喪き電波塔の最期の声

宵宮祀花

幽霊ラジオ

 S1区裏通りのジャンク屋にて。

 ガラクタを物色している友人の後ろ姿を、ニナはあくびをかみ殺しながらぼんやり眺めていた。かれこれもう三十分はああしてなにかを探しているのだが、いい加減に人と来ていることを思い出してほしいものだと呆れてくる。

 しかしニナが彼女に文句を言わないのは、市街地の洋品店へ出かけたときは自分がいまの彼女のようになって相手を待たせている自覚があり、そんな自分に彼女も一切文句を言わないからだ。

 似た者同士、お互い様の友人関係。長続きの秘訣は許容と諦めである。


「あった!」


 そんなわかりやすい歓喜の声と共に取り上げたのは、両手に収まるほどの箱。鈍い銀色をしていて、いくつか物理ボタンやつまみがついている。今日日珍しい骨董品の類いだろうか。


「なあに、それ」

「ラジオだよ、ラジオ! 旧世代の遺物でね、もう二百年くらい前に最後の電波塔がなくなっちゃってラジオ自体が骨董品になったんだけど、なにも聞けないガラクタになってもこのノスタルジックな形状に惚れて保存し続けてる人がいたりして蒐集品としての価値も当時から変わってなくてさ、それで」

「わかった、わかったから!」


 とんでもない長話が始まりそうだったので、ニナは慌てて止めた。

 不服そうな顔をする友人の肩をつついて、背後を指さす。其処では、ジャンク屋の主人が『勢いに任せて金も払わず持ち去るつもりじゃないだろうな』と書かれた顔で友人をじっとりと見ていた。

 なにも話を聞きたくないわけではない。何ならニナも服のこととなると友人同様に言葉とテンションが間欠泉になるのだから。ただ、さすがにお金を払う前から自分のもののように話すのはどうかと思ったのだ。


「あっ、すみません! あたしったら出会えた喜びで、つい……」


 値札通りのキャッシュを払うと、店主は安堵混じりの愛想笑いで「毎度」と告げて視線を外した。


「それで、イオが必死に探してたそのラジオ、二百年も前にガラクタになったのに、なんでそんな気合い入れて探してたの? イオの好みとはちょっと違うよね?」


 元々イオはジャンクが好きで、無骨な機械に美を見いだす趣味をしている。だが、このラジオは言ってしまえば『とても整っている』のだ。完成されていると言ってもいい。それはそうだろう。この形で嘗ては商品として売られていたのだから。

 しかしラジオが商品たり得たのは、電波を通じてなにかを聞くことが出来たから。いまこの鈍色の箱は、綺麗なだけのただの金属の集まりである。

 イオは、得意満面になって、ラジオをニナの眼前にずいっと突き出した。


「なんとこのラジオ、幽霊の声が聞こえちゃうんです!」

「へえ」

「もー! 夢がないなあ!」


 リアクションがたったの二文字だったことに不満を露わにすると、イオはラジオを片手に「まあ、とにかく帰ってきいてみよ」と歩き出した。


 第三次世界大戦と『怒りの日』によって世界規模での崩壊が起きてから、二十年の時が過ぎた。戦争と災害により汚染され生物が近寄れなくなった忌み地を避け、人は比較的無事な赦しの地に新たな街を作った。

 怒りの日ほどの規模ではないものの災害はいまも世界中で起きており、それゆえに商業施設も個人宅も全てシェルターの設置が義務づけられている。先ほどの露店にも見える簡素なジャンク屋でさえ堅牢なシェルターを所持しているし、買い物の最中になにか災害があれば、ニナたちは其処へ逃げ込む義務がある。

 人は、生きなければならない。生存もまた、数少なくなった人間の義務だからだ。

 そんな世界でも娯楽はある。ニナの服も、イオのジャンクも、その一つである。


「ていうかさあ、幽霊って言っても怒りの日に山ほど人が亡くなったじゃん。何処の誰がラジオで喋るっていうの? 順番待ちとかあるわけ?」

「さあ? 人間だって喋るの好きな人とそうじゃない人がいるわけだし、死んだ人が全員喋りに来るとは限らないでしょ。いまだってアナウンサーとかいるんだから生前そういうお仕事してた人が喋るかもだよ?」

「それはまあ、そっか。うちらの身近には亡くなった人はいないから、こういうのは会いたい人がいる人なんかが寧ろ食いつきそうなもんだけど」

「みんな生きるのに必死だからねえ。こんな時代だからこそロマンは大事だよ」

「それは同意」


 寄宿舎に着き、部屋に入ると、イオは早速机にラジオを置いた。

 少し薄めの直方体。前方にスピーカーが一つ。上部には物理ボタン。ダイヤルには細かいメモリがついていて、それを回すと前面にある数字のバーが動くようだ。

 ジャンクには取り扱い説明書なんてついてない。メーカー保証なんて、二百年前に終わっている。だから手探りで使わなければならないし、壊れたら終わりだ。

 怖々とした手つきで、イオがラジオの電源を入れる。ニナは隣で固唾をのんでその作業を見守った。

 ざらついたノイズが流れて、甲高い異音がして、ダイヤルを回すとノイズの音質が不安定に揺れた。だが当然ながら二百年前に役目を終えたラジオがノイズ以外の音を放つことはなく、ひたすら耳を引っ掻くノイズだけが流れ続けている。


「やっぱなにも聞こえないかぁ……」


 イオが落胆したように呟いて、ダイヤルから手を離しかけたときだった。


 ――――間もなく、一つの時代が終わろうとしています。

 長きに渡り、人々の情報を支えてきた――ラジオですが、本日でその役目を終えることとなりました。今後の電波放送は、――――へと統一され、より高音質で正確な情報を皆様にお届けすることが可能となります。また、各地の電波塔は――――から順次――――となります。皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。

 それでは皆様、どうか良い――――末をお過ごしください――――


 所々にノイズで聞き取れない箇所はあったものの、いまのは確かに人の声だった。内容から察するに、最後の放送だろう。

 イオとニナは押し黙ったまま顔を見合わせた。


「当時の放送の音声データが中に残ってたのかな?」

「それは……どうだろ」


 イオは、ラジオに録音再生機能がついてないことを知っていたが、言えなかった。言ってしまえば、頭の片隅にある嫌な考えが真実になる気がして。曖昧にぼかして、自分を誤魔化すので精一杯だった。

 何となく声を潜めて話していると、再びザザッとノイズが走った。そして、


 ――――アナタハ、マダ、其処ニ居マスカ?


 二人に問いかける声が、ハッキリと聞こえた。

 思わず息を飲む。ラジオは放送側が一方的に話す、映画や報道番組のようなものであるはず。ラジオの知識がないニナは不思議そうにしているだけだが、イオは僅かに顔色を白くしていた。


 ――――マダ、私ヲ、覚エテイマスカ?


 声はなおも問いかける。

 何処か合成音声にも似た、生声とは雰囲気の違う、性別と年齢を感じない声だ。

 イオの背筋に冷たい汗が流れる。答えてしまったらどうなるのか、怖くて呼吸すら止めてしまいたくなる。


 ――――誰カ、私ヲ、覚エテイマスカ?


 怯えるイオに反し、ニナの耳にその声は、とても寂しそうに聞こえた。暗闇の中で小さな光を探しているような声だと思った。

 イオの隣でニナが一筋涙を流して、ラジオにかぶりついた。


「覚えてるよ! 二百年経っても覚えてる人はいるよ! わたしの友達も、三十分もかけて探して、いまこうして聞いてるんだから!」


 イオはニナに「ラジオは動画の生配信と違って一方的だよ」と、言おうとした。

 だがその言葉は最初の一音すら声にならないまま、喉奥へと押しやられた。


 ――――……アリガトウ。


 謎の声が言ったのと同時に、背後でガラガラと落雷にも似た激しい音が聞こえ……そして、ブツン。と、まるで幕を下ろすかのように、一切の音声が消えた。


「い、いまのは……?」


 ダイヤルを回しても、もう微かなノイズすら聞こえない。

 あの声はいったい何だったのか。最後に聞こえたなにか大きなものが崩れるような凄まじい轟音は何だったのか。イオが掘り出し物に興奮して、ジャンク屋のワゴンをうっかり倒したときの音を数百倍にしたような、それは凄い音だった。

 見上げるほどの大きな建物が崩れるような――――と其処まで考えて、ニナは一つ思い至った。


「さっきは夢中だったけど、もしかして最後の声が言ってた私って、放送してた人のことじゃなかったのかも」

「どういうこと? パーソナリティじゃないなら何だっての?」


 ニナは眉を寄せて「笑わないでね」と前置いてから口を開いた。


「……ラジオが、二百年前に役目を終えたラジオの幽霊が、自分のこと忘れてほしくなくて言ったんじゃないかって思ったの」


 イオは、笑う気にも否定する気にもなれなかった。

 抑もイオは、幽霊の声がするラジオだと本気で信じていたわけではなかった。ただ珍しい骨董品から変わった音でも流れたら面白いだろうと思っただけだった。

 なのにこのラジオは、最後の声を二百年後に届けた。それどころか、此方の声まで受け取った。……ように、思えた。

 使わなくなった電波塔は、きっと新しいものを建てたりするのに壊されただろう。電波塔の資材は別のものに生まれ変わったなんてこともあったかも知れない。解体が難しくそのままにされて時代と共に風化したものも、先の大戦で焼け落ちたものも、怒りの日に壊れたものもあったのだろう。だが、人々に情報を届ける役目をしていたことは、電波塔の誇りだったに違いない。

 当時の電波塔は、遠くへ声を届けることが困難だった時代から情報化社会へ劇的に変化した、丁度転換期を生き抜いたのだから。


「そういえば動かなくなっちゃったけど、壊れちゃったのかな……」


 わたしが叫んだから? と不安そうにしているニナに、安心させるように笑って、イオはラジオをぐるぐる回して状態を確かめた。

 そして、気付いた。


「…………どうして」


 後ろの下の隅のほう。

 爪を外して開ける場所があり、外してみると中は電池を填めるようになっていた。いまでは殆ど使われていない、大きな電池が二つ。当然、ジャンクとして売るときは電池は抜いてあるはず。このラジオも例に漏れず電池は抜かれていた。さもなくば、漏電して発火、または爆発の危険性があるためだ。

 空洞の其処を見なかったことにして、イオは蓋を閉じた。

 ニナは相変わらずわかっていないようで、イオがいつものようにジャンクいじりを始めたと思っている。


「……ま、ほんとに幽霊ラジオだったのかもね。一回きりなのは残念だけど。でも、見た目が結構好みだから部屋に飾ることにするよ」

「そっか……うん。わたしも可愛くていいと思う。この謎のアホ毛とか」

「アンテナって言うんだよ、それ」


 相変わらず機械に疎いニナを後目に、イオはラジオを机の片隅に並べ置いた。

 隣にはガラクタで作った奇怪なオブジェにしか見えない鉄の花瓶や、無駄に凝ったガジェットで開くゲーミング筆箱などが並んでいる。それらと比べたらニナの目にも可愛いアンティークに映るようだった。


「わたし、近代史の授業もっと真面目に受けるよ」

「へえ、どういう風の吹き回し?」


 ニナは自分を悔いるように、ぽつりと零す。


「ずっと、終わったことなんて知っても意味ないって思ってた。わたしたちは未来に進むしかないのに、過去なんか学んで何になるのって。でも、違うんだね。そのとき生きた人たちや時代を忘れないでいることも、わたしたちの役目なんだ」


 涙のあとを乱暴に拭うニナを横目に見つつ、イオは満足そうに頷く。


「だからジャンク漁りはやめられないんだよねえ」

「もう、それは違うでしょ!」


 顔を見合わせ、笑い合って、二人の少女は部屋を出た。

 無人の部屋で、小さなラジオが二百年前と変わらない姿で静かに佇んでいた。



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喪き電波塔の最期の声 宵宮祀花 @ambrosiaxxx

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