赫い指

双町マチノスケ

怪談:赫い指

 私は関東の田舎町で生まれ、そこの小中一貫校に通っていた普通の女子児童でした。


 当時の私には入学直後から仲の良かった「サキちゃん」という、元気で好奇心旺盛で、少々やんちゃな友達がいました。彼女に対して私はというと、どちらかと言えば口数は少なく引っ込み思案な方で。正直なぜ仲良くなれたのか分からないほどに、サキちゃんとは正反対の性格をしていました。お互いに足りないものを持っているからこそ、どこか惹かれる部分があったのかもしれません。ともかくサキちゃんと私は、いつも一緒に遊んでいました。彼女が「今日はこんなことをやろう」と提案し、私がそれに付いていくといった感じです。私はそれだけで楽しかったから、基本的に自分からサキちゃんを遊びに誘ったり、何か意見を言ったりすることはありませんでした。彼女との遊びの中で少し悪いことや危ないことをやることになっても、よくないとは理解しつつも「まぁ楽しいからいいや」と一緒になって続け、翌日サキちゃんの巻き添えをくらう形で親や担任の先生から二人で怒られる……そんな日々を過ごしていました。

 小学校3年生の、ある日のことです。たしか、夏休みがあけたばかりの頃だったでしょうか。その日サキちゃんは「今日の放課後、学校の裏手にある林に行こう」と言ってきました。別にそこで何かしようとかではなく、とりあえず行こうと。そこは先生や周囲の大人たちからは「子どもだけでは行くな」と言われていた所でした。それは何かよからぬ謂れがあったというわけでも、人が何人も死んでいるというわけでもなく、ただ単に人の手が入っておらず鬱蒼としていて危ないからというものでした。まぁサキちゃんは、そんなこと気にもとめずに何の躊躇もなく私を誘い、私は私で「なんだか楽しそう」という単純な好奇心と「サキちゃんと一緒なら大丈夫か」という根拠のない安心から、何の躊躇もなくソレを了承してしまったのでした。私とサキちゃんは陽の傾いた例の林へと続く道をコソコソと進み、意気揚々と探索を始めました。

 正直、林そのものは話に聞いていたほど危ない場所ではありませんでした。たしかに少々荒れた足場の悪い林ではありましたが、自然に慣れている田舎の子どもにとっては問題にならない程度でした。サキちゃんと二人で「なんだ、全然たいしたことないね」と、笑いながら歩いていたのを覚えています。蛇とか蜂とか何か危険な生き物に出くわすようなこともなく、ましてや変な声が聞こえたとか変なものに追いかけられたということもなく。木々の隙間から差し込む夕刻の日差しと、ゆるく吹く風が運んでくる緑の匂いと、少し遠くから聞こえるヒグラシの声が、ただただ心地良かったんです。











 ここで何かしら危ない目に会って、早々に引き返すようなことになっていれば良かったと今でも後悔しています。


 二十分ほど進んだあたりだったでしょうか。急に開けた場所に出たんです。それまで植物が生い茂って落ちた枝と石ころだらけだったのが、不自然なほど平らで植物も生えていない地面が、半径5mほどの円形に広がっていました。そして、そのちょうど中央あたりに小さいお墓がひとつ建っていました。たぶん無縁墓……だったのだと思います。こういう田舎とその近辺の山や田畑には「みなし墓地」と呼ばれる個人墓地が建っていることがあり、これ自体は何ら珍しいことではありません。ただ、その墓は色々と奇妙でした。いびつな形の石を組み合わせて作られた手作りの台に楕円の形をした竿石が置かれていて、その傍には恐らく花立の代わりであろう竹筒が二つ置いてあったのですが……






 そこには、彼岸花が供えてあったんです。


 まるで、たった今活けたばかりであるような。


 瑞々しく、真っ赤な彼岸花が。


 二つある竹筒のうち片方に、一本だけ。




 たしかに、山に入って無縁墓の世話をするような人はいます。ただ、その割には墓石そのものはすっかりと苔むしていて、もう何年も誰も訪れていないように思えるほど荒れ果てていました。供えられた花だけが不自然に綺麗でした。花を供えるなら、その前に墓石の掃除や手入れくらいはするでしょう。それに……そんな世話をするほどまでに仏教の道を心得ているならば、毒のある彼岸花を仏花として墓に供えるのは良くないということくらい分かりきっているはずです。しかし当時の私とサキちゃんにそんな知識があるはずもなく、少し珍しいというか変な気はしていたものの、なんの警戒もせずに墓石に近づいたのでした。私はそれを近くで眺めていただけでしたが、サキちゃんは「誰のお墓なんだろう」とか言いながら、止せばいいのに爪で墓石についた苔をガリガリ剥がしたりしていました。一本だけ供えてあった彼岸花も、手に持って舐めまわすように見ていました。






 私は、なんとなく嫌な感じがしていました。


 霊感のように何かの気配を感じ取ったわけでもないし、あの墓の奇妙さも今ほど分かってはいませんでした。それでも、薄暗く緑と茶色に囲まれた空間のなかにポツンとあった真っ赤な彼岸花は、私の目には何か異様なものに映ったのです。私たちがいる墓に、ちょうど夕日が当たっていました。赤い花弁に橙色の光が加わり、あの彼岸花はまるで焼けた鉄のような、よりいっそう鮮やかさの増した色でギラギラと光っていました。美しい色ではありました。でも、見惚れてしまうような美しさではなかったと思います。それは見る者を、どこか不安にさせるような美しさでした。

 結局、墓石はすっかり風化してしまっており刻まれていたであろう名前を読み取ることはできませんでした。他に興味を引くようなものもなかったので私とサキちゃんは飽きてしまい、引き返してトボトボとお互い自分の家へと帰りました。私は、帰り道もずっと不安でした。あのギラギラした彼岸花が、どうにも頭から離れなかったのです。そして、それを眺めていたサキちゃんの目も何だかいつもとは違う感じがして。いつも通り好奇心に満ちた綺麗な目なのに、何かが違う気がして。


 今思えば、彼女は既におかしかったのかもしれません。


 次の日、私とサキちゃんは何事もなく学校に来ていました。ただ、サキちゃんが「左手の指が痛い」と言っていました。見てみると、たしかに指先のあたりが少し赤くなっています。私は昨日林を歩いていたとき何か悪い虫に噛まれたか、何かの植物でかぶれてしまったのだと思いました。色々なものをベタベタと触っていましたから。次の日、サキちゃんは両親に言うだとか薬を塗るだとかをしていないのか、まだ「痛い」と言っていました。見ると昨日よりも赤みが増し腫れているような気がしたので、私は「早く病院に行った方がいいよ」と言ってその日は終わりました。




 そして、その次の朝。






 サキちゃんが来ていませんでした。


 私は何かあったのかと思いましたが、担任の先生によると「病院に行くため本日はお休みします」とのことでした。私はホッとしましたが、少し心配にもなりました。病院に行って、そのまま学校には来れなかったんだって。一日中、家にいなければならないほど酷いものだったんだって。あの日サキちゃんと林の奥に行った時、感じた嫌な予感が再び私を襲いました。どうか勘違いであってくれと、必死に願いました。











 でも、それは的中してしまいました。




 その日の夕刻、サキちゃんが行方不明になったんです。


 ずっと家にいたはずのサキちゃんがいつの間にか家からいなくなっており、周辺を探しても見つからないと両親から警察へ通報があったそうです。そして学校にも連絡がいき……狭い田舎町ですから、すぐに地域一帯へと伝わり大騒ぎになりました。色んな人が色んな人に「サキちゃんを見なかったか」と聞いてまわっていました。私はあの林と墓にあった彼岸花のことが、否が応にも頭をよぎっていましたが「もう一度ひとりで行く」なんて話は当然聞いていなかったし、なにより嫌な雰囲気を感じこそすれ、怪異や呪いなど全く信じていなかったものですから「関係あるはずがない」と半ば強引に振り払っていました。結局サキちゃんの行方の見当がつかず、警察と住民が夜通し探しても見つからず。捜索は次の日に持ち越しになり、見つかるまでは警察が周辺を巡回し、子どもたちは集団下校させることが決められる事態にまでなりました。






 結果から言うと。

 サキちゃんは、いなくなった翌日の夕暮れに帰ってきました。
















 左腕の肘から先がなくなって、帰ってきました。


 発見されたのは学校の裏手にある、あの林の入り口付近でした。林から出てきてフラフラと歩いているところを、巡回中の警官が保護したんだそうです。すぐにサキちゃんの両親に連絡がいき、私を含めた同級生と大人たち何人かで迎えに行きました。そして、みな絶句しました。

 ……おかしな点は多々あります。そもそも、あの林は「サキちゃんはやんちゃだし入っちゃダメな場所に勝手に入って迷子になったんじゃないか」と真っ先に探した場所であること。でも、いなくなった日に複数人でくまなく探したにもかかわらず、サキちゃんは見つからなかったこと。彼女が見つかったあとに再度警察が周辺を捜索しても、足跡などの痕跡が全く見つからなかったこと。ほぼ丸一日彷徨っていたであろうにもかかわらず、他の傷や衣服の汚れなどが見られなかったこと。




 でも何より奇妙で、不気味だったのは。











 サキちゃんが、一滴の血も流していなかったことです。


 なくなった左腕の切り口は、まるで最初からその先がなかったかのように綺麗に皮膚で塞がれていて、サキちゃん本人も全く痛がっている様子はありませんでした。そして見つかったサキちゃんは記憶が飛んでいて、自分の身に何が起きたのかを覚えおらず誰が何を聞いても「分からない」「覚えてない」の一点張りでした。その時の彼女はどこかボンヤリとしていて、心ここに在らずといった感じがしていました。




 その目は、何も見ていませんでした。




 そのあとは、また大騒ぎになって。

「サキちゃんはしばらく学校に来れなくなりました」という連絡が先生からされました。






 それから、サキちゃんが戻ってくることはありませんでした。


 彼女が見つかって一週間ほどが経った時、突然「サキちゃんは転校しました」という旨の連絡が先生からされたのです。たぶん嘘なんだろうなと皆が思っていましたが、もう話題に出すことすらいけないというような空気になっていましたから、誰も何も言いませんでした。田舎町の小学生でロクな連絡手段を持っていなかった当時の私たちに、彼女がどうなったのかを確かめる術はありませんでした。学校の先生は何も言ってくれないし、両親や周囲の大人たちは嘘なのか本当なのか「自分たちにも分からない」と言うし、サキちゃんの家があった場所は既に誰もおらず、もぬけの殻になっていました。




 今でも、分かっていません。

 どこにいるのか、そもそも生きているのかも分からないままです。


 ただ……後になって、サキちゃんが病院に行くために学校を休んだ日、彼女のことを診た個人診療所の医師に話を聞くことはできました。ほとんど村落のような小さな町です。診療所なんて、わざわざ探そうとしなくても自ずと絞れます。その医師もサキちゃんの行方を知っていたわけではなかったんですが、あの左腕のことを話してくれました。






 その結果分かったのは、より不可解で気色の悪い事実だけでした。


 彼によると、あの日サキちゃんは両親に連れられて、泣き叫びながら病院に来たのだそうです。「左腕が痛い、左手の指が痛い」と。様々な手を試しましたが、一向に治まる気配がなかったそうです。どうしたものかと困り果てていると突然痛みが引いていき、そして何事もなかったかのようにサキちゃんも泣き止んだというのです。結局、原因も何もかもさっぱり分からずお手上げ状態で「もっと専門的で大きな病院を紹介するから連絡を待ってください」と、その日は「絶対に外へ出ないように、安静にしておくように」と釘を刺し家に帰した。




 ……その時のサキちゃんの左手は、どうなっていましたか。


 気がつけば、そう聞いていました。




 すると、彼は黙って一枚の写真を渡してきました。


 サキちゃんを診た時に、撮ったものだと言って。


「本当はこういうの見せちゃいけないんだけれど」


「口で言っても、絶対に信じないだろうから」と言って。






 私は、それを見てぞっとしました。




 人の手だとは思えませんでした。


 私が学校で見た時「少し赤いかな」くらいだったその指は、酷い火傷を負った時のような痛々しい赤色になっており、異様に腫れ上がっていました。そして指の付け根あたりから手首、そこから肘にかけての部分は、血が通わなくなって壊死したかのような緑っぽい色に変色していたのです。もともと細かったサキちゃんの腕が、そこだけ更に肉がげっそりと落ちて細くなり、人の肌とは思えぬ質感になり……まるで、何かの植物のような姿になっていました。






 そこで私は、気づいたんです。















 あれは蕾でした。






 彼岸花の蕾でした。


 彼岸花は一本の茎に複数の花茎が生え、そこに細長く赤い蕾ができます。その姿は、少し指を広げた人の手に似ています。そして、その蕾は先端から裂けて、べろりと捲れあがるような形で花開きます。あの写真に映っていたサキちゃんの左手は、まさに彼岸花の蕾そのものでした。私はソレを見た瞬間、あの日見たものが走馬灯のように頭の中を駆け巡りました。




 林の中。


 木々の間から差し込む夕日。


 緑の匂いとヒグラシの声。


 妙に開けた場所。


 その真ん中に立っていたお墓。


 苔むした竿石と台。


 供えたばかりのような瑞々しい彼岸花。


 焼けた鉄のような赫い彼岸花。











 ──片方だけ空になっていた、花立代わりの竹筒。


 私はただ恐ろしくて。

 泣きながら、その病院を後にしました。




 あれから私は、あの林のことを遠回しに周りの人たちに聞いてみたりしました。サキちゃんの身に起こったことに関する、何か手がかりになるようなものはないかと。噂でも昔話でも、なんでもよかった。何か欲しかった。たとえ怖いものだったとしても、自分が納得できる何かが欲しかった。でも、何もなかったんです。そもそも「奥に墓がある」という話すらも出てきませんでした。大人たちが頑なに口を閉ざしているだけだと思い、大きくなってから自分で色々調べたりもしました。それでも、何も見つかりませんでした。人々の証言と漁った記録が示す限り、あの林は人の手から放っておかれただけの……ただの林でした。






 サキちゃんがどうなったのかは、分かりません。

 あの手が、あの墓がなんだったのかも、分かりません。

 でも、サキちゃんの手は。






 なくなった、左手は。


 今も咲いているんだと思います。あの墓の傍で、足りなかった片方の花立を埋めるように。もう一度あそこに行っても、たぶん見つからないんでしょうけど。少なくともサキちゃんが発見されたあとに行われた警察の調査で、そのようなものが見つかったという話は聞いていません。どこかへ消えたのか。そもそも、そんなものなかったのか。でもサキちゃんの左手は、確実に消えていました。




 あるいは、私なら見つけられるのでしょうか。


 私が行けば、あの墓と彼岸花は再び姿を見せるのでしょうか。


 むしろ、私が見つけてくれるのを待っているのでしょうか。











 だとしても……もう二度と、行きたくはありません。

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