あなた代行

蟹場たらば

代わりのいないあなた、の代わり

 駅からアパートまでの帰り道を歩く最中、俺は溜息をこぼしていた。


 仕事を終えて、やっと会社をあとにしたのは、夜遅くになってからのことだった。こんな時間まで残業をさせられていたのだ。


 ……それだけなら、まだ体力の問題で済む。もちろん長時間労働だって辛いには違いないが、我慢できないというほどのことではない。


〝納期どうすんだ納期ぃ!〟


〝このままでどうやって間に合わせるんだよぉ!〟


〝お前が遅れたら、みんなが迷惑するって分かんねえかなぁ!〟


 上司の罵声が脳裏に甦る。思わずまた溜息がこぼれた。


 進捗のことで詰められるのは、今日のように納期が近い時だけというわけではない。「監視しないと手を抜くから」と難癖をつけられて、何故か俺だけ毎日チェックを入れられていた。そのせいで、仕事中はずっとプレッシャーを感じていて、肉体よりも精神的な面で限界が来ていたのである。


 心を休めるために、一刻も早く部屋に戻りたかった。けれど、ドアを開ける前に、俺はその横にある宅配ボックスを確認する。


 残業や休日出勤が常態化している影響で、買い物にはネット通販を利用することがほとんどになっていた。また、そのため宅配ボックスも大容量のものを設置してあった。


 しかし、ふたを開けてみると、中にはそれ一つで満杯になるほど大きなダンボール箱が入っていた。


 こんなに嵩張かさばるものを頼んだだろうか。まったく身に覚えがない。通販に過剰包装はつきものだが、それにしても過剰すぎるだろう。


 不思議に思って伝票を確かめてみると、差出人の欄にはこう書かれていた。


『あなた代行』


 その言葉で、俺はようやく注文品のことを思い出したのだった。



          ◇◇◇



 昨夜のことである。


 この日も、帰宅が遅くなったから、自分の自由に使える時間はほとんどなかった。せいぜい夕食ついでに発泡酒で晩酌するくらいしかやれることがない。


 現状から抜け出すのは簡単だろう。会社を辞めればいいだけのことである。


 しかし、それを実行に移すような度胸はなかった。自分には学歴や職歴もなければ、資格やスキルもない。辞めたところで次があるとは思えない。


 いや、それは言い訳だろう。確かに再就職できるかどうかも不安である。だが、それ以上に、あの上司に退職を申し出ることに不安を覚えていたのだ。


「まだ向いてる向いてないなんて言えるほど働いてないだろ」「うちでやってけないようじゃあ、どこ行ってもやってけないぞ」「みんなに迷惑かけたまま辞めるつもりか」…… 日頃の上司の態度を考えれば、そんな風に慰留ハラスメントをして、退職を認めようとしないのは目に見えていた。


 俺はスマホを手に取ると、『退職代行』で検索をかけた。


 料理や掃除、買い物のような家事はもちろん、車の運転や役所の手続き、はては墓参りまで、今時大抵のことは業者が代行してくれるようである。それは退職についても同じで、客の代わりに会社に辞める意思を伝えたり、備品を返却したりしてくれるのだという。


 もっとも、今日すぐに退職代行を利用しようとまで考えていたわけではない。ただ辞めようと思えばいつでも辞められるということを確認して、明日からの心の支えにしたかったのである。


 自分が情けないだけかと思っていたが、俺のように辞めると言い出せない人間は結構いるらしい。検索結果には、業者のサイトがずらずらと出てきた。


 ただその中に一つだけ、他とは違うサービスを掲げているところがあった。


『あなた代行』


 退職に限らず、料理でも墓参りでも、客のやりたいことならなんでも代わりにやってくれる。そういう総合的な代行業者だから、『あなた代行』なのだろう。


 そんな俺の予想は大はずれのようだった。


 サイトを開いてみると、こんな説明が出てきたのだ。


『あなたにそっくりのロボットが、あなたの出した命令を、あなたがするのと同じように実行します』


 また、具体的な利用者の声も紹介されていた。インフルエンザにかかった時に代わりに入試を受けてもらって、志望校に無事合格することができました。寝不足の時に代わりに赤ちゃんの夜泣きの世話をしてもらって、ぐっすり眠ることができました。仕事が忙しい時に代わりに運動会に参加してもらって、子供を悲しませずに済みました……


 バカバカしい。今の技術でそんな高度なロボットを作れるわけがないだろう。仮に作れたとしたら、もっと話題になっているはずだ。詐欺にしてもお粗末過ぎる。


 しかし、もし本当に俺の代行をしてくれるロボットがあるのなら、頼んでみたいことは山ほどあった。


 ……まぁ、今なら初回無料みたいだしな。


 そう誰にともなく言い訳をしながら、俺は申し込み画面へと進むのだった。



          ◇◇◇



 あれから一晩経って冷静になったことで、『あなた代行』の件は酔っ払って変な夢を見たのだと考えるようになっていた。もしくは騙しやすそうな人間の個人情報を集めるのが目的だとか、ただ単に釣りいたずらをするのが目的だとか、そんな風に解釈していた。


 だが、どうやら夢でも釣りでもなかったらしい。腰が抜けそうなほどのダンボール箱の重さが、ロボットつまり『あなた代行』が実在することを予感させてきた。


 部屋で開封してみて、その予感はますます強くなった。


 箱の中には、もう一人の俺とでも言うべき存在がいたからである。


 一体どうやって作ったんだろうか。身長や体型、顔立ちはもちろん、耳の凹凸や着ている服まで俺に似せてある。もしやと思って手を取ってみると、小学校の図工の授業でついた彫刻刀の傷跡さえも再現されていた。


 説明書によると、ロボットは音声認識で俺の声に反応して動くという。早速命令を出してみることにする。


「代行ロボット、飯を作ってくれ」


 その瞬間、ロボットのまぶたが開く。付属品の台座から立ち上がる。


 ロボットの向かった先はキッチンだった。シンクで手を洗ったあと、冷蔵庫から食材を取り出す。本当に俺の命令に従って、料理を作ってくれるらしい。


 しかし、このまま完成するまでずっと見張っていたのでは、代行サービスの意味がないだろう。キッチンのことはロボットに任せて、俺はバスルームへ行くことにする。これで風呂から上がったら、すぐに夕食を食べられるという寸法である。


 リビングに戻ってくると、箱から出したばかりの時のように、ロボットはまぶたを閉じて台座の上に正座していた。説明書に書かれていた通り、命令の実行が完了したので、自動で休止状態スリープモードに入ったのだろう。


 実際、テーブルには料理が置かれていた。


 ただし、肉と野菜を適当に炒めただけの簡単なものだった。


『あなたにそっくりのロボットが、あなたの出した命令を、あなたがするのと同じように実行します』


 サイトに書かれていた説明を思い出す。


 俺は今まで一度も、手の込んだ料理なんて作ったことがなかった。材料やレシピを用意すれば作れるかもしれないが、忙しさのせいで作ろうと思ったこともなかった。だから、そんな俺を代行して、ロボットもごく単純な肉野菜炒めを作ったのだろう。


 試しに一口食べてみたが、味つけの方も俺が作るものと大差なかった。塩コショウ多めの、そこそこ旨いが健康にはよくなさそうな味である。


 どうせ作ってもらうなら、普段の俺が絶対に作らないような料理を食べたかった。「揚げ物を作れ」みたいに、もう少し具体的に命令するべきだったんだろうか。もっとも、俺の人格まで再現してあるなら、結局命令を無視して肉野菜炒めを作ったかもしれないが……


 しかし、まぁ、自分で作る手間を省けたというだけでも十分だろう。久しぶりに落ち着いた気持ちで食事ができそうだった。食べ終わったら、次は皿洗いを代行してもらおう。


 それに、明日になればもっと有効な使い方ができるはずである。



          ◇◇◇



 目を覚ました時、俺は真っ先にロボットが部屋にあるかどうかを確認していた。


 幸いなことに、昨夜のことは現実逃避の妄想ではなかったらしい。ロボットが部屋の隅で正座している姿を見て、俺は安堵の息を漏らす。


 今日はどうしてもやってもらいたいことがあったのだ。


「代行ロボット、会社に行ってくれ」


 ロボットに代わりに仕事をしてもらう。その間に、俺は自由な時間を満喫する。昨日からずっとそういう計画を立てていたのだ。


 命令した途端、ロボットはまぶたを開いて立ち上がる。クローゼットを開けて、スーツに着替え始める。


 同時に、俺も帽子とマスクで変装を始めるのだった。


 昨夜の料理や皿洗いをする姿を見たかぎり、ロボットは本当に俺の代わりをしてくれるようである。けれど、無条件で人前に出せるほど、まだ完璧には信用できなかった。それでロボットのあとをつけて、しばらくは出勤や仕事の様子を観察することにしたのだ。


 あくまでも『』なので、ロボットは俺の能力や思考の通りにしか行動しないという。実際、作った料理は簡単なものだったし、皿洗いもちゃっちゃと適当に済ませていた。


 だから、仕事の代行で、溜まっている作業を全部片づけてくれるとか、出世ルートに乗るような大活躍をしてくれるとか、そういうことは別に期待していなかった。ただ俺の代わりにほどほどに働いて、しばらく俺を休ませてくれさえすればそれでいい。……まぁ、俺の代わりに、上司に退職すると言ってもらっても構わないが。


 そんな風に都合のいいことを考えながら歩いていると、その内にロボットも俺もアパートから最寄りの駅に到着する。


 そして、俺を代行して、ロボットは電車に飛び込んだのだった。






(了)

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