでるけど、テキサス州はその隣の州なのよ。気軽に行く距離じゃないけどね、私からしたら。まぁいいわ。

 あのとき、私は不幸なわけでもないし、何か生存に必要な物やお金が不足しているわけではなかったわ。

 ただ、雨が竜巻に飛ばされたわけでもないのにスペインに行ってしまったら、そこでどんな物語がはじまるのか、どうしたらハッピーエンドになるのか。そんなことばかり考えていたの。雨って嫌われものじゃない。場所によりけりだけど。水が不足したときに雨が降ってほしいって思うわけ。結局、それは毎日勉強しないでいで、いつか困ったときに、勉強する時間が欲しいって思っちゃうのとおんなじなわけ。自分では悲劇のつもりでも、周りからしたらただのコメディよ。大丈夫、あなたは大丈夫よ。あなたは私の話を聞いてくれている。人の話に耳を傾けることができる人は絶えず収穫しているの。だから、心配そうな顔はしないで。

 さっきの話だけどね。私は雨にドロシー役を譲るつもりはなかったから、彼はきっとスペインでオズ役になってるに違いないと思ったわ。オズはペテン師だけど、すごく大切なことをいうもの。

 ねぇ、誰がライオン役か当ててみてよ。すごく簡単な問題だもの。

 ジョニー? うん、正解。ヒントが多すぎたわね、ふふっ。

 世間一般では臆病なライオンといえばバート・ラーかもしれないけれどね。私がまだドロシーになりたかったころは、ジョニーこそがそのライオンだった。何故かってそれはシンプルよ。彼には自信がなかったから。

 それでね、今の彼はというと、かつての彼の裏付けみたいなものなのよ。自信を持ってプレーしているからプロなの。不思議よね。

 さっきの雨の続きね。

 スペインに飛ばされた雨の物語をどういうふうにしたら納得のいくハッピーエンドになるかって考えたの。でも私は導き出すことはできなかった。

 そして日本に来たらあの歌に出会った。そう、さっきの歌よ。リカコがちゃんと意味も教えてくれたわ。だから、日本語で歌うことはできないけれどね、どんな意味かはちゃんとわかるの。

 マザーグースみたいに、子守唄にできるようなメロディなのに、全く逆の意味なんだもの。面白いわ、ほんと。

 もっとも、日本からスペインに行けっていわれても、UKイギリスから行くのとはだいぶ距離が違うから、雨も困っちゃうわよね。きっと、シルクロードは越えられないだろうから、どっかの船旅について行くのかもしれないわね。それでまたどっか行けgo awayなんていわれたりしてね、ふふっ。

 でもさ。雨よ降れっていう歌がある割には、そこまで雨が好きなわけではないんでしょ、日本人は?

 リカコがさ、あの歌は歌詞が綺麗だけど、梅雨は嫌いっていってたのを思い出すの。

 現実にはカビが生えやすくて洗濯物が乾かないかららしいけどね。そういってたわ。

「だったら乾燥機を買えばいいじゃない」

 なんてあのときの私は伝えたし、今でもそう思うのだけれど、結局これが考え方に国境があるってことなのよね。まぁ、しょうがないわね。

 もう一つ、今でも思い出すのはリカコは毎晩、あなたがすやすやと眠れるように子守唄を歌っていたことだわ。雨の歌も歌ってた。私もマザーグースなら歌えるからやってみたけど、リカコには敵わなかったわね。リカコはマザーグースも子守唄にしていた、綺麗な発音でね。

 あなたは覚えてる? 

 うん、そうでもないみたいね。そんな困り顔を貼り付けているんだもの。

 これは大事なことだから忘れちゃダメよ。


「リカコはあなたに毎晩子守唄を歌っていた」


 ときどき、何か辛くなったときに思い出すといいわ。私の言葉でもいいから。

 ついでに私も歌ってあげたこと、忘れないでね!

 さっきの、話に戻るわね。私がドロシーになりたかった頃の話。

 スペインの雨はどうやったらハッピーエンドを迎えるのか。

 交換留学だったけど、私は日本に行って、梅雨を経験した。

 テキサスとは違う気候とで暮らすというのは新鮮だった。

 あのときの日本はずっと雨ばっかりだったけど、アジサイの花とかカタツムリとか、リカコが買ってくれたマーブルの傘とか。退屈はしなかったわ。カタツムリにはもう触りたくないけどね。まぁいいわ。

 それでさ、ときどき。

 カラっと晴れる日があるじゃない。雨がずっと降っていたから、空は青くてクリアで、運がいいと虹がかかってる。

 そういうときに、少し頑張ろうって思えたの。

 この話をするたびにみんな聞き返すの。

「何を?」

 って聞かれるんだけどね。

「何でもよ!」

 って私はいい返すのよ。この話をするといつもこのやり取りがあるの。

 頑張るのは、人間の人間による人間のための日常のために、ね。どこかで聞いたことあるフレーズでしょ? あまり自覚していないけど、私これでもアメリカ人なのよ、ふふっ。

 それで、スペインに行った雨はさ、どんなふうに雨を降らすのかはわからないわけね。例えばとにかく、マドリードに降りしきるのか、どこかの畑でトマトやズッキーニを洗うように降るのか。晴れ間に見た、澄んだ青空を見て、スペインの闘牛も闘牛士も落ち着きを取り戻すのか。まぁ、闘牛もいろいろ議論があるみたいだけど、私は好きよ。

 なんちゃって。

 私が好きなのは絵本の『はなのすきなうし』。あとは、昼寝が好きな闘牛士の歌。まぁいいわ。

 もし雨がスペインを通り抜ける頃、あるいはスペインの中で自身の雨雲が力尽きようとしているとき、私は振り返って欲しいの。

 水たまりにマドリードの街と空が映っていて、トマトやズッキーニが雨露で光っていて、闘牛士は赤い布を持っているけど、比較できないほど大きな青を空は持っていてきっと、みんなため息しか出なくて。

 別にスペインじゃなくても例えば、それが日本だったら、土の性質を占うように色を変える花が咲き誇って、人は色とりどりの傘の中からお気に入りを選んで買って、いろんな人がいろんなお気に入りを街中で開いて、ときどきくるりと回してみたりして。

 私は人の少ないところでやったわ。人の多いところでやったら怒られたもの、リカコに。

 そう、雨が降らなかったら素敵な傘を選ぶこともなかったわ。これは間違いないことよ。

 雨雲を恨む人は虹を見ることはないわ。関係性がわかってないもの。

 だから、もし雨がひどいいわれようをされようとも、一度振り返ってみればいいの。

 そこにあるのは、道を通った誰かが存在したからこその結末なのだから。洪水になるくらい降ったら困るけど、トマトがきらめくくらいの雨だったら素敵だと思うわ。

 あなたもそう思うでしょ? 

 スペインの雨の幸せは、雨自身に秘められていて、それはつまり、えっと、だから、今までの道に答えがあるのよ。そう、そう。

 私自身はまだ靴のかかとを三回鳴らしていないから、あなたと同じで、まだ旅の途中なのよ。ドロシーの問題の答えは知っているけど、私自身のはまだ知らない。私自身にあるんだと思うのだけれどね。私も雨も誰もがおんなじ。

 探し物はすぐに見つかるとは限らないのね。

 私ね、思い知っちゃった。

 ドロシーになりたいと思っていたときから私は既に旅の途中だった。ずいぶんと時間がかかっているけどね。もうライオンは別の国に住んでいて……

 あぁ、もうだめだわ。フットボールを見る気分じゃなくなっちゃった。ううん、あなたのせいじゃないわ。ありがとう。

 私はシャワーを浴びてくるから、先に寝ててちょうだい。明日はなにかあったかしら? まぁいいわ。

 でも、もし。

 あなたが起きていたのなら、そうね。

 夜ふかしして映画でも観ましょうか。アイスクリームならちゃんと買ってあるしね。

 今日のいろんなこと、内緒にしてよね。

 特にリカコには、ね?

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