第46話
それは、あまりにもおぞましく醜く、最早聞くに堪えない戯言のようでもあり。
しかし同時に、それが真実だとさしたる驚きも無く受け入れている自分もいた。
だからこそ、だろうか。実父を殺した実母とその共犯者に対して、鋭く指弾するような視線を向けられたのは。そしてそんな視線は当然ゾフィの不興を買って。
「何よ、その目は? 私たちは、もっと驚き困惑する情けなくて滑稽な顔を期待していたんだけど? そんな反抗的で癇に障る目は期待してないわ。今すぐやめなさい」
侮蔑の籠った視線でルカを見据え、高圧的な物言いと威圧感で屈服させんとしてくる。昨日までのルカであれば、きっとモノの数秒で屈していたことだろう。
でも、今は違う。
実父を醜い我欲で殺した実母への憤り。
そんな悪魔のような実母へ好き好んで手を貸す外道への軽蔑。
何より、こんな奴らに家を奪われてはいけないという義務感や正義感。
突き付けられた真実はルカの心に火を灯し、かつてないほどに滾らせていた。
「……許さない。許さないぞ、絶対に!」
その強い意思に裏打ちされた眼で二人の巨悪を睨み続ける少年の顔には、決意とでも呼ぶべき覚悟の色が宿っていて。だが、どれだけ心を強く持ったところで力の差を覆すことはできない。尚も反抗的な態度を取るルカに、ゾフィはやれやれと嘆息すると。
「どうやら、ホントに頭の先から爪先まで父親に似たようね。全く、不愉快極まりないったら……どこまでも私の希望を裏切り続ける、腹を痛めてそんなアンタを産んだことこそが私の人生で最大の汚点だわ! だから、ここで終わりにしてあげる。私の手で、ね」
そしてゾフィは、再度銃を向ける。その目は殺意に満ちていて、仮にキースが何か言ったところでゾフィの揺らがぬほどにその眼光は鋭い。
銃相手に立ち回る方法など知る由もないルカにこの状況の打破は不可能。そうなれば、もう生き延びるために残された選択肢は外へと脱出して助けを求めるしかない。
幸い、助けを求めるアテはある。だから後は、どうやって外へ出るかだけ。
玄関の鍵は閉まっていて、銃撃されるまでの僅かな間でこじ開けるのは困難。
窓はこの時間だと施錠されているだろうし、素手で割るのは無謀だし危険すぎる。
となればもう、残された出口など一つしかない。
「……やるしかないか」
僅かな時間で必死に頭を回転させた末にルカは結論を出して、覚悟も決めた。
そしてこっそりと腰元へ手を伸ばして――
「えいっ!」
思いっ切り叫びながら、手にした空缶をゾフィへ投げつける。
それは、昼間レイに奢って貰った缶飲料のゴミ。捨てる場所を見繕えずに止む無く持って帰ったまま、今の今まで腰に忍ばせたまま忘れていたのだが――まさかそれがこんなところで役に立つとは思わなかった。
ルカが思いっ切り投げた缶は一直線にゾフィの方へ。驚きながらも半ば反射的に直撃コースからは逸れたものの、なおも空を切る缶は背後の高価な壺へ命中した。
「割ったりしたら絶対に許さない。その時はお前の頭をかち割ってやる」
つい数日前に納品された際にドスの効いた声でルカに厳命していたくらい入れ込んでいたのだが、缶が命中した衝撃で地面へ落下。破砕音を響かせながら無惨に砕け散り、同時に頭を抱えたゾフィのヒステリックな絶叫が轟いた。
「きっ! 貴様ぁ、何てこと……ぶっ殺して――なっ!?」
一瞬だった。ほんの一瞬目を放した隙に、ルカはゾフィへ肉薄していて。
素人のゾフィが銃を構え直す間もなく、ルカは裂帛の気合が籠った絶叫と共に彼女の腹部へと全力の拳を叩き込んだ。
「おげぇ!? げほっ! がはっ!?」
ルカには武道の心得どころか喧嘩の経験すらほとんどなく、体躯も華奢でひ弱そう。そんな彼が繰り出した一撃など強烈とは程遠い……が、それでも不意打ちに加えて決死の覚悟が産んだ底力は侮れないもの。ゾフィは腹部にめり込んだ一撃に苦悶の表情を禁じ得ず、汚く咳込んで膝をつく。そしてキースも、ルカの想定外の行動に目を丸くして固まるだけで、ゾフィを案じるどころか駆け寄ることもしない。
二人の隙を縫うようにルカは強硬突破して、そのまま屋敷の奥のパーソナルスペースへ向かって一気に駆ける。
「へぇ。意外と度胸あるじゃん。父親譲りかな? それに引き換え……」
「何してんのよ、追え! 追いなさいよ!」
「……ちっ、コイツ。まぁ、いいよ。はいはい」
悠然と、屋敷の奥へ逃げたルカを追う二人。しかし、ゾフィの足取りはよろよろと弱々しく、キースはまともに追いかける気が無いのか酷くゆっくり。
そんな足取りで必死に逃げるルカに追いつけるはずもなく、一足先にパーソナルスペースまで辿り着いたルカは急ぎ床板を剥がして、現れた地下への階段一気に駆け下りる。
慣れの産物か、ルカの動きは驚愕すべき程に素早かった。キースとゾフィがパーソナルスペースへ辿り着いた頃にはもう既にルカは地下へ潜り終えていて、更にその入り口たる床板も綺麗に閉ざされていたのだから。
つまり、二人はまんまとルカに逃げられてしまった。
その事実に、ゾフィは怒り心頭といった様子でヒステリックに喚きながら地団駄を踏み。
「あのクソガキぃ! ……どうすんのよ、キース!」
「喚くなよ、うるせぇな。ていうか、どうするって言われても俺が知るかよ」
「はぁ? 何よ、その態度! アンタだって他人事じゃないでしょ!? アンタが余計な提案するから、あのガキに知る必要のない余計なことまで知られちゃったのよ!?」
ゾフィの言い草に、キースはかつてないほど露骨にムッと顔をゆがめる。
「何だ、その言い草? 全部俺のせいってか? お前だって賛成していたし、というかバラしたのはお前だろ?」
「うるさいっ! とにかく、このままアイツが逃げ果せでもしてみなさいよ? その時はもう、私たち終わりよ? そんなの、冗談じゃないわ。逃がしたりしたら、承知しないわよ。分かったら、さっさと何とかなさいっ!」
「………………ちっ。身の程知らずのクソババァが、調子に乗るんじゃねえよ」
ヒステリックに叫ぶゾフィだが、瞬間キースが見せた憤怒の形相と轟く怒声を前に瞠目して色を失う。
マズい――と思ったゾフィだが、もう既に遅い。激怒したキースは舌打ち交じりに拳を振り上げて、その拳を容赦なく振り下ろしてはゾフィの顔面を全力で殴打する。
ルカの一撃など比較にならないほどに強力なキースの拳をもろに受けたゾフィは床に転がるが、一発殴ったくらいではキースの機嫌は収まらない。そのままゾフィの上に馬乗りになると、固く握り締めた拳で高く振り上げてから振り下ろす。繰り返し、何度も。
「このっ! このっ! このこのこの! 調子に乗るな、クソババァ!」
「……い、痛い! 痛い……痛いから……や、止めて……分かった、悪かったわ……ご、ごめんなさい……だから、止め……や、めて……」
「うるせぇんだよ! 貴族の家柄と特権以外に何の取り柄もねぇ癖に、高飛車で高慢で偉そうなクソ雑魚無能の分際で! 年増の癖に会う度に寝ろとうるせぇ欲求不満色狂いババァの分際で! 俺様に! 偉そうに! 命令してんじゃねぇよ! オラッ! オラァ!」
ゾフィの必死の懇願を掻き消す、激情の罵声と殴打の音。
やがていつの間にかゾフィから懇願の声はしなくなっていて。漸く我に返ってみれば、歯の欠片が散乱する血だまりの中でピクリとも動かなくなっていて。
度々自慢していた――キースからすれば戯言にしか聞こえていなかったが――ゾフィの美貌はボコボコに変形していて見る影もなく、頬は異様に赤くなり、目元は異常に青く変色しており、何より瞳の瞳孔が開きかけていて……瞬間キースは察する。
「あーらら、やり過ぎちゃった。まぁ、いいさ。どうせもう、おめぇに利用価値はねぇ。これでも貴族の娘だし、最後は熟女専門の奴隷市にでも売り飛ばしてやろうかと思ったが、どうせてめぇみてぇな年増は売っても二束三文だ。別に惜しくもないか。それよりも」
キースは懐から携帯端末を取り出すと、流れる様な指使いで記録されている番号を呼び出すと、徐に耳へ当てて。
「俺だ。面倒なことになったから、人集めろ。あと、今すぐガキを探して捕まえてこい。ここからまだそう遠くへは行ってない筈だから、草の根分けても探し出せ! あぁ、でも顔に傷は付けるなよ? 値が下がるからな。あぁん? けっ! 物好きが……まぁ、売り物にならねぇくらいに壊さねぇなら好きにしろ。とにかく、頼んだぞ」
言いたい放題言い終えて通話を切ると、物言わぬゾフィの骸の方へ向き直り。
「喜べよ。てめぇの代わりに、てめぇのガキをキッチリ売り捌いてやるからさ。貴族のガキは、性別問わず高値で売れんだ。それで、俺を怒らせた代金はチャラにしてやるよ」
「うぅ……うぅ……」
「へぇ、まだ息があったか。なら、最後の最後に教えといてやるよ。貴族の中でもなぁ、特にてめぇらみてぇな貧乏貴族は俺らみたいな裏社会の住人のいいカモなんだよ。特に金も無けりゃあ常識も知らねぇ世間知らずのバカな癖に、家柄と血筋のせいか自尊心だけは人一倍強い……そう、てめぇみてぇな見栄っ張りのバカが一番いいカモってワケ。てめぇは、自分の旦那を能無しだって扱き下ろしていたなぁ。まぁ、確かにあの旦那は俺様に比べれば遥かに無能だが、それでもてめぇより数千倍はマシだ。てめぇは、俺が出会って今まで食い物にしてきた貴族連中の中で一番救いようのねぇクズだったよ!」
哄笑と共に語られるその言葉は、意識が薄れて遠くなっているゾフィの耳にも届いているようで、二目と見られぬくらいにボロボロの顔でもしかと見て取れるほど驚愕の表情。
そしてその顔を見るなり、キースは更に破願させて。
「良いねぇ、その顔! 旦那の死に顔より遥かに間抜けで超ウケる! やっぱ、てめぇみてえなバカ貴族の死に顔はこうでないとなぁ! ハハハハハハハハハハハハ!」
薄暗い屋敷中に響くほどの高笑いには、これ以上ないほどの侮辱が込められていて。
しかし、如何に腹立たしい笑顔を前にしても、今のゾフィには何も出来ない。
仕返しどころか、文句の一つを口にする余力も残ってはいないのだから。
そうして、ふと思い出す。自分がキースと共謀して――いいや、今思えば唆される様にして旦那を殺した時、自分も旦那をそんな高笑いと共に見下していたと。
「……ち、く……しょ……」
だが、因果応報だと受け入れる様な度量は勿論、まして反省するような素直さなどゾフィは持ち合わせていない。最後の最後まで不満の声を口にして、彼女は静かに瞳を閉じる。
そして……屈辱と絶望の中で閉ざされたその瞳は、もう二度と開かれることはなかった。
LR 未遠亮 @midouryou
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