第22話 鈴が夏休みの計画を考えようとしたら豊水から裏切られたある日の話
制服のまま喫茶店『無聊』に入った田北鈴は足を止めず、歩きながらマスターに『いつもの』と一言だけ言って、一番奥のいつもの場所に座った。
一人で椅子に座った鈴はカバンから何冊もの雑誌をり出すと、一つ一つじっくりと読みこむ。イベント情報や人気店の情報を見て、行ってみたいと思ったページをドッグイヤーでチェックをしていると、前の席に南田豊水がが座った。
「ごめん遅れた、待った?」
「大丈夫、私も今さっきに着いたところだから。……と言うとでも思ったか!」
「いや、思ってないから謝っているんだけど。それにちょっと遅れるって連絡したら、『OK』って帰ったと思うんだけど?」
「確かに私はそう返したかもしれない。しかしそこは裏を読み取って、私がついた時には既に付いているぐらいしてくれないと……!」
「……そうしたら遅れるって連絡に意味は無いし、鈴に『何でいるんだー』って怒られると思うんだけど?」
「……さすがは豊水。自分の彼女の性格を、正確に把握しているとは。これで結婚生活も安心ですなぁ」
「彼氏になってからは五か月でも、付き合いはプラス二年の時間があったから。性格を知っているのはお互い様だろ」
「お待たせしましたったー。コーヒーとポテトのセットっでーす!」
妙にハイテンションの戸西さんに豊水が驚くと、卒論に詰まっているから逆にああなっているんだと鈴が説明をした。
二人は高校生なので卒論がどういう物かは分からないが、察するに卒業するための論文を書いているのだろう。
やっぱり理解できそうにない二人は高校生だ、しかもついこの前に入学した一年生なのだ。
二人が書くのは最低でも六年後なのであり、つまり戸西さんには頑張れと言う事しかできない。
鈴は六年後の苦労は一旦忘れて、豊水に雑誌を見せ夏休みはどこに行こうかと話そうとする。
「で、もうすぐ夏休みですよ旦那。どこに行って遊びましょうかねぇ」
「おお、戸西さんと負けるとも劣らずなハイテンション。まだ答案は返ってきてないから点数は分かってないのに」
「むしろまだ返っていないからこそ、遊ぼうと思えるのでは? それはそうと毎年だから、最初はお墓に二人でいこうか。盆はどうするの?」
「さあ? 夏休みが始まったら連絡が来ると思うけど、二人とも忙しいと思うからいつくるかまでは分からないかな。校長と理事だし」
「豊水がそう言うなら今日はいいか、まだ夏休みまで時間はあるし。……それよりも夏休みになったら何をするかを決めよう! もう時間はないんだから、朝から晩までいかに遊び倒すかを決めてしまわないと」
「有るのか無いのか、どっちなんだか。それはともかく、悪いんだけど午前は無理。夏補講があるから」
「………………わっといずいっつ?」
微妙に間違った英文だったが、あえて豊水は何も言わなかった。
何も言われなかった鈴は豊水から言われた内容を考えて、最初に口にしたのは豊水が赤点を取ったのかという事だった。
あんなに信頼したのに、あんなに信用したのに、まさか豊水が赤点を取るなんて。
そう涙を流してコーヒーを飲みほした鈴に、豊水は勘違いを訂正する。
赤点を取ったら補修だが、夏に行われるのは補講だし、そもそもまだ答案用紙は返ってきていない。
補講と補習の違いが分かっていない鈴のために、改めて豊水は新しいコーヒーを飲みながら説明する。
「補講って言うのは簡単に言えば、休みの日や授業の後にする授業の事かな。夏補講はうちの高校では昔からやってるし、県内の進学校は大抵やっているって。鈴も朝に早く行くでしょ、あれは朝補講」
「……あれ、ゼロ時間目だと思ってた。でも授業の後に授業をやったら、それは単なる授業じゃないの?」
「俺も最初に同じ事を思ったけど。毎日やってるあれは前補講とも言って、授業が終わってからやったら後補講と呼ばれているんだ。で、夏と冬にやったら夏補講に冬補講。三年の受験生は一日やるけど、一年は午前だけだし、終わってから遊ぼう」
「進学校はあれなの、夏休みの『休み』の意味を知らないの? 勉強のしすぎでまともな事を考える事ができなくなったの?」
「そう言われたら、何も言えなくなるなぁ」
「それは絶対に行かないといけないの?」
「予備校に行く予定のある人は、そっちに行くようだけどね」
そう豊水が言ったという事は、補講には行くつもりのようだ。何しろ鈴が頬を膨らましても、苦笑するだけで行かないとは言わない。
鈴が駄々をこねたら豊水は取りやめてくれるかもしれないが、そうしたら結婚生活に遺恨を残して、最終的に一生一緒に居てくれないかもしれない。
駄々をこねるのは女の罪かもしれない、だからこねないようにする。鈴はきっぱりと諦める事にした。
しかし同時に思う事は、やっぱりこの埋め合わせはしてほしい所だった。
「ふん! 豊水が授業に出ている間、私は合法的に惰眠をむさぼっているんだから。せいぜい眠ってる私を想像してればいいんだ」
「ありがと。でも眠り過ぎたら戸西さんに怒られるから、ほどほどに。補講中にモーニングコールはできないんだから」
「大丈夫、一週間に一回は早起きすれば、お姉ちゃんはごまかせるから」
「お待たせ、帰ろっか。あと鈴ちゃんは高校生になったしあんまり言うつもりは無いけど、昼夜逆転とかしたら、さすがに怒るからね?」
その言葉に鈴は敬礼で返して、三人は夕食を求めて環尉流弩へと旅立った。
東戸さんが聞いていて思う事は、自分の時代にもあったという事だ。
あの頃は予備校が少ない上に高額で、安い補講は親にとってはありがたいことだったのだろう。
何せ自分の子供にさせた時は実にありがたかった。
そんな事を考えながら、一緒に学んでいた彼女へと顔を向けた。
「懐かしいねえ。生徒からの要望で始まったって先生から言われたけど、今もそうなのかね?」
「そんな先生の上の人に都合がいい奇特な生徒、一人はいてもおかしくはないんじゃないんですか?」
「一人でもいたらおかしいと思うよ? みんな知らなくて、全員が何をして遊ぼうかと話してたんだからさ。そうだったでしょ?」
「そうでしたっけ、昔すぎて忘れましたよ。サボろうとした着がえもしていない人を、毎日迎えに行って着がえさせて、朝食まで用意した日々なんて」
「覚えてないなぁ、そんな事は。お礼だと言われてコロッケやら回転饅頭や焼き鳥の、体重が増えないか心配になるような物ばかり奢らされたのは覚えているけど」
「増えましたね、一緒に食べに行ったら私よりも食べてた人のお腹は。私は運動もちゃんとしてましたから、そんなに増えませんでしたしすぐに戻りましたよ」
やっぱり太ったんじゃないか。
そう思っても言ってはいけない言葉がある事を、マスターは経験則で理解している。
もしそう言ってしまったのなら、明日からの夕飯はそれは質素になるだろう。
いつも食堂で食べる豊水には言ってもまだ理解できないだろう。
どれだけ付き合いがあっても、一緒に生活をしないとわからない事がある。
それを学習した時に、どれだけの犠牲を産むのだろうか。
せめて少ない事を祈ろう、そう思いながら東戸さんは、無言で二杯分のコーヒーを淹れた。
【短編連作】喫茶店で、暇つぶしな、逢瀬を重ねる、ふたり 直三二郭 @2kaku
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