あり得えなくて朝

渡貫とゐち

Uターンブラック


 ――朝の九時に出社する…………

 その少し前に会社近くのカフェでまったりとコーヒーを飲む。


 それが私の日課だった。


 カフェで寝起きの意識と体をゆっくりと起動させ、万全の状態で仕事に臨む。出社したら今日の仕事を確認、同僚や上司との打ち合わせ(という名目の雑談かも?)をしていると、あっという間に午前が終わる。


 お昼は上司に連れられて近くの定食屋へ。

 今日は和食だった。


 お昼休憩は一時間の決まりだけど、毎回ちょっと遅れている。

「遅いよー」なんて別の上司に優しく注意されるけど、誰も直そうとはしなかった。直さなくとも仕事が問題なく回っているのだから、徹底して守る必要もないのかもしれない。

 ……だからと言って緩んだ社風ではなく、締めるところはしっかりと締める――――


 厳しい部分だってある。

 実力に見合った報酬もあるし……ミスにもちゃんとペナルティがある。罰はあるけど人間性の否定はされず、本人の技術不足を指摘され、「じゃあ同じミスをしないためにはどうすればいい?」と付き合ってくれて、理不尽な怒られ方はしない。

 上司はみな、仲間の成長のために指導をしてくれるのだから――――とてもやりがいがある会社だった。


「あの、先輩……午前中にお願いされた作業なんですけど……」

「うん。……困ったこと? トラブルじゃないよね?」

「はい。……ちょっと、その、分からないことがあって……」

「じゃあ確認するよ。席で待っててくれる?」


 分からないところがあれば、聞けば教えてくれる。先輩が私の席まできてくれて、パソコン上で優しく丁寧に指導をしてくれた。

 途中から仕事に関係ない雑談になっていたけれど、作業に余裕ができたおかげでこういうコミュニケーションも可能だった。


 今日はたまたま時間があるけれど、いつもはもう少し忙しい。とても忙しいとしても定時には帰れるのだからホワイトな会社だ――――ホワイト以上だと思うけど。


「――先輩すみませんっ、トラブルが――」

「大丈夫、焦らないで。――聞いてみるから」


 確認と対処が相変わらず早い。突然、人手が足りなくなっても社内と協力会社との間で連携を取ってすぐに空いた穴が塞がれる。人がいないことで困ることはなかった。


 人が多過ぎて仕事が足りない、ということもなく、ちょうどいい塩梅でバランスが取れているのだ――やっぱり上が優秀だと下はストレスなくモチベーション高く仕事ができる。

 社長はそういうところを意識しているらしくて……だからこそ、この人についていきたいと思ったのだ。


「――うん。もう大丈夫、今やってる作業は一旦止めて、次の作業に進んでいいよ」

「ありがとうございます……」

「誰も悪くないんだから落ち込まないでいいからね?」


 顔に出ていたようで、先輩が慰めてくれた。……ダメダメ、顔に出したら気を遣われるだけだ。先輩は無理に気を遣ってるわけじゃないとしても――甘えてたらダメだ。

 落ち込む前に目の前の仕事を片付けないと。


 その後は順調に仕事が進み、定時になるとオフィスにいた全員が時間通りに仕事を中断させ、帰る支度を始めた。もう少しくらい作業できるかも、と思っていてもここでやめる。もう少しやりたいくらいがちょうどいい引き時らしい。

 明日の朝からすぐに動けるモチベーションになる。


 仕事に遅れはなかった。仮にあっても人の多さでカバーできるものだ。……残業はない。

 もっと稼ぎたければ結果を出せば給料に上乗せされる。それが従業員たちの高いモチベーションに繋がっていた。


『お疲れ様でしたー』


 従業員が声を揃えて社長に声をかける。


「お疲れ様。明日もよろしくねー」


 大柄だけど優しい顔の社長が手を振って私たちを見送ってくれる。


 全員で会社を出る。

「飲みにいこうか」と言う人はいなかった。全員が家に帰ってやりたいことをしたがっていて……飲みにいくのはたまにでいいのだ。


 毎日、毎週の頻度でいくようなものではない、と全員が思っているのだ。

 毎日いっているとそのありがたみが薄くなっていくし……。



「お疲れ様です」と先輩に声をかけ、「またね」と同僚と別れる。

 電車に揺られながらの慣れた帰り道。周りは一日の疲れで意識を失いそうな人ばかりで…………まだぴんぴんしている私は全然働いていないと誤解されるのだろうか。


 疲れていないわけではないけど、でも全然疲れてない。

 今なら軽く汗をかく程度の運動ならできるだろう……ただ、週末ではないので今日はやめておいた。明日が休み、の時に気兼ねなく運動しよう。


 真っ直ぐ家に帰る。



 シャワーを浴びて料理を作り、見逃し配信のバラエティーを見て、さらには話題の映画を一本楽しんでから――明日の仕事のために寝る。もちろん、美容にも力を入れて。


 目覚ましをセットしてふかふかのベッドに体を任せて目を閉じる。充実した一日。ぐっすりと眠ることができた。



 ――朝。アラームの音で起きるよりも先に目が覚めてしまった。アラームが鳴るまであと十分程度だが、十分しかないなら二度寝はできないかも……二度寝すればもう今日は起きられない。


 体がバキバキだった。

 フルマラソンをした直後のように体が動きづらい。疲れが取れてない……、疲労で逆に目が覚めていくけど、これを喜んではいられない。


 気が付いたけど、着替えていなかった。


 昨日のまま寝ちゃったのか……。



「…………あり得ないホワイト生活の夢、みたぁ……うわぁ、そんなわけないのに……あんな社会人生活なんか、今の社会じゃ無理に決まってるじゃん…………」



 出社は七時半。早めにいって仕事の準備をしないと今日中に仕事が終わらない。今日こそは日付を跨ぎたくないのだ。


 寝れば寝るほど疲れが蓄積しているような感覚で、美容の美の字も知らないまま、私はゾンビみたいに歩いて電車に乗って揺られる。

 吊革に掴まる私は囚われているみたいだった。会社に、というか社会に――――。


 幸い、周りにいる大半が同じように死にかけだった。

 死にかけてない少数派は平日休みとか動画配信者なのかも……。


 私みたいな弱い人間はブラックに養われているようなものだった。



 会社に着いてから仕事の準備を始める。まったりする時間もない。

 すると、先輩から報告があった。


「おっす。ひとり飛んだから。今日のひとりあたりの作業量が増えるのでよろしく」

「え」

「大丈夫、死ぬ気でやれば間に合うよ。会社に泊まってもいいから――任せたよ」

「ちょ、あの――――」


 それだけ言い残して(爆弾を落として)先輩がいってしまった。

 こっちを労うこともモチベーションを上げることもせず……(先輩も先輩で多忙なのでそんな余裕もないのかもしれないけど……)。


 増えた作業を別の誰かに振ることもできず、私がやるしかない……「はぁ」と深い溜息が出た。本当に自覚がなかった……。

 溜息を吐いてもなにも解決しない。その分の時間だけが過ぎていくだけだった。


 今日は帰れそうにない。今日どころか今週はもう無理なのでは? 土日も使わないと終わらないかもしれない――――。



「…………あの夢、もういっかい見たいなぁ…………」



 夢を見て、夢を語りたい。


 仲間に話せば荒唐無稽だと笑われるだろうけど…………


 でも、笑える力があるなら、私たちはまだ大丈夫だ。




 …了

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