チオペンタール
奈良ひさぎ
チオペンタール
「うぐっ」
地下に設けられた独房は、決して良い環境ではない。常にどこかで水の滴る音が聞こえ、時々ネズミらしき小動物が動き回る音も聞こえる。起きている間は、そのような音でもある方が静寂よりはましだと思えるが、寝る時には煩くてかなわない。そして一日二回、一回目の薬の投与も、また乱暴に行われた。看守のような出で立ちの男が檻の前にやってきたら、言葉がなくとも私は腕を差し出さなければならない。やらなければ、乱暴に腕を引っ張られ電気刺激を加えられる。全く容赦がなく、あれをやられると一日腕が持ち上がらなくなるから、二度とごめんだ。
「腕を出すのが遅い。次はもっと早く出せ」
男に不機嫌そうな声でそう言われ、思わずにらみつけてしまう。それがきっかけで私は腕を斬りつけられ、その場に血が滴った。痛いのは痛いが、大した傷ではない。今すぐにでも男を殺してやりたいという衝動に駆られたが、頑丈な檻で俗世と隔てられていては何もできない。腕から全身へ流れてゆき、じわじわと効いてくる鎮静剤の効果を感じながら、私は自分自身の罪について改めて振り返った。
私の犯した罪を端的に言い表すのであれば、それは「大量殺人」である。しかしそれは私にとって「やるべきこと」に違いなかった。
戦闘機に乗り込み、抱えられるだけ爆弾を抱えて、市街地で無差別に人を殺した。爆弾が炸裂する前に圧死した人間もいた。逃げ惑う子どもをかばった母親ごと吹き飛ばして殺しもした。はるか上空にいた私の操作一つで、こんなにも簡単に人が死ぬのかと私は感動すら覚えていた。目に付く建物は中に避難していた人間ごと吹き飛ばし、数万は下らない人口の街を一晩にして焼け野原へと変えた。無に帰すというのはいつでも素晴らしい行いだ。人による営みの数々はもとより、自然の摂理に反しているのだから、元の姿を取り戻せるよう手伝ってやるのが優しさというものだ。
「……ッ」
そんなことを考えていると、せっかく薬で鎮めたというのに再び激情が沸き起こってくる。私は至って正しい行いをした。無論私を捕らえている国の法では、私は犯罪を犯したことになるのだろうが、そんなものはその国の価値観でしかない。身勝手な愚法で裁いてもらっては困る。こんな吐いて捨てるほどあるような不快な田舎町でいつまでも拘束されているわけにはいかないのだ。私は忙しい、私の
自分たちはいかにも正しい法治国家であるという顔をしておいて、一度犯罪者と断定した者に容赦なく致死的な薬剤を与えるのも、何とも野蛮さが表れている。蛮族に国を作らせ、その統治を任せていればろくなことにならないと、私は常々進言していたはずなのだが。学のない愚民はすぐに煽動されるから困る。頭が悪ければ悪いほど煽動は容易いが、その分こちらの予想できない動きを考えも無しにやってのけるので、場合によっては厄介なのだ。
それにしても、なかなか心地の良い身震いをさせてくれる薬剤だ。鎮静剤や麻酔薬は、死に近い量であればあるほど、生きながらに至上のエクスタシーを感じられるという。臨死体験というやつなのだろう。無論、ここで一気に致死量を与えられ殺されたとしても、それはそれで私の帰還を待つ者たちに顔が立たないが、辛うじて生きながらえられる量を与えるというのもなかなか回りくどいことをする。あるいは、薬剤の中に何か別の物質を混ぜ込んであるのだろうか?だとすれば、じっくりと私を別の人間に変貌させ、意のままに操れる人形に変える計画のうちであろうから、筋は通っている。
「くだらんことを……」
私は無機質で冷たい床に向かってそう吐き捨てる。私は私自身の意思があってこそ、価値ある人間であるというのに。私から人格を抜いてしまうのなら、私が散々嬲り殺してきた愚民と全く同じになるではないか。愚を嫌うのは為政者として当然であろうに、他ならぬ私をそのようにして、何が楽しいのか。
「しかしまあ、奴が偉ぶれるのもあと少しであろう……」
私は懐に忍ばせた、この数日間かけて作り出した刺突できる武器をそっと触り、私は改めて全身に巡る薬の効能を楽しみつつ口角を上げた。
チオペンタール 奈良ひさぎ @RyotoNara
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