第12話 始末の章
「ああ、可笑しい! あんた、本当に話し上手だねえ」
床几に掛けて白湯を啜る客の隣で、看板娘と呼ぶには大分とうの立った女が大笑いする。
「恐れ入ります。こういった話を幾つか知っていると、存外商売の役に立つのです」
「分かるよ。あたしも結構話は持ってる方だ。けど、あんたには敵わないわ」
山沿いにある茶屋は、今日は霧に煙っている。通り掛かる旅人は殆ど居らず、唯一の客と無駄話でもしてなければ暇で仕方がない。退屈嫌いの女は、矢鱈と丁寧な口調の話し上手な客をすっかり気に入っていた。
「悔しいねえ。あんたを唸らせるような話が無いもんか……」
と、笑いながら首を捻り、「ああ、そうだ」と頷いた。
「もう無くなっちまった村の話なんてどうかね。あたしが子供の時分に暮らしてた村の話」
「村、でございますか」
「まだ小さかったからあんまり覚えてないんだけど、ちょっと変わった村だったみたいでさ」
女の言葉に、客が糸のような目をさらに細め、続きを促す。
「昔、お父とお母が言ってたんだ。『お天道様を好きにできる神様』が治めてた村だったんだって」
ある年、旱魃に見舞われた末、廃村となった村があった。取り立てて珍しい事ではなく、一帯を治める豪族の立場が多少不味くなりはしたが、それとても都の
その村は、元は三つに分かたれた小村の集まりだった。村同士を一本道が貫くような立地であったこともあり、ある時を境に一つの村となった。
女が育ったのは二つの村に挟まれた真ん中の村で、他に比べて作物の収穫量も多く、村同士を繋ぐ文字通り中心だった。その中心村の村長とその娘が、ある年の収穫祭の前日に行方を晦ましてしまったのだ。村長はかなりあくの強い人物だったようで、彼等の行方を真剣に探す者は一人も居なかったらしい。
結局、村長不在の中心村を補うという名目で、三つの村は併合することになった。
両隣の村はどちらも中心村の収穫を当て込んでいたが、それを得る為に争う愚を犯すよりはと、共存する道を選んだのだ。
だが、その当ては大きく外れることになった。中心村の豊かさは、神にも等しい力を持つと噂の村長によって成立していたのだ。
只のお荷物を抱えることになったと両隣の村が気付いても、既に遅かった。神去りし村はこれまで一度も体験してこなかった不作に陥り、それを切っ掛けに互いを呪い合い、醜い諍いの末、沢山の村人が命を落とすことになった。女の家族は争いから命からがら逃げだし、ここに流れ着いたのだ。
「……本当の所は何があったのか、あたしもよくは知らないんだ。大人達がなんか必死に隠し事してたってことは感づいてたけど、それが村長の行方についてなのか、不思議な力についてなのか……」
「天を操る力でございますか。そのお話が本当ならば、確かに神様に違いありませんが」
女の話に耳を傾けていた客の呟きに、女が肩を竦める。
「逃げ出した他の人らも散り散りになったから、お父とお母の話が何処まで本当なのか確かめようがないけどね。死んじまった兄なら、もっと細かいことを憶えてたかもしれないけど」
ただ……と、女が目を伏せた。
「神様ってのは、案外普通なんだなって思ったことならあったよ」
兄と追いかけっこをしていた時のことだ。余所見をしていたせいで誰かの脚にぶつかってしまい、顔を上げると、自分を見下ろしている村長と目が合った。すぐ脇で、兄も怯えた様に立ち尽くしている。
尻もちをついた痛みと、怒られる恐怖にべそをかく女に、村長は無表情に訊ねた。
「……兄ちゃんが好きか」
「うん」
頷いた女と兄の頭を撫で、少しだけ微笑んで村長は屋敷に帰って行った。
「……それだけのことなんだけどね」
女は肩を竦めた。
「お父達が言ってたみたいに、お天道様を好きにするなんてことが出来そうには見えなかったよ。でももし、あの人が本当に神様だったんなら……」
「神様なら?」
「居なくなったのは、もしかしたら、疲れちまったからなのかなって思ってさ。折角村を豊かにしてやっても誰からも好かれてなかったなんて、何だか可哀想だろう?」
「成程。貴女様はお優しい方ですね」
「嫌だ、こんな婆を口説いてるのかい?」
女が笑った。
茶屋の周囲でざわざわと樹が揺れた。風が街道を抜け、霧が散っていく。
客が立ち上がった。
「もう行くのかい?」
「ええ、まだ巡る先がございますので。興味深いお話を有難うございました」
「気を付けてお行きよ」
その時、一際強く風が吹いた。
「人でございましたよ」
「は?」
「先程の村長様のことでございます」
樹々を騒めかせる風と客の声が重なる。風の勢いに、思わず女が手で目元を覆い、顔を伏せた。
「ごめんよ、聞こえなかった……おや?」
女が顔を上げると、既に客の姿は無かった。ただ、不思議なにおいが僅かに鼻をくすぐり、それも再びの風に散っていった。
樹木魚―じゅもくうお― 遠部右喬 @SnowChildA
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